第106話 容量オーバー
試験順位の発表があった今日。
明後日が一学期最後の登校日、既に午後あった選択講座も終わったので午前中だけ出席する。
試験の答案用紙が返却され難しかった箇所を教師が改めて解説する時間である。
この際の模範解答がほぼシリウスのものだったということに驚いてしまうカサンドラ。
もしもシリウスでなければ権力を以て教師陣に試験問題を予め聞いていたのではないかと不正を疑ったことだろう。
だがこの人だしなぁ、とクラス中が納得する。
特にシリウスが不正など、夏に雪が降る確率よりも低いだろう。
このプライドの塊がそんな不正行為に至るまで身を
不正をしろと詰め寄られたら、相手事切り捨てそうな性格だ。
難問解説中、チラ、とリゼの後姿が目に入った。
ぎょっとしてしまったのは、模範解答がシリウスのものなのが気に入らないのか何なのか、横から大変鋭い視線で睨み据えているから。
リゼの順位や点数は誇っていいもののはずなのに、後ろの座席のカサンドラにまで悔しさが伝わってくる。
シリウスもそうだが、リゼも本当にプライドが高い人だと思う。
もしもリゼがシリウスのことに好意を持ち、惚れたとしたら……?
今のジェイクへの熱意がそのままシリウスに向けられるとしたら、今頃凄く距離が縮まっていたに違いない。
そういう世界線をゲームの中とはいえ、存在することを知っている身としては何とも言えない気持ちになる。
世の中は儘ならないものだ。
――カサンドラは、見て見ぬふりをしているが本当は気づいている。
いくら自分が頑張ってこの世界の未来を変えようと奮起したところで、自分は主人公ではない。
物語の筋に自ら大きな影響を与え得る存在ではない、と。
最初に気づき愕然とした通り、自分は無力だ。
全てが全て彼女達の選択、意思に左右されていく。
……人の気持ちを変えることなど、神ならぬカサンドラには出来はしない。
果たしてリゼ達が満を持して覚醒イベントを起こし聖女になるのか、想い人とくっつくノーマルEDを迎えた後の展開も確信を持てるものは何もない。
彼女達の気持ちは彼女達のものであり、せせこましい工作や謀によって想いのベクトル先を変えることは出来ない。
そしてカサンドラもそんなことはしたくない。
……カサンドラに出来ることは友人として主人公に接し、その恋を応援する事。
そして王子との仲を何とか前に進め、惨劇を防ぐ手段があるのか考えること。
ああ、もどかしいなぁ。
王子を救いたい、世界を救いたい、けど。
カサンドラの影響力など僅かで、こうやってごく普通に学園生活を送る事しか出来ないのだから。
記憶で未来を知ったところで、『貴女が聖女にならないと王子が国を滅ぼしてしまいます』『聖女になるために特定の男性を愛してください』なんてどう立ち回っても、彼女達に望んだ通り動いてもらえるわけがない。
根本の王子側の事情を探るしかシナリオ修正アプローチ方法がないのでは?
結局行き着いてしまう、仮定・希望的観測。見えない未来のことを思うと堂々巡り。腹を括っているはずなのに迷うのは、最悪の未来が訪れた時自分が後悔しないか常に藻掻いているからだ。
後悔しないために、自分のすることはこれでいいのだと言い聞かせている。
一体、自分はなんのためにこの世界で記憶を思い出したのだろう?
何故この世界にいるのだろう?
三つ子と出会ってしまったのはどうして?
自分にしか出来ないことがあるというのなら――誰か『答え』を教えて欲しい。
※
生徒達が次々に帰宅の路に着く放課後。
カサンドラと三つ子は構内の中庭に集まって話をしていた。
本当は一緒に下校するために行動していたのだが、玄関ホール近くの中庭を通る時にリタに誘われたのだ。
少しお話して下さい! と彼女に押される形ではあったが、彼女達と話をすることを拒否する理由もない。
この中庭でつい最近、ラルフが隣のクラスの子をこっ
何脚か並べて置いてある二人掛けのベンチに四人で並んで座ることにした。
近くに葉の生い茂る樹々が植えられ日光を遮ってくれている。
また、東西に校舎壁がない吹き抜けなので風通しの良い場所だ。
しかし廊下側からよく見える場所なので、三つ子と会話をしているところは誰かに見られてもおかしくない。
見られたところでクラスメイト同士の集まりに突っかかってくる手合いもいないだろうが。
人の目を逐一気にするのはカサンドラの悪い癖だ。
「皆様、試験お疲れさまでした。
順位表を拝見いたしましたが、とても素晴らしい結果だったようですね」
カサンドラがそう声を掛ける。するとリタは立ち上がり、両手を握りしめ興奮気味に上から見下ろしてその手を上下させるではないか。
今にも組み敷かれそうな勢いを感じる彼女の行動だったが、
「じゃあ約束通り、夏休み、一緒に遊んでください!」
と、光宿す青い瞳を輝かせる。
「ええ、勿論です。夏休みもご一緒していただけるなどわたくしも嬉しい限りです。
……ところでリタさんはどこか行きたい場所が――」
「あのですね! 美味しいクレープ屋さん、見つけたんです!
