第95話 任務完了
自分の試みは大方上手くいったようだ。
ホール内で離れた位置からリゼとジェイクの様子を眺め、カサンドラは内心胸を撫でおろしていた。
いや、その表現は正しくない。ガッツポーズを決めたいくらい晴れ晴れとした気分だった。
話の内容は聞き取れないが、ジェイクもごく普通に話をしているようだしリゼも笑っている。
――恋する女の子って可愛いなぁ。
元々カサンドラは前世においても傍観者的立場であった。
プレイヤーとして育成やイベントを楽しんでいたが、自分は画面の向こうの攻略対象達と話をしているわけではない。
あくまでも自分の分身となる主人公達が進める物語を導いていくポジションである。
ある意味で、やってることが前世と変わってない。
勿論この世界のカサンドラは恋愛傍観者と言う立場ではなく、自らが実際に寄り添っていきたい相手がいるわけなのだが。
彼女達の恋愛はあくまでもカサンドラにとっての保険であり、願望であって。
王子との仲を進めることが主題なのだ。
こちらは結構ハードだと思う。
最初から婚約しているという恋愛の最終到達点に至っているということはイージーと言えなくもないが、そこに至ってしまっているがゆえの苦しい立場というものがある。
お互いを徐々に知っていき、じれじれと近づき距離を縮め、共に困難を乗り越えて結ばれたドラマチックな軌跡があればこそのエンディング――結婚、である。
そういう過程が一切なく、ただ婚約者だと放り投げられた立場で王子の心を攻略してラスボス化を未然に防がなくてはならない。
肝心の仲良くなる過程を歩もうとしても、相手は本心が読めない誰にでも優しく人当たりが良い紳士。
カサンドラに対してもこれ以上なく気を遣ってくれ、恥をかかせるようなことは絶対しない人だ。
正直そういう相手をどう『攻略』していくのか中々妙案など思いつかない。
精々、少しずつお互いを知っていく、興味を持ってもらうという一日一歩的な迂遠な計画に落ち着いてしまうのだ。
政略結婚から始まる恋愛があってもいい。
でも自分が当事者になろうだなんて思いもよらないことだ。
中々思うように上手くいかない。
セーブもロードもできない、間違った選択肢を選んだら王子がどうにかなってしまうのではないかと思うと……
でも慎重すぎるのも良くないのかなぁ、とか。
ジェイクやリゼの様子を見ていると、そんな風に想いが揺らいだりもする。
講義の終わりを告げる鐘の音とともに、カサンドラはやっとこの講義から解放された。
二時間の講義の後半はそれぞれの生徒達が指摘された箇所が直っているかどうか、皆の前で確認するという時間だったのだが…
これがもうカサンドラにとっては只管辛い時間であった。
カサンドラは舞踏会で実際に踊った経験が極めて少ない。
嗜みの一つとしてマスターしているものの実用の機会は乏しかった。
しばらく踊る機会がなく、失いかけたカンを取り戻そうと躍起になってダンスのレッスンを再開したくらいだ。
人前で踊る機会が直近にあればあんなに慌てて準備していない。
涼しい顔をしてステップを踏んでも、同年代の男子と実際に手と手を取って踊るなんて……そうそうない経験だった。
舞踏会で踊る相手も、どこそこの伯爵だのなんとか卿だの、既婚者のオジサンが多かったことを思い出す。
そんなカサンドラがいきなり衆目の前でラルフと踊れと言われ、一瞬眩暈に襲われた。
それで終わればまだマシだったのに、後半の課題克服の件で生徒らのパートナー役を女子はラルフ、男子はカサンドラに任されてしまったのだ。
とんでもなく人使いの荒い講師に若干の苛立ちを抱く。
今まで話をしたこともないような男子となんで一緒に踊らないといけないのか。
そしてラルフは何故平然とあらゆる女子達と平気な顔で優しく教えながら相手が出来るのだ?
カサンドラにはとても信じられない。
一応表面上はニコニコ微笑んで相手の男子に失礼のないよう相手をしているのだけど、もう二度と社交ダンスの講座に顔など出すかという気持ちでいっぱいである。
ちなみにジェイクは『俺はパス!』と意気揚々と手を挙げた、まぁリゼを相手にあれだけ上手にリードできるわけだから直す箇所も指摘は出来ない。
カサンドラだってダンスの相手をする男子が一人分減って有り難かったくらいだ。
結局終わりまで、舞踏会でもこんなに連続で踊らないだろうというくらい酷使された。
初っ端にラルフと気まずい状態で相手をさせられ、互いに笑顔で『げっ』と顔を見合わせる程不本意な状況に追いやられ。
その上他の男子達の最終確認パートナー役までさせられて。
――他人の恋愛仲人ってこんなに大変なことなのかと思い知る。
まぁ、とりあえず今日のカサンドラの『お仕事』はこれで終わりだ。
講師に礼を言われ、是非また参加してくれないかと打診を受けたがその予定はない。
生徒会役員だからと言って、ここまで扱き使われる理由にはならないだろう。
ラルフみたいに社交ダンスが趣味というわけでもないのだ、自分は。
※
カサンドラにとってはただただ疲れただけの社交ダンスの選択講義。
それでも顔色一つ変えず、表情を曇らせることもなく二時間この場に留まることが出来たのは……
「カサンドラ様、お疲れ様です!」
肩越しに振り返ると、鞄を持ってこちらに手を振り駆け寄るリゼの姿が。
リゼのためという言い方はしたくない。
結局カサンドラが勝手に思いついて勝手に段取りを組ませ、勝手に……二人が一緒に踊れるように仕向けたというだけだ。
――それはカサンドラの余計な世話かも知れない。
「今日はジェイク様とご一緒できて良かったですね、リゼさん」
彼女はピタッと立ち止まり、途端に顔を真っ赤にして頬を押さえる。
「え……! は、はい!
