第115話 バカンスへの誘い
リゼは軽食店のテーブルに着いた後、深々と頭を下げた。
「見苦しいところを見せてすみません」
まだ顔面は真っ赤だったが、それは先刻ジェイクと会って声を掛けられた内容に対する反応ではない。
嬉しさのあまり周囲の目を憚らず蹲って身悶えている姿をカサンドラに目撃されたことに対する事への反応だった。
「いえ、お気になさらず。
わたくしもジェイク様のご提案には驚きました。
リゼさんが冷静でいられないお気持ちも十分理解できます」
彼女は目を伏せたまま僅かに呻る。
だが数度深呼吸をした後、再びカサンドラに正面から向き直るリゼの表情は元に戻っていた。
まだ若干動揺は見えるがそれを押しとどめ、何事もなかったかのような様子だ。
本人が傍にいないということもあるのだろう、この切り替えの早さは流石だと思う。
それにしても本当に主人公は学園内でも街でも、こんなに攻略対象と接触するものなのかと驚きを越えて畏怖さえ感じるカサンドラ。
実際に会わない事には話は進まないので当然かもしれないが、やはり運命という名の必然だと事情を知る自分は捉えてしまう。
カンカン照りだった陽射しも少し傾いて暑さが和らいでいる。
だがすっかり喉の乾いた二人は、冷たい飲み物を補給するため大通り沿いの軽食店の扉を開けた。
他のお客さんも多く、ギリギリ最後に空いていたテーブルに滑り込んだのだ。
適当に頼んだジュースが運ばれてきた頃にはすっかりリゼも冷静になっていた。
尤も心の中では未だに騒がしくしているのかも知れないが。
「今日は個人的なお願いに付き合ってくださってありがとうございます。
……その、かなり意外な選択でしたけど……」
肩口で切り揃えた栗色の髪、頬にあたる部分を指で掬って耳に掛けるリゼ。
氷の浮かんだオレンジ色のジュースに挿さるストローに口をつけた。
スカートだけではなく、それに合わせたトップスも何枚か注文した。
色違いのシャツで下に穿く服が何であっても合う無難なデザインだが、組み合わせて着回していける洋服から揃えた方が良いとアドバイスをした。
リゼが頭を抱えながらも真剣に選んだものである。
一度拘り始めると妥協しない真面目な性格のリゼにずっと付き合わされることになった。
「お洋服の仕立てが終わるのが楽しみですね」
カサンドラも自分なりに考えた、彼女に似合いつつジェイクも気に入ってくれるだろうものをお勧めできたので満足だった。
やや強引な話だったかもしれないが間違いなく彼女に似合うということだけは分かる。
何でも似合う三つ子の細身の体が羨ましく思う瞬間である。
そんな風に脳内で彼女が今日注文した服を着る姿をイメージしていたカサンドラ。
だが同じくオレンジの搾りたて果汁の入ったグラスを手に取った時、「そういえば」と気づき呟く。
「これならお茶会に間に合うのではありませんか?」
終業式の近いあの放課後、いつの間にかなし崩し的に決まってしまった王子が招待してくれるお茶会――いや、王宮植物園見学会。
リゼ達三人と攻略対象も三人雁首揃えて出陣で、そこにカサンドラも巻き込まれた形である。
王子にお茶会に名指しで招待された事はその時も言った通り、大変に光栄なことだ。
嬉しくないわけがない。
だがあの六人が一緒の空間でまたどんな噛み合わない会話を繰り広げるのかを考えると手放しで喜べない。
誰も傷つかず、傷つけず。
恋愛ごとにおいてそんなのは綺麗ごとだと分かってる。
誰も悪くないことだから悲しんだり怒ったりする人がいないといいなと思う、カサンドラの勝手だ。
それにカサンドラだって順風満帆とは程遠い状況。
皆の手前仲の良い婚約者同士と思われているかもしれないけれど今以て王子の内実は不明であり、一番肝心な”既に何者かに操られているのではないか”疑惑を否定する確証さえ得られていない。
日頃の彼の様子を具に観察して、今の段階は操られていたり何かに影響を受けているとは思えない。そんな曖昧なことしか分からないのだ。
「お茶会に間に合っても、あの服は着ていきませんよ?」
思考の深海に沈みそうになったカサンドラをグイっと引き上げたのは、きょとんとした表情のリゼ。
彼女が大きな蒼い瞳をぱちぱちと目瞬かせ、不思議そうに首を傾げた。
「折角選んだものですし、時期的にも涼しくて良いと思うのですが」
リタやリナにミニスカート姿を見られるのが嫌なのだろうか。
彼女の羞恥心ゆえに、折角の可愛い洋服の出番が失われてしまうとすれば勿体ない。
だが彼女は本気でカサンドラの提案が何を言っているのか分からないと訝しげに眉根を寄せた。
「まさかそんな、王子のお茶会に私服で参加するわけにはいきませんよ。
私も最初は今日選んだ服でと思っていましたが、良く考えたら失礼な話だなって思い直しました。
リタやリナも説得しますからご安心ください。
カサンドラ様の顔を潰すようなことはしませんから」
彼女は何故か誇らしげに己の胸をに片手を添え、キリッとした表情でそう言った。
立石に水の如くスラスラと、それが当然であると自信を以て。
「……ああ、またデイジーさんにお洋服を借りて――」
「何度もデイジーさんの手を煩わせるわけにもいかないです。
こんな時こそ、生誕祭で着ていても問題ない制服の出番ですよね」
この娘……
好きな人と同席出来るお茶会に、新調した可愛い服を着ていくどころか礼服代わりの制服を着て参加するというのか……!
