第109話 世迷い事


 ――今日で一学期が終わる。


 講堂に集まった生徒達は、およそ一時間ほどの終業式をそこで過ごした後それぞれが教室に戻る。

 学期末の試験で赤点をとっている生徒を除き、学園内に制服を着てやってくる生徒は九月までいないはずだ。

 学園側も意地悪で赤点対象者に補習を施すのではない、二学期三学期、そして翌年以降も全ては一年一学期の積み重ねの延長にあるのだ。

 土台もないのに知識を積み重ねることは出来ない。


 前途ある若者を意図的にドロップアウトさせる意味もない、出来れば親から苦情を受けたり不信を抱かれることなく学園生活を送って欲しい。それが学園側の願いだ。

 教師だって補習対象者がいなければとても助かるものだろう。


 残念ながら、あまり成績の奮わなかった生徒も何人か存在する。

 教師に呼び出されて休日返上の補習が待っているわけだ。


 それを免れた者は自由の身。


 休みはどこに行く、誰に呼ばれた、誰を招くだの生徒達の真実晴れ晴れとした笑顔が眩しかった。

 ハッキリ言って長期休暇は休みの前日が一番幸せだと思う。

 一度休みが始まってしまうと「ああ、もう何日経った」「もう何日しか残っていない」と減点方式でしか休みを意識できなくなる。

 特に半分以上消化した後は憂鬱な気持ちにさえなるものだ。

 ……最も、”これ”はカサンドラの前世の記憶から掘り起こしたどうでもいい些細な夏休みの光景だが。



 終業式で学園長の長話を聴いている間、カサンドラは一学期にあったことを色々思い出していた。

 たっぷり振り返ることが出来るくらい冗長な学園長のお言葉は、ジェイクが途中から座ったまま舟を漕いでいたくらい暇なものだった。


 生誕祭の時にも思ったが、普段学園長として生徒の前に出る機会に己の功績をアピールしよう、良いことを言おうと無駄に力を入れ過ぎている。

 親しみも何もない老人の話を有り難がって聞くような素直な生徒ばかりではないのだ。




 とにかく、王子と直に会ってどんな人か知ることが出来たのは大きな出来事だった。

 一目惚れに近く、王子と婚約者になったという事実だけで浮かれていたのは記憶を思い出す前の自分だ。

 為人ひととなりなどその時点では知らず、でも彼を救わなければカサンドラも同様に未来がないということもあって彼を『助ける』ことが最大の目的で。


 学園で実際に会った王子は本当に良い人で、カサンドラの理想をこれでもかとばかりに詰め込んだ紳士だった。

 彼の真意はようとして知れないが、彼関係のことでカサンドラが不快な気持ちになったことは一度としてない。

 常に彼は自分の恥をかかせないよう振る舞ってくれたし、無茶を言っても答えてくれる。

 誰にでも・・・・という枕詞はつくが、本当に優しいのだ。


 彼を救うために彼を知らなければ。近づかなければ……! という想いがいつの間にか彼自身が好きで興味があるから近づきたいと思うように。

 目的は変わらないが、カサンドラはすっかり王子に惹かれてしまっている。

 むしろ彼を嫌いな人間がいるならお目にかかってみたいものだ。


 由緒正しい正当な王位継承者であり金髪碧眼の美青年、眉目秀麗で品行方正。

 各分野の能力に秀でた感性を持ち、成績も良く人当たりも良い。

 当人は至って謙虚で幼馴染たちの後ろでにこにこと微笑んでいる。

 困っている人を見過ごせず、また友人の頼みであれば自分が無関係な事でも動くことを厭わない。

   

 婚約者に対しては社交辞令ながらも常に気にかけてくれ、相応の扱いをしてくれる。

 相談をすればそれがあまり興味のない舞踏会のドレスのことだろうが真面目に応えてくれ、風邪をひいたと知れば自分の手でお見舞いまで届けてくれる。


 そんな王子ではあるが、過去の痛ましい事故で心に傷を負い、偲ぶ過去さえ持っているという。そういう辛さを経験した後でも、彼は人にそれを悟らせることなく振る舞える。



 ……こんな人、他にいる?



