第111話 舞踏会にて


 最初は何が起きたのか分からなかった。


 すぐに嫌な音の正体に気づき、カサンドラは短い悲鳴を漏らす。

 背中の上部からヒラヒラ伸びる赤いリボンが、傍の枝付き燭台ジランドールの鋭い細工に知らない内に引っ掛かっていたようだ。

 ――急な動きに引っ張られそのまま布先からビリッと幾筋もの線状に裂かれてしまった。


 確かに薄いものだから慎重に扱っていたつもりが、まさか入場数分前に台無しになるなんて予想もしていなかった。


 頭が真っ白になる。


「ど、どうしましょう……」


 時計を見れば、ファンファーレまであと二分もない。

 こんな差し迫った時に替わりの布を用意させるなど不可能だ。


 隣の部屋を往復、更に適当な布を持ってきて……間に合わない。

 血の気が引いた。


 この破れたリボンをつけたまま皆の前に出るのか?

 今日はこの赤いリボンが良く見えるように、わざわざ髪をアップにしてうなじから背中まで誤魔化すことのできない恰好なのに?


 目の前の景色が混濁してチカチカする。


「……そのまま皆の前に出るわけにはいかない、少し遅らせよう」


 裂いたリボンの先を抓み、真っ青な顔になったカサンドラの事情を汲んで王子がそう提案してくれた。

 でも今から遅らせるなんてタイミング的に間に合うの?


 ファンファーレが鳴ってしまえばそれから一分も経たずにこの扉が向こう側に開いて――



「カサンドラ。

 失礼する、背中に指が当たるかも知れない」



 有無を言わせない口調とともに、ラルフが傍に駆け寄ってきた。

 てっきり先に出たものだと思っていたが、カサンドラの絶望の呻きに足を留めてくれたらしい。


 有り難いのだが、どうせなら楽隊に音楽を遅らせるよう伝達をしてもらった方が助かる!


 だがラルフは大変慣れた手つきでカサンドラの背中上部を留めていたリボンをスッと抜いた。

 流石に留める紐なしでこのままの姿では下手をしたら服の上部がズレ落ちかねないぞ。

 ドレスの背部は最上部以外ホックで留めているとはいえ、ちゃんと上を結んで固定しておかないと衣装が縒れてホックが外れかねない。

 コルセットでガチガチに固めているが、背中は自分で見えるものではないから不安である。


 みっともない姿を晒す可能性を考えると、破れたリボンをつけていた方がマシではないか。


 だがカサンドラは次の瞬間呆気にとられた。



 ――ファンファーレの音が高らかに舞踏会開始の時を告げる。



 それと同時にラルフは自分の長い髪を結っていた赤い結び紐をやや強引に解き、それをカサンドラのうなじの下――服に空いた輪、ハトメ部分に通す。

 音楽の流れ的に、後数十秒。


 ギュギュっと胸周りに圧迫感を感じ呼吸が乱れた。

 そのまま蝶結びで紐を締めてくれたようだ。


「え? ……? これは」


「本来の使い方とは違うものだけど、破れたものを使うよりマシだろう。

 固く結んだからそう簡単には解けない」


 彼が髪を下ろしている姿は初めて見た。

 美人さんなのは良く知っていたが、普段一つにまとめてる流れるような綺麗な金髪が背中を隠す様は中性的。

 こんな事態の中でも大層驚いた。


「……あ、ありがとうございます……」


 ぎゅっと手を胸の前で握って扉の方を向く。

 あと……十秒?


 本当はあの綺麗な発色の赤いリボンを身に着けていくはずだったのに。

 普段リボンと言う装飾をメインに使ったことのないカサンドラには、とても思い入れのある個所だったのに。

 王子が注目して、しかもそれに合わせて足元の色を選んでくれるとまで言ってくれたのに。


 ……後姿で、そこが目立つように仕立てられたドレスだ。

 これでは見た目が、バランスがおかしくなってしまうのではないか。

 目の肥えた貴族のお嬢さん、奥様方ばかりのこの会場で――

 ラルフの好意とはいえ、応急処置的な装飾では笑われてしまうのではないか?



