第116話 <リタ 1/2>



「あ、カサンドラ様! あそこに座りませんか!? 丁度空いてます」



 中央広場にある木陰のベンチを指差し、リタは弾けんばかりの笑みで提案した。

 

 手許には大通りの露店で購入したクレープ。

 その場で食べ歩くのは流石にカサンドラも抵抗があるということで、落ち着いて食べられるように傍の広場に訪れた。


 大きな湖が一望できる中央広場は、老若男女の別ない憩いの場の一つだ。

 だが真夏の日差しのせいか人影は思ったより少なかった。樹の下で影になっているベンチが見つかったのは大変ラッキーなことだ。


 特に目的がある散策ではないのだが、街の中で待ち合わせて雑踏に紛れて気兼ねなく話を出来るのは楽しい。

 普段学園内では否が応でも他の生徒の視線を気にしなければいけないが、数えきれない雑多な人混み、客を呼び寄せる店主の張り上げる声――大通りは混沌としている。

 王立学園の制服姿ならいざ知らず、帽子を目深に被った少女二人が肩を並べて歩く姿に一々注目する者はいない。


 気兼ねなくクラスメイトの話、姉妹の話、ラルフの話が出来て凄く楽しい。

 誰かに聞かれたらどうしよう! なんて視線を動かす必要がない解放感に打ち震えたくらいだ。

 調子に乗って一方的に喋り倒しているとハッと気づいて二、三回ほど赤面したがカサンドラは気にする様子もなくリタの話を聞きたがってくれた。


 隣を歩くカサンドラに声を掛けてもタイミング次第では喧騒に掻き消されるような大通りから脱する。

 密度の減った広場に辿り着くと生温かい風が汗噴く肌を撫でていた。


 街の人混みの多さにいつも驚く。


 田舎育ちの自分には、学園とは違った意味で別世界の模様だったのだ。

 それも今となっては大分慣れてきた……と思う。


 人間の環境適応能力にはビックリだ。

 「ごきげんよう」の飛び交う学園で無事に生活できるのか、多くの人が行き交う物価の高い王都でまともな生活が出来るのか。

 考えたところでしょうがない、なんとかなるさ! の精神でここまでやってきたが、本当に特に不自由を感じることなく一学期が終わってしまった。


「いただきまーす♪」


 大口を開け、リタは両手に持ったクレープにパクっと齧りつく。


「ん、美味しい!」


 もちっとした生地の感触と果物の甘酸っぱい味が口内に広がる。甘みのあるクリームが舌の上で溶け良い塩梅だ。


「ええ、そうですね」


 カサンドラも隣に座ってクレープを食べている。

 鞄の中から取り出した一枚のハンカチを膝の上に敷いて、『買い食い』をしているカサンドラ。

 彼女を見ていると、いくら行動が庶民に倣っていても高貴オーラに圧倒される。


 綺麗な金の髪は絹糸のように艶があって真っ直ぐで、サラサラと風に靡く姿がとても絵になる。

 強い光輝を宿す緑色の双眸は全くそのまま宝石みたいだなと思う。顔立ちの整った凄みのある美人さん――なのだが、人と話をするときには物腰が穏やかで全く棘を感じない。

 一人で物思いに耽っている様子は近寄りがたく、険しい雰囲気を感じるのだけれど。


 本当に天は二物も三物も人間に与えるのだなぁとリタは彼女の横顔をしげしげと眺める。

 精巧なお人形さんのようなつるつるの白い肌は事故を装って一回触ってみたいとさえ思う。自分も性別は女なのに。


 上背も女性の平均より高く、王子と並んで丁度いい身長差である。

 その上スタイルも良いとか神様の依怙贔屓が凄い。

 出るところは出てひっこむべきところは引っ込んでいるという――グラマラスな体型というものか。

 尤も普段は制服だし、私服もゆったりとしたシルエットのワンピースが多いので気づかない人も案外いたみたいだが。

 生誕祭のドレス姿は凄かったと今でも思う。

 身体のラインをなぞる蒼いドレスで壇上に上がったカサンドラに驚いた生徒も多かった。全く肌を露出してないのに大人っぽいのは何なんだったんだ。


 どことなく年上のお姉さんを感じさせる雰囲気のせいかも知れない。


