第112話 半端者



 舞踏会が無事に終了し、一夜明けた翌日朝。


 まだ疲労が抜けきらないカサンドラは、自室でボーッと頬杖をついたまま丸テーブルの前に座っていた。

 昨日の出来事で印象に残った出来事が一斉にヨーイドンでカサンドラの思考を縦横無尽に駆け巡る。


 全く落ち着けたものではない状態に、カサンドラは痛むこめかみを軽く指先で解した。

 緊急事態とは言え、勝手に他人の衣服の一部をもぎ取ったことについてラルフから丁重に謝罪を受けてしまったことも憂鬱だ。


 シリウスが別件で苦渋の顔をしていたように――背に腹は替えられない、という事情。


 あの場面においてカサンドラは何も判断できなかった。

 そんな自分にお行儀よく一から十まで説明して許可をとって、という時間が無かったわけだし。

 それについては納得しているどころか感謝をしているが、物凄く大仰に謝罪されたので逆にこちらが落ち着かない。


 今回のアクシデントは内々で無かったことに……という何ともモヤモヤした状態。

 助けてもらった身だから後でお礼はせねばならないが、事を大きくしたくない双方の思惑から再びラルフとは微妙で気まずい関係が続きそうだ。

 緊急事態だが、許可なく身に着けているものを剥ぎ取られたわけなので。


「ドレス……」


 つい思考が自分の不手際のシーンばかり脳内で再現するので、頭を振ってそれを追いやる。

 起きてしまった過去をいつまでも後悔ばかりしていても何も進まないのだから。


 ドレスをデザインしてくれたシンシアにも、勿論お礼をしなければいけない。

 一番手っ取り早いのは彼女をここに招待してもてなすことだが、カサンドラとシンシアは同級生だがあまり接触がない。

 リナを通じた知人なので、彼女のことを良く知らないのだ。

 急に招待しても彼女も戸惑ってひたすら困らせてしまうだけに終わるかも知れない。


 カサンドラはそこまで話題が豊富なわけではないし、気を遣わせてしまったら元も子もない。


 彼女の描いたデザイン画を見せた時、裁縫組合ギルドの職人たちが『おお!』と感嘆の声を上げたことを思い出す。

 可能であれば専属で服飾師として契約したいなどとも話していた、彼女にその気があるのなら紹介することも出来るだろう。


 あんな短時間で一切の下書きなく、あっという間に一枚のドレスのデザインが完成した時には神業かと思った。

 普段から服を縫う時に自分でデザインを考えている彼女だからできた事だろう。

 服飾関係の仕事に興味があるなら是非伝手となりたいところだが、完全に趣味だったら余計な世話だ。


 そういう側面からの礼も時期尚早だと思われる。


 だがあのドレスを考案してくれた彼女に何もしないわけにはいかない。

 今度リナと一緒に遊ぶ日に、シンシアのことをもっと詳しく聞いてみようとカサンドラは心に決めた。



 未だ意識が昨夜と現在を行ったり来たり。

 何もかもが夢のようだった。


 王子の姿を、声を思い出しては余韻に浸る。


 だが廊下から自分を呼ぶ声が聞こえ、物凄くだらしない恰好をしていた己に気づいて頬を赤らめる。


 どうやら、カサンドラに来客のようだった。




 ※




「――…ご無沙汰しておりますね、ベルナール」


 カサンドラは内心微妙な想いを抱えながら、応接室で待たされていた青年ににっこりと微笑みかけた。


 深い青色の短髪と瞳、ベルナール・ウェッジ。

 カサンドラよりも一学年年上の”先輩”である。


 彫りの深い顔立ちで、そこそこカッコいい青年なのだがぶっきらぼうで粗野な性格のせいか学園では顰蹙をかうこともあると聞く。


 彼は太めの眉をひそめ、不審そうな表情。


「実際見ていても半信半疑だったけどよ。

 お前本当にカサンドラか? もしかして侯爵の雇った影武者じゃないだろうなぁ?」


「ご心配なく、わたくしはカサンドラ本人です」


 額に青筋が浮かびそうになるのを堪え、頬に手をあて小首を傾げる。

 ジロジロと頭のてっぺんから足元まで胡乱な表情で凝視するのはやめてもらえないだろうか。


「ふーーーん、あのカサンドラが、なぁ。

 随分殊勝な態度になったじゃないか」

 

