第89話 ジェイクのお願い



「き、緊張しました……!」


 歴史の講義が終わり、王子は席を立ってそのまま他の生徒と一緒に講義室を出て行った。

 それを確実に見届けた後、隣に座っていたリタがはぁぁぁ、と講義室用の長い机に突っ伏して頭を抱える。


 流石に三人揃って並んで座るということもなく、王子の後ろに並んで座っていたカサンドラとリタ。

 彼の後頭部に目がついているわけではないので安心かと思いきや、眼前にキラキラと眩しく輝く王子様が座っているのだ。

 リタは眠気など吹っ飛ばし、微動だにすることなく二時間の長丁場を耐えたのである。


 しかしながら彼女の緊張ぶりはすさまじかった。講義の内容がちゃんとリタの頭に入っていったのかどうかは謎である。

 これは――選択講義の育成結果は『失敗』という単語が添えられているはず。

 あまり効果が無かったようだというナレーションまで聞こえてきそうだ。


 まさか王子と出会ってしまうことでこんな弊害があろうとは。

 地方で王族とすれ違うことも不可能、文字通り雲の上の人が目の前にいたら緊張するのは当たり前の話だ。

 リタのこの反応こそが世間一般の反応なのだとしみじみ思い知らされる。

 この学園の生徒は皆特権階級で、王子に対しても話しかける女生徒ばかりで異常な空間なのだと。



 リタと一緒に講義室を後にし、雑談を交わしながら下校モードに入っていた。


 ――彼女と話をしているとこちらまで元気をもらえる。

 よく自分の過去の失敗談なども話してくれるが、リゼやリナの反応も彼女達らしくてとても面白い。

 姉妹仲良くずっと過ごしていたのだなぁと微笑ましく思う。


 そんな時、再び予期せぬ声に呼び留められる。


「おい、カサンドラ――と、リタも一緒か」


「……ジェイク様?」


 何故か彼は自分を探していたような素振りだったが、それにも関わらず一緒に連れ立って歩いているのがリタだと気づくや否や。

 それはそれは表情を明るくして駆け寄ってくるではないか。


「ジェイク様こんにちは。……ジェイク様もカサンドラ様にご用事ですか?

 大変ですね、生誕祭終わった後なのに引きもきらず」


 きょとんとした顔のリタ。

 彼女の素直な感想に頭痛に見舞われそうになる。

 別にラルフにもジェイクにも、こちらから必要とする用など何一つないのだ。

 今日に限って連続で話しかけられ、カサンドラ的には全く嬉しくない現象である。


「なぁリタ。お前なんで剣術の講座受けないんだ?

 絶対勿体ないから来いっていつも言ってるだろ?」


「いやー、私、別に剣士だとか騎士だとかになりたいわけじゃないですし」


「素であれだけ動けるなら、ジェシカくらいあっという間に追い越せるぞ?

 絶対もっと伸ばした方が良いって、勿体ない!」


「何回も言ってますけど、私は今他にやりたいことがあるので!

 ……それが終わったら考えます!」


 確かにリタの適性を考えれば数回の稽古で剣術のパラメータはメキメキと伸び、周囲を驚かせることになるだろうことは想像に難くない。

 だが伸びるのだから絶対にやれ、と規則で定められているわけではない。

 各自の選択、個人の裁量に任されている。


 それこそが、このゲームで彼女達を自由な方針で育成できるメイン手段であるのだから。

 絶対に受けないといけないなんて決まっていたら自由度がなくなってしまうわけで。全ては当人の意思次第。無理強いしても、そこに結果は伴わない。


「リゼ達が待っていると思うので、ここで失礼しますね。

 カサンドラ様、今日は一緒の講義で嬉しかったです!」


「あ、おい、リタ!」


 リタのジェイクに対する苦手意識はとっくの昔に解消されているとは思っていたのだけど。

 どうやら最近は顔を合わせる度に剣術講座に誘っているとみた、確かに適性があるし見る人が見れば勿体ないと思う気持ちも分かる。

 シリウスもリゼが滅多に座学の講座を受けない事実に納得していないようだし、ラルフもどうしてリナが自分の関わる講座に参加するそぶりが無いのかヤキモキしているだろうし。