 実際に存在しているので失礼だが、実は裏があって騙されていましたという方がよっぽど納得のいく相手ではなかろうか。

 現状その真偽はつかないが、白黒つけるのが今のカサンドラが唯一出来る未来を変え得る方法だと思っている。


 何が彼を悪魔に『させる』のか、それとも本人がその力を欲するのか。

 物語で語られなかったことを探そう。



 主人公が三人いて驚いて。

 攻略対象に惚れてくれたのはいいが相手が全員相性の悪い相手で……

 困難だが恋愛が成就して、あわよくば聖女になってくれればいいなぁ、程度の保険になってしまった。


 三人の攻略対象とも結構話せるようになったと思う。

 少なくともジェイクは自分への偏見はなくなったようだし、ラルフもどちらかというと遠巻きに一歩引くように関わってこなくなった状況で。

 真面目に生徒会の仕事をこなしていたら、シリウスとの間にあったどうにもならない冷たい氷の壁がいつの間にか溶けた気がする。


 正規の物語の自分カサンドラは王子と言う婚約者がありながらも、本来は彼らの後を追っかけて迫るような人物だったのが信じられない。


 ……まぁ、今となっては……


 王子に近づくには、この親友たちに媚びるしかなかったのかなぁとも思う。

 入学当初の時には全く近づけたものではなかった。


 あの三人の王子ガードが鉄壁過ぎる。

 彼らに嫌われた状態で王子と親しくなるなど、まず無理です。


 今はその最大の障害が除かれたようなもの。

 シリウスの動向だけは気に留めなければいけないが、後は少しずつ王子と仲良くなっていくことが出来れば……



 この世界の主人公である三つ子との仲も良好だと思う。

 夏休みの予定をどうすればいいか勢い込んで聞いてくるのだ、信用されているのだろう。

 カサンドラがこの世界を本当に憂い、人々のためを思うなら……

 努力及ばず王子が悪魔と化してしまった時の保険に、主人公達に聖女になってもらうべきで。

 確実に聖女になってもらうために、真EDを迎えられる相手を選んで攻略するよう姦計を尽くすべきだ。


 それこそ攻略対象は相性の良い主人公を好きなのだから、男性側に与してリゼ達を落とさせる方が世界のためだ。

 カサンドラも万が一の時に泣く泣く王子を斬ってもらって多くの人の命を救えるというセーフティネットを用意できるのだから。


 でも人の心を人が変えるというのは並大抵のことではない。

 その並大抵のことをなすために彼女達が自分のアドバイスを基に取り組んでいる姿を見て、そんな良心に悖ることは絶対に出来ないと悟った。

 想いの強さこそが主人公の拠り所とするなら、その想いの根底たる好きな相手を挿げ替えようなんて無理な話だと思う。


 この世界は彼女達のために用意された舞台。

 元は悪役令嬢として彼女達にちょっかいをかけるだけだった自分が操ろうなど片腹痛い。


 なので今は最悪の事態を招く可能性に怯えても、彼女達を応援したい――と。

 ああ、この件については今さら揺るがないかな。



 王子を好きなのも。

 攻略対象とそこそこの距離を保ちつつ普通に接するのも。

 三つ子の恋を応援するのも。



  カサンドラの学園生活の『芯』に当たるものなのだ。




 つらつらと一学期の出来事を走馬灯のように脳裏に流し、カサンドラは学園長の話を聞いているフリを頑張った。




 明日から夏休み、だが今日はのんびり羽を伸ばすというわけにはいかないのである。





 ※





 学園から帰宅する時間は、終業式のため大変早かった。


 だがここで気を抜くわけにはいかない。

 カサンドラは鞄を提げる両手に力を込め、努めて姿勢良く玄関に向かう。 



「ただいま戻りました」


 双開きの大きな扉、玄関を開けてもらってカサンドラはしっかりとした足取りで邸内に入る。

 ふかふかのカーペットに靴が沈みこまないよう気をつけながら。


「まぁ、キャシー。

 何か月ぶりかしら、わたくしにお顔を見せて頂戴」


 そう言って感極まった表情でカサンドラの目の前に文字通り躍り出てきた女性。

 彼女に向かってにこやかに微笑み、頭を下げた。


「ご無沙汰しております、お母様」

 

