第86話 変わらざること…
カフェでのお茶の時間は思ったより早く終わってしまった。
結局二人きりで話が出来たのは三、四十分ほど。
ただでさえ楽しい時間などあっという間に過ぎていくというのに、こんな短時間など振り返ってみれば刹那に等しいものである。
でも毎週五分かそこらしか二人で話せない現状で、この一日はまさに破格の一日。
以前よりは王子の事が分かった――気がする。
一足跳びに、一気に距離が近くなって何でも相談してくれる相手に昇格出来たらいいのだけれど。
現実はそんなに甘くなく、確かに楽しい時間ではあったけれどもカサンドラは相変わらず彼が自分のことをどうとらえているのか分からずヤキモキしてしまう。
少しでもカサンドラのことに興味を持ったり、好感を抱いてくれたらいいのだけど……
彼の心の数値は測れない。
「それでは王子、ジェイク様。本日はお誘いを頂戴しありがとうございました。
とても実りある時間を過ごすことができ、わたくし自身大変勉強になりました。
リゼさん、デイジーさん。また教室でお会いしましょう」
店の傍で既に馬車が待機し、カサンドラが出てくるのを待っている。
「こちらこそあちらこちらに付き合わせてしまって申し訳ない。
……楽しかったよ、また月曜にね」
「お疲れさん、俺とアーサーはもう少し廻ってから寮に戻る。
じゃあな」
流石に彼らの後について出たり、ジェイクを更に引き留めるようなことはリゼ達には出来ない。
彼女達はまだまだここで時間を潰すんです、という様子で自分達が引き上げていくのを手を振って見送ってくれた。
……絶対来店時のイベントは彼女の作為があっただろう……と喉元まで出かかっているが、何とか押しとどめにこやかな笑みを浮かべるのみだ。
普段このような場所を利用しない彼らだから、『そういうものか』と疑問に思っていない様子だがカフェに変な認識を植え付けてしまったらどうしよう。
どのお店もカップル数をいちいち数えて記念のたびに祝っているのかと勘違いされているかも。
まあいいか、そうそう彼らが立ち寄る場所でもないのだし。
また来週。
週が明けたら、何かが変わるかも知れないと期待に足取りも軽くなる。
聖アンナ生誕祭という大きな行事をやり遂げ、そして週末は半日一緒に行動して。
これで距離が縮まらなかったら、それこそ嘘だろう。
※
その嘘のような状況に直面し、カサンドラは狐に抓まれたような気持ちに襲われる。
日曜日は舞踏会に着ていくドレスが未だに決まっていないという焦りにかられ、アレクと一緒に頭を突き合わせてうんうん唸っていた。
母親という素晴らしい相談相手が遠方にいるのだが、まさかこの歳になってまで着ていく服を選んでくれだなんてカサンドラも気が引けて頼めない。
どうにもならなくなったら頭を下げるが、限界まで頭を悩ませることに決めた。
まだ一か月の猶予があるし、既に仕立てをお願いする職人は押さえているので出来ませんなど言われないはず。
デザインも色も決まらないから当然取り寄せる布地も決まらない。
割とカサンドラはピンチなのである。
色々日常が忙しく後回しにしていたツケが今ここに。
そんなドレスが決まらないことを王子に愚痴っても仕方ないので、先日誘ってもらったお出かけのお礼をしたためた手紙をいつも通り彼の生徒会室の席に置いてきた。
そこまではいい。
変化など求めるべくもない、だって日曜日も月曜日の早朝も『王子』本人と顔を合わせたわけではないから。
きっとこの間の会話を足掛かりにして、王子はもっと自分と親しく振る舞ってくれるのでは……!?