一度でいいからカサンドラ様と女子学生らしく食べ歩きっていうのを体験したくて……!」
この学園に通う良家のお嬢様が、帰宅がてらに買い食いなどありえない。
そして当然露店で扱うような軽食を道端で頬張ることもない。
「ちょっとリタ、カサンドラ様にそんなことさせるつもりなの!?
いくらなんでも失礼すぎない?」
当然姉の厳しいチェック、そして待ったがかかる。
お嬢様なら――確かに外で買い食いだとか、女の子が当たり前のように出来る気安い行動も手を出し辛い。
彼女達特待生がこの学園の在り方に驚いて中々馴染めないのと同じことで、カサンドラの方から彼女達の世界、様式に合わせるというのは中々勇気のいることである。
本来なら、だが。
「まぁ、嬉しい。わたくしも一度挑戦してみたかったのです。
流石にこの制服でというわけにはまいりませんが、是非ご一緒していただけますか?」
カサンドラは貴族の一人娘である。
王家に嫁ぐことが許される家格の令嬢。実物は大したことのない小市民メンタルの自覚はあるが、一応お嬢さんだ。
だが前世においてはごくごく普通の一般庶民に過ぎなかった。既に色あせて殆ど思い出せない己のキャンパスライフのことを必死で穿り返す。
普通の女学生達は街でジュースを買ったりアイスを買ったり……!
公園などで気が済むまで延々と他愛ないお喋りを繰り返す。
それでは足りず、家に帰っても電話を占領して怒られるまで話し込む。
ああ、微かに……
フッと陽炎のように消えゆく、過去の風景。
失ってしまった、そして今も徐々に色あせて消えつつある前世の記憶。
今は――
毎日馬車で送り迎え。
そして学生服で買い食いなどしようものなら後ろ指をさされるかアレクに叱責されかねない、それがカサンドラとして生きる自分の姿なのだ。
”普通の女の子”として他人を気にする事無く街を歩けるのならそれはとても素敵なことだろう。
王子とデートだという話以前に、カサンドラは今まで普通のお友達と街で楽しく遊ぶなんて経験もしたことがなかったのだ。
何かあればお茶会だパーティだ避暑地で集まりましょうだの、ハイソ過ぎる人生を送ってきた。
リタを見ていると、そういえば自分は十五歳の女の子で、普通の女子校生なんだと思い知らされる。
たまにはそんな機会があっても良いと思う。
「やったぁ! 試験頑張った甲斐がありました……!」
「申し訳ないです、無理なら無理って言ってください!
屋内じゃなくて本当に良いんですか、カサンドラ様!?」
快諾するカサンドラに驚き、リゼは「ええ!?」と瞳を丸くした。
以前リゼに進言された通り、最初は屋内施設のどこかにしてもらおうと考えていた。
だがハードな運動をするわけでもない、単なる食べ歩きなら問題ない……と、思う。
リゼの頭痛を想起させるポーズを一日に一回は必ず見ている気がする。
元気で破天荒な妹に呆れかえる様子は最初の印象から全く変わるものではない。
「カサンドラ様……大変身の程知らずなお願いとは分かっているのですが、宜しいですか?」
二人のやりとりを全く意に介さず、いつものこととにこやかにスルーする三つ子の末っ子リナ。
順位が思ったよりも良かったことでようやく人心地ついたのか、試験終了後の彫像と化していた燃え尽きていた彼女の片鱗はない。
優しそうなふんわりとした笑顔で、隣に座っているリナがもじもじと恥ずかしそうに声を掛けてきた。
「リナさんのご希望は何でしょう?」
「私、その……
カサンドラ様と合奏がしてみたくて!