確かに言ってることは間違ってはいない。
だが生真面目過ぎてカサンドラも「!?」と笑顔のまま硬直してしまった。
市民プールや海水浴に紺色のスクール水着を着てくるリゼの姿が容易に想像できる。
ゼッケンの手書きの文字までリアルに脳内イメージが完成されてしまった。
規範意識の強い娘だなぁ、と改めて思う。
それも彼女のいいところの一つだ。だが女性版シリウスを見ている気持ちになるのは何故……?
リゼがシリウスをあまり良く思っておらず倦厭してるのは同族嫌悪の類か何か?
「リゼさんは……」
一口ジュースを飲んだ後、ほぅ、と細い吐息を落とす。
喉を潤すヒヤッとした感触が身体の中に落ち、広がっていく。
呼びかけたはいいものの、『シリウスのことをどう思っているのか』聞こうとしたことは直前で止めることにした。
いきなり違う男性の話を出されるのは彼女も不審に感じるかもしれないし。
誰をどう思っているかなんて、そんな直接的な質問をしても意味がない。
人間は建前や本音を持っている、その人の心など本人にしか分からないのだ。
敢えて、この場に無関係な人間の話題として持ち出されたら当のシリウスも嫌だと思うことだろう。
「――試験の結果、凄かったです。
皆様頑張っていらっしゃいましたが、リゼさんは特に選択講義でお疲れの中素晴らしい成果だと思いました」
「ありがとうございます。
……本当はまだ納得いっていませんが。これが現在の実力差ですから受け入れます」
三位でもまだ不服という、その向上心の強さには驚かされる。
殆ど座学のスケジュールを組み込んでいないのに、そういうゲームのシステムを越えた根性論で彼女は己の成績を押し上げているような気がしてならない。
「やはり成績には拘りがあるのですか?」
まだ一年の一学期だからいいものの、これからはその順位を維持することは困難になるのではないかと思う。
高順位をキープしつつ、運動系の数値も同じ水準まで上げるというのは中途半端な結果になりやすい。
この先どうしても思うような成績がとれなかった時、彼女のストレスになるのではないかと心配になってきた。
するとリゼは少し目を伏せ、グラスから手を放す。
テーブルの上で己の両手の指を絡ませ、弄り始めた。そわそわしている、緊張している。
そんな彼女の感情が伝わってくる。
「私、官吏になりたいって前に話したと思うんですけど……」
「そうですね」
お城の登用試験を突破し国政に携わる官吏になるのは平民の身からは素晴らしい立身出世と言えるだろう。
真面目で几帳面なリゼに適性のある仕事だと思うし。
「――騎士団の参謀補佐官登用に志望を変えようかと検討中なんですよね」
「……? 参謀……?
ええと、わたくしは騎士団には明るくないのですが、それは一体?」
王宮騎士団は主に国中の腕っぷしの強い名門エリート達が集う。
貴族に縁ある者でなければ騎士になるための試験さえ受けることが出来ない。
騎士団において役職につき部隊を預かる騎士を、この国では武官と呼ぶそうだ。有事の際に率先して前に出るのは彼らである。
高位の武官になれば何人か補佐官が配属される。
彼らは実際に武器をとって戦うことは無く、騎士とは立場を異にする。書類仕事や雑務などを普段は手掛け、将軍の号令あらば部隊をまとめて連絡、作戦共有などの役目も担当するのだとか。
パッと聞いた限りでは、権限の広がった秘書が想起された。
「官吏と同じで、国に雇われるわけですから! 将来安泰なのは変わりません」
「……ですが、とても危険なのでは? 長期間地方派遣される場合もありますよね? 現地に行って危険な目に遭う可能性も……」
「そうなんです。
だから補佐官に登用されるには一定以上の戦闘能力も必要なんですよね。
……今の私がやってることがそのまま当てはまると思いませんか?」
確かにそれはそうかも知れないが。
本当に実現したら親御さんも複雑な気持ちなのではないだろうか。
地方で内乱が起こることも未だ多く、その鎮圧にも向かわなければならないこともある。
そして辺境には魔物が出るとも言うし、決して安全安心な職場ではない。
「官吏以上に狭き門ですから!
