第101話 プレゼント


 今日はジェイクの誕生日――ということで、学園内はもっと騒がしくなるのではないかと思っていた。

 だが贈り物自体を別室に置いてくれと言う指示のおかげで、全く混乱が無かったのことにカサンドラは感心した。


 「鬱陶しいだろうから」という理由で空き部屋を開放し、そこにジェイクへの贈り物を置いてもらう。

 そんな手配をしたのはシリウスで、しかもわざわざ担当の使用人まで連れ込んで管理させているという徹底ぶり。

 自分の時にも必ずそうする、というシリウスの強い意思を感じる。

 ――既成事実を作りたかったのだと思われたが、ジェイクは感謝していた。


 カサンドラ自身は彼に何も贈るつもりもないが、レンドールにいる父がロンバルドの本家に何かを贈っているものと推測される。

 そのあたりは各家の社交辞令と言うか、誼だったり恭順の姿勢を確認する意味で贈る貢物のようなものだ。

 好悪の感情に関わらない、社交的な儀礼。

 特に嫡男やら総領姫ともなれば、代替わりしても付き合いが続いていく相手である。

 出来るだけ自分のことを良く思って取り立ててもらおうと張り切る微妙な立場のお家も多いことだろうし。


 そんな中、早朝から教室の入り口が騒がしくなりかけた時にシリウスの鶴の一声で一階の空き部屋に贈り物がうずたかく積まれるということに。

 彼の手際の良さに後方の席で思わずカサンドラも小さい拍手を贈った。


 だがこのシリウスの機転によって困る人間も出てくることも分かっていた。

 ――ジェイクに正面からプレゼントを贈れないとするならば、一体どうやってリゼは渡すのだろう?


 ハラハラと気が気ではないが、成り行きを見守る他ない。

 衆目の中「おめでとう」と渡せるほど親しくないような気がするが…。


 ホームルーム前に何らかの接触があったのはチラっと見えたが、まさかそれが贈り物を渡した瞬間だなんてカサンドラでさえ思い至らなかった。

 日常の一幕に落とし込んで渡せるものを選んだ彼女もまた、機転が利く少女なのだろう。




 ※



 昨日ジェイクに捕まってしまって、結局返却出来ないまま鞄に仕舞いっぱなしだった本がある。

 昼休憩にようやく返すことが出来てホッとした。

 返却期日を守ることが出来て良かった、結構厚みのある史書だったので読み切れないままなのが心残りだ。

 夏休みが終わったら再度借りに来くることにしよう。

 その時には黄色い押し花の栞を挟むのだ、とカサンドラは清々しい気持ちで館内をぐるりと眺める。


 インクの匂い、紙の匂い。

 それらが交じり合った、本棚から発する特有の香りに入室当初はむせ返りそうになるのはいつものこと。だが次第に鼻も慣れてくる。

 少しだけ歴史書周りの背表紙を見て回ろうかと思った。


 ……教団に関わらないカサンドラには詳細が不明とは言え、やはりここに来ると『悪魔』とは何ぞやという根本的な疑問に立ち返らざるを得ない。

 クラスメイト達と一緒に机に向かったり、家でアレクと食事をしている時は――前世の記憶は実は夢か幻か、カサンドラの妄想なのではないかと疑ってしまう瞬間がある。


 勿論生々しいもう一つの生涯の記憶を完全に忘れることなどできない。

 でもこの体と心はこの世界を生きる『カサンドラ』のもの。それが融合し交じり合ったのが自分。

 ただ、この世界を俯瞰できるプレイヤーとしての記憶を持つ自分の存在が徐々に薄らいでいくような……心と記憶が乖離していくような。


 ――この世界がただの”学園もの乙女ゲーム”だったら?


