第114話 洋服選び



 今日は月曜日だ。

 ……とは言っても、夏休みと言う長期休暇に突入した最初の平日で、この四か月毎日のように着ていた制服に袖を通さなくても良い月曜日。


 大いなる解放感を胸に抱けばカーテンを開ける手の勢いも自然と強くなる。


 それになによりお昼からはしっかりとした予定も入っており、楽しみでしかたない。

 天気の良さも相俟って、鼻歌の一つも口ずさみたくなるというものだ。



 三つ子との約束が実現した。



 ――学期末試験で目標の順位を達成したら、一緒に遊んでください!



 何故自分と!?


 根本的な疑問はつきなかった。

 目標達成ご褒美の相手は攻略対象がするべきことでは!? と、戸惑うばかりだったけれど。


 一緒に過ごしたいと言われて悪い気はしない。いや、実際に嬉しい。


 カサンドラはこの十五年間、友達と呼べるような存在がいなかった。

 レンドールにいる頃は皆自分を持ち上げてくれて誰も逆らえないような、典型的な偉そうなお嬢様だった。

 友達なんて『対等』な関係など存在するわけがない。


 序列と言うものの絶対性を自然に信じ込んでいたというか。

 立場が上だからと言って暴力的な事や暴言、虐めなどはしていない。それはプライドにかけてしていない。

 貴族とは持てる者・・・・、施す側であるという認識だったから。

 敢えて虐げるような行為は慎んでいたとはいえ、ナチュラルに上から目線。

 何一つ自分で得たもののない癖に無駄に自意識の強い尊大なお子様だった。


 ……そんな自分に友達なんていたわけがない。


 今ではクラスメイトで友人と言える生徒もいるけれど、こうして長期休暇にまで会って一緒に遊ぼうと誘われるなんて!

 本当に仲の良い友達みたいではないか。

 こちらが一方的に友人だと思っているわけではなく、ちゃんと向こうもそう思ってくれているなら嬉しい。


 カサンドラは機嫌よく朝の支度、身だしなみを整える。


 今日はリゼも洋服選びに付き合うということで、お昼から大通りで待ち合わせ。

 一緒に服を選ぶ…! なんと女子学生らしい!


 カサンドラは大貴族のお嬢様として、身に着けるあらゆる衣装は商会からお偉いさんがいそいそと運んで来てくれる立場だ。

 そこに友人と話し合いながら楽しく選ぶという過程など存在しない。

 服とは付き合いで購入したり、気づけばいつの間にか種類が増えているものだ。


 そんな自分が果たしてリゼに似合う服など選ぶことが出来るのか?

 恐らく今後、ジェイクと外でデートなんてことになったらカサンドラの選んだ服で出かけるということになるのだろう。


 失敗など許されない大役だ。


 ゲームの中なら、主人公は着た切り雀でも全く問題はない。

 何なら大富豪であるはずの攻略対象さえ、季節ごとに同じ服を着続けるのは当たり前だった。


 だがここは現実なのだ。

 カサンドラだって恐らく王子や攻略対象だって、一度袖を通した外出着は余程気に入らなければ二度と着ないという――

 勿体ないお化けが知れば助走をつけて殴りかかってくるような生活を送っている。


 着なくなった洋服は使用人や知人に下げ渡したりもしているので、全く無駄というわけではないのだけど。

 

 とにかくリゼのようにゲームに忠実と言わんばかりに同じ服ばかり着ている状況、確かに女子として不健全だとカサンドラも思う。

 カサンドラの着ない服をいくらか譲ってもいいのだが、流石にそれは金品授受でやりすぎか。

 服のサイズも合わないし、第一カサンドラに似合うように仕立ててくれた服が、瞳が大きく丸顔で顔立ちが可愛いらしい三つ子に合うはずがない。

 彼女達と自分の容姿は真逆だ。




 ジェイクが好みそうな服装……

 一番手っ取り早いのはリタのようなスポーティな格好だと思う。

 とにかく機能性に富み動きやすく、健康的な格好が好みのはず。


 だがリゼとしては眉を顰めることにもなるだろう。

 自分と同じ顔のリタと同じ格好をしろだなどと、彼女は納得できるのだろうか?