「ジェイク様」


 とりあえず廊下で立ち話も難である。




「しつこい男性は嫌われますよ?」




 持ち前の俊敏さで軽快に去って行くリタ。

 彼女を留めるように腕を伸ばした彼の後頭部に、言葉の刃を突き刺した。


 サクッという小気味いい音は聴こえた気がした。


 日頃の意趣返しと言うより老婆心から、ついうっかり。

 言った直後”ぽふっ”と口元を掌で押さえてしまった。

 ジェイクに喧嘩を吹っ掛けたいわけではない。



 ※



「それで、わたくしにどのようなお話が?」


 どうにも廊下で済ませる話ではない様子だったので、カサンドラはしぶしぶ生徒会室に足を向けることにした。

 幸いシリウスの姿もラルフの姿も見えず、がらんとした室内に胸を撫でおろす。

 彼に関わる話で良かったことが思い出せないので、基本的に慎重に振る舞うようにしているつもりだけど。


 ジェイク当人には自分に対して悪意を持って接しているわけではなく、クラスメイトの一人であり生徒会役員のメンバーであるというフラットな立ち位置で見てくれているような気がする。

 だが味方というわけではない、それは確かなことだ。


「話っていうか、お前に頼みがあってな」


「……。」


 つい無言になり、嫌そうな表情をしてしまうカサンドラ。

 室内に誰もいないということだが、サロンに入れば何故かカサンドラが茶を振る舞わなければいけない。

 仕事や王子のために淹れるのになんの躊躇いもないけれど、折角の放課後――リタとの楽しい女子高生ライフを邪魔してくれたジェイクに優しくしてあげる義理もない。


 普段会議に使うスペースで、向かい合って立ち話。これで十分だ。


「ジェイク様のためにわたくしが出来ることなどないと思うのですが……

 三つ子の件に関してなら、協力するつもりはございませんし」


 以前ジェイクとの取引で起こったことを考えると、とても言う通りに動く気にはなれなかった。

 今の状況を鑑みるにリゼは随分積極的に頑張っていると思う。

 例え『設定』通り、ジェイクの好みのタイプがリタであり、彼女が気になってしょうがない状態だとしても。

 その内、皆の関係がひっくり返るような契機が訪れるのだ。

 いや、そのフラグイベントを起こすために三人とも必死なわけで。


 少なくともカサンドラは聖女なんて条件を無視し、彼女達当人の想いを応援している。この選択に後悔はない。

 ジェイクが物凄く自分で努力してリタを”落とす”のならそれはそれでもうどうしようもないが、悲しいかな彼らは攻略対象という運命を負う存在。

 その運命に抗うのは、この世界しか知らない生粋の世界の住人にとって非常に困難だと思われる。


 ……主人公であるというのも、ある種の呪縛。

 カサンドラだって前世の記憶が無ければ、依然変わらず高慢で偉そうに振る舞い、主人公が気に入らずに邪魔をしていた悪役令嬢の役回りを担って生きていたはずだから。


 この呪いにも似た運命の鎖を前世の記憶により知ることが出来、今は”それ”を手に取って弄っている最中。

 鎖を本当の意味で引きちぎれるかどうかは、終幕を迎えるまで未知の領域だ。

 その鎖の存在を認知さえできない彼らに、攻略される側・・・・という運命をどうにか出来るものなのだろうか。


「リタは今回無関係だ。

 頼みって言うのはな」


 そう言って彼は嘆息をひとつ。彼にとってもきっとこれは、不本意なお願いなのだ。



「来月、舞踏会があるだろ?」


「ええ」


 ジェイクが王様から招待を受けないなど天地がひっくり返る事態なのでありえない。

 当然ラルフやシリウス、この学園の貴族の子息令嬢とも多く顔を合わせることになるだろう。


「俺さ、舞踏会って大嫌いなんだよ」


 でしょうね。


 反射的に頷いてしまいそうになるのを理性で抑え、静かに彼の言葉に耳を傾ける。


「出来る事なら何もせず裏に逃げたいが、流石に国王に招待された舞踏会で誰とも踊らずに抜けるのは失礼だろ?」


 この国の慣習では、婚約者や恋人をエスコートして入場したら絶対に最初にかけられた曲に従ってパートナーと踊らなければいけない。


 エスコート相手のいない男性はその間誰とも踊ることは出来ず、二曲目以降ホール内の令嬢に声をかけて踊りに誘うわけだ。

 むしろ誘わない方が失礼に値する。


 舞踏会での社交ダンスなど挨拶のようなものなので、別に誰と踊ろうが構わない。