「リタさんの苺味も美味しそうですね」


 こちらの視線に気づいたカサンドラが微笑む。

 落ち着いた声音で、一つ一つの動作はゆったりしている。

 だがノロノロ遅いなんて印象は全くなく、優雅さに目を奪われている内にやるべきことをいつの間にか終えているのだ。

 見た目だけせかせかバタバタ焦って実際の事が進まない人と対極だと思う。


「はい、カサンドラ様はチョコですよね」


「どちらにしようが最後まで悩みました」


 チョコという甘い誘惑には勝てなかったと彼女は苦笑した。

 甘いものが嫌いな女性は少数派だと思うが、カサンドラも普通にチョコやケーキが好きな普通の女の子なんだなぁとちょっと感動した。

 家でいくらでも好きなデザートを楽しめるだろうに、物凄く真剣に二択を悩んでいたのに驚いたリタである。

 その気になれば『屋台ごとお買い上げ』さえできるくらいのお嬢様だと思うのに。


 今だけ自分の普通の女子校生っぽく接してくれているのかも知れないが、一緒に大通りを歩いて色んなお店を外から眺め、他愛ないお喋りをする。

 カサンドラが内心どんなつもりであっても、これは紛れもない普通の女の子同士の休日だ。

 一足飛びに心理的距離が縮むことはないけれど、リタは十分その限定時間を満喫していた。


「じゃあ、一口ずつ交換しましょう!」


 リタは良いことを思いついたと言わんばかりに、ピンっと人差し指を天に向け提案した。


「……交換、ですか?

 分かりました」


 ――どうぞ、と。少し緊張感のある面持ちでカサンドラがリタの眼前にまだ殆ど食べ進めていないクレープを差し出した。


 この場にリゼがいたら”貴族のお嬢様になんてこと言ってるの!”と後頭部を叩かれていたに違いない。

 だがこの場に姉はいない!

 今日は普通の女の子同士、友達として過ごして欲しいというお願いを聞き届けてくれたのだ。

 このチャンスを逃すまいと、リタは遠慮なくパクっと一口。


「……あ、私もこっちにすれば良かったかも」


 甘すぎないビター風味も良い。

 口周りについてしまったチョコを親指で拭って笑う。


「カサンドラ様もどうぞ」


 普段こんな対応を迫られたことが無いのか、彼女の顔つきはやはり真剣だった。

 だが少しだけ身を乗り出し、一口齧ってくれたのだ。

 それだけでも中々見ることのできない姿だろう。だが一口食べた瞬間、



「美味しいですね」



 そう言った彼女の顔がいつもの余裕ある穏やかな微笑みではなかった。

 本当にビックリした素の顔、切り取った瞬間をリタは特等席の最前列で見てしまったのだ。


 リナがするような表情を、まさか彼女もするものだとは。

 ……意外過ぎて手に持っていたクレープを地面に落っことしてしまいそうになった。



「カサンドラ様!」


「な、なんです? わたくし、食べ過ぎましたか!?」

 


「同級生とか他の人の前でそんな顔しちゃダメですよ!?

 今まで通りのカサンドラ様でいてください……!」



 そんな完璧に整った美人さんが見せる素のあどけない顔とか、男の心が秒で落ちるわ!



「……??」


 そんなに変な顔で食べてしまったのか? とカサンドラが人知れずショックを受けている傍ら、リタもかなりドギマギした。

 普段気を抜いたり隙を見せない人相手だから余計に動揺してしまったのだ。


 ――カサンドラは王子の婚約者である。それは周知の事実で、学園にいる生徒なら誰でも知っていることだ。

 だから男子生徒が彼女に惹かれたとしても、その想いは永遠に日の目を見ることはない。

 僅かでもそんな素振りを見せたが最後、王家に挑戦状を叩きつけ反乱の狼煙でも上げるつもりかと受け止められかねない。


 好意を持つ持たないに関わりなく、彼女の傍に男子生徒が近寄らないのはそのせいだ。もしやカサンドラを……? なんて疑いを掛けられてしまえば難癖の対象になり得るし、王権社会のこの国で王族に睨まれるなど致命傷だ。