 カサンドラがリゼの立場だったとしても、到底受け入れられるものではない。だって自分はリタじゃないのだ。


「もしかして、結構な難問では?」


 カサンドラは安請け合いしたことを若干後悔した。

 攻略対象の好みくらい把握済みだという慢心……!


 リゼの気持ちを考えていなかったことを自省する。

 明るい快活な印象の服を選べばいいのだろうと浅はか過ぎた。


 彼の好みに合わせなくても、リゼに似合う服装を選べば問題ないのかも知れない。

 何も動きやすさや活発そうな服装に拘ることは無い、リゼにはきっと他に良く似合う服があるのだから。


 でもどうせなら、元気で明るい印象を求めたい。

 出来ればジェイクの目を惹くような……



 ※




「目がチカチカしてきました。

 こんなに種類が多いんですね……」


 普段自信に満ち負けず嫌いが信条の主人公、リゼ・フォスター。

 そんな彼女が苦悶の表情で眉根をぎゅっと寄せ、何かの衝動に必死で耐えるように仕立屋の大衆向け建屋の中で呻っている。

 恐らく現時点で既にギブアップして早々に帰宅したいのだろう。


 可愛らしい外出用の服を選んで買って……というその一連の流れが彼女には受け入れがたいのだ。そこにジェイクの影がずっとちらついているから。

 

 異性に恋して浮かれる己の姿を客観視した時、死にたくなるほどの羞恥に苛まれる気持ちはよくわかる。

 何を隠そうカサンドラもそうだからだ。



 約束の時間より早めに着くように出たつもりだった。

 だが当然のようにリゼは大通りで最も大きな建物、時計塔の下で自分が来るのを待っており、気合は十分だと思っていたのだけれど。

 前々から目をつけていたと案内された店に一歩入った瞬間――しかし、当のリゼは一気に青ざめた。


 一般市民の女の子達が気軽に手に取って眺め、店内に見本として飾っている服を選んでカウンターに持って行く。

 選んだ洋服と同じものを、採寸した通りに仕立ててもらうのだ。

 オートクチュールとまではいかず、既に縫い合わせやすい形の量産可能なデザイン。注文をしたら一、二週間程度で出来上がるそうだ。

 意外に早い。


 リゼ曰く、服はいつも古着屋で事足りていたとのこと。


 「そのまま着て帰れるから楽なんですよねぇ」とリゼは他人事のように嘯いていた。

 普段古着屋で服を用立てていた人が、露店で商人から進められた新しい服を買うという段階をすっ飛ばして店内で注文する。

 これは彼女なりの覚悟の表れだろう。


 種々様々な形の洋服がずらっと吊るされている。そんな華やかな場所に滅多に出入りしないリゼは、場の空気に呑まれそうだった。

 

 カサンドラは逆だ。店内の装飾や色とりどりの服が吊るされているのを興味深く見て回る。

 奇抜なデザインは見当たらない、早めに仕立てる必要があるから基本の型があるのだろう。

 だがカラフルで見て回るだけで心が浮き立って楽しい。

 婦女子に人気なのか、店内は他の女子グループ達で大変賑やかだった。


 奥の採寸室から若い女性の楽しそうな声が響いてくる。

 天井は高く窓も多く採光はばっちりだ。

 上着だけでなく小物や靴も並んでいて、十分時間を潰せそうだと思った。


 リゼは「うーん……」と、ワンピースの前で立ち止まる。

 シンプルで飾りっけのない特徴のないワンピース。誰が着ても似合わなくはないが……


「そちらの形より、ウエストがもう少し高いこちらの方が良いのではないですか?」


「そう……ですか? でもこれ、他と比べて肩が出てません?」


「上にストールを羽織れば可愛いですよ」


「……んー……あ、駄目です。予算オーバーです」


 彼女は無尽蔵にお金が使えるというわけではない。

 仕立ての良いワンピースは彼女のお小遣いに比して少々値が張るものばかり、渋面のままリゼはあっちにふらふらこっちにふらふら。

 様々な布の触感を確認しているものの目の焦点が合っていない。


 何が似合うのか。

 ジェイクも好みそうな服と考えると……


 店内を一巡し、目当ての服を数枚腕に抱えて再度リゼの前に姿を見せた。

 

