第88話 弁償品
翌日、カサンドラは昼食後リタと一緒に講義室に向かっていた。
たまたま午後の選択講義がリタに指示したものと重なっていたためである。
特に意識して合わせてわけではないけれど、そういえばリタも今日は歴史の講義を採っていたはずと彼女に声を掛けた。
「わぁ、カサンドラ様と一緒で嬉しいです!」
彼女は声を上げ、飛び跳ねんばかりに喜んでくれた。
弾ける満面の笑顔の明るさに癒される。
お嬢様という存在は皆「ごきげんよう」だの友人との会話さえ丁寧語だの、そして些細な事で表情が変わらないよう常に仮面を張り付けて生きているようなものである。
仮面もそれを被り続ければあたかも生来からの持ち物だと錯覚しそうになるけれど、元気印のころころ表情が変わるリタを見ていると「女の子ってこうだよね」と安心できる。
世間様一般の普通さこそが、ここでは貴重なものなのだ。
「勉強は嫌いじゃないんですけど、講義を聞いていると眠たくなっちゃうんですよねぇ」
リタはそう言って軽く肩を落とす。
コツコツと選択講義で座学を選択してきた成果が出、知力のパラメータはそこそこ上昇しているはず。
このペースで行けば、学期末試験もかなり良い結果になるのではないだろうか。
「カサンドラ様のおかげで、マナー関係の講座も楽しめるようになりました。
今は絶好調です!」
「それは良かったです、全てリタさんご本人の努力あってのことですから。
自信を持ってくださいね」
いくら環境を整えようが、完璧な予定表を作成しようが。
実際に学び努力をするのは本人にしか出来ないことだ。こればかりは替わってあげることが出来ないわけで、苦手なことでも逃げずに続けている結果が出ている。
「あと一月で待望の夏休みですし!
今から何しようかってワクワクが止まりません…!」
まだ一月もあるのに気が早いことだ。
キラキラと目を輝かせるリタの姿を微笑ましく見つめるカサンドラ。
「ええ、夏休みはとても長いです。
皆様のスケジュールを試行錯誤して考えているところですもの。
――楽しみですね」
だがしかし、浮かれる彼女にしっかりと釘を刺すのは忘れない。
夏休みの行動次第で、パラメータはしっかりと上下するのだ。ここで重点的に足りない箇所をフォローしていくべきである。
「……夏……休みは……?」
「ええ、勿論授業はありません。
ですがリタさん達がしっかり学べる場所をご案内しますから安心なさってください」
「三食昼寝付きで一週間くらい部屋でゴロゴロするという野望が……!」
ガーン、と。彼女の頭上に大岩の幻影が落ちてきたのが見え、苦笑する。
「ふふ。
……ラルフ様との関係が成就したら、存分にお休みになって下さい」
三年目にもなれば大勢は決まっているものだ。
一年目はパラメータ上げ、二年目は好感度上げ、三年目は恋愛イベント。
大体この流れで間違いはないはずだ。
勿論一年目で攻略ルートに入るための好感度は必須なので、機会ごとにしっかり上げてもらわないと困るのだけど。
休日の街でバッタリ出会う偶発イベントや、日常生活を送っている最中に確率で遭遇するイベントなどでコツコツ稼いでいただきたい。
それぞれ攻略対象にしっかりとした理解、そして好意を向けている。
真摯に真面目に、彼女達らしい受け答えさえ行えるのであれば好感度が下がるということはないはずだ。
「いやぁ。はは……
そう上手くいくと良いんですけどねー」
実際問題、三つ子当人にとってみれば――頑張ってはいるけれど半信半疑状態なのは分かる。
でも全く見込みがないわけではないこと、カサンドラが後押ししているということで前向きに頑張れているわけだ。
勿論、彼女達の想いの矢印がとても強く猪突猛進気味だからこそ、だけど。