 足が震える、でも時間は待ってくれない。



 扉が軋む音がする。

 王子が静かに差し出してくれた手をとった。


 完全に扉が開ききり、会場の光が、空気が、カサンドラ達の前面に覆いかぶさってくる。


 自分の顔は、きっと泣く寸前まで歪んでいたのだろう。



「――大丈夫。

 君はいつでも綺麗だから」



 自信を失うことなど何もない、そう言って彼が一歩先に。

 この場面があまりにも特異で何もかもがシミュレートした通りにいかなくて。


 頭の中が、ぼわっとした濃い濃霧に包まれる。

 高い天井から吊り下がるシャンデリアの煌めきに目を細めることもなく、口を引き結ぶ。


 ここまで来たらどうとでもなれという気持ち。

 王子に大丈夫だと励ましてもらった言葉に応えたいという気持ち。


 ”カサンドラ・レンドール”。


 十五年ずっと使ってきた己の名を呼ばれた後、カサンドラはリハーサル通り曲に合わせてしっかりと頭を下げ片手でドレスの裾を持ち上げる。

 努めて余裕があるゆったりとした仕草で正面を一望すると、足が震えそうになった。


 西大陸全てを支配するクローレスの領土は広大だ。

 そして支配者階級層も各地にゴロゴロ存在している。


 また由緒正しい中央貴族も、階上に立つカサンドラを様々な思惑の混じる視線で見上げているのだ。

 本当に見世物としか言いようがない状況ではあったが、その数多の貴人達の中に数名見知った顔を見つけることができた。



 アイリスはちゃんと婚約者のレオンハルト公子と出席することが出来たようだ。

 ミランダの隣にいるのが噂のアンディ――遠くからでも相当な美形と分かる優男風なのに、軍人なので姿勢も体つきもしっかりしている。


 正式なパートナーがいる人たちはホールの中央で自分達の挙動をじっと見つめていた。


 王子に促され、真っ赤な絨毯の敷かれた階段を一段一段ゆっくり降りる。

 足を滑らせたら一巻の終わり、よろけても駄目。

 たった数十段が奈落へと続く無限の螺旋階段であるかのように感じる。


 自分の格好のおかしさにクスクス笑い声でも聞こえてくるのではという緊張もあった。

 でも震える手を支えてくれる彼の手はとても温かい。


 にこやかに微笑み周囲に似合わない愛想を振りまきながら、全神経は手の先と足の先に集中だ。



 ようやく最後の一段を降り、王子の手を放す。

 そして両手で重いドレスの裾を持ち上げ、跪礼カーテシーで最後。


 直接の婚約宣言でもなんでもない、ただ舞踏会で王子が婚約者を初めてエスコートするから『お披露目』というだけ。

 特にカサンドラが宣言や挨拶をすることもなく、あとは周囲のカップルに紛れて参加者の一人として振る舞えばいいのだ。



 これで面目は保てたのだろうか。

 いきなり切羽詰まったところでの大ミスに、カサンドラは本当に生きた心地がしなかった。

 不運な事故だったと思うべきか、脇が甘かったと反省するべきか。


 どこからともなく拍手が起こり、それが伝播していくのがやたらと気恥ずかしい。

 ふと王子の方を見ると、彼もいつも通りにこやかに微笑んでいるので――まぁ、とりあえずはホッと胸を撫でおろしても良いのだろう。