 今週末は王宮で開かれる舞踏会に父と母も参加する。

 国王陛下に招かれた以上、正式な夫婦で登城することは当たり前のことだ。

 父は毎回嫌そうな顔をするが、まさか面倒だから行きません、なんて返事も出来ない。

 中央に招かれる大きな催しはこれくらいなのだから、としぶしぶ毎年重たい腰を上げてやってくるわけで。


 去年は父と母と一緒に一回り大きな白馬二頭牽きの馬車で王宮に馳せ参じたレンドール一家だった。

 今年は先にカサンドラが別邸に住んでいるので、ここで合流することになる。

 丁度カサンドラの登校と入れ違いの到着だったようだ。


 母とは四か月以上会っていないかも知れない。

 帰省が可能な長期休暇は夏と冬だけ、遠く離れたレンドールの地で母はどれほど心配していたことだろうか。

 いや、アレクが毎週のように報告書をしたためて父に送っているのだ。

 こちらの様子は筒抜けのはず。


「………!

 そんな、キャシー……貴女……」  


 母フローラは、自分と同じ翡翠色の瞳を大きく見開き――両手で口元を覆う。

 相変わらず細く白い指には細いリングがいくつも装飾され、どこからどう見ても良家の奥様然たる佇まいである。

 ふわっとした動きづらそうなシルエットの服。大きな銀色の髪飾りをつけた彼女はいつ見ても若々しい。


「貴女、本当にレンドールにいた頃と変わってしまったのね。

 まぁまぁ、本当に別人のようで母はとても驚いています」


 一言挨拶しただけで別人に思われる自分って一体……。

 これが他人なら食って掛かることも出来たかも知れないが、何せ相手は母だ。


「そうでしょうか? 自分ではよくわかりません」


 父クラウスと会ったときは「頭でも打ったのか」なんて失礼なことを言われたわけだけど。

 そんなに自分が良い子でいたら違和感が強くなるのだろうか……?

 皆の中の黒歴史を消して回りたい衝動に駆られる。


 あの高慢で鼻持ちならないお嬢様として自然に振る舞っていたのはカサンドラだ。

 自分でやったことは覚えている。

 でも今になって冷静に思い出すと、何も出来ない小娘が何様なんだ……と自己嫌悪の嵐に襲われてしまう。


「そのようにやわらかい表情を貴女がするなんて。

 ……今までは――言い方は良くないですが人に優しくする余裕のなさをいつも感じていましたもの」


 母親にそう言われると少々きまりが悪い。

 十五年間一番長く自分の傍にいてくれた人の言うことだ、中々に返答に窮するストレートな物言いである。

 なんと返せば良いか分からず苦笑いする他ない。


「そうそう、舞踏会のドレスも見せてもらいました。

 それにも驚いたのですよ、明るい色調など初めてではありませんか?