流石恋愛ゲームの主人公と思わざるを得ない。
好きな人に対する熱意と言うか一途さが凄い。
普通に生きていう中で、好きな人のためにここまで自分を磨こうと思えるって相当だと思う。
尤も、ゲームの中では自分が成長していくことでいつの間にか攻略対象との恋愛がうまくいっちゃった! と。
「私、そんなつもりじゃ…」と主人公も戸惑う偶然が重なった結果の成就であるはずだ。最初から平民の普通の子が彼らを落とす気満々で入学していたらそっちの方が怖い。
現在の三つ子はカサンドラのアドバイスというか攻略指南の影響で、まさに”好かれるために”努力を続けている。
嫌になってこんなことやってられないと投げ出さないのは、主人公とは成長するものである。そんな世界観ゆえだろう。
最初は普通の女の子が徐々に各種数値を上げていくのが醍醐味、ゲームの肝なわけだから。
当然彼女達もマゾ仕様恋愛に耐性があるのだと思われる。
カサンドラには到底たどり着けない極地だ。絶対心が折れそう。
「ラルフ様の周囲には女の子がいつもいっぱいですし。
声を掛けることもままならないなーって。
リゼって、そんな状態のジェイク様に軽くでも挨拶したり話しかけれるだけ
私には真似できない!
リタは苦悶し、己の顔を覆った。
姉妹間でも彼女達は全く異なる、外見のパーツだけはそっくりさんな三人である。
「リタさんも気兼ねなくラルフ様にお声がけをされれば良いですよ。
挨拶をされて嫌に思うような方ではありませんし」
シリウスの場合は知らないけど。
あの人は眼中にない相手から挨拶されただけでも鬱陶しいって感じてそう。
「――カサンドラ、少し良いだろうか」
呼び留められた声に最も動揺したのは、リタであった。
彼女は背後から聴こえたラルフの呼びかけに、空気が足りなくて喘ぐ魚のように口をパクパク開閉させる。
視線を遣らずとも、ラルフの声に誰何など必要ない。
「わたくしに、ですか?」
静かに歩みを止め、ラルフがスタスタと近づいてくるのを不思議そうに眺めてしまう。
長い廊下に響く足音はラルフのものだけ。
甘いマスクと綺麗な長い金髪。――その金の髪を首の高さでくくり、右の胸元に垂らす。
音楽を嗜む文化人として申し分ない麗しい容色、舞台が舞台なら吟遊詩人をやっていそうな人である。
「ああ、君に渡しておいて欲しいと頼まれたんだ。
直接渡した方が問題がないと思ってね」
彼は掌サイズの白い小箱を差し出す。
本当にそっけない、何の装飾もされておらずすぐに蓋を開けて確認できるようになっていた。
だからとっとと確認しろと言うことなのだろうと思い、カサンドラは受け取った箱の上蓋を躊躇いの後に開ける。
「えーと、あの……こんにちは、ラルフ様!
ご機嫌いかがですか?」
緊張のあまり、無理に笑みを張り付けたようなぎこちない表情だ。
リタは全く心の準備が出来ていない状況で想い人が現れ、目をぐるぐる回す勢いで混乱に陥っていた。
鞄を両手で提げたまま、何度も何度も頭を下げる。起き上がりこぼしか。
「お陰様で障りなく過ごしているよ。
君も元気そうだね、今日は彼女と同じ講義なのかな?」
「は、はい! 偶然ですけれど、嬉しいです!」
リタの背景に無数の小花が飛び交っていてもおかしくない、傍から見ても丸わかりな彼女の好意に微笑ましさを感じる余裕はなかった。
「これは……」
「カサンドラ様、一体何を頂いたんですか?
――ええ!? 凄い! 大きなイヤリング!」
小箱の中に一対の蒼い宝石が煌めいている。
リタが感嘆の声を上げたのも仕方ない、親指程の大きさの純然たる輝きを放つサファイアの装飾具に目が点になってしまう。
「え……?
