第87話 不安のまにまに


 ようやくドレスに関して一筋の光明が見え、カサンドラは感情の浮き沈みに翻弄されていた。


 王子本人の反応の薄さ、何も変わらない状況についてモヤモヤする。

 でもそれはそれとしてドレスのデザインは今日までずっと煩っていた案件、解決の兆しが見えてとても嬉しかった。


 来月の夏休みに入ったばかりの舞踏会のことも王子絡みで大変なことだから。


 ……もしかしたらこの舞踏会が王子との仲を進展させるイベントの一つと言う可能性も否定できない。

 いや、何なら日常生活の全てがどこにイベントと言う名の爆弾、いや地雷が埋設されているかわかったものではない状況。

 カサンドラの学園生活は気が休まることがないのではないか……という緊張感に支配されてしまう。


 はぁ、と溜息をつきながら午後の選択講義をぼんやりと聞き流す。

 浮かれていた自分がとても恥ずかしかったり、自分が独り相撲で自意識過剰と思い知らされてズーンと落ち込んでしまう状況だ。

 この後王子と会う――はずなのだが、きっとそこでも何の変化もないのだと覚悟して臨む他ない。





 ……王子を救うためには、彼に物理的にも精神的にも近づく・・・必要がある。

 そして『悪意の種』という彼をラスボスの道へ導く恐ろしい存在から遠ざけ、今のままの清く正しく優しい王子でいて欲しい!


 問題の『悪意の種』はどんな形をしていて、取り付くって言うのは兆候があるのだろうか?


 王宮の奥底に封じられている『悪魔』に接触をはかることで取り付かれてしまう可能性。また第三者の手、陰謀によって無理矢理植え付けられてしまうという可能性……


 今は王子は取り付かれていないとカサンドラは信じているが、その前提さえ誰も保証はしてくれない。

 こんな生ける聖人君子が悪魔に乗っ取られ中なら、もうそれは悪魔じゃなくて天使ですよね? と真顔で思う状況なので今はセーフだと思っているけれども。



 一番想像したくない最悪の状況は、今現在彼が取りつかれ済みで、悪魔の意思と実は見えないところで一人抗って耐えているのだとしたら……?

 という、案外否定できないものだったりする。


 ゲームが始まった段階でラスボスとして存在する彼には既に悪魔が取り付いていて、持ち前の強靭な精神力、理性、忍耐力で日夜苦しめられて抗っているなんて展開は大変困る。

 もし『悪意の種』に取りつかれたら、身体的に徴が現れるとするなら分かりやすいのだけど……





  いっそ、王子をひん剥いて異変がないかだけでも確認するとか…?




 身体上に影響が及ぶかも分からないが、悪魔が取り付いた呪いの印とかあってもおかしな話ではない。

 見つかったら見つかったで腹を割って王子と善後策を話し合うことが場合によっては可能かも?




 ……うーーーん……




 それで痕跡が何も見つからなかったらカサンドラは二度と王子に顔向けできない状況に陥る。


 悪魔はとりついていません、良かったですね!

 なんて笑顔で言って、不審がられず納得してもらえるのか?


 ただの痴女では?





 王子に悪魔がとりついているかどうかは今、判断が出来ない。

 そうである以上、とりついていないことを願いつつ彼を”守る”方向で考えているけれど。


 もしも今、王子が人知れず悪魔の呪いによって苛まれ日夜抗っている状況なら――言って欲しい、相談して欲しい。

 一人で抱え込まないで欲しい。


 こちらから『悪魔にとりつかれていますね?』なんて糺せるのは、完全な証拠を見つけた時だけ。

 きっとそれは、恐ろしい非道な行いを経、後戻りできない段階でのことだ。



 勿論、可能ならすでにとりつかれた可能性を潰すという意味でも王子の身体状態を確認したいものだが……

 目に見えて分かる印が出るなら、あの三人がいて気づかないわけもないだろうし。




 ……相談………か。

 カサンドラはフッと自嘲した。


 自分は王子に相談して欲しい、何かあったら頼って欲しいとこんなに強く思っている。


 でもそういう自分は、誰にも相談できず頼れない、本当のことを言えない記憶を”思い出して”しまった。

 皮肉なものだ。


 カサンドラにも心を許して全てを打ち明け、相談できる人がいたらこんなに堂々巡りで非効率的な行動ばかりに走らなくてもいいのだろうか。

 洗いざらい全部ぶちまけ、王子を救いたいと言ったら信じてもらえるの?

 誰に?