 その世界の運命に身を任せるという選択肢もあったかも知れない。

 今となっては自分が断罪されて追放されることで世界が救われ、皆がハッピーエンドを迎えることが出来るなら、一つの生き方として受け入れることも考えられたかもしれない。


 でもそんな選択など出来ない。


 この世界で王子に会ってしまった。

 あの人が倒されるのは嫌だし、彼が友人たちを傷つける姿は見たくないし。

 ……幸せになって欲しいなと思ってしまったから。



 ドンッ



 指差しながら書棚をゆっくり眺めていると、つい確認不足で誰かの肩にぶつかってしまった。

 殆ど人気の少ない歴史の書架にまさか他の生徒がいるとは。

 いつの間にそこに立っていたのか、気配を感じなかった。


「も、もうしわけございません」


 反射的に頭を下げ、謝る。


「カサンドラか」


 肩にぶつかってしまった人物は、カサンドラも良く知っている相手であった。

 黒檀の瞳、烏の濡れ羽色のような真っ黒な短い髪。

 そして眼鏡をかける美男子な生徒と言えばカサンドラも一人しか知らない。


 カサンドラがぶつかった箇所を眉根を顰めながら掌で払う男子生徒はシリウスだ。

 げっ、と内心で嫌な声を出すが表情は努めて穏やかであるよう頑張った。


「ああ、ちょうど明日のことで確認があった。

 ここで話す内容でもない。相応しい場所に変えよう」


 不注意を嫌味で詰られるのかと思ったが、彼は特にそんな様子もなく淡々と小声で語り掛ける。


「……確認……ですか」


 この流れはまた生徒会室に連行される未来しか見えない。

 ただ本を返却に来ただけだというのに、まさかここでシリウスに捕まってしまうとは予想外だ。


 内心己の不運を嘆いたが、彼の話をよく聞いてみると――


 先月の聖アンナ生誕祭において王宮魔道士が広間を”冷やす”ことを失敗し、シリウス本人が魔法を使って対処しなければならない事態に追い込まれた件のことだと分かった。


 シリウスの指揮の元、内々で調査が続いていた。

 一連の反王政派に属する魔道士を捕縛することでようやく解決したらしい。

 そこに至るまでの面倒な手続きや根回し等の詳細までは分からないが、大捕り物だったとか。


 今年の生誕祭は何事も不備がなく終わったと対外的に既に示されているイベントである。

 王宮魔道士側の不手際を生徒会の資料としてどこまで記すかの問題もあったが、結局秘匿レベルの高い資料として内々に残しておくことになったそうだ。


 その資料作りを任されるのはやっぱりカサンドラらしい。

 最高機密と言うか、普通の生徒会役員では紐解けない資料の一環として保管する。



   ……裏帳簿かな?



 悪事の片棒を担ぐというならご免だが、これは学園側と王宮魔道士側との水面下の折衝で決まったことだ。

 不祥事が明るみに出ないようにことを終わらせるのだが、事実としてこんなことがあった――という証拠や記録がないのも不味い。


「明日が今学期最後の役員会、議題は多岐に渡る。

 学期末試験の後は集まる機会もない、今のうちに確認しておいた方が後日認識に齟齬が無くて済むだろう」


「さようですか」


 公的な書類を作って保管するのはいいとして、誰かに紐解かれることのないことを祈る報告書を詳細に仕上げなければならないというのも気が重たい話だ。

 仕方ない。

 個人的に多忙なシリウスやラルフ達よりカサンドラが適任なのは分かっているので受け入れざるを得ない。

 それが学園側の意向なのだろう。


 往き慣れた生徒会室に向かう回廊を渡り、階段を降りる。

 シリウスと並んで話をして歩くというのもかなり珍妙な光景に見えるかもしれない。


 話している内容は反王政派の蜥蜴の尻尾斬りが云々という全く気分の良くない暗い話題に終始していた。

 第三者の目から、”楽しく談笑している”なんて見られていなければいいのだが……



 生徒会室に昼休憩の時間訪れることはあまり良い思い出がない。

 早くシリウスに必要事項を確認してさっさと引き上げたい……と考えているカサンドラ。


 部屋の中に入ると、何故か生徒会室で割り当てられた自分の机に座っている男子生徒が一人。

 しかも体勢から考えるに勉強しているとしか思えない。


「……ごきげんよう、ジェイク様」


 物珍し気な表情でジェイクを見るのはカサンドラ一人ではない。

 ここまでの同行者たるシリウスも、眼鏡の奥の瞳をスッと細めてジェイクを凝視している。

 もしかしてジェイクが生徒会室で勉強をしていることに若干動揺してないかこの人。

 自分の友人を何だと思ってるんだ。


「なかなか殊勝な心掛けだな、ジェイク」


「赤点とるなって言ったのお前だろうが!」


 そう文句を言いながら、彼は手許のノートを一枚一枚丁寧に捲る。

 彼の勉強の進捗状態などカサンドラには関係のない事だが、先日あれだけウダウダ言っていた彼が今日になって真面目に勉強を進めていることに驚いたのは事実だ。


 完全に開き直って一夜漬けだという雰囲気を感じたが……


「……?