一度カサンドラ様のご自宅でピアノを貸していただいた時も感動しましたが、是非一緒に……カサンドラ様と連弾が出来たら嬉しいなって思ってました」
「……。連弾……」
ピアノの連弾……。
あまりピアノは上手くない、身近に超絶技巧派がいれば猶更自分で弾いていて「これじゃない」という落胆に襲われてしまうのだ。
「やっぱり、ピアノをまたお借りするのは無理……ですよね……」
しゅん、と視線を落とすリナ。
「いいえ、リナさんをお招きするのは全く問題のない嬉しいことです。
ピアノの連弾ではなくてフルートでリナさんの音楽に合わせてみたいのですが、それでは納得いただけませんか?」
入学前、教会のパイプオルガンで細々と練習していたというが、彼女は相当上手に弾ける。実際に聴いて想像以上だと唸った。
幼少時に専門の講師にさんざんレッスンを受けたカサンドラよりも現状、上手だと思うのだ。
彼女をがっかりさせるわけにもいかない。
試験と言う難関を、及第点以上の状態で華麗に乗り越えたリナを労いたいという気持ちは強い。
何も対策をせずに彼女の思うままの選択講義で一学期が進んでいたら、赤点で補習だった可能性が大変高い。
なのでこればかりはカサンドラのアドバイスに従って、そして真面目に取り組んだリナの努力の結果だ。
それは内心で大いに讃えている。
「良いのですか……?
嬉しいです、ありがとうございます……!」
リナもリタも、一緒に遊ぶという名目で何を要求してくるのかとドキドキしていたところもある。
だが思ったよりもずっと健全で素直なお誘いについ表情も綻んでしまう。
「……リゼさんは、もう行き先に宛てはありますか?」
「……。
私、は……」
何故かリゼはカサンドラの右側に躊躇いがちに腰を下ろす。
そして言いづらそうに、えー、あー、など意味をなさない発語を重ねた。
常にさっぱりはっきりした物言いのリゼには珍しい。
彼女はしばらく瞑目し、色々な葛藤を飲み込むような難しい表情をしていた。
だが腹をくくったのか、再度決然とベンチから降りカサンドラに向き直る。
そして深く頭を下げて「お願いします」と声を出す。
彼女の鬼気迫る雰囲気の意味が分からず、「?」とカサンドラも戸惑うばかりだ。
とりあえず頭を上げて欲しい。
こんな場面を誰かに見られたら何か要らない誤解を招きそうだ。
クラスメイトの特待生に頭を深々と下げさせているシーンなど微笑ましくもなんともない、醜聞一歩手前ではないか。
「私に……似合う服を一緒に選んでください……」
彼女はゆっくりと顔を上げつつ、気力を振り絞った後に出すような声で。
とても花の十五歳とは思えぬしかめっ面。そして渋面に合わないはずの真っ赤な顔色で、そう申し出てきたのだ。
予想だにしていない彼女のお願いに、カサンドラも笑顔のまま内心で困惑。
「お洋服……ですか……?」
「服を新調したいんですけど、私、今まで自分で服を選んだことがなくて」
「そうそう、リゼのクローゼットやばいよね。
外出着と普段着の区別がないクローゼット、私リゼ以外に知らないんだけど」
貶すというよりは”信じられない”という気持ちを前面に押し出すのはリタだ。
うんうん、と腕組みをして頷くリタを殺気を込めた視線で睨むリゼ。
「恥をしのんでお願いします。
休みの度に同じ服なのは流石にどうかと思い、改善したいと思っていたのですが――中々足が向かなくて」
彼女の頬の端が赤いのは、服を選んでくれと言うこと自体を恥じているのではない。
以前休日にジェイクと広場で遭遇したという話を聞いたが、今後もしも外で会ったり――休日に一緒に出掛けるなんてことになった場合。
着ていく外出着がないのは女子として緊急事態ではないだろうか。
リゼが言うには、リタに選んでもらうとどうしても素直に似合っていると思えない。
リナは顔が同じだからと少女趣味の可愛らしい服ばかりをプレゼンしてくる。
さりとて他に一緒に服を買いに行けるような友達らしい友達は自分にはいない、と。
そこでカサンドラにお願いして、少しでもマシに見えるものを見繕ってもらおうという算段らしかった。
「そのようなことでお悩みでしたら、いつでも付き添いましたのに」
「流石に、この年になって服屋に付き添いをお願いするとか恥ずかしくて……!