 彼は純粋な貴族ではない。

 カサンドラの生まれたクローレス南部地方、その一つの街を治める領主の息子。

 国王陛下より爵位を賜っていないので貴族とは呼べない。


 だが昔から領地を修める由緒正しい名家の出、貴族に準ずる扱いを受けている。

 基本的に領主は貴族であるはずだが、地方貴族の下に置かれるウェッジ家は無位の領主だ。

 レンドール侯爵の代行者として委任統治を任されている。

 中央と地方の差が如実に表れていると思う。領地を抱えていても、貴族の頭数に入れてもらっていないわけだから。


 地方領主の跡取り息子、娘だけは特別に王立学園に入学する権利を持っていた。

 貴族の妾腹子女に及ばない扱いなので、内心では恐らく業腹に違いない。


 百年以上続くウェッジ家の跡取り息子として学園に通い、寮住まいだと聞く。

 上流階級だらけの学園生活にうんざりしつつも、適当に青春を謳歌しているはずのベルナールが自分に接触を図るなど珍しいこともあったものだ。


 貴族に準ずる扱いというのは厄介で、庶民ではないが貴族でもない中途半端な立ち位置ゆえに上にも下にも馴染めないとよく愚痴っていた。

 そういう微妙な立場のお坊ちゃんお嬢さんも他にいるにはいる――が、多くはより条件に見合う結婚相手を探すために忙しい。


 彼は早々に結婚相手ゲットのお題目を捨て去って、お気楽に生きているはずだ。

 

「わたくしに何か?」


「ああ、別にお前に用ってわけじゃないんだ。

 昨夜の舞踏会に侯爵もおいでになってるっていうから、挨拶に来ただけ。

 ……所用が立て込んでるらしくて”待ってろ”ってさ。

 退屈だし、暇な人呼んできてって頼んだら――お前かよ、みたいな」



 ――とっとと帰れ。


 喉元まで出かかった。

 相変わらず無礼というか、品がないというか。

 一応それなりに優秀な青年で、父親の期待を背負っているベルナール。


 彼を見ているとジェイクは言動はお坊ちゃんぽくはないが、品のない言葉は使わないよな、と比較してしまう。

 溜息をついた後カサンドラはソファにゆっくりと腰を下ろした。


「わたくしも暇と言うわけではないのですが」


「そう言うなよ、これでも同郷だろ?

 ……ああ、昨日の舞踏会でお疲れって?」


 ハハハ、と彼は愉快そうに笑った。

 彼は舞踏会に出席できなかったが、彼としてはラッキーなのだろう。

 社交界なんか怖気が走るというタイプだから。


 それでも昔馴染みであることには違いない。

 ……そう、カサンドラの黒歴史を具体的に知っている、記憶を消し去って回りたい対象の上位に位置するのがこのベルナールだ。


「どーせ誰誘っても断られるし、憂さ晴らしに舞踏会の後飲みに行こうぜって友人ダチに誘われててさ。

 終わりごろに王宮前の通りで待ってたんだが……」


 ベルナールの友人だからあまり素行が良くないか、下級貴族の次男坊以下で高貴な女性には見向きもされない男性なのだろうか。

 わざわざ招待状のもらえないベルナールを飲みに誘うのもなんだかなぁ、と辟易する話だ。

 もしもどこかの嬢さんと上手くいったら、ここぞとばかりに酒場で自慢してやろうという意図を感じる。


「お前、凄かったらしいなぁ?」


「……?

