第85話 王子との語らい


 何が何だかよく分からないけれど、気が付いたらカサンドラは王子と二人掛けの席に案内されていた。


 離れた入り口側の席に座るデイジー、そしてリゼの姿をもう一度確認する。

 しかもジェイクが彼女達と相席した様子に目玉が飛び出るくらい驚いたカサンドラであった。

 いつの間にそこまで仲良くなったのだ、と。リゼの積極性に度肝を抜かれる。


 結果的に王子と二人きり。

 ――起こってしまった事象の原因をこの期に及んで考察しても仕方ない。

 今、自分の正面には王子が座っているのだ。


 直視することさえ憚られる王子様の後光に眩まないよう、カサンドラは背筋を正した。

 神様だかデイジーだかがくれたこの千載一遇のこの機会をみすみす逃す気はない。

 学園内で二人きりになれる時間などほぼ皆無、更に休日に出かけることがあっても護衛と称して他人が見張っている――まさに難攻不落の王子様。


 彼が乙女ゲームで攻略キャラになるのはこの現実を知ると無理だな、と納得できる鉄壁のガードっぷり。

 一応婚約者という立場のカサンドラでさえ容易に近づけないのだ。

 聖女として覚醒した後ならともかく、『普通の女の子』状態の主人公がどうこうできる存在ではない。


 ……まぁ、現実ってこんなものかも知れないけど。


「カサンドラ嬢、私は前も言った通りこのような場所に来たことがなくてね。

 この一覧から好きなものを頼めば良いのだろうか?」


「王子は学園の寮の食堂で好きなメニューを注文されることはありませんか?

 それと同じようなものかと」


「食事は寮でも自室だから、自分で選ぶというのは初めてかも知れない。

 恐らくジェイクもそうだろう」


 カサンドラは寮に住んでいないので詳しいシステムは把握していない。


 話を聞くと、どうやら王子やラルフ達に限っては皆と同じ食堂で食事をする機会はないのだとか。

 一国の王子や要職の子供たちに、一般生徒らと同じ食事を安易に提供するというわけにもいかないのだろう。

 彼ら専用の厨房まであるそうだ。

 王宮お抱えシェフが学園寮に出入りしているのか……


 なんと王子達が自宅からではなく寮から通うということが決まった瞬間、入学前に男子寮の大幅増築が行われたそうだ。

 その増築分が彼らの仮住まいということらしい、凄い特別待遇である。

 安全面の問題もあるだろうし、根っから普通とは違う立ち位置の少年たちだ。


 何となく寮での食事は皆と食べているのかと思っていたが、全く違うセレブさ加減を突きつけられた感じである。


 お出かけの際は我が館をいつでも利用してくださいと、常に迎え入れる態勢の整った屋敷が王都にいくつもある生活。

 カサンドラは自分が地方貴族の出身であることを改めて思い知った。

 特別待遇の概念が違う……!


 カフェなんていちいち入ることもないし、自分でメニューを選ぶ生活なんて出来ないよね、と。


 そう考えると、三人の攻略対象が皆リナの手作りお弁当がクリティカルで効果が抜群なのもむべなるかな。

 リナのお弁当は本当に美味しそうなスチルだったけれど、彼らにとっては本当に特別だったのだ。

 貴族のお嬢様の差し入れなんて使用人に作らせたものだし、自分のために彼女が作ってくれた手作りお弁当――絶対嬉しいだろうなぁ。

 好きな女の子の手作りお弁当なんて普通の男の子でもコロッと転がるのだ、彼らが転がらないわけがない。



「横の数字が価格……ということか」


 ふーむ、と物珍しそうに硬質な表紙を何度か閉じて開いて、彼は呟く。

 心なしか彼の蒼い目が輝いているような気もする、勿論声高にはしゃぐような人ではないけれど。

 未知の出来事に心が高揚する様が年相応で微笑ましく見えた。


「色々と興味をそそられる文字群ではあるけれど、この時間ならお茶の時間……

 時間に合わせた注文をお願いしても良いかな?」


 三時を少し回った壁掛け時計を一瞥し、彼はニコッと笑んだ。



 誰に遠慮することもなく、王子と一緒に過ごせる時間。

 それは凄く貴重で至福の時間だとカサンドラは天にも昇る想いだ。

 まさしく浮かれて地に足がつかない自分を必死になって戒めていた。


 ここで調子に乗って、彼の自分に対する心象を害するわけにはいかないのだから!