 パートナーがいる男性でも女性でも、開催後の冒頭でちゃんと正規の相手と踊っているのならその後の相手は自由である。


 正規パートナーと踊る曲は決まっていて、特徴ある入りのメヌエットがそれだ。

 冒頭でも流れ、舞踏会の途中でも曲がそれに変われば女性はパートナー以外の手は取らない。

 それ以外の曲で誰と誰が踊っていようが、それはお義理でもあるしまさに社交的なあれこれだったり。


 私と踊ったから、あの男性は私に気がある! なんてはしゃいでしまえば頭の弱い子扱いだ。


 確かに男性側が誘った女性に興味を持って「また会いましょう」なんて後日恋文を贈ってくるケースもあるけれど。

 傍目にはどちらのケースかなんて判断できない。

 だから皆、儀礼的なもので紳士としての義理、義務。挨拶回りに近い。要は社交辞令と見做すのだ。

 付き合いのある家同士、誘わないと失礼に当たる関係もあったり。


 王子だってカサンドラと踊った後、何人もの女性の手を取って踊るのだろうということは想像がつく。

 主催者側ということもあり、舞踏会では男性から声をかけるべきというルールの下、場に慣れない令嬢が壁の花状態でつまらない想いをしないように振る舞うはずだ。

 いや、案外年嵩の重鎮たちとの会話もあるから、ずっと踊っているということはない……かな?


 え? この話の流れ……まさかとは思うけど……


「アーサーと踊った後に、一曲だけ踊ってくれないか?

 その後に姿を晦ませれば、まぁ義理は立つだろ」



「……王宮舞踏会で、わたくしが……?」



 秒速で却下しそうになるくらい、荒唐無稽なお願いだった。


「別にわたくしでなくても、ジェイク様に声をかけていただきたいお嬢さん方は沢山いらっしゃるのでは?」


「だからそれが嫌なんだよ。

 誰かと踊ったらじゃあ次はあいつに声をかけるべきだとか、親が誰々だからとかキリがない。無視出来れば楽なんだが、後のフォローが面倒だろ?

 去年は適当な知り合いに声かけたばっかりに無限地獄を味わったからな……

 今年は絶対一抜けしてやる!」


 彼は拳を握りしめ、その惨劇とやらを思い出したのか額を押さえて嫌そうな表情。

 そこで誘うだのなんだの面倒だと全部放り出さず最後まで付き合うところは、根が真面目な彼らしい。


 今年は最速で舞踏会から解放される方法を思いついてしまったからと、馬鹿正直にカサンドラに頼みに来るのもまた、彼らしい。


 まぁ、そういう男性も中にはいる。

 社交界や舞踏会が大嫌いだけれど、問題にならない相手を適当に捕まえて一曲踊って自分のお役は御免とばかりに談話室に引きこもる人もいないわけじゃない。

 あまりにも失礼なので出来れば止めた方がいいが、ジェイクならその程度の失礼は許容されるというのか。本当に良い身分だな。


 舞踏会で壁の花をせざるを得ない女性の肩身の狭さのことを思うと何とも言えない気持ちになった。


 女性から声をかけて踊ってくださいとお願いできない以上、一曲も踊れず移動も出来ないまま延々と曲が終わるまでホールに佇む女性だっているのですけれど。

 まぁ、声を掛けても誰も踊ってくれない男性よりはマシ……なのかなぁ?



 彼のお願いに、お断りしますと言えば良いのだろう。

 ジェイクの負担を軽くしてあげるだけの義理もないし、カサンドラは優しい人間ではないのだ。

 今でこそ彼の中ではなかったことになっているが、入学当日から数日、自分を勝手に悪役認定して嫌味や牽制を堂々と行ってきた事実は消えやしない。

 仕方ないとは言え良い想いはしなかったのだから。


 下手に出て彼の言うことを聞く必要などどこにも……


「特にお前はアーサーの婚約者で他人に誤解されようもない、しかも派閥とか無関係だからな。ちょうどいいんだよ」


 中央貴族の厳格な派閥の中、彼らもちゃんとした立ち回りを要求されていることは理解している。

 地方貴族でそれなりの身分、そして友人である王子の婚約者なら。


 あの人と踊ったのだから自分と踊って! なんて令嬢達に不満を抱かせることもない。


 一曲踊ったという使命感を果たして清々しい気持ちで会場から逃げ出せる。


「アーサーにも相談したけどな、直接お前に頼むようにってさ。

 お前が踊る相手を選ぶのはお前だから――そりゃあ、当然だ」


 ズキッと心が痛む。

 そこで誰とも踊るな、なんて言うような人ではないことは分かっている。



 ――所詮義理ごとだ。

 