 何をご覧になっているのです?」


 彼の後ろを通って移動するとき、彼が真剣に眺めているものに少々興味を覚えた。

 というのも、一見しても一面見やすく書かれたノートの筆致が女の子のものだったからだ。


 読みやすい字ではあるが、ジェイクの筆致とは全く違う文字列を見入る彼に違和感を持ったという方が正しいだろうか。


「ああ、これか?」


 読んでいるノート以外の数冊を同じ机に重ねていたジェイクは、それらを順繰りに指差して――

 今まで見た事もないくらいキラキラした瞳でこちらを振り返ったのである。

 昨日までの不機嫌フェイスはどこに消えたのかな? とカサンドラが恐怖を感じるくらい輝いている瞳に言葉を喪う。


「誕生日プレゼント? にもらった。

 中身が凄すぎて驚いてるとこだ」


「……面倒だから贈り物を直接受け取るなとあれほど……

 ……ん?

 これは」


 呆れ顔のシリウスの視線がそのノートの紙面を捉える。

 彼もまた、それがジェイクが書いたものではないことなど一瞥しただけで容易に気づいただろう。


 そして急に口を噤み、ノートを捲るジェイクに「少し見せてくれ」と鬼気迫る剣幕で詰め寄る。


「少しだけだぞ、貸さないからな」


 茶化すように笑うジェイクなど見もせず、真剣な面持ちでパラパラとノートを捲る。

 捲る紙面が近くで確認できる位置関係だったので、何とはなしに目で追ってしまったのだけれど。


 驚くほど精巧な問題解説を書き連ねたその紙面に、一瞬意味が分からなかった。

 びっしりと小難しい単語が書き込んであるのではなく、見やすいレイアウトに冗長にならない適度に砕けた補足も入る。


 味気ない教室での授業がこのノートの中で大切な要点だけが抜き取られ、過去問の例題解説付きでリライトされている……?

 この冊子、カサンドラだって欲しいのですが。


「……内容全てを完全に理解していなければ書けないだろう、こんなもの。

 ジェイク、お前……

 他人にここまで労力をかけさせて恥ずかしくないのか!?」


 シリウスの愕然とした後の怒り爆発顔の変遷が一瞬過ぎる。

 瞬間湯沸かし器もかくやという血の昇りっぷりにカサンドラは一歩壁際に下がった。


「いや、だからもらったんだって」


「そんな都合の良い話が転がっているなど信じられるか。

 無理矢理書かせたのではないか、と訊いている」


 無理矢理やらせようとしても、こんな冊子を個人できっちり書ききれるだけの生徒がこの学園にどれほどいるというのだ。


「……。ん?」


 シリウスはまだ三冊手付かずで積み上がっているノートの上に、一枚のメッセージカードが載っていることに気づいた。



『お誕生日おめでとうございます。


 先日はカフェで飲食代を負担して下さってありがとうございました。

 お礼を考えても思いつかなかったのですが、試験勉強が中々進まないとお聞きしたのでこちらをプレゼントします。

 良かったら勉強のお供に使ってください。



                       ――リゼ・フォスター』




 ……リゼ?


 誕生日……プレゼント……?


  


 ……ええ……!?



 カサンドラも口を押えて目を丸くしてしまう。

 これ、誕生日に贈るためにわざわざ作ってあげたの!?



 何なのあの子、天使か聖女……いや、実際に聖女なんだけども……ええ!?

 プチ混乱を起こし、ジェイクの顔を呆然と眺めた。




「………カフェ……?」


 彼はノートの冊子をジェイクの眼前に置き、呟く。

 一体全体どういうことだと彼の表情はどんどん険しさを増す一方だ。


「ああ、この間アーサー達と街に出た時にな。

 たまたま入った店にリゼともう一人クラスメイト……ほら、ガルドの娘がいてさ。相席になっただけだけど」


 些細な事のような口ぶり、実際にジェイクにとってはその程度のことで。

 だけどカサンドラも『うわぁ』と何とも言えない居たたまれない気持ちでいっぱいになる。


 今のところ全くイベント関係では接することはないけれど、シリウスにとって気になる相手は未だにリゼであることには違いない。

 好みのタイプなんて一朝一夕でコロッと変わるものでもなく、かといって自分から距離を詰めようにもリゼはハッキリした性格だ。

 ジェイク以外全く無関心という態度を貫き通している。


 仄かな親しみを込めた接触機会さえ全力でスルリと避け、シリウスとまともに会話をしたこともないだろう。

 小刻みに肩を震わせ、その漆黒の双眸を見開いている彼の行き場のない感情を想像すると……!