「リゼさん、こちらはどうでしょう」


 にっこりと微笑み、カサンドラは一枚のスカートを差し出す。

 今朝からさんざん考えたのだ、この場合彼女に何を勧めるべきか、と。


「あ、ありがとうございま……す!?」


 彼女は救いの神を拝むような素振りでスカートを受け取った。

 白地が基調で交差線が赤のアーガイル柄のスカートだ。

 だが嬉々としてそれを抓んで正面に広げた瞬間、完全に石化した。


「か、カサンドラ様! これ! これみじか……短くないですか!?」


「ミニスカートですけど、普段の制服のスカートより僅かに丈が足りないくらいです。

 さほど違和感はないと思いますよ?」


「え!? 僅か!?」


 リゼは恐る恐る、裾の広がるスカートを己にあてがって近くの姿見で確認――


 うん、膝上十センチ弱。良いと思う。

 だが彼女は若干赤面しつつ、そのスカートをカサンドラにぐいぐい押し付けて返してこようとする。

 今履いているスカートも膝下の、机に向かった仕事をする大人の女性が好むような……裾がややすぼんだスカートは年頃の女の子らしくはない。

 誤解を恐れずに言うならば、野暮ったい。

 着ているリゼが普通に可愛い女の子だから見た目が中和されてそれもファッションの一部として受け入れられるかも知れないが、若さが足りない……!


「この短さはちょっと……」

 

「リゼさん、良くお聞きになって?」


 カサンドラは彼女に押し付けられたスカートをもう一度、狼狽するリゼににっこり微笑んで差し出した。


「ジェイク様は活動的な女性の姿を好まれると思います」


「それは何となくわかります」


 彼女は戸惑いつつも頷く。が、両手を後ろ手に隠してミニスカートは受け取らないという意思表示。


「わたくし、活動的とは何か考えてみましたの。

 リタさんの私服姿を思い返し、考えが至りました。


    リゼさんも脚を出しましょう。」




「話が飛躍しすぎていませんか!?」



「健康的な脚線はアクティブな印象を与えると思います。

 特にリゼさん、貴女の入学前のお姿は存じませんけれど。

 定期的に運動する習慣がついて、身体全体が引き締まって来たのでは?」


 そう言うと、リゼは自分の足元をチラっと視界に入れる。

 膝下しか見えないが、足首に向けてキュッと細く締まる下肢のラインが目に留まった。


「リタさんの私服を思い出してください。

 私服姿ではいつも足を出してますけれど、溌溂とした明るい印象ではありませんか?」


 彼女はウッと言葉に詰まった。

 足を出すのは恥ずかしいという常識的な思考が納得できないのかも知れない。

 制服より少し短いくらいだったら、そんなに抵抗はないかと思ったが彼女の中では相容れないもののようだ。


「……それは、そう……ですけど」


 カサンドラがこんな姿で人前に、と言うことなら話は別だ。

 彼女達のようにスレンダーなシルエットではない自分が膝上のスカートなど穿いたら大事おおごとである。

 こんなにだらしない太腿を晒すくらいなら舌を噛むレベルだが、彼女達は違う。

 陽の下で燦然と輝く、健康的としか表現できない脚線はジェイク相手なら出した方が良いと思う。


 彼は貴族のお嬢様の姿に慣れ切っている。ただ女の子らしい澄ました服では目を惹けないのでは。

 庶民の若い娘にしか許されないスタイルなら、意外性も伴って受け入れられるはず。


「今後万が一ジェイク様と遊びに行く機会があったとして、リタさんのように活動的な短いズボン姿等で臨まれることはなさらないでしょう?」


 動きやすいショートパンツを穿いて同行できるならそれをお勧めするけれど。

 今まで三人の個性で全くバラバラだった、『服の趣味』。

 だというのに妹と全く同じような格好をして行くということは――敗北宣言というか、自らリタの真似をするのか……と彼女が自分を追い詰めそうな気がする。

 三つ子で想い人の方向が違うことの難しい関係。他人ではない、自分の同じ顔の姉妹。


 ただでさえ、ジェイク関連のことについてはまだ蟠っているようだ。

 あまり意識し続けるのも、彼女達の関係性に罅が入りそうだという懸念もあった。


 その上で素足という”健康的”ポイントを足そうと思ったら、膝上スカートしか思いつかない。このミニスカートは可愛いと思う、飾りボタンも控えめだし。裏地が赤い布なのもお洒落だ。