 記憶を思い出さなかった自分カサンドラで想像してみた。

 両親や知人、アレク達に真剣な面持ちで王子は悪魔にとりつかれて非道な行いに走ってしまう、止めるのを手伝ってくれ! なんて請われたら――

 残念ながら「頭大丈夫?」としか思わなかったはずだ。



 自分はこの世界の”理”の外を知ってしまった異分子。


 王子に向かってそんな不穏な事を話してしまったら、いくら優しい人でも理解できず――カサンドラを気味悪く思うかも。



 誰かに相談し言葉にすることによって『悪魔』に気取られてしまった場合を考えると迂闊なことは出来ない。

 自分が乗っ取る予定の王子の婚約者がその事実を予め知っているなんて、自分が悪魔だったなら不穏な存在は真っ先に処分する。

 孤児院焼き討ちよりも何より先に――カサンドラの命は掻き消えることになりそう。



 危ない橋を渡っているのだな、自分は。

 彼の悩みさえ聞ければ救えるかもしれないなんて意気込んで、結果的にカサンドラが悪魔に返り討ちに遭うことになるかも……。


 悪い方へ考えれば、なんだって負のイメージに覆いつくされ一歩も動けなくなりそう。






   貴女が何をしたってこの世界は何も変わりはしないのよ、無駄な努力ね。

   貴女ごときが、世界の運命を変えられるとでも思っているの?


   ――おめでたいわね。救えると思ったの?





 運命の女神に嘲笑わらわれているような気がして気が沈んだ。






 今年は何も事件は起こらないはずだから、焦るな。

 先走って、王子との信頼関係を損なうような真似をしては駄目。

 



 かそけき糸でも、自分と王子は繋がっている。

 張りぼての『婚約者』という名目上だけだったとしても。




 その糸を太く縒って その綱で彼を掬いあげるんだ。





 ※






 放課後、緊張した表情で中庭で王子を待っていた。

 図書館から借りた本を開いて眺めているのだけれど、本当に眺めているだけで全く字面が頭に入って来ない。

 毎週この時間は緊張のし通しだ。


 確実に会う約束をしているわけではない、この先は雨が降ったら会えないことが確定しているし。

 そしてどちらかに用事があったら一週間後まで二人きりで話をする機会も設けられない。


 そんな遅々としたやりとりで、心理的距離は詰まるのか……?

 焦るなと戒めた直後だというのに、カサンドラの動悸は激しくなる。


 次なるイベントと呼べる予定は来月の王宮舞踏会。そして学期末試験だ。

 三つ子には学期末試験以外の大きなイベントはなく、あったとしても休日街中でバッタリ出会う遭遇チャンスくらいなものだ。

 なお、買い物など他に目的があって街に出た時に攻略対象と鉢合わせ、一日が過ぎて結局街での目的を果たせず困ることもたまにある。

 一緒にいる時間なんか数十分くらいなんだから、残りの予定を消化して帰らせて! と思うがそこはシステム上仕方ない。

  

 攻略対象に鉢合わせ、声掛けられて誘われて心を鬼にして断ったら――罪悪感を抱かせるような表情され心が痛む。

 適宜リセットすることもあった。

 どこまで都合の良い”なかったことにしよう精神”だったのかな?、と軟弱な自分の前世を嘲笑するカサンドラである。

 

 もとい、主人公達が外出先でたまたまお目当ての人物と会う可能性がある程度で大きな動きはない。

 リゼは学期末試験の前週にジェイクの誕生日があるので、そこで悩ましいことになるであろう。


 カサンドラと王子は王宮舞踏会で正式な婚約者としてお披露目されるはず。

 普通に考えたら、これは王子との仲を一歩進めるための重要なイベントではないだろうか。


 やはりここも、失敗は許されない……!


 以前招待された王宮舞踏会では父を伴って壁の華状態、遠目から王子を見て心を射抜かれたくらいしか記憶にない。

 社交ダンスは嫌いではないけれど、来月に備えてもっと入念にレッスンをするべきだろう。

 どんな曲でも王子に恥をかかせないよう華麗に踊って見せる……!