 わたくし? ……ああ、ドレスのことですか?」


 凄かった、というのが何を指すのかよく分からず、カサンドラはしばらく目瞬きをするだけ。

 彼の語彙の選び方が大雑把で貧相なせいか、いまいちピンとこないのだ。

 普段学園生活のお嬢様生活にすっかり慣れ切ってしまったせいだろう。


「お前、中央御三家の後継ぎ連中全員と踊ったんだって?

 いやぁ、もう帰り際はその話で持ち切りだったぜ」 


「――!

 あれは、事情と言うか偶然と言うか、やむに已まれぬ事情が……!」


 カサンドラがお願いするなど、何かしたわけでもない。単なる偶然が重なった結果である。

 特にシリウスなどの嫌々ながらの誘いを見れば、望んで声を掛けられたわけではないと明らかだっただろうに。


 確かに……もしもカサンドラが一介の貴族の二女や三女で、昨夜のカサンドラの様子を遠巻きに見たら『凄い!』と憧れるかもしれない。

 でも実態を知っている自分は、そんなにいいものじゃないと分かっている。

 ジェイクやラルフ達と踊ったところで何か益になるわけでもあるまいし……


 そうしたらベルナールがとんでもないことを言い放った。


「嫉妬混じりの女どもが特にうるさかったぜー。

 お前がその身体カラダでたらしこんだに違いない! とかさ」



「……ベルナール。」



 カサンドラは一応表面上は微笑んでいたが、完全に目を据わらせ――

 腕組みをし、足を組む。


「根も葉もない中傷を受ける謂れはなくってよ。

 そんな品性の欠片もないようなことを嘯くお嬢さんなど、生憎わたくしに心当たりはありません。

 ――言葉の主は一体どこのどなた様のものかしら?」


 仮に感情に色がついて見えるものならば、今のカサンドラの周囲にはどす黒い怨嗟の炎が巻き起こっていたことだろう。

 カサンドラの下ろした金の髪、本来は長く真っ直ぐなそれが――今は蛇のようにうねる程の憤りを感じる。


 よりにもよってなんという……!



 カサンドラもそうだが、ラルフ達のことを一体なんだと思ってるんだ。

 仮にも親友の王子の婚約者に手を出すような人間だとでも?

 冗談でも負け惜しみでも嫉妬でも、言って良い事と悪い事があるだろう。

 見つけ次第問答無用で捕縛してしまいたい。


 彼らの耳にでも届いたら身の破滅レベルの暴言に、カサンドラは憤りの感情に唇を噛み締める。


「俺に殺気立たれても困る。

 夜道で顔もはっきりしないしさぁ。

 ま、貴族の女なんてどいつもこいつも似たようなもんじゃん?

 表は着飾って耳障りの良い事ばっかり、裏じゃあ陰口三昧じゃねーか。

 誰がどんな悪口言ってても不思議じゃないだろ」


「言われっぱなしなのも少々癪に障りますね」


 手の甲を口元にあて、眉根を潜めてしまう。 


「お前の悪巧み顔はマジで心臓に良くないからやめろ。

 悪の幹部みたいで怖いわ」


 ――失礼な。



 だが、確かに悪意に悪意を以て返したところでどうしようもない。

 少なくとも現状、ベルナールが聞いたという証言だけだし。

 実際に見聞きしていないことで勝手に苛立って熱くなるのは決していいことではない。



「これだから貴族の女ってのは信用ならねー。

 俺みたいな無位の人間なんか完全無視フルシカトだぞ?」


「貴方が避けられる理由はその言動が原因だと思います。

 以前より一層口が悪くなっていませんか?」


 本当に柄の悪い輩と付き合っているのではないだろうな、と不安になるくらい。

 元々口が悪い少年ではあったがここまで世の中を斜めに構えてみるような人間ではなかった。

 一年――と、一学期。

 貴族でも平民でもない中途半端な立場で学園生活を送った彼の心がささくれ立っているのをひしひしと感じる。

 グレている……わけではないが、卒業後、今の鬱憤が爆発したら彼のお父さんも大変困るのではないだろうか。


 先ほどの謂れのない暴言は心に押しとどめ、カサンドラは何とか平常心を取り戻そうと努めた。

 王子の婚約者たるもの、単なる陰口に怒り心頭の般若顔になっては余裕のなさを嘲笑われるだけだ。



「お前はいいよなー、王子の婚約者の座をゲットしてトントン拍子で先は王妃だろ?