 一曲踊るだけの話。

 ジェイクが”お願い”をする価値がある行為というのなら……


 下手に出る必要はない。相手に良く思われよう、好かれようと思って顔色を窺わなくていい。

 対等であるためには、こちらの思惑の下で立ち振る舞うべきなのだ。



「ご相談内容は理解いたしました。

 ジェイク様がそうまで仰るなら頷くことも吝かではありません」


「本当か!?」


 ジェイクの顔が一瞬で明るくなったが、片手を突き出して彼の礼を言おうとする動きを制止する。

 その態度は出来るだけ大上段から構えるように。




「ですがジェイク様。貴方は舞踏会できちんとダンスを踊れますか?」



「ぁあ?」


 彼は眉間に皺を寄せ、ムッとした。

 彼の生い立ちを考えれば当たり前の事だ。

 カサンドラがもし誰かから「お前ダンス踊れるの?」なんて言われたら最大限の侮辱と受け取らざるを得ないのと同じこと。

 それくらい失礼な物言いだったけれど。こちらが下手に出るより、今はこの方が良いのだ。


 挑発的な物言いの方が、効果的。


「踊れるに決まってるだろ」


「ですがわたくしは貴方が踊るところを見たことがありません。

 あまり得意なようにはお見受けできませんし……わたくし、少し心配です。

 ダンスが不得手な相手と踊ると、思わぬ弾みで足を踏んでしまうかもしれません」


 実際にジェイクに興味が無かった。

 王宮舞踏会はずっと王子に釘付けだったし、ジェイクの屋敷主催の舞踏会では彼はホスト側として歓談ばかり。

 まともに踊っている姿を見たことがないのは本当の事だ。

 

「最後に踊ったのは去年だけどさ、お前に心配されるほど衰えてはないぞ?」



「では是非、見せていただけませんか?」



 良いことを思いついたと言わんばかりに、カサンドラは声を弾ませた。

 ジェイクの顔が「!?」と驚愕に揺れる様を出来るだけ見なかったフリで、カサンドラはカサンドラなりの『思惑』を乗せる。



「来週、選択講義で社交ダンスがありますよね?

 わたくしはそちらを選択します。

 ジェイク様がそちらに参加して見せて下さるのなら、わたくしも安心して――舞踏会当日のことをお約束できます!」



「お、お前……!

 お前な! 俺にそんな講義に出ろと? はぁ? 本気で言ってんのか?」


「別に難しいことはないと思いますが……

 ラルフ様も参加されるでしょうし、先生に指導していただくだけのことですよ?

 講座で指示されるがままジェイク様と踊ったからと、浮かれて周囲に吹聴するような方などおりませんよ」


 その理屈で言えばラルフの正式な相手は何人この学園に存在することになるのか。

 所詮、学園内の講座の一つ。



「はぁ……。ま、頼みごとをしてるのはこっちの方だしな。

 それに出れば俺の頼みは聞いてくれるってことでいいのか?」


 彼は諸々を天秤に掛けた結果、カサンドラの条件に頷いた。

 赤い髪が心なしか萎びて見えるのは相当抵抗があった証左だろう。

 申し訳ないが、カサンドラだってわざわざ舞踏会でまでジェイクと踊る約束をしたいわけではない。


 それなりの見返りはいただかなくては。



「ええ、わたくしも安心して舞踏会に臨みたいだけですもの」

  





 来週のリゼのスケジュールを脳内で書き換え、カサンドラは内心で拳を高らかに掲げていた。

 上手くいけば、リゼも一緒に踊れるかも?

 社交ダンスの講座に出るジェイクなど、超レアな光景である。

 二度とはお目に掛かれないかも、と考えるとこのチャンスはどうにか上手く活かしたい。






 ジェイクとリゼに上手くいってもらいたい、この気持ちに曇りはない。



 人知れぬ決意が全身火達磨になるくらい燃え盛っていた。


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