全く知らない顔見知りのクラスメイト状態からは脱却したと思う、ならば対応に変化があってしかるべき。
ゲームの中なら、好感度が上がったことは出会った時の挨拶や声掛けの変化でも分かりやすく確認できるものである。
最初は他人行儀でそっけなかった攻略対象が、次第に親し気に話しかけてきたり。最終的には出会い頭で頬染め状態になったり、画面を通じての段階の変化は一目瞭然であった。
ガラッと前方の扉を開けて、入ってくる王子様ご一行。
相変わらずきゃあきゃあと多くの生徒に囲まれて色んな方向から話しかけられる王子達。
勿論クラスメイトだけではなく、他のクラスや学年からも”出張”してくる生徒も引きも切らず。
そして王子はカサンドラと視線を合わせて、ニコッと微笑んで軽く手を振った。
……先週まで自分と目が合った時にする挙動と、一分も変わらない通常通りの振る舞いをする王子がそこにいる。
席に座り、それ以降は周囲の生徒達の話に耳を傾けてうんうんと頷く王子の後姿しか見えなくなってしまった。
えーと……
もう少し、何か、こう……
カサンドラは素知らぬ風で会釈を返し自分も席に座ったのだけど。
両肘を机に立て、少しばかり険しい表情になってしまうくらいは動揺していた。
いきなり傍に来て挨拶をしてくれるとまでは望まなかったけれど。
せめて目が合ったら週末のことを思い出すような素振りが欠片くらいはあっても良いのではないでしょうか……?
まるで先週末の出来事がごっそりと彼の記憶からこそげ落ちてしまったのではないかという、変化のなさっぷりにカサンドラは内心困惑している。
少しずつ段階を踏む、その一段上がったことを全く感じさせないその対応。
決して彼が失礼な態度をとったりカサンドラを意図的に傷つけようなんて思っているわけではないのだ。
あくまでもカサンドラが期待しすぎていたために、無変化状態に「???」と疑問符が乱舞しているだけ。
どういうことだろう。
乙女ゲームの世界だからと、その様式美を非攻略対象の王子に当てはめてしまった。
何らかの急激な対応の変化を期待してしまった自分が間違っていたのだろうか。
人間、そんなに機械的に心の機微をはかることなど出来ないという神様からの警告なのだろうか……?
いや、待てよ?
逆転の発想で考えよう、やはりここは乙女ゲームの世界で。
王子の態度が変わらないことにこの世界ならではの”理由”があるとしたらどうだろう。
例えば。
可能性が脳裏を過ぎり、ゴクリと喉が鳴った。
イベントロック中による好感度制限………!
好感度は最初期の状態でいきなり無尽蔵に”MAX”まで上げることは出来ない。
ある程度好感度が上がれば、フラグイベントが起きないとそれ以上仲が進展しない停滞期に陥ることがある。
要するに『イベント待ち』状態。条件等を諸々満たして、後は恋愛シナリオを進めるための必須イベントが起こるまで待機中。
今の段階では何かの”イベント”が起きなければ、いくらカサンドラが闇雲に仲良くなろうと走り回っても……
好感度は現状上げられる最大値まで上がっていて、上限に引っ掛かってしまってこれ以上の進展が望めない待機状態なのでは!?
先週末のデートはフラグイベントではなかったということだろうか。
何か彼にとってもっと重要な出来事に遭遇し、それを経ることによって初めて彼との仲が一歩進展する。そんな話だったとしたら?
……一体、そのフラグイベントって何? どこ? いつ? 今、起こせる条件はそろっているの?
分からない、ジェイクやラルフ達はいつどこで何を選択すればイベントが進行するのか分かる。
効率よく好感度を上げるため、パラメータ至上主義に則ってカサンドラなら完璧に立ち回りを三つ子にアドバイス出来るはずだ。
だが王子に関してまでこの世界の恋愛ルールが適用されるなら、本当にミスが出来ないではないか。
主要キャラクター以外の、いわゆる『モブ役』と呼ばれる自分達以外のゲームに名前の出ていない生徒にまでルールが及んでいるかは検証できないのでこの際考慮しない。
だが曲がりなりにもカサンドラと王子は説明書に名前が書かれるこの世界の根幹を形作る人物の一人。
まさか乙女ゲームルールが適用されるの?
ただでさえ難攻不落の王子様を予備知識なしでノーセーブノーリロードで攻略しろと?
無理ゲーじゃない……?
そもそもこの世界が勝手に作った王子のフラグイベントを初見で看破しろとかハード過ぎる。
あくまでも『可能性』の段階ではあるが、もしそうだと確信が持てたらカサンドラは絶望するかもしれない。
これは王子の態度が先週から変化がない事へ理由をつけたいだけに辿り着いた推論だ。
実は先週末のデートもどきなど、王子にとって大したことではない日常風景の一つに過ぎず。カサンドラへの印象が全く変わらない一日だったというだけの可能性も……
いやいや、そっちの方が大問題な気がする。
カサンドラ一人あんなに浮かれて何してるの? という話に帰結する。
王子が本当に女性に対して不慣れで不得手、いちいち反応を変えることも出来ないくらいの朴念仁なのだ。
そうに違いない。
きっとそうだ! 先週よりは親しくなったはず!