凄く嬉しかったです……!」
でもそうやって素直に喜んでくれる彼女の存在があってこそ、だ。
他人の恋愛に協力するなんて今まで考えたこともなかった。
この世界では自分にはそれが可能で、何より自分は彼女達が聖女云々関係なく報われて欲しいなと思うわけで。
皆が笑っていられる幸せな世界を見てみたい。
もう一度人生を送ることができるなら、そんな世界で生きていたい。
カサンドラは断罪され追放されるわ、大好きな王子が斃される結末にどんな望みを抱けというのか。
リゼはこれから外門前で妹達と合流して、そのまま寮に帰るのだろう。
多目的ホールから校舎を出るまでは距離もあるので少々時間がかかる。恐らく他の二人は先に着いて話をしているに違いない。
「本当に吃驚しました」
彼女の顔はまだ赤みがさしている。
そりゃあリゼの立場からするなら、今日の出来事は本来あり得ない偶然の積み重ねだ。
勿論カサンドラの作為があってこそ実現したので、首尾よくいったことに自画自賛してしまいたい。
だが決してこの行いは無傷で実現できたものではない。
ジェイクに対し少々上から目線で挑発することになったのはあまり良い事ではなかったと思うし。
ラルフと気まずい状態でいきなり一曲踊らされるというアクシデントも起こってしまったし。
何よりカサンドラも他の男子生徒の指導・確認で何度も良いように使われてしまったわけで……
ラルフのような対応を己にも望まれているのだろうと思ったので、遠慮したり拒否したりすることが難しかった。
他所様の令嬢達のお手本に、なんて名指しされてしまって手が抜けるわけもない。
事前に講師を招き、レッスンを受けていて良かった。アレクの素早い判断力にも感謝である。
「リゼさんもジェイク様と随分親しくなられたようで、わたくしも驚きました」
リゼに足を踏ませないようにちゃんと社交ダンスの体をなしたジェイクも中々器用な人だと思う。
ジェイクは頭の中まで筋肉が詰まっているんじゃないか。そう思っていた前世の自分がどこか懐かしく感じられる。
侯爵家の嫡男で、この国でも立派な貴族の令息がそんな考えなしの脳筋だなんて――冷静に考えたらありえないのに。
運動系のパラメータだけが必須というイメージのせいだ。
そんな条件なら脳筋では? という疑惑も抱こうものである。
どれだけ試験で赤点とろうが、気品の値が低かろうが好感度が下がることがないのだ。
いっそ潔い割り切り方である。求めているものが分かりやすすぎる。
「一体どのようなお話を?」
カサンドラはちょっと興味があって、この話を仕舞いたがっている彼女を突っつく。
クラスメイトという関係より、もう少し特別な関係性が生まれたのではないか?
もはや彼女達の恋愛事情に無関係ではない、このくらい聞いても罰は当たらないだろう。
すると彼女は少し口ごもったあと、先ほどのジェイクとのやりとりを聞かせてくれた。
恥ずかしいんですけど! と何度も台詞の前に前置きをつけるリゼの姿が微笑ましい。
「…………。」
だが話を聞いて行くと、どうにもこうにもピンとこないというか。
いや、体幹とか運動能力とか、剣の組手の約束がどうとか……
社交ダンスで身体も接触、更に追加で手を握るというシチュエーションでこの人達は一体何の会話をしているの……?
リゼ本人は完全に夢の世界にトリップしている様子で、のぼせ切っている状態。
まだ序盤という期間だから直接的に好きだのラブラブな雰囲気だのは出てこないと思う。
そもそも相性自体良くない組み合わせで何しろ好感度が上がりづらい。その制約の中、リゼは本当によく頑張っていると思う。
でもこんな可愛い女の子が!