 こんなはずでは……という後悔に苛まれるよりも、時間を歪めることなく誰も困らせることなく乗り切ったのだから良しとすべきか。


 ラルフには気を遣わせてしまった、この飾り紐まで貸してくれて。

 あの場で彼がわずかでも躊躇していたら絶対間に合わなかった。

 目の前まで迫った限界を悟り、あんな風に即座に行動できるラルフの対応力が高すぎる。


 入場を遅らせ、その間に替わりのものを持ってこさせることくらいしかカサンドラなら思いつかない。



 ゆったりとした演奏がホール全体に流れ始め、皆その音楽の特徴ある一節でパートナーと向かい合わせでお互いの手を取る。

 無意識のうちに勝手に足が動きそうになる、踊りやすい一定のリズム。


「私と踊ってくれるかな?」


 王子でも冗談を言うことがあるのかと驚いた。

 ここにパートナーとして立っている以上、踊らないなんて選択肢は無いのに。


 でもこうして王子に誘ってもらえる日が来るとは、全く思っていなかった。

 入学当初も舞踏会のことなど頭からすっぽり抜け落ちていた、自分に関係ない事だという思い込みとは恐ろしい。

 アレクに注意されなければ本当に適当なドレスで参加していたのではないかと思うと肝が冷える想いだ。


「はい、喜んで」


 彼の口調に合わせた方が良いのかと、少しお道化た調子でその手を取る。

 リハーサルの時から散々彼の手をとって並んで歩いていたというのに。


 王子と一緒に王宮の舞踏会で最初の相手として踊れる、その二人といない境遇に喉を鳴らす。



 それは夢のような時間だった。 

 特に難しいステップを踏むわけでもなく、良く言えば踊りやすい、悪く言えば単調なメロディーである。

 相手が王子。

 丁寧に手足を動かし踊るその姿に目が眩みそうなカサンドラには丁度いい曲調だ。

 当たり前だが互いの距離はゼロに限りなく近く、首を少し上げれば綺麗な王子の顔があるわけで。


「一時はどうなるかと思ったけれど、本当に良かった」


「……はい、ご迷惑をおかけして大変申し訳ありません…

 ラルフ様にもお詫びしなければ」


「まさかあれを代替で使うとか、ラルフが手に取るまで全く予想できなかったよ」


「以後細心の注意を払います」


「私も虫には気を付けよう、言われるまで全く見えなかった」


「小さなものでしたし、気づかなくても仕方ない事かと……」


「私も緊張していたからね」


 サラッと彼がそう発言した後、曲が一度別のものにゆっくりと移行していく。

 彼と踊るのは、一旦これで終わりと言うことなのだ。


 ……短い!


 もう少し! もう少しこの状況を楽しませてくれてもいいじゃないか。


 仕方ない、これでも十分長い時間と言って差し支えない時間だった。

 踊り足りないと思っているのはカサンドラだけで、他の人はそうではないのかも……?


 チラ、と。

 アイリスやミランダを見ると彼女達はまだ”一緒に踊りましょう”と、楽しそうに相手の男性の腕に手を添えている。


 誰を誘い、踊っても構わないフリータイム。

 だが続けて社交ダンスを楽しむカップルも結構いて、ではカサンドラも王子にお願いすれば続けて相手をしてくれるだろうか? と悩んだ。

 