どうしてラルフ様が、カサンドラ様に……?」
一瞬でその違和感に突き当たったリタは、手元を覗き込んでいた顔をカサンドラに直接向けた。
その顔は何かしらの誤解をはらみ、絶望に追いやられていることが一目瞭然の真っ青を通り越して真っ白だ。目からハイライトが消失していて怖い。
「違います、こちらはシリウス様からの弁償品だと思います」
「……?? シリウス様……?」
今度は何故シリウスが自分に贈るのかと疑義を持たれても厄介だ。
全く、誰もいない時に渡してくれればいいものを。
「ええ、先週の聖アンナ生誕祭でわたくしのイヤリングをシリウス様が破損してしまいましたの。
このように早くお返しいただけるとは思いませんでした、それもサイズが全く違うのですが……」
値段も数倍以上の差がありそう。
カサンドラの手持ちの装飾品だってそれなりの価値があるのに、だ。
「同じものを選ぼうにもよく分からないからと、シリウスにこの件を託されてね。
まぁ、僕なりに――アーサーの瞳に合わせたものを選んだつもりだけど。
お詫びとお礼を兼ねてだ、受け取って欲しい」
全くシリウスの奴、面倒なことを頼んでくれたものだ。――と、ラルフの副音声が同時に聴こえた気がした。
「……。」
しかもシリウスめ、イヤリングを渡した時のこっ恥ずかしいアーサーの目の色が何たらという会話まで絶妙にラルフに伝えているのか。
なんてデリカシーのない男なのだ。
そういうところはぼかして頂きたい!
「事情は分かりませんが、とっても素敵なイヤリングですね。
カサンドラ様に良く似合いそうです!」
「代行とは言え、選ぶのはそこそこ気を遣ったからね。
二度とこのような不幸な事故が起こらないことを祈るよ、それでは」
彼は言いたいだけ言って、くるりと踵を返す。
颯爽とした彼の動きはどこまでも目を惹く優美なものであるが、今ばかりはその「せいせいした」と言わんばかりの背中が苛立たしかった。
「カサンドラ様くらいの立場になると、こんな宝石のやりとりまでされるんですね~」
ほえー、とリタは淑女から程遠い声を出す。
小箱に蓋をし、そのまま鞄の奥に突っ込むカサンドラは、講義室まで先を急ぐことにした。
わざわざリタと一緒にいるところを狙って話しかけたのではあるまいな?
もしも代行とはいえカサンドラに装飾品を渡したなんてシーンが誰かに見つかったらひと悶着ありそうだし、かといって高価なものゆえに生徒会室に置き去りなのもどうかと思うし。
出来る限り無害な相手と同行している時に、さりげなく渡してくることで他生徒の噂に昇るのを阻止した。
確実に”渡した”という証人もゲットできるし。
カサンドラの屋敷に直接送るのも紛らわしいし、彼の選択は正しいのだろうけど。
ヴァイルの息のかかった商会からこんな大きなイヤリングが贈られてきたら何事かと思われるからカサンドラ的にも助かったと言えるが。
できれば生徒会室で会った時に渡して欲しかった……。
「シリウス様、自分で壊したなら自分で渡しにくればいいのにって思いました」
「あの方は装飾関係は本当に無関心な方ですから……
ラルフ様の審美眼を頼りにしているということです」
「そうですね! 流石ラルフ様です!