 色々事情を知って、なおかつリゼ当人の想いを全力投球で応援している身としては大変気まずい空気である。

 心が……心が痛い……!



「シリウス様、如何なる理由であれジェイク様がこのように試験に向けて努力をされているのは素晴らしい事だと思います!

 リゼさんは気の利く面倒見の良い方、ジェイク様が悩んでいるのを知って何もせずにはいられなかったのでしょう」



 何故自分がシリウスの気持ちをフォローしなければならないのだ。

 世の中は理不尽なことでいっぱいだ。

 でも別に誰かが悪いことをしたわけではない、リゼは自分の想いをこういう実のある”実用性”という形で示したに過ぎない。

 彼女でなければきっと思いもつかないプレゼントだろう。


「しかし特待生に解説書めいた冊子を作らせたなど、外聞が良いわけがないだろう」


 シリウスも、別に直接的な言葉にして訴えているわけではない。

 ただその発言の根底に『羨ましい』という嫉妬の感情が混じっているだけだ。


 その気持ちはよーーくわかる!

 自分が気になってる娘が、自分の友人の誕生日にこんな大作をプレゼントなんて胸中穏やかじゃない! それは道理だ。




  でも、この三人はお互い様。




 こうして現在苛々しているシリウスだって、日ごろ何くれとなくリナと接する機会があって個人的に親しくなりかけているわけで。

 それをたまにラルフが複雑な顔で遠くから眺めていることだってある!


 ラルフだってリタ関係では結構ジェイクをイラっとさせているわけで……


 特にあのリタの上着返却の際はジェイクに知られている。

 上着を貸すとか一体どういう状況だよ、と。

 未だに思い出しては不機嫌そうにつぶやくこともある。


 お互い様の関係性なのだ、だからここは一つ穏便に!



「シリウス様にリゼさんの気遣いなど必要ですか?

 ここまで懇切丁寧に解説されずとも、シリウス様は最初から全て理解し把握しておられます。

 優秀な方に何かを教えるなんてリゼさんでも出来ない事です」



 動揺が少しはおさまったのか、シリウスは苦虫を噛みつぶしたような表情でジェイクに一言。



「…………。

 誰に何を贈ろうがそれは彼女の自由だ。

 だがここまで過剰な気遣いをされ、情けない結果など許されることではない。

 ――分かってるな?」


 はいはい、とジェイクは肩を竦める。


「なぁシリウス。お前にもこういうの作れるのか?

 ここまでやるのって大変だろうな」


 確かに解説さえあれば――しかもここまで例題まで網羅し過去問対策もばっちりならば、昨日彼自身がしていた分からない問題を誰かに聞くという方法より効率的だ。

 しかも自分の空いた時間に進めることが出来る、なんと素晴らしい。


 今の彼に一番必要で、求めているもの。

 中々自力で用意できるものではない、もはや執念だ。


 カサンドラは少々リゼを侮っていたのかもしれない。

 彼女の本気は、自分が思っているより相当極まったところにあるのかも。


「無論出来なくはない……が。

 書き上げなければ己の命の危機に瀕するなどの特殊な事情でもなければやろうとは思わんな。

 軽食の一食二食で割に合うものではないことは確かだ」



「……だよなー……

 流石にこれだけやってもらうのは悪いよなぁ」


「え、まさか……リゼさんに返すのですか?」


 もしも受け取れない、返却するなんてことになったらリゼがどれだけ落胆する事か。

 焦ってつい口走ってしまった。


 


「それは嫌だ。」




 彼はハッキリ断言する。

 どうするかなー、とジェイクはしばらく目の前の勉強以外の事に思考を割いているようだった。





 カサンドラに思われている王子が羨ましいだなんてどの口が言うんだろう。

 こんなに自分のことを考えて身を削って想ってくれる子、他にどこにいるというのだ。





 まだ恋愛イベントに進んでいないから仕方ないとはいえ――贅沢者め。



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