少しは仲良くなった……と、勝手に思っても良いのだろうか?
「カサンドラ様、どうかなさいましたか?」
あまりにも難しい顔で考え込んでいたせいだろうか。
眉間に皺が寄っていたようで、傍を通りかかったリナが驚いて声を掛けてくれた。
「体調がよろしくないのでは?」
「お気遣いありがとうございます。
少しばかり悩んでいることがあって、つい表情が険しくなってしまっていたかもしれません。
はしたないところを見られてしまいお恥ずかしい限りです」
リナの頭に留められた青いリボンがふわっと揺れる。
「カサンドラ様、私にもご協力できることがあればいつでも申し付けてくださいね!
いつも助けていただいてばかりだというのに、お力になれないのは心苦しいです」
彼女は憂いを込めた真剣な眼差しでカサンドラを見つめる。
澄んだ空のような、綺麗な蒼の瞳に渋面の自分が写り込む。
実は王子とのイベント云々に関して考えていました、なんてとても言えたものではない。
だが何でもないと首を横に振っても彼女としては気がかりなことが一つ増えた状態になるだろう。
カサンドラは出来る限り表情をやわらげ、口元を手で押さえた。
「来月のことですが……お城の舞踏会に招待されました。
この度、今までと違う色でドレスを仕立てようと思っているのですが自分に合うデザインが中々見つからず、気ばかり急いてしまって。
わたくしは美的センスというものが欠如しているのですね、これというものを選べません」
全て事実だ。
王子のことと関連する舞踏会案件、ドレスの一件をどうするかは火急の用なのだから。
尻に火が点いているという焦燥感に苛まれているカサンドラである。
「そうだったのですか。
カサンドラ様のお洋服は青みの入ったものが多いような気がします。
――別のお色で雰囲気を変えられるのは素敵ですね! 皆様、きっと驚かれるのではないでしょうか」
別邸に招待した時の私服も、大体青系統だ。リナも印象に残っているのだろう。
ここで赤だの黄色など原色系で派手な色を選ぶと、カサンドラの美人だけれどキツい顔立ちのせいで派手さが増してケバケバしくなるという罠が発動する。
舞踏会だから化粧もふんだんに使うのだ、全てが派手の合わせ技では成金趣味にしかならない。
自分一人だけならまだしも、それに王子を付き合わせるなどとんでもない話なわけで。
いくら明るい色もいいんじゃない? と言われたからと言って……
拘り過ぎた結果の大惨事は御免被る。
「ええ、わたくしには明るい色は似合わないと思うのです……
リナさんもそう思いませんか?」
”魅力”、そこには美的センスも含まれるだろう。
リナの魅力の値は毎週のカサンドラの別邸招待の際のお茶会でメキメキ上がっていることと推測される。
彼女の目から見ても、派手な色は止めた方がと言われれば無難な色にしようと心に決めた。
「いえ、そのようなことは決して……
申し訳ありません、カサンドラ様、少しお待ちください!」
きょろきょろと教室内を見渡した彼女は、一人の女生徒の傍に駆け寄って話しかける。
驚いて肩を跳ねる少女を説得するリナの後姿を首を傾げたまま見守るカサンドラ。
あの子はリナとよく話をしている、大人しい性格のクラスメイトだった。
「貴女は……」
「ご、ごきげんようカサンドラ様」
消え入りそうな語尾とともに、少女は頭をペコっと下げる。
「わ、わたし、シンシアと申します」
緊張で舌が上手く回っていないようだ。
「勿論存じております。ゴードン商会のシンシアさんですね」
リナがどうしてシンシアを連れて来たのか分からなかったが、肩より少し長い髪の女の子。
近くで見上げると睫毛が長く、均整の取れた顔立ちだ。普段控えめで長い前髪のまま俯いていることが多くて気づかなかった。
「あ、あの、わたし……」
――もじもじ、そわそわ。
彼女は少し俯いた後、赤面した顔でカサンドラに向き直る。
「カサンドラ様がドレスのことでお悩みとお聞きして、お力になれないかと……その……」
その勢いに若干面食らう。
こんなに大きな声が出せる子だったのかと驚くばかりだ。
「ありがとうございます。
ですが大変申し訳ありません、今回は別の商会を通して裁縫ギルドの職人と契約を結んでいます」