こんな、カサンドラ様にとっても似合いそうな素敵なものを選べるなんて……!」
羨ましい、という彼女の心の声が伝わってきて心苦しい。
何故よりによってリタと一緒にいるときに渡してくるのだ、あの男は。
リナに誤解されるのは死んでも御免だという気持ちだけは理解できるけど。
「でも今日、カサンドラ様のおかげで余分に一回、ラルフ様に会えました。
はー、なんであの人、毎日あんなに素敵なんでしょうね!?」
……いや、カサンドラは別に……と水を差すようなことを言う必要もないかと、ニコニコ微笑んでおくだけにとどめた。
彼女の目には、本当に理想の王子様としか映っていないのだ。
――この二人の仲は果たしてどんな風に進展していくのだろうなぁ。
節目節目のイベント時の様子はカサンドラも知っているが、日常の学園生活でこの二人が関わっている様子が全く想像できない。
ラルフルートの特性上、このまま卒業まで親しくないと装った距離感を保ちつつ学園外で仲良く過ごす感じになるのだろうけれど。
学生生活のほぼ全ては学園内で過ごすことになるというのに、それはちょっと可哀想かも。
ゲームをしてる時は、一日の重みがこんなにあるなんて当然気にならなかった。
カサンドラと王子、リゼとジェイク、リタとラルフ、リナとシリウス。
恋愛イベントを進めた後の、皆で仲良く過ごせる学園生活。見れるものなら是非見てみたい。
夢のような楽しい時間だろうなぁ。
来年から三つ子が生徒会入りしたら凄いことになりそうだ。気兼ねなく話も出来るようになるだろうし。
「あっ、王子!」
えへへ、と笑っていたリタが突如口元を覆って背後を指差した。
既にラルフの姿は無かったが、彼が去ったのと同じ方向から姿を現したのは金髪碧眼のクローレスの王子様。
親友たちと一緒でも、彼一人でも常に光輝を纏い人の視線を奪って止まない王子が忽然と姿を現したのである。
選択講義は別行動が常とはいえ、彼一人で移動しているとは珍しい。
「カサンドラ嬢と……リタ君。
同じ方向と言うことは、行き先もそうなのかな」
彼のアルカイックスマイルに、カサンドラは一瞬怯みかけた。
心に準備していないと内心でこんなに動揺してしまう、リタのことを微笑ましく見てる場合なんかじゃない。
自分も同じだ。
でも出来る限り己を律し、ゆっくりと頭を下げる。
「はい、これからリタさんと一緒に歴史の講義を受けに行く最中でした」
「そうなんだね、では同行させてもらっていいかな?」
「勿論です。
王子と同じ講義を選んだ幸運に感謝します」
キリッとした表情で淀みなくカサンドラは言葉を重ねる。
横で呆然と突っ立っているリタが何故か尊敬の眼差しを向けているのだけど。
澄ました外面とは裏腹に、カサンドラは手に汗を握っていた。
今の今ってことは、ラルフともすれ違ったんじゃ――
それだけならいいけれど。
……まさかイヤリングの弁償品を受け取るところ、見られてないよね?
れっきとした理由があるのだから、問いただしてくればきちんと説明できるのに!
でも聞かれないのにさっきラルフから弁償品を受け取ったなんて報告するのも、なんだか言い訳がましい。
目撃されていなかったら藪蛇だし。
うーん、王子は生誕祭でのトラブルは知っているのだから後でそれとなく報告しておこうかな……
『僕なりに――アーサーの瞳に合わせたものを選んだつもりだけど』
うん、ここの台詞は全カットで報告しよう。
シリウス当人が面倒なことをラルフに押し付けたせいで、王子が変な誤解をしていなければいいのだけど。
端に王子、リタ。まさか並びで廊下を歩くことになろうとは…!
カサンドラは緊張で素っ転ばないよう細心の注意を払って講義室へ歩く。ゴールは目前だ。
チラと彼の表情を伺っても、そこに何かしらの個人的な感情が反映されているようには見えない。
誰かとの仲を誤解されたいわけじゃないんだけど。
そんなのは絶対嫌だけど。
……王子は誰かに、嫉妬してしまうような感情の”揺れ”を見せることがあるのだろうか。
とてもそんな彼の姿なんて想像できない。
怖いもの見たさに蓋をし、カサンドラは首を横に振った。
余計なことは考えないようにしよう。
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