 だが……

 試験前のある日、クラスメイトの男子の一人が成就しないことを承知の上でカサンドラに好意を伝えようだなどとアホな事を言い出したのだ。

 「死ぬ気か馬鹿野郎、目を醒ませ!」と友人に殴られていたのを目撃したリタは、無言で教室の扉を閉めて聞かなかったことにしたのだけど。


 高嶺の花どころじゃない。

 男子生徒が深入りすれば文字通り身の破滅を招く――それが目の前のカサンドラという同級生なのである。

 彼女に普通に話しかけることが許される男子生徒は王子の親友の三人くらいだ。


 こんな笑顔の爆弾を教室中に振りまいたら血の惨劇が起こりそうなので、それは何とか阻止したい。

 遠巻きに憧れられているくらいが程良い距離感だと思う。


 ……いや、現在絶賛特別扱い中のリタが言って良い台詞ではないが、彼女に好意を持ってしまった男子生徒が可哀そうなのは事実だ。

 伝える事の出来ない感情を深層に沈め、昇華しないといけないのは辛いだけだと思う。


 例えばリタは、ラルフに告白をすることくらいは出来る。告白は自由だ。

 最終的に選ばれる確率はごくごく薄いものだけれど、その気になれば次に会った時にでも「好きです」と言うことは可能なのだ。


 想いを伝えることが出来る、例え玉砕してもスッキリした気持ちで諦めることが出来るのは恵まれていると言えるだろう。

 

 ラルフに告白、という連想に至ったその一瞬、心がチクチク痛かった。


 想いを伝えることが出来る、それだけで恵まれている――か。

 それは”未だ伝えていない”境界線の円の外側に立っている自分だから、分かったていで偉そうに言えることなのかも知れない。


 リタの良く分からない剣幕に目をぱちくりさせていたカサンドラ。

 こちらとしても、一から十まで説明するのは口はばったいのでどう誤魔化そうか若干焦る。


 だが、先にカサンドラの方が気を遣って話題転換してくれた。


「リタさんも試験結果がとても素晴らしくて、わたくし驚きました。

 一学期は礼法作法にあわせて勉強も忙しかったでしょう?」


「ありがとうございます! 机に齧りついて勉強勉強でしたからね、もうしばらくゆっくりしたいです…

 本番はカサンドラ様との約束を餌にぶら下げて乗り切れました!」


 リタ”も”、という表現はやはり、昨日一緒に遊んだというリゼのことが念頭にあるからだろう。

 とんでもない難しい順位宣言をしたというのに、あっさりクリアしてカサンドラと遊べる券をゲットしたのだ。

 流石持ち前の学力だけで学園に入学できると自信満々だった人は違う。

 ……彼女が何もしていないわけではない努力の結果だとは知っているが。

 それでも三つ子なのに、何でここまで差がある!? と不思議に思わずにはいられない。


「リナも頑張ってましたしね!