 フルート練習時のように毎夜毎夜アレクを突き合わせるつもりはないけれど、講師を呼んでみてもらうつもりだ。

 何をしても優雅で完璧な王子様の隣に立つというのはこれほどに大変な努力が必要なのか。


 まさに白鳥の心境だ。

 もう既に心の水かきはボロボロになりかけているのですが。



「いつも待たせてしまって申し訳ない、カサンドラ嬢」


 近くから声が聞こえ、顔を跳ね上げる。

 王子だ。


 ……彼は植樹された木々の葉の間から漏れる光を纏い、相変わらずキラキラ眩いばかりに輝いている。

 心が落ち着く優しい声色、初夏の風より爽やかさを感じる笑顔。

 その足取りさえ王子のものと他の人間のものと間違わない自信が無駄にある。


 一人で悶々と考え込んでいると恐怖が増してくる。

 でもそんな憂いを一瞬で吹き飛ばしてくれるだけの存在感に、カサンドラも立ち上がって笑顔で応えた。



「先日は楽しい時間をありがとうございました。

 あのような有意義な一日を過ごすことが出来たこと、感謝いたします」


「こちらこそ君を無理に誘ったようなものだと思っていたから。

 ……遠い街はずれにまで足を運ばせてしまった、疲れただろう?」


「いえ、大丈夫です。ご心配痛み入ります」


 本当は物凄く足が筋肉痛で辛い。

 とくに腿のあたりがヤバい。

 日頃馬車での移動に慣れ切った習慣のせいだが、今更どうにもできない。


「そういえば――

 舞踏会の衣装はもう仕立てに入っているのかな? 良かったら雰囲気を教えてもらえると係の者も助かるかと」


「申し訳ありません、実はまだ……」


 カサンドラは内心悲鳴を上げる他ない。

 自分だって生誕祭の準備で一月前からバタバタしていたのだ。

 王宮舞踏会で王子の身の回りを担当する侍女たちにとっても決められることは早く決めて欲しいに決まってる。

 裏方は忙しいのだ。


「いや、いいんだ。喫緊というわけではない、ゆっくり選んでくれて構わないからね」


「ありがとうございます。

 ……そのドレスの件なのですが……」


 カサンドラは鞄の中から一枚の用紙を丁寧に取り出す。

 今朝シンシアに描いてもらった、ドレスのデザイン原案だった。


「イメージに適合するデザインが見当たらないと嘆いていたとき、シンシアさんが教室で描いて下さったものなのです。

 王子はどう思われますか?」


 スラスラと迷いなく線を引き、重ねる姿にカサンドラは困惑しながら気持ちは確かに高揚していた。

 有名な職人が原案ではないけれど、自分の心に突き刺さる好みの柄でありデザインだ。


「これを、シンシア嬢が……?」


「驚きました、今朝わたくしの目の前で描き上げて下さったのですから」


 まるで魔法のようでした。


 へぇ、と王子は手渡されたデザイン画を眺める。

 蒼い双眸を細め、小さな文字列の色指定などに納得するよう頷きながら。


「良いと思う。

 色合いは抑えめに見えるけれどカサンドラ嬢が着るなら、きっと華やかになるだろうね」


 普段とは全く違う。

 深い青とも蒼海のような鮮やかな青とも違う。紺色、緑色、ブラウンなど。

 カサンドラが今まで纏ってきた寒色系のイメージとは違い、白をベースに赤や黄色の薄布を重ねていくデザインである。

 真っ赤な衣装などは毒々しく映る危険があるが、これならカサンドラも素直に着てみたいと思えた。

 

「君はシンシア嬢とも懇意にしているのだね。

 特待生や貴族令嬢だけではなく、商家のお嬢さんとも親しいとは」


 別にシンシアと仲が良かったわけではない。

 なのに王子は一人得心がいったようにカサンドラの交友関係を褒めてくれたのだ。


「特別に親しいというわけではありませんけれど、とても素敵な方ですね。

 わたくしの悩みにここまで真摯に応えて下さって感激しました」


「先日寄ったカフェも、ゴードン商会が経営しているお店だろう?

 仲が良いのだろうなとは想像していたよ」


「………。」



 ……知らなかったなんて言えない。

 カサンドラはにこやかな笑顔のまま制止する。


 まさかデイジーが紹介してくれた素敵でおしゃれなカフェがクラスメイトの実家が関わっているものだなんて分かるわけがない。



 流石王子、自分が立ち寄るお店のことは事前に入念な調査を行っているのだ。

 カサンドラは何の気なしに以前使った事のあるカフェを指定したが、同級生のシンシアが関わるお店で事件は起こるまいと許容されたのか。


 ジェイクも別席で納得したのだろう、ゴードン商会が騒ぎを起こすわけがないと。

 ある意味で事件は起こったが、二人きりを許された理由が分かった気がした。


 シリウスが言うところの反王政関係の出資したお店だったら、入店することさえ却下された可能性もあるのか。


 王子様ともなると、デートで寄るお店の背景まで把握しないといけない。カサンドラは学んだ。

 次から気を付けよう。



  

 

「では、そろそろ戻ることにするよ。

 話をしてくれてありがとう」


 彼はそう言って腕時計の盤面を一瞥する。


 変わらない。

 僅かな時間、カサンドラと一緒にいてくれる王子の心遣いは嬉しい。


 でも以前からの変化はない。

 覚悟はしていたが、やはりショックだ。



「ああ、そうだ」


 彼は背を向けかけたが、動きを止めもう一度改めてカサンドラに微笑みかけた。


「あの後、ジェイクに大変羨ましがられてね。

 彼も早く良い相手が見つかるといいのだけど、難航中のようだ。

 ――少しばかり、罪悪感があるよ」

 

「……。そ、そうなのですか……」






 それは一体どういう意味?

 確かに以前、彼らに婚約者がいない中で親交を深めるのは気が引けるといった意味合いの発言をされたのは覚えている。


 あの言葉は本心からのもので、ジェイクに恋人やら婚約者が出来れば罪悪感を感じずに接せられると?


 だとすれば……彼、いや彼らに恋人が出来れば事態の進展が見込めるということなのだろうか。

 王子もかなり人間関係に気を遣う性格に見えるし、ただの言い訳とも思えない。




 ジェイクに恋人、ね。

 うん。








   一日も早くリゼと上手くいくよう、何が何でも協力せねば………!!






  カサンドラは両手を後ろに隠して、ぎゅーっと拳を握りしめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る