第83話 グッジョブ?


 結局その後、孤児院で昼食をいただくことになった。

 普段食べている料理とは全く趣を異にする、限りなく質素なメニューである。


 ここでカサンドラがリナ並みの家事能力があり料理が得意であれば、自分も料理を手伝って実は家庭的な女性であると王子にアピールできたかもしれない。


 だが残念ながらカサンドラは貴族のお嬢様らしく、自ら炊事場で手先を動かすような教育は受けていない。

 そもそも王妃となるはずの人間が料理が出来たからと言って好印象かと問われると難しいところだ。


 そりゃあ前世の記憶で朧気ながら、簡単に焼いたり煮たり、野菜を切ることくらい出来る。

 だが何事にも分相応があって、ここでカサンドラがしゃしゃりでて料理が出来ます! と敢然と動くことは憚られた。


 女神ヴァーディアに祈りを捧げた後、皆揃って食事を摂った。

 学園で食堂に集まる生徒よりも人数は少ないのに、騒々しさは桁違いだ。


 この孤児院での食事は二人一組。年齢が上の子は下の子の面倒をみながら一緒に食べている。

 三歳やそこらではまだまだ食器の扱いも儘ならず、ガチャガチャと金属音があちこちで木霊する光景は衝撃的だ。


 この食堂には創造の女神ヴァーディアの像が立っていた。

 女神と聖女アンナの関係は従属であるものの、聖アンナ教団は数あるヴァーディアを祀る教団の中でも最大勢力を誇る。

 辺境に行けば聖女アンナではない土着の英雄を祀る教団も存在しているが、数は少ない。

 ゆえに王宮での祭祀関連は殆ど聖アンナ教団の独壇場ということに。


 ……しかしその最初に選ばれた聖女とやらも、百数十年後の時代においてまさか自分が教団の象徴になって崇め奉られるとは思わなかっただろうな。

 そんな他愛ないことを考えながら、普段より賑やかな食事を終える。



 食器の音も静かで、会話も抑えめ、誰もが行儀よく。



 学園の食堂で大勢の生徒が集まって、静寂を保てる環境が凄いのかもしれない。

 二か月経っても食事の時間が慣れないとリタがぼやいていた理由が分かる気がする。


 彼女はこういう雑多な騒がしい場所で皆と楽しく話をしながら食事をしたいタイプなのだろう。





「昼食を振る舞ってくれてありがとう、また顔を出すよ。

 今度はシリウスと来れると思う」


「はい、はい。

 心からお待ちしております。ですがシリウス様も王子もお忙しい身、どうか本業に力を入れてくださいまし」


 孤児院の玄関前で、院長はそう言って別れの言葉を述べる。

 子どもたちがまとわりついて帰れそうもないので、見送りは院長だけ。

 子どもたちは皆、二階の窓硝子にべったりと張り付いてこちらの様子を凝視しているようである。


 彼らにしてみれば、王子達が訪ねてくれるなんて年に数度もない一大イベントなのだ。名残惜しいのは当たり前。

 本来会話することも出来ない圧倒的な身分差はあるけれど、子どもにはまだそんな現実が良く分かっていない。

 ただ、自分達を慰問し一緒に遊んでくれるお客さんだからこんなに歓迎して――帰る時にはシクシク泣いて引き留めようとする。


 迎えに来る親はなく。

 ここにいる皆が家族。


 今の境遇からスムーズに身を立てていければいいのだけれど。

 そして本当の意味で自分の家族・・・・・を作ることが出来たら、と思わずにはいられない。


 どうしても孤児院を巣立った後は危険な仕事、あまり人がやりたがらないような仕事ばかり請け負うことになってしまう。

 そして孤児院はここだけではなく、王国内に沢山あって。

 ……ここの子供たちだけ救われればいいのかと問われるとまた難しい。


 だからこそシリウスは親の跡を継いで宰相という国王の片腕となり、もっと広い視野で”救いたい”と思っているわけで。




「じゃあカサンドラ、早く乗ってくれ」


 パカパカと蹄が土を蹴る音がする。


 馬を牽いてきたジェイクが、ぽんぽんと馬上の鞍を掌で叩く。

 荷駄馬なので、背が高い馬ではない。


「……わたくしだけ、乗っても良いのですか……?」


 ジェイクは真顔で答える。橙色の双眸がキッとカサンドラを真っすぐ見つめる。


「是非乗ってくれ。

 お前の歩みに任せたら、街に帰って何もする時間がないだろ?」


 ここまで何とかついて来れたと思ったのは自分だけだったのか。

 出来れば自分だけ馬上なんて状態は避けたかったが……


「大丈夫、人通りが多くなったら降りればいいんだ。

 このあたりは道が悪かっただろう? 下りは少し危ないからね」


 こちらの心中を透かしたのか、王子にまでそう薦められては拒めない。

 どのみちもう一回同じ道を歩いて帰れと言われたら、足が壊れてしまう……!