手を握られて頬染めてるところに被せる台詞が、それなのか……
剣を扱う”仲間”に向ける言葉と何が違うって言うんだ。
やっぱりあの人、頭の中まで筋肉でできてるんじゃないかしら。
そんな想いがカサンドラの胸中に去来したが、でもリゼにとってはどんな話だって世界で一番楽しい話題なのだ。
一緒にいる相手がジェイクと言うだけで彼女は十分幸せで、その気持ちがこっちにまで伝わってくる。
攻略対象と恋愛関係になる上で一番大切なのは、彼らの求めるパラメータに育て上げ恋愛イベントを完璧にこなし最後の卒業パーティで選ばれることだと思っていた。
でもリゼの様子を見ていると、ちょっと違う。それも大事なことだけど……
どれだけ相手を好きか――だな。
これって重要なファクターだと思う。
乙女ゲームをプレイしていたら、このゲームに限らず好みじゃなかったり気が乗らない相手に対しては結構作業感や義務感で攻略する場合もあるわけで……
もしもそんな状態になったら攻略どころの状態ではなくなってしまう。
本人にその意思がなくなってしまえば、カサンドラが出来ることなどこの世界では何もない。
好きだって想いがないと、本人のやる気も出ないし何も始まらないのだ。
舞台がいざ現実になったとき、一番重要な”原動力”。
リゼが攻略できるようお膳立てをするのも大切だけど。
ジェイクがリゼを幻滅させることのないよう祈るべきなのか?
今のところは心配なさそうだという事実は、唯一の救いだと思う。
完全にリゼはジェイクの事しか見ていない。
「今日の幸運って、全部カサンドラ様のお陰ですか?」
一連の偶然が偶然ではなかったことを敢えてリゼに言うつもりはなかった。
「まぁ、一体何のことかしら」
恩に着せるつもりもない、ただ自分が勝手にやったことだ。
自己満足以外の何物でもないし、今後同じようなことを期待されてもちょっと荷が重いという逃げの姿勢でもあった。
今回はたまたま都合よくことが運んだけれど、同じようなシチュエーションをと望まれても困難である。
だから殊更自分のお陰だなんて伝える予定ではなかった。
「……。」
彼女はこちらの意図を悟ったのか、「そういうことにしておきます」と大仰に溜息を落とす。
そんなリゼの横顔は幸せそうに緩んでいた。
廊下を歩き、階段を降り。
「もうお二人とも揃ってリゼさんをお待ちになっているかも知れませんね」
座学の講義室はまだ玄関に近い。
しかも自分達と違い後片付けや講師、音楽隊への挨拶の時間もとられないので、十分くらい待たされているのではないだろうか。
「今日は待ってるのはリナだけで……
リタは先に寮に帰ってると思いますよ。
――あの子を一人で待たせるのも心配ですし、急がないとですね」
ハッと思い出したようにリゼは顔を上げてこちらを見やる。
今までの幸福ムードが一瞬で素に戻り、気恥ずかしそうに今日のことを思い出していただろう彼女はどこかへ消え去ってしまった。
普段色恋沙汰に興味はありませんという雰囲気の彼女が、ジェイクの前では完全に恋する乙女状態なのを身近で見れるのはカサンドラの特権。
だがどうやらそのボーナスタイムは終了してしまったようだ。
「リタさん、ご用事ですか?
もしかして具合が宜しくないのでは?」
普段元気印で健康面で何の心配もなさそうなリタ。
だがそんな彼女だからこそ、知らない内に大病を患っていたなんてことも……!
そこまでいかないにしてもリタだってオーバーワークをすれば風邪をひいて授業を休まざるを得ないこともある。
元の体力が高いから多少無理が出来るだけで、限界をこえれば倒れてしまうのは三人ともに共通している大原則だ。
そこまで無理をさせるようなスケジュールにはなっていないはず。
特に日曜日は殆どカサンドラもノータッチで、出来れば半日は休養をとるようにと伝えてあるから簡単に病気になるとは思えないのだけど。
リタが一人で寮に帰るなんて宣言をするのは珍しいような気がして、不安に駆られた。
「いえ、そういうわけじゃないんです。
……隣のクラスの子がこの三日間休んでて。今日、様子を見に行くって騒いでました」
「お見舞いだったのですか」
リタ自身に関わることではなくてホッとしたが、何故かリゼの表情は暗い。
「私は放っておいた方が良いと思うんです…けど」
「……? まさか……伝染するような病気なのですか?」
お見舞いにいかない方が良い病気って何!?
「いえ、その……」
何となく言葉を濁しているが、リタが関わっているなら一応状況は把握しておきたい。
言葉にするのではなかったなと悔やむリゼに頼みこむ形で、詳細を聞き出してしまった。
「その子が休んでる理由が――ラルフ様に告白を断られて落ち込んでるせいだって。
お昼に噂で流れてきたのを聞いてしまって」
はぁぁ、と額を押さえるリゼ。
昼食時に流れる噂話なんて、それはもう公然の共有事項というものだ。しかもそんな噂は下座テーブル界隈の肴状態に相違ない。
「特待生同士だしラルフ様ファンの同志だしって、仲間意識持ってるみたいですけど。
向こうからしたら余計な世話ですよね。
私なら誰の顔も見たくないです」
困った妹だ、と。リゼは渋い顔。
そして絶句して口元を覆うカサンドラ。
……あの日の放課後、ラルフに告白して玉砕してた子か!
あれだけ取り付く島のないくらいの断られようはショックだったかも知れないけれど、あれからずっと休んでいるなんて思わなかった。
可哀そうに。
余計な世話だというリゼの言い分も分かる。
落ち込んでいる友人を励ましたいというリタの気持ちも分かる。
カサンドラは曖昧な微笑みで濁す他なかった。
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