 いつも目立たない色味を抑えていたものだったでしょう」


 先週末に納入されたドレスのことを思い出す。

 本当にシンシアのデザインしてくれたドレスがそのまま立体的に再現されたとても満足のいく仕上がりである。

 衣装の仕立てをお願いした職人が、素人が描いたものとは思えないと褒めていたくらいだ。

 手直しした箇所も少しで、本当にこの素敵な衣装が自分に似合うと皆に思ってもらえるか自信がない。

 自分では良い感じと思っているだけに。


「そうなのです、実は王子が黄色やオレンジなどを使った衣装も華やかでいいのではないかと……

 クラスメイトのお嬢さんが考えてくれたデザインを使わせてもらいました」


「まぁ!」


 母は自分と身長が変わらない。

 だから目線も真っ直ぐ先にある。

 ただ視線は彼女の頭頂に盛った髪と髪飾りに向いてしまいがちだ。

 自分一人では絶対出来ない髪型である。

 カサンドラと同じ金色の髪であるものの、ゆったりとした波打つ長い髪。


 ささやかに手を打って、何故か母の表情は喜色に染まる。


「それに――

 キャシーが風邪を引いたと聞いて心配しておりました。

 もう体調は宜しくて?」


 少し前にくしゃみを連発、悪寒が背筋を這った以外は全く変化がない。

 あの日もすぐに休んだので、風邪もひかずに済んだのだとホッとしている。

 今病に倒れたら王子に迷惑をかけるどころの話ではない、熱が出ようが足腰がふらふらだろうが這ってでも参加しなければ。


「皆様にご心配をおかけしましたが、この通り元気になりました」


「報告を見る限り、慣れない生活で頑張り過ぎたせいでしょう。

 もっと身体をいたわりなさい」


 気を張っていた、無理をしていた。それは事実だ。

 でも多少の無理でもしないと、王子の婚約者として誰にも認められないという強迫観念がある。

 この先本当に結婚出来て、妃になることが出来たとしたら……

 その際に陰口を囁かれるような不出来な配偶者では、王子に迷惑になるから。


「アレクや王子にも同じような指摘を受けました、お恥ずかしいかぎりです。

 以後気を付けます」


 立ち話も長くなりすぎている、自室に引き上げる頃合いではないか。

 父の姿も見えない。

 感動の再会というほど長く離れていたわけではなく、昼食の時にでもゆっくり話せばいいのにとカサンドラは訝しむ。


「……王子とは仲良くお過ごしかしら?」


 ふふ、と母は笑む。その微笑みはたおやかで品のあるものだが、どこか艶然とした色を帯びたもの。


「いつも善くしていただいております。

 風邪で臥せっていた時も、王子手ずからお見舞いに花を持ってきてくださって」


 アレクに対してあれほど嬉しさを純粋に押し出せたものが、相手が母であるというだけでこんなに気まずく恥ずかしいのは何でだろう。

 カサンドラが王子に一目ぼれした後、己が婚約者になったと聞いた時の小躍りを母にバッチリ目撃されているので今更なのに。




「そう、それは素敵ね。

 貴女がここまで穏やかで幸せそうに見えるのは、王子に愛されているからかしら?」



 ぶほっ、と空気をせるところであった。

 母親が敵意の欠片もなく優しい柔和な空気を醸し出しつつ、人の息の根を止めようとしてくる……!


 まるで自身が少女時代に戻ったように目をキラキラ輝かせるのはやめてもらえないだろうか。


「い、いえ、そのようなことは……

 第一、わたくし達は婚約者と言えど、現段階では単なる知人のようなものです。

 変な事を仰らないでください」


 まかり間違って王子の耳を汚すようなことがあっては失礼極まりない。

 レンドールの奥方は娘可愛さに気が狂ってしまったのかなんて思われたらたまったものではないのだが…?


「何を言うのですか。

 気持ちのない方のドレスに一々言及し、わざわざお見舞いに立ち寄ってくれるような殿方がいると貴女は思うのですか?」



 うーん……?

 王子は気遣いの塊、婚約者という相手の立場を慮ってナチュラルにそれくらいやりそうなので。

 常識に則った行動を選択しているだけ、ドレスだって一応彼の評判に関わることだし口を出すくらいラルフでもやりそう。


「はぁ……あの人は全然そういうことをしてくれない人ですから。

 貴女がとても羨ましいわ」


 父クラウス、堅物の代名詞がそんな気の利いたことをやっていた方が驚愕の事実である。母の嘆きは仕方のない事だ。

 ……父ほどの”仏頂面が通常営業”の人が王子のような行動をとったら誤解も迷いもないのだろうが。


 王子はそういう気の利いた行動がサラッと出来る人格者なんですよ、と言ったところで母は納得しないだろう。


 もしも普段ぶっきらぼうで取り付く島のないような男性がそこまでしてくれたら「私の事を好きなのね!」と思えるかもしれないけれど。

 彼に関しては、そういう上っ面なところで勘違いをして舞い上がったら一気に上空から湖底に叩き落とされる結末が待っている気がしてならない。


 ミステリアスとはちょっと違う。

 自分にとっては、まだまだ遠い憧れの人に過ぎない。お互い未知の相手同士だというだけ。

 そしてこの一学期で彼について分かったこともあって、そういう積み重ねの先に『王子』は存在するのだと思う。


「……お母様、わたくし、先に部屋で着替えを済ませてまいります。

 お話の続きはまた後ほど」





 


 いや、無い。

 それはうぬぼれだ。



 自分でなくても普通にそういう行動をするだろう王子の姿は容易に想像がつく。






 ………。




 混乱して頭の中が疑問符で一杯になる、思考が在らぬところに向かって暴走しそうになるのを必死で抑える。






   『王子に愛されているからかしら?』





 冗談でも人に言われたら、信じ込みそうになる。

 でも、そういうのではない……と、思う。






 

  ――……分からない。





 カサンドラは己の危機管理を司る本能が警鐘を鳴らしているのを、確かに感じるのだ。




   全部鵜呑みにしたら駄目だと。

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