 やっかみの一つくらい我慢しろっての」


「貴方の場合は、婚約者どころかお相手も探す様子がないではありませんか」


 彼は眦を吊り上げる。


「勘弁してくれよ!

 どっち向いてもこっち向いても、自意識過剰で無駄に鼻っ柱の強いプライドの高いお嬢様ばっかりでさ!

 いくら家柄がどうだとか言われたところで、俺にはサッパリ良さなんかわかんねーよ」


 ベルナールは語気を強め憤懣やるかたない様子で、そう愚痴る。

 根は善い少年だったはずなのに。


 過去のカサンドラが偉そうな言動で嫌味や皮肉を言わずにはいられなかった、ザ・勘違い期の真っただ中において――

 親同士が仲良しということもあり、普通にカサンドラを対等として扱った話し方で盾突いてきた少年だった。

 痛いところを突かれてカーッとなって怒鳴り散らしたこともある。


 幼い自分が上手くフルートを吹けずにいた時。

 教え方が悪い、楽器が悪い、空気が悪いだの滅茶苦茶な文句をつけては周囲を困らせていた自分に呆れて怒ってくれたのは彼くらいなものだ。 

 それでもカサンドラは「生意気ね!」と反発しただけだ。

 言動を改めることなく、我儘を反省することもなく、記憶を取り戻すまで酷い有様だった。


 そう、彼は歩くカサンドラ黒歴史記録帳……!

 学年も性別も立場も違うので接点はないが、あまり周囲に過去のことを吹聴して欲しくはない。


 彼とて末はレンドール地方の領主だからカサンドラの味方だろうが、この口の悪さは困る。

 もう少し大らかに、刺々しさが抜けた、口調が少々難ありなだけの彼に戻って欲しい……!




「はー、どっかにいねぇかなぁ。

 貴族のお嬢さんなんて、ろくなもんじゃねーし。

 慎ましくて女の子らしくて控えめで素直で――とにかく心が優しいフツーの女の子、落ちてないかなー」





   そんな女性がいたとして、果たして君を選ぶかな!?


 



 一応それなりに裕福な領地を持っているし、実務ではそこそこ有能で交渉事もこなしているらしいが……



 リナの姿が一瞬だけ脳裏に浮かんだが無理だ無理。

 ベルナールなどにはもったいない、世界を救う聖女様を相手にするには力不足が過ぎる。



 そもそも男性という大雑把なくくりで、比較対象が王子だのジェイクだのラルフだのシリウスだの。

 


 あんな煌びやかでハイスペックな人物が生活圏内で悠々闊歩していたら、そりゃあベルナールという普通の男子生徒が女性たちに興味を持ってもらえるはずがない。


 彼らが在校中、男子生徒は本当に可哀想だ。





 *





「さーて、侯爵に挨拶して、仕事に行くかぁ」


 少し時間が経過した後。

 チラと壁掛け時計を見てベルナールは膝をポンと叩いて立ち上がる。

 どうやら約束の時間が迫っているらしい、本当に暇つぶしの相手にされたカサンドラの立場は一体……。


「公務があるのですか?

 折角の夏休みなのに大変ですね」


「親父の激怒案件が一向に解決しなくてな、何とかしろって王都にいる俺にお鉢が回ってきちまった。

 昼からサーシェ商会やゴードン商会に顔出さなきゃいけねーんだわ」



「まぁ、ゴードン商会……」



 シンシアの顔が頭に浮かんだ。


 ここまで彼の暇つぶしに付き合ってあげたのだ、少しの言伝くらい彼も請け負ってくれるだろう。

 




 お礼だけでも、もう一度しっかりと伝えなければ。


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