 店員に無難なケーキセットを注文し、軽く息を整える。



 カサンドラも彼の王子様オーラに圧倒されているだけでは何の進展もない。

 少しでも彼の内実を知るため、ひいては王子が今後シナリオ上の『悪役』を全うするような事態にならないため。

 ……最近、そういう逼迫した状況以上に個人的に王子に惹かれてしまっているので、主客転倒しているなぁと自分でも苦笑してしまうけれど。


 自分には後がないのだ、と気合を入れ直す。


 リゼやリナ達の恋愛が無事に成就するかなんて誰も保証してくれない、しかも成就したからと言ってカサンドラの思惑通りにその後聖女に覚醒するかも未知数すぎる。

 ある程度自分の都合の良いように解釈をしているので、彼女達の力を最終的に借りられるのかはその時にならないと判断できないところだ。



 王子がいつ、どこで、何故、『悪意の種』に取りつかれ悪魔に乗っ取られることになってしまうのか。

 彼が起こしてしまう一連の非道メインシナリオを回避するため、自分が何とかしなければ。


 もはや背水の陣状態だが、そんな状態でも心がときめいてふわふわしてしまいそうな能天気な自分が怖い。

 だって目の前の王子がラスボスになって人々を不幸に陥れるなんて、そんな戯言誰が信じると言うのか。

 シナリオを知っている自分でも半信半疑状態なのに。



「――先日も申し上げましたが、生誕祭では心が洗われるような素敵な演奏でしたね。

 わたくし、大変感動いたしました」


「ありがとう、今思い返してもラルフに助けられていただけの気がするけれどね」


「決してそのようなことはございません!

 ラルフ様のヴァイオリンも勿論素晴らしいものでしたが、王子のピアノ伴奏あってのものだと思いました」


 カサンドラはあまりピアノが得意ではない。

 だが覚えている印象的な小節の弾き方、特に足元のペダルの扱い方を絶賛してしまった。

 カサンドラがピアノで何が嫌いかというとあの三本のペダルだ。あれの使い分けが煩雑すぎてギブアップしたようなものだから。

 上体と足元が合わさったチグハグな響きはとてもラルフに聞かせられたものではない。

 ハッ、と鼻で笑われて終わりそう。


「カサンドラ嬢はピアノは弾かないのかな?

 フルートはあんなに上手なのに」


「……王子やラルフ様と合わせていただくようなものではなく、お恥ずかしい限りです」


 つい頬に朱が差す。

 あの合奏は思い付きだったというが、まさか各人にソロパートを任されるなんてドッキリがあるとは予想もしなかったし。

 中々思い出深い一日だった。

 生誕祭当日よりもカサンドラ個人は頑張ったので、やり遂げた感はまさっていると思う。


 二人とも根が真面目なせいか、その後少し生誕祭の反省やらシリウスが解決してくれたトラブルのことやらを話し込んでしまった。

 生誕祭は今年だけではない、来年に向けて色々考えないといけない。

 貸衣装はどうしようかという話になったり、まるで生徒会カフェ支部のような感じで――ケーキセットが運ばれてくるまで話し込んでしまった。



 違う、そうじゃない。



 生誕祭の話を振ったのは自分だけど!

 デートもどきの今、真剣に”仕事”の話をしてどうするというのか。


「まぁ、美味しそう」


 仕切り直しだ。


 カサンドラは目の前に運ばれてきたケーキセットを視界に入れ、声を弾ませた。

 それは演技ではなく、本心である。

 昼食が質素だったことで、ケーキの存在感が増している。孤児院で振る舞ってもらった素材の味が活きたシンプルな料理は嫌いではないのだけど。

 砂糖や塩は彼らにとって貴重品のようで、味付けはどうしても薄くなってしまう。


 ……ああ、あの子達は『ケーキ』というものの存在を果たして知っているのだろうか?