「あの、王子……!」



「カサンドラ!」


 だが勇気を振り絞った声掛けも、背後からの大きな声で一気に吹き飛んだ。

 曲と曲の間、踊る相手を探して声を掛ける男性の姿がホール端で多く見られる。


「ジェイク様……」


 そうでした。

 約束……してましたね。


 一気に目から勢いというともしびが消えそうになる。


「じゃ、一曲踊ってくれるよな?」


「ホホホ。

 わたくしなどで宜しければ、是非」


 声を掛けられた以上、受けるか受けないかハッキリ言わないと失礼だ。

 折角の王子と一緒の時間だが己の撒いた種とも言える。


「では挨拶周りがあるから私は失礼するよ。

 折角の舞踏会だ、楽しんでもらえると私も嬉しい」


 周囲の視線を掻っ攫う容姿端麗な王子は、女性陣の熱い視線に笑顔で応えながらホール中央から一旦去って行く。


 数拍後、楽士隊が明るい円舞曲の演奏を開始。

 学園の社交ダンスの選択授業で厭になるほど踊らされたものだ、うんざりする。

 だがそんな表情などおくびにも出さず、カサンドラはジェイクの厚い掌をとった。


 王子も外見以上にしっかりした節のある長い指をしているが、騎士団に所属しているというだけあってジェイクの手は武骨そのものだ。

 触れると差に驚く、普段剣など扱わないお坊ちゃん達のそれとは造りから違うもののよう。


「ん? なんか控室で見た時と変わってないか?」


「………。」


 足を動かし、一緒にリズムを整えながら優雅に踊る――

 そんな最中、ジェイクは不思議そうな顔でカサンドラを見下ろす。

 ジロジロと遠慮ない視線を受けていたが、被服関連に鈍感な彼にも気づかれてしまった。


「赤いヒラヒラしたの、どうしたんだ? さっきまでつけてたろ?」


「ええ……

 アクシデントがありまして。元のリボンが破れてしまったので、ラルフ様に急遽対応していただきました……」


 するとジェイクは「うっわぁ」と口を台形にする。


「危ないことするんだな、お前。

 あいつがいなかったら大惨事だろ」


 この人に心理的距離を覚えられるほど、相当な状態だったのは確かだ。

 今思い出しても冷や冷やする、先にラルフから退出していたら今頃カサンドラは……

 いや、想像するのはやめよう。

 難は既に去ったのだ。


「左様です、本当に助かりました」


「じゃあその紐ってラルフのか。

 だからあいつ珍しく髪下ろしているんだな」


 はは、とカサンドラも苦笑いだ。


「良かったな。

 その紐でも全然おかしくないぞ」


 それは彼なりの精一杯のフォローなのか。

 まぁ、実際そういう細かな差異などは彼も真実どうでもいいことなのだろう。


 以前の社交ダンスの時から分かっていた事だが、ジェイクは十分慣れていて上手い。

 身体を動かすことが嫌いではないというのもあるだろうが、かなり早い時期からこういうシーンでの場数を踏んでいるに違いない。

 ……乙女ゲームの不自然な設定さえなければ今頃ちゃんとした婚約者がいて、白紙の状態で振り回されずとも済んだだろうに……


 まぁ、そのおかげでリゼが迷いなく攻略できるという側面もある。

 この世界は主人公のためにある、彼には運命だと思って諦めてもらう他ない。



「よし、これで陛下への義理立て完了!

 ――じゃあな、カサンドラ。助かった」



 音楽が一区切りを迎えると、パッと彼は両手を離す。

 そしてウキウキと楽しそうな笑顔でカサンドラに手を振った。



 ……本当に舞踏会脱出タイムアタックを決行するとは……



 後で家族、主にダグラス将軍に怒られなければいいのだけど。



 二曲続けて踊ったし、少し休憩しても良いだろうか。

 既に喉はカラカラだ。


 ホールの中央、その輪から外れようとしたカサンドラの周囲でざわっと色めきだった声が聞こえた。


 なんだろう? と何の気なしに振り返ると、そこには未だ髪を下ろしたままのラルフがいる。

 珍しい彼の格好に令嬢達が色めき立つ理由も分かる、美人オーラが半端ないのでカサンドラの方が浄化されて消えかねない。

 なまじの女性より何倍も美人という表現が相応しい、ヴァイル公爵家のご嫡男様。


「何とか凌げたようでホッとした。

 ――確認ついでだ、一曲踊らないか」


 ええ……?


 学園の講義であれだけ踊らされたのに、また踊るのか。

 だが本来彼の髪を結んで飾っていただろう赤い紐が、今はカサンドラの服の背部を結んでくれているわけで。

 彼が縛ってくれたものの、どんな感じなのか気になるという彼のアフターフォローを全力拒否する勇気はない。


 ささやかな立ち話の後、同じ曲の冒頭が流れ――

 先ほど踊っていた男女が一旦中央から離れた人数と同じだけ、曲の間に相手を見つけて出番を待っていた組に入れ替わる。

 延々踊れる体力お化けなんてそうそういるものではない。



 曲が始まったら、ごく自然に彼の手に自分の手を乗せていた。

 条件反射と言うか、無意識のうちに。

 慣れって怖い。



「お気遣い感謝いたします。

 ラルフ様の機転がなければ、どうしていいか分からなかったでしょう」


「……さすがに放ってはおけない、アーサーの評判に傷がつきかねないものだ」


 言外に『カサンドラ個人のためではない』と釘を刺された。

 でもそんなことはどうでも良い、彼のおかげで最悪の事態を回避することが出来たのだから。


「やはり惜しかったと思う」


 ラルフに手を取られ、カサンドラがゆっくりとターンする。

 その後、彼はひとちた。


 このお洒落な赤の髪飾り、自分なんかに貸して惜しかったと悔やまれている……!?