彼女の商会も規模としては大きいけれど、レンドールとの付き合いはなかった。
それにゴードン商会は保存の効きやすい穀物を多くの飲食店に卸すことを主な生業としているはずだから、パーティドレスの売り込みは最初から考えていないはずではないか。
ドレスの仕立てなどはがっちりと既得権益で守られていて、新規参入など無理筋であろう。
「あ、そのような大それたことは考えておりません。
ええと、わたし、裁縫が趣味で……」
「シンシアさんは縫いぐるみを作るのがとても上手なんですよ」
リナもそう言ってシンシアを援護する。
「それで、その、縫いぐるみの服など、自分で作ることもあって……
服の形を考えるのも、好きなんです」
そして彼女はわたわたと落ち着かない様子で、自分の席に戻る。
即座にノートの用紙を一枚破って、カサンドラの机の上にそれを乗せるという奇妙な行動をとった。
そんなに緊張しなくてもいいのにと首を傾げているカサンドラの視界に、彼女の腕がシャッと動いた。
――白い紙の上に、サラサラと描かれていくのは――
服のデザイン画……?
カサンドラには絵心がなく、選択講義でも頑なに美術は選択していないくらい徹底して避けている。
犬を描けばウサギと間違われ、猫を描けば鼠と空目されるような特徴を捉えるのがほとほと苦手な歪んだ筆致のカサンドラ。
自分と比べるなど烏滸がましいほど、シンシアの手は滑らかに動く。
まるで本職のような綺麗な勢いのある線を魔法のように描いていくシンシアの手元を食い入るように見つめた。
こんなにイメージ通りに絵で表現できたら楽しいだろうな。
シンシアは手先が器用なのだと初めて知った。
「カサンドラ様が明るい色を選ばれるなら、肩から袖にかけてこんな風に……
出来れば基調は白が良いです、そこに黄色の薄い紗を重ねて……腰回りの飾りのこの部分に赤い色をさして。
袖口とひざ下の模様はこんな形で、金糸刺繍だと映えると思います。
あ、背中は大きく開けた形ですがこの上のところでリボンを結んで……
舞踏会ですから形はボールガウンだと思うのですが、全体としてこのような形のドレスはいかがでしょう?」
とても即席で一発書きしたものとは思えない、腰から下がふわっと広がるドレスだとハッキリ分かる主線。
それにサラサラと飾りや布を書き足していき、更に色指定つきだ。
「背中のデザインです」と端っこの方に描き添えているのが芸が細かいというか。
派手――ではない、袖口と裾回りに凝った意匠を凝らすのはカサンドラ好みだ。
これに色が乗ったら、黄色や赤が入っているドレスでも大丈夫ではないか?
「まぁ、これはとても素敵なデザインですね。
……シンシアさん、可能であればこちらの用紙をわたくしに頂けませんか?」
即興でここまで相手に似合うようなデザインが湧き出てくるなど、この娘、天才か……!?
カサンドラは思わず席を立ち、シンシアにお願いすることにした。
今まで何枚も職人の薦めるデザインとにらめっこしていたが、カサンドラの心にトスッと矢が突き刺さるような絵がそこにあった。
白黒のはずの線なのに、指定された色が目に浮かんでくるようだ。
「わ、わたしは舞踏会に出たことがありませんので、これは……
想像と言うかカサンドラ様にはきっとこういうドレスが似合うだろうなと思って……」
……ん? 何で自分のドレスのデザインを彼女が想像する必要が……?
一瞬引っ掛かる部分がなかったわけでもないが、ちゃんと自分が気にしていた派手になりすぎないという条件をクリアしたもので。
これを職人に見せ参考にしてもらわなくてはと心が震えた。
「素人のデザインですから、あの……
少しでも、アイデアを取り入れていただけたら嬉しいです!」
はにかみ笑うシンシアの表情が初々しいというか、とても愛らしく見えた。
――周囲の女子たちが可愛すぎる。
一番可愛くない、可愛げがない女性は自分なのだ。
女子力がないのはこの世界で生きるのに結構なハンデだろうな、と軽く自分に失望するカサンドラだった。
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