「そうだね。

 ――あの子達にも食べさせてあげたいと思うよ」


 彼の言葉がカサンドラの内心とシンクロした。

 そして少し悔しそうな、やりきれない表情の理由も察してカサンドラの胸は痛んだ。


 王子個人の力でその程度はとても簡単な事。

 でもそんな依怙贔屓は彼の立場では行ってはいけないことだ。

 一人、十人を救えても……

 王国中の数千数万の迷える孤児全てを幸せにすることは出来ない。


 目の届く範囲だけでも幸せにすればいいというのは、自分のエゴを満たすことは出来ても抜本的な解決にはならない。

 いや、社会構造を崩壊させる可能性があるだけ、悪い事とも言えるのだ。


 ……それこそ社会主義が性善説を以て有効機能した世界でないと皆平等に幸せにはなれない。

 貴族社会という支配者側と被支配者が明確に分かれている世界で、お金持ちは自分の富を全てなげうって貧しい人を救いましょう!

 自分がその見本になります! なんて言い出したら反乱どころの騒ぎではない。


 王子が王子の立場で物品を恵むということは彼の中でも越えてはいけない一線なのだ。

 せいぜい、一緒に遊んだりピアノを弾いてあげたりということが精一杯。


「王子は孤児院の子どもたちを気にかけていらっしゃるのですね」


 全く生活圏の重ならない、天と地ほどの身分差。

 王宮に住んでいて食事の心配なんかしたことが一度もない人が、親のいない子ども達にあそこまで親身に接するのは凄いと思う。

 しかも表面的な”慈善事業でございます”というアピールとは真逆の方法で私的にこっそり慰問しているなど、カサンドラは知らなかった。

 カサンドラが知らないということは、他の生徒も知らないはずだ。


「……。

 美味しい食事をしている時に、少し気分を悪くさせてしまうかもしれない。

 以前、私の母と弟が亡くなってしまったと話したことがあったね」


 あの時聞いた時の物寂しい王子の表情がカムバックしてカサンドラは全身に冷水を浴びせられた気がした。


 彼の悲しい思い出に触れてしまった。

 嫌なことを思い出させてしまったのだと、ぎゅっと唇を噛み締める。


「生きていたら弟はこのくらいなのか、と。

 そんな風に考えてしまうことがあって、完全に他人事ではないんだ。


 ……。

 私はカサンドラ嬢が私に対し思い描いているような、聖人君子でもなんでもない。

 ――いつまでも過去の思い出に煩っているだけの心が弱い人間に過ぎない」


 いつまでも過去の事を引き摺っている、こういうのを女々しいって言うだろう?