 ギクッと全身が強張ったが、彼は特に表情を変えることなく淡々と。


「あのまま何事もなければ――今のタイミングで布先が広がって綺麗だっただろうに」


「いえいえいえ!?

 全然! お借りしたこの状態で、わたくしの身に余る衣装だと思っておりますので!」


 そういう細かいところにも気が付く系の紳士に真正面から言われたら大変困る。

 彼が喋ったのでなければ歯の浮くようなセリフだが、悔しいがこういう場面で彼の言葉は一々ドキッとするので顔が赤くなりかける。

 まともに女性扱いしてくれている!? という動揺。


 ちょっとだけリタの気持ちも分かる。



「……次があったら、気を付けます……」



「そうして欲しいと、僕からもお願いするよ」


 やれやれ、と彼は小さく表情を綻ばせた。






 ※





 もう次はないだろう。

 今度こそ飲み物を………!




「待て、カサンドラ」





 今度は誰だ!?

 と睨み据えるわけにもいかず、可能な限りやわらかな仕草で振り返って……と、声の主と目が合った瞬間頭の中が疑問符で埋め尽くされた。


「し……シリウス様……!?」


 何故彼がこんな舞踏会で自分に声を掛けてくるのだ。

 今回に限っては彼とは全くの無関係、シリウスだって憮然とした表情だ。

 カサンドラと踊りたいという意思は微塵も感じられない。


「一曲踊ってくれ。

 ……お前にとっても面倒なのは承知の上だ。

 あいつらが相手をしたとあっては私も立場上声を掛けないわけにはいかないのでな」


 ツカツカと歩み寄り、辟易とした表情でカサンドラだけに聴こえるように囁く。

 嫌々だけど、ジェイクとラルフが声をかけて一曲相手してもらった手前――シリウスだけ全く無関心で声をかけないのも変な話になりかねない、と。


 社交界というものも大変だ。

 この世界は半分の見栄と、半分の好奇心で出来ている。


 ――他人のスキャンダラスな話を見聞きして楽しむセレブ達。


 自分達は目立つからこそ、迂闊な選択をとることはできない。

 エルディムの子息だけ将来の妃殿下と何も接触が無かったぞ、なんて良い話ではないのも分かる。


 だがそろそろ休憩を……!

 休憩させてください、という心の叫びはどこの誰にも届かない。


 





「また随分と大きな耳飾りだな」


 彼は踊っている最中、若干こちらを小馬鹿にするような響きを込めた口調でカサンドラのイヤリングに言及した。

 生誕祭での蒼いサファイアのイヤリングのやりとりの中、蒼は王子の瞳の色をイメージしたものだから身に着けてました!

 なんてこっずかしい会話もあった気がする。


 更にもっともっと大きな、それこそ本物の王子の瞳のような輝くサファイアを見れば『ああ』とシリウスも言及したくなるのだろう。

 性懲りもなくまた同じことをしているのか、と。


「こちらはシリウス様にいただいたものですけれど?」


「私が? 何の冗談だ」


 彼はムッと口を曲げる。


「壊れてしまったイヤリングの代替品として、ラルフ様経由でいただきましたが?」


 選んだのはラルフかもしれないが、金の出所はシリウスだろう。

 これを買ってくれたのはシリウスと言っても良いはずだ。



「……あいつ、こんなのを選んだのか……

 道理で請求書の額が……」


 彼の眉間の皺が濃くなり、露骨に嫌な顔をされてしまった。



  

「――仕方ない。

 背に腹は替えられない状況だったのは確かだ。

 この場に身に着けてくれる程気に入ってくれたのならそれでいい」



 

 何かを諦めたように彼はそう言った。






 その日御三家御曹司と舞踏会の相手をはからずもコンプリートしてしまったカサンドラは――

 王子との婚約お披露目以上に、時の人になってしまったのである。





   夏休み中で本当に良かった。


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