「……。

 本当の本当に変じゃないですか? 一回試着してきますけど、似合わないと思ったら取り替えてください、お願いします!」


「勿論です。

 お靴も見繕ってありますので、こちらも是非ご一緒に」


 葛藤の末、再びスカートを手に取ったリゼに、ミュールの追撃弾を渡す。

 ヒールも高くないし、赤いベルトが華やかだ。彼女に良く映えるだろう。




 すらっと細い彼女達のシルエットは、畢竟どんな姿も似合うのだ。

 もっと自信を持てばいいとカサンドラは思った。




 ※





 『ご注文ありがとうございました』





 採寸を終え、お金を支払い注文票を手に取ったリゼは完全に疲労困憊の様子だった。

 普段学園で毎日のように体術だ剣術だと身体を動かしている彼女の持つ体力を考えれば、相当精神が摩耗したのだろうとカサンドラは苦笑する。


 げっそりとした様のリゼと一緒に並んで大通りを歩いていた。

 周囲は多くの人でごった返し、流石クローレス王国の王都だと納得する人口密度の高さ。

 ざわざわと喧騒やかましく、通りそのものが馬車が行き交うので幅広い。

 ここで学園のクラスメイトが反対側の路を歩いていても易々と発見することは出来ないだろう。

 目立つ白い学園の制服を着ているのならまだしも。


 近くの軽食屋で喉でも潤そうと提案したカサンドラに、一もにもなく飛びつくリゼ。

 ようやく顔を綻ばせ、晴れやかな笑顔でこちらにお礼を言ってくる彼女とお店へ向かう最中のこと。

 僅か数十歩の距離しかない、その間に。



「お、カサンドラ……と、リゼか」

 


 流石主人公の運命力!