 そう彼は苦笑し、自分自身を否定する。


 何不自由なく暮らしていた恵まれていた王子が、一夜にして家族を二人も喪ってしまえば忘れられない記憶の傷にもなるだろう。

 彼の話を聞いた時は、そんな過去がある彼にこんな薄っぺらい人間がどう接すればいいのかと完全にフリーズしてしまった。


 でも……

 自分がその悲しみを肩代わりしたり完全に同調することは出来ないけれど。

 カサンドラは、一緒にいることくらいなら出来るから。



「王子、わたくしには母がおります。

 そしてレンドールを継ぐ義弟も」


 自分の胸元に片手を添え、カサンドラは出来るだけ穏やかにゆっくりした口調で言葉を紡いだ。

 紅茶を飲もうと伸ばした彼の手が一瞬、止まる。


「義弟君のことは噂に聞いている。とても優秀な後継ぎなのだとか」


「ええ、わたくしには過ぎた弟で、生意気ですがとても気の利く子で。

 母も温和な性格でいつも優しい人です」


 彼が失ったものを、転生した身の上である自分が全て持っている。

 それは凄く皮肉なことだ。


「――王妃様と弟君には勿論及びません。

 ですが母も義弟も王子を新しい家族とお迎えするなら絶対に喜びます、大歓迎ですよ。

 母は王子様のファンですし、義弟はもっとしっかりした兄姉が欲しいと常日頃ぼやいておりますし」


 失った命は二度と掌に還ることはない。

 それが悲しいのは当たり前のことで、想いが強ければ強かった分、長く悲しみを引きずるものだ。

 特に王子の場合は十歳にも満たない子どもの頃に家族を喪ってしまったのだから。


 失ったものを何かで埋めることはできない。

 でもぽっかり開いた穴はそのままでも、新しい何かを別の場所で積んで高くしていくことは出来るかもしれない。

 高くなった別の”大事なもの”は、心の支えになりうると思うのだ。



「王子が身罷られたご家族を悼まれるのは当たり前のこと。

 ですが王子の支えになる新しい家族のことも忘れず、どうか頼りにしてくださいね」



「……………。

 そんな風に言ってもらえるとは思わなかった。

 ……。

 ありがとう。

 ――いつまでも気にしている場合ではないのに、励ましてくれて」



 自分でも言ってしまったことが、凄く先走り過ぎた内容だということに気づいてしまった。

 本当は顔から火が出るくらい恥ずかしい、私達当然結婚するんですから、私の家族は王子の家族も同然ですよ! なんて。


 そんな励まし方をしていいわけがない、うん……


 でも、ナーバスな話題が少しでも軽くなならないかなという想いが、咄嗟に口を突いて出てしまったのだ。


 慰めるなんて、そんな壇上から立って彼に話しかけることは出来ない。

 その傷をどう癒すか、埋めるかは結局本人の心持ち次第だから。


 

「前から思っていたのだけど、何故君は私にそこまで善くしてくれようとするのかな?

 この通り、私といても詰まらないことばかりだろう。

 ……彼らのように際立ったものがあるわけでもない凡庸で、身分くらいしか取り柄がない人間だ」




   ……王子が凡庸ならその他の人間は!? 地を這う何か!?




 自嘲的な彼の様子に物凄い衝撃を受けてしまった。

 謙遜でも何でもなく、本気でそう思って……?


 どうしてそんなに自己評価が低いのですか王子!?




「入学して直接お会いするまで、王子がどのような方かわたくしは存じ上げませんでした。

 今でもそれは変わりませんが、同じ空間で共に過ごし、王子はとてもあたたかみのある方だと分かりました。

 ……お人柄に惹かれお役に立ちたいと思うことはそんなにおかしなことでしょうか」



 今更自分の気持ちや考えを隠す必要もない。

 聞かれたから問われる、それだけだ。

 これは決して自分の感情を相手に押し付けているわけではないのだ、とカサンドラは自分に言い聞かせる。


 何故、と聞かれた以上いくらでも滔々と述べることは出来るけれど。

 いくらなんでも王子の立場に立ったら気味が悪いと思うので自重した。

 自分がさほど気にしていない相手に延々と己の長所について説明を受けたら高度な褒め殺し作戦かと穿ってしまうものかも知れないし。





「ありがとう、カサンドラ嬢。

 君のように聡明な女性から褒められると嬉しいものだね」




 そう言って彼は、一瞬だけ照れたような顔を見せる。

 今まで自分が向き合っていた、その他大勢の女生徒に向けていたものとは明らかに違う。


 彼自身も気づいてすぐに表情を戻して、アルカイックスマイルを向けてくれるのだけど。






 ……その照れ笑顔が反則的に可愛かったので、カサンドラは動揺のあまりケーキを勢いよくストンと真っ二つに切り分けてしまった。


 もう一回! なんてお願い出来るはずもなく、彼の照れ顔は既に幻と化した。







 結局、この会話で分かったのは……





 王子の自己評価が何故かとても低い事。


 そして王子の照れ顔は殺人級の破壊力という情報のみでは?






 後者はともかく、前者のことは今後も掘り下げていくべき観点かもしれない。





  知りたいから。





 それは王国や世界を救うという表向き壮大な目的でもあり、

 好きな人の深層を知りたいと思う 矮小な欲求でもあった。

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