 ヒールのない靴で正解だった、それでも普段徒歩で遠くまで歩く習慣がないので脹脛ふくらはぎがパンパンだ。

 明日はゆっくり湯に浸かろう。


「乗れないなら乗せてやろうか?」


「結構です! 台を貸してください!」


 完全に幼い子どもを馬上に置くようなジェイクの言い方に青筋が浮かびそうになった。

 荷物扱いか、と。


 ジェイクが手綱を牽く栗毛の馬は大層大人しく、カサンドラが手をかけても全く動揺することもない。

 ご丁寧にも横座りが可能な鞍で、ワンピースで馬に跨るという悲惨な状態は避けられた。

 よいしょ、と心の中で掛け声を出して馬の背に腰を下ろす。


 このまま馬本来のスピードで走られたらカサンドラの体は吹っ飛ばされるが、流石荷駄馬。

 荷物を載せて無茶な動きをしない、パカパカとジェイクに牽かれるまま乱れることなくついていく。

 確かに己の足で歩くより何倍も楽だった。



 前方に王子とジェイクの頭が見える。

 一転して馬上の人となってしまったカサンドラは彼らの会話に割り入ることも出来ず、それどころか何を話しているのかさえ詳細が分からない。

 これを持っていろと渡された固定具をしっかり握りしめ、カサンドラはまるで荷物のように運ばれていた。

 もっと自分の体幹が優れていれば、馬に横座りしたまま片手で日傘をさすという、周囲の視線から逃れる術が取れただろうに。

 生憎両手で支えていないとたまに揺れた時に落ちてしまいそうだ。



 ――この状況、子牛が市場に売られていく姿を謳った童謡が微かに脳内にリフレインする……



 別にカサンドラはドナドナと売られるわけではないが、普通の市民がこの姿を見たら何を思うのか。


 まぁ、王子をこの荷駄馬に跨らせるのは不可能だ。仕方ない。

 馬がかっこ悪いからではなく、女性を歩かせて自分だけ馬に乗って移動することを王子は絶対に頷かないから。


 自分がこうして移動するのが効率的なのは間違いないのだ。


 それにしても長時間早歩きでザッザッと道を踏みしめ歩くジェイクと王子の体力が無尽蔵過ぎて怖い。

 日頃身体を鍛えているジェイクはまだ分かるとして、細身に見える王子のどこにこんな体力が。


 以前触れた時も思ったが、結構な細マッチョなのではないだろうか。

 真偽など、カサンドラに知る術もないのだが。




 ※




 健脚である二人はカサンドラの想像を超え、随分早く当初予定されていた場所に辿り着いた。

 孤児院に向かったのはシリウスの個人的な差し入れを届けるため。

 だから本来彼らの予定にさえなかったことなのだ。


 その分、街で行うはずだった職人通り回りの予定を手早く消化する必要があったのだろう。

 個人的な散策とは言うものの、騎士団の雑務も兼ねているような口ぶりだったし。


 実際に警邏兵の詰め所での話や、武器屋や鍛冶ギルドなどのやりとりはカサンドラは全くの門外漢。

 その分ゆっくりと休むことは出来るのだが、二人ともあれこれと真剣な顔で忙しそう。


 単純に散策に付き合うことが出来たと喜べない状況だった。

 カサンドラの存在は覚えてくれれいるものの、彼らと一緒にいられるのは建物から建物に移動する時だけ。

 その間は椅子やベンチの上で彼らの所用が終わるまで待機することになる。



 ……街はとっても平和だ。

 どこを見渡しても不穏そうな影もないのは、周辺を警邏している衛士が多いから。

 一々こんなところで諍いを起こして牢屋に直行したい悪人などいるわけもない。

 血の気が多い人間同士で喧嘩をすることもあるかも知れないが、今日は大人しい様子。

 ――ジェイクがいるからという効果も十分あるかも。

 あんなに目立つ存在が近辺をウロウロしていたら嫌でも目に付く、そして彼自身が有名人。



 調子に乗って、王子に誘われたからと二つ返事で頷いた自分が駄目だったのだろうか。

 こうやって自分と彼らとの距離の遠さを再認識させられることになる。


 まともに彼らについて歩けないせいで、午前中は時間を浪費したと彼らは思っているかもしれない。


 少し気分が落ち込んできた。

 もうこのまま用事を思い出したことにして自分は帰った方がいいのかな?

 三時ごろにカフェでデザートでも食べてゆっくりしよう、そんなスケジュールを決めてしまったために彼らがせわしなく見えるのなら。

 自分の提案のせいで、無駄に気が急いているのなら?


 もはや自分の存在は邪魔でしかないのでは……


 ズーン、と暗い空気に押しつぶされそうになったとき。

 ホッと開放感に包まれたアーサー王子とジェイクがカサンドラの傍にようやく戻ってきてくれた。


 剣だ鎧だ槍だのに周囲を囲まれ、武具屋に出入りする騎士達にぎょっと二度見されるのも飽きてきたところだ。



「待たせてごめん。

 これで私たちの用事は終わったから。

 ――カサンドラ嬢、今度は君が『カフェ』まで案内してくれないかな?」



 何と朗らかで、麗しい笑顔なんだ。

 一切の負の感情など見えない、嬉しそうな王子の微笑みにモヤモヤがジュワッと蒸発する。


 少しでもここに来たことを後悔した自分を