学業成績が良くないとアピールの材料が減るじゃないですか。
絶対、一度は一番になりたいんですよねぇ」
騎士団と言えば言わずもがな、ジェイクの職場である。
補佐官になれたからと言って彼の管轄に配属されるとは限らないが、同じ職場であれば会う機会も勿論あるだろう。
卒業して住む世界が違うからそこで終わり――というわけではなく。
彼女は彼女なりに色々考えているのだなぁと感嘆した。
自分のしていることに明確なアンサーを出して、迷いや躊躇を断ち切ることも出来る。
こんなことをやっている場合じゃない、というリゼの中の剣術を習っている時に覚える葛藤。それを自力で解消するとは……
だが騎士団の補佐官に手を挙げる、か。
シリウスが知ったら激怒するか、その衝撃で本当に眼鏡が割れそうだ。
今でさえリゼが座学を選択しないことを不思議がっている、勿体ないと思っているのだ。
出来ればその将来の夢は心の中にしまっておいて欲しいと切に願う。
「私もそんな職があるなんて知らなかったんです。
教官が補佐官はどうだって言ったことがあるんですよね……。
その時はどんな仕事か分からなかったんですけど、調べたら『いいなぁ』って」
進路指導までしっかり行う教官の鑑。
あの仏頂面のオッサン剣士がそんなに気を回してくれるとは思わなかった。
案外世話好きなのかも知れない。
まぁ、わざわざリゼを呼んで稽古をつけたいと言うくらいなのだから間違ってはいないだろう。
彼女の真っ直ぐで澄んだ瞳は本当に清々しく昏さが無かった。
困難な目標がある程燃えるタイプだな。
「わたくしも応援します。
応援しかできないことが歯がゆく思いますけれど」
「……そんなこと言わないでください。
最初にカサンドラ様に相談したとき、笑わずに話を聞いてくれたおかげです」
ほのぼのとした空気の中、もう少しでジュースを飲み終わる。
ああ、また彼女達に伝えないといけないことを忘れるところだった。
ジェイクに遭遇したせいで、リゼがしばらく交信不能になっていたのだから仕方ない。
リゼはストローの先でまだ溶け切っていない氷をツンツンと突いていた。
「ところでリゼさん。またお二人にもお話させていただくことですが――
わたくしと避暑に行きませんか?」
カサンドラの提案に、氷が涼しい音を伴ってグラスの底を滑る。
彼女が驚いてストローを勢いよく突き立てたせいだ。
「避暑? 私たちが、ですか?」
カランカラン、と。氷が高い音を立てて滑った。
「王都の北に有名な避暑地があることを御存知でしょうか。
そちらに別荘をお持ちの親類がいまして、かねてから招待に与っているのです。
レンドールから遠過ぎて伺ったことがないのですが、今年は御厄介になろうかと。
生憎家族の都合がつかず、わたくし一人だけ向かうのも心寂しくて」
これは本当の話だ。
父母が忙しいのはもとより、アレクも父母と一緒にレンドールに帰還していった。
四か月も王都で過ごしていたので、自領でやることが沢山あるのだとか。
一月の間カサンドラから解放されることに、義弟はぐっと拳を固めて喜びを噛み締めていた。
人知れず喜びに打ち震え、意気揚々と馬車に乗り込んだアレクにモヤモヤとした気持ちを抱えつつ見送ったのが昨日だ。
彼も友人に会いたいだろうし、それは構わないのだけど。
そもそも彼が王都でカサンドラと一緒に暮らしていたのも父クラウスの指示だ、彼も思うことがなかったわけではないだろう。
「王家が所有する保養地も近くにあると聞きます、さぞ風光明媚な土地柄なのだろうと興味が湧きませんか?」
この暑さを凌げる、高原の避暑地。
……所謂、バカンスの提案だ。
ゲームをしていたら勝手に選択肢の中に放り込まれていたが、実際に三つ子がどこか旅行に行くとは考えづらい。
来月の半ばに実家に戻ることで、もう長距離移動は必要ないと思う可能性の方が高いと思う。
馬車での長距離移動は言葉以上に精神的負担がかかるのだ。
バカンスに行けば、魅力のパラメータも運動系のパラメータもグンと上昇する。
楽しんで上がることなら、是非協力させてもらいたい。
一人で高原に佇むのも想像したら虚しい。
気軽に同行を呼びかける相手などカサンドラにはいなかった。
突然のことだから考えさせてください、とリゼは慌てる。
だがその表情は好奇心に満ちており、三人の合意は得られるのではないかと内心、ちょっとホッとした。
折角高原に行くなら乗馬の練習も良いかも知れない。
馬を貸してくれるよう、親類に予めお願いしておこう。
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