 王子様達も皆凄かったですし、流石ですよねー」


 意外だったのはジェイクであろうか。

 王子やシリウス、ラルフが自分より成績が良いのは当たり前だと納得できるが……

 一学期でも難しくなってきた後半から授業を休む日があったり、授業中も別のことをやっている姿を結構見ていたのだが。

 それでも自分より試験結果が良いなんてどういうことだ、と若干納得がいっていないリタである。


 ジェイクのことは本当に良く分からない。


 なんであんなに自分に話しかけてくるのかもよく分からないのだ。

 最初に会った時の印象はスッカリ失せた。今では普通の男子生徒の一人として話をする間柄にはなっていると思う。


 未だに剣術の選択講座に来いと誘われるが、そろそろ諦めていただけないものだろうか。

 身体を動かすことは好きだが、男子生徒達に混じって剣を振りたいと思ったことなどない。

 これ以上この体が破壊力を手にしてしまったら、女らしさというものから遠ざかって珍獣扱いされる一方じゃないか。


 あの人は多少? デリカシーという名の配慮に欠けた普通の男子なのだろう。

 顔は良いのにもったいないと心底思う。



 そんな遠い目をしているリタの耳に、待ちに待っていた話題がカサンドラから発された。



「それで、先日リゼさんにご相談した件ですが――」


「避暑地にバカンスのことですよね!?」 


 くわっ、と目を見開いて全力で拳を握りしめる。食べ終えた後のクレープの包みが、くしゃくしゃになってリタの手を汚した。

 だが手がべたべたになってしまったことなど些末な事、気にならない。



「行きたいです、カサンドラ様が良いと言ってくれるなら私も行きたいですー!」



 事もあろうにあの姉は、彼女の厚意にかなり及び腰で「やっぱり断った方がいいんじゃない?」なんて即答しなかったそうなのだ。

 傍に王家の保養地もある別荘地なんて、庶民には全く縁がない分を越えた待遇だということくらい分かる。

 でも一生に一度、素晴らしい記憶として残る夏休み思い出を作れるとしたら、一も二もなく飛びつきたいお誘いではないか。



「喜んでいただけるなら、ご相談して良かったと思います。

 山間の高原で、今の時期でも涼しいそうですよ」



 カサンドラが自分達を罠に掛けたり、何かしらの目論見があってこんな提案をしているわけではないことは確かだ。

 純粋に一人で別荘に行くのが寂しいから一緒に行こうと声を掛けてくれているのかもしれない。

 ここで意味なく断る方が彼女の厚意を足蹴にするようなものではないか?


 自分達はいつも三人で行動できるけれど、カサンドラは先ほども考えた通り特殊な立場の人だ。

 どこかのご令嬢、例えばデイジーなどを特別に友人として別荘に同行したなんてことになったら休み明けの教室で貴族の名を持つお嬢様達の激しい争いが繰り広げられてしまう。


 その点、自分達平民相手ならやっかみを受けるかも知れないが、学園内勢力図に何の関わりもない。悲しいかな、本当に何の影響力もない一般人。

 だからこそカサンドラも気楽に声を掛けることが出来るのだろうと推測する。


 偉い人は大変だなぁ。

 そのおかげでこうして役得をゲットしているのだから、当然言えたことではないが。



「リゼもリナも私が説得してみせます!

 是非、是非!」



 三人一緒が良いということなら、リゼが渋ろうが引き摺ってでも連れていく所存である。

 




 ※





 カサンドラと一頻りおしゃべりを楽しみ、名残惜しくも彼女が家路に着く時間になってしまった。広場の時計はもう三時半を指している。


 馬車で寮まで送ろうかと言ってくれたが、それは遠慮した。



 ――カサンドラが食べていたチョコのクレープを食べたい。

 


 一口もらったあの味が忘れられず、もう一度クレープ屋さんに寄ってから帰ろうという目論見があったのだ。


 カサンドラが先に広場を出るのを手を振って見送り、リタは二人掛けのベンチに両足をがばっと広げて座り直した。動きやすいショートパンツはこういう時に楽でいい。

 ベンチの背に腕を掛け、己の目指す淑女という標榜から全力ダッシュで遠ざかる姿を晒け出しつつ、しばらく心地よい余韻に浸っていた。


 普通の同級生として接し、おしゃべりに付き合ってくれたカサンドラを今までより身近に感じられたのが嬉しかった。

 馴れ馴れしくするつもりはないけれど、意外な表情や一面を垣間見れた気がして得した気持ちだ。


 こんな気持ちを婚約者のアーサー王子が普段独り占めしているのか。

 カサンドラが病欠したら珍しい花の一つや二つ渡しに行くのも当然だと今更納得していると……




「うわーーーん!!」




 リタの座るベンチの裏、広場の端っこで誰かが急に堰を切ったように大声で泣きだしたのだ。

 背後からの絶叫衝撃でベンチからずり落ちてしまいそうになる、金切声にも近い号泣模様。ぎょっとしたのは自分だけでは無く、広場にいた大勢もそうだったろう。


 男の子の声のようだが……?








   何事かと、リタは恐る恐る肩越しに後ろを振り返った。





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