服飾関係に興味ないので、流行はおろか着方さえ分からない服も沢山あります」
女の子が皆服好きというわけでもないから、リゼが恥ずかしがることはない。
だがそうやって休日に着る服を是非選びたい、興味がある――というきっかけを想像してしまう。
確かにリゼは服の種類が極端に少ない。
土曜日に別邸に招いた時も、大体同じ服装だったのを良く覚えている。
何なら着ていく服の洗濯が間に合わなかったから制服で行こうとしたところをリタに見咎められ、無理矢理服を押し付けられたこともあったそうだ。
マイペースにも程がある。
「わたくしとてセンスに優れてるわけではありません。
それでも宜しいのですか?」
他人の服を見立てたことなど一度もない。
そもそも自分のことさえよく分からず、シンシアという救世主がいなければ今週末の舞踏会は大変なことになっていただろう。
美的センスを求められても困るけれど。
「お願いします! 自分で選ぶとか、一日中悩んでも決められそうになくて」
彼女は両肩を震わせた。
リゼに似合いそうな服を選ぶというのは楽しそうだと思った。
デート用の服を選ぶなんて、カサンドラも適当なものを薦めるわけにはいかない。
「ええ、一緒に選びに行きましょう」
三人の希望を聞き、いつ頃会えるかなどの話に入ろうとした――その時のことだった。
ほんわかとした日常の風景が、一気に色を変える。
「――カサンドラ嬢?」
少し離れた場所から声をかけられた。
ついーーっと、そちらの方に視線を向ける。
玄関ホールに向かう廊下の窓は開け放たれていて、廊下側からこの中庭の景色を遮る障害物は何もない。
誰かに見られても問題はないと思っていた。
それに放課後随分時間が経ってしまった、もう構内には自分達以外いないだろうと気が緩んでいたこともある。
完全に不意打ちだった。
「なんだ? お、三つ子も一緒か」
声を掛けて軽く手を横に振る王子にドギマギしていると、王子の後ろからひょいっと姿を現したのはジェイクだ。
その上、ジェイクはこちらの姿を見かけるや否や、ごく自然な足取りで廊下から中庭に降りてくるではないか。
一切躊躇せず歩み寄ってくるジェイクに釣られたわけではあるまいが、ラルフも物珍しそうな表情で後を追う。
「やぁ、試験お疲れ様。
こんなに暑いのに――女性陣は元気だね」
何故!
普通にスルーして四人揃って寮に戻ればいいではないか。
何でもない顔をしてこっちに向かってくるのはどういう料簡なのだ?
カサンドラも一瞬意味が分からず笑顔の裏で背中に汗を張り付ける。
「既に下校の鐘は鳴っただろう、すぐに帰宅するべきだ。
生徒会の一員が一般生徒を構内に留めているなど……」
シリウスはそんな二人の友人を業を煮やした表情で見ているが、その眼鏡の奥の瞳がチラチラっと三つ子を気にして視界に入れているのが分かってしまう。
三つ子と言うより、リゼか。
「そう固いことを言わなくてもいいじゃないか」
ふふ、と王子は楽しそうに微笑む。
ええと……
全く無警戒にアーサーも中庭に降りてくる。
この場所は普段王子と放課後に会っている中庭とは違う、人の往来の多い目立つ場所。
こんなところに目立つメンバーが押し寄せて来ては、中庭の煌めき光量が容量オーバーです。
「全く、酔狂な」
シリウスは苦々しい表情で眼鏡の位置を指先で調整する。
「じゃあシリウス、お前先に帰ってろよ。
俺は用もないし少し
ジェイクが何でもないことのようにしれっというものだから。
シリウスが”ギリィ”、と歯を軋ませた音が聞こえた気がした。
同級生として普通に三つ子と話が出来るジェイク、そして女生徒と話をすることになんの抵抗もないラルフと比べてシリウスには敷居が高い話だ。
このまま諦めて帰るのだろうかと、カサンドラもリナの様子を確認しつつハラハラと交互に見やる。
シリウスだけいないなんて――彼女は間違いなくガッカリしてしまうだろう。
「…………。
アーサーがここで休んでから帰るというのなら、付き合おう」
まさか冗談でもなくシリウスまでこの輪に加わると!?
……本当に良いの?
「うんうん、じゃあここで休憩して帰ろうか。
――と言うわけで、カサンドラ嬢。歓談中申し訳ないのだけど、私達も少しお邪魔してもいいかな?」
王子の笑顔が、眩しい。
こんなの断れるわけがないではないか。
王子と一緒にいる時間が増えるなら、気を遣う空間でもドンと来いと思ってしまうカサンドラだった。
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