 薄々予感はしていたが、すれ違う寸前の騎士略装姿の男性がこちらに気軽い声を掛けてきたのだ。

 鎧ではなく騎士の多くが身に纏う制服のような衣装で、背中に垂れる幅広の襟に王家の紋章が描かれる。


 白地衣装の胸元に金の勲章を掲げ、何と言っても背中の大剣が人目を惹く。

 燃え盛る火のように赤い髪を持つ大柄の青年は、勿論こちらも良く知った相手だ。


 リゼの挙動が一瞬で止まる破壊力。

 彼女の息の根が止まったんじゃないかとカサンドラも束の間に焦った。


「あら、ご機嫌ようジェイク様。

 今日はお仕事ですか?」


「そうそう、見ての通りだ。

 お前らもこんな暑い日に外出か? 倒れないよう気をつけろよ」


 彼は辟易した様子で軽く天を指差す。

 燦々と照る真夏の太陽は、地面だけでなく多くの人を照り付けてジリジリと焼く。

 日除けの帽子は被っているが、暑いものは暑い。

 特に、今眼前に暑苦しいカラーリングで存在感抜群のジェイクがいるから猶更体感温度は上がった。


「ジェイク様、騎士団のお勤めお疲れ様です。

 夏休み早々、お忙しいんですね」


 いつの間に精神を立て直したのか、リゼは何事もないかのような涼しい調子で頭をぺこっと下げた。

 リゼの平然とした姿からは動揺は見当たらず、姿勢を正した凛とした佇まいである。


「今から戻る、外は暑くて敵わん。

 ――ああ、そういやリゼ、ちょっといいか」


「何ですか?」


 その声に若干の動揺が混じったのを確かに感じた。

 そりゃあ動揺もするだろう。さっきまで慣れない服選びなんて苦行を自身に強いていたのは全部このジェイクのせいだ。

 購入した服を着てジェイクと会う――という状況を想定して選んだわけだ。

 その来るかどうかも分からない未来を懸念して”念のため”乙女らしく悩むという、本来の彼女の価値観では見るに堪えない浮かれた行為。 


 そんなエネルギー供給源たる当人にバッタリ会って話かけられたら、動揺の一つもするだろう。


「お前、夏休み中も剣の指導を受ける気はないか?」


「……可能であればお願いしたいですけど、無理ですよね」


 学園は閉まっている。

 当然、補習以外の授業も講義も開かれることはない。


「それがフランツの奴が週に一回でも! ってずーっと煩くてな。

 本人も言ってるし、気力があるなら受けてみるか?」


 若干うんざり気味なのは、フランツが顔を合わせる度に愚痴を言っているせいだという。

 折角ここまで順調に伸びて来たのに、長い休みで腕が鈍るのが耐えがたい、と。

 真面目な生徒が好きだという話は本当で、随分リゼは見込まれているのだなと分かる。


 初心者でずぶの素人に対し、ここまで丁寧にアフターフォローしたいと言ってくるなんて。


「え、本当に良いんですか!?

 教官も忙しいんじゃ」


「週に一回くらいなら何でもないだろ。

 また改めて遣いをやるから、お前、俺の家知ってるか?」


 カサンドラは一瞬聞き間違えたかな、と思った。

 まさかジェイクが私邸にリゼを呼ぶわけないよね、と。





 「…………はい?」




 リゼが強張った表情で見返していたので、どうやら聞き間違いではなかったようでつい彼の顔を二度見した。


「カサンドラ、お前知ってるだろ? 教えてやってくれ」


 無茶を言う。

 カサンドラだけでなく、この辺りに住む住民なら誰でもジェイクの家は知っているだろう。

 ――無駄に広大な敷地を誇る屋敷どころか、お城みたいなお屋敷を。


「どこの建物をさしていますか?」


 ロンバルドの敷地内の主要な建造物は数多く点在しているので、急に言われても分からない。

 舞踏会場として使った屋敷なら場所は分かるが、用があるのはそこではあるまい。


「訓練場だから東」


「生憎、わたくしはロンバルド邸内を詳しく存じ上げません。

 フランツさんに迎えをお願いした方が宜しいかと」


 何百人も生活する大邸宅が何棟も連なっている上、騎馬隊が常時待機しているので正門から入ったら、呆気にとられる程開けた空間が広がっている。

 クローレス王国の御三家本邸の視覚の破壊力は抜群だ。



「それもそうか、ほんっとに無駄に広いよなぁ。

 明日にでもフランツを寮に遣るから、話は任せる。

 きっと喜ぶだろ」



 ジェイクの家に呼ばれたと言っても、居住区ではなくて駐留している兵士たちの訓練施設を貸してくれるという話のようだ。

 フランツも現在はそこで暮らし、彼らの稽古をつける役回りを引き受けている。


 なので稽古に行ったところでジェイクに会えるわけではない。

 彼は騎士団の仕事で留守をしているのだ、その間フランツの権限で勝手に招いて訓練していいよ、というだけの話だ。


 他にも大勢の兵士がそこで鍛錬している、選択講義の剣術の場所が変わっただけ。

 でも、休み中の特別イベントスケジュールのように個別訓練を受けられるなんて素晴らしい話ではないか。


 生誕祭前、リタの礼法作法のことで毎週カサンドラの屋敷に招いて訓練していたことと同じである。

 デメリットは一つもない。




 ――吃驚した。



 いきなり私邸デートのお誘いだったら、急展開過ぎてカサンドラの心臓が飛び出るところだった。




 言いたいことだけ言って「じゃあな」と手を挙げて去って行くジェイクの後姿を見送った後、ようやくリゼが動いた……が。




 彼女は一言も発さず、突如近くの建物の壁に突進し”ドンっ”と身体の横をぶつけ――そのまま頬に両手を添えたままズルズルと足元から崩れていった。

 周辺を歩いていた住民がその奇妙な仕草にぎょっとして彼女から距離をとって迂回するように道を歩く。

 座り込んだままのリゼの肩がわなわなと震えている。


 



  しばらくそっとしておこう。





 カサンドラは日陰に入り、蹲るリゼの動悸がおさまるまで待つことにした。







 買った服を着てジェイクと遊びに行けるのなら、カサンドラも今日張り切って服を選び抜いた意味があったというものだ。



 この調子だと――その日は思ったより早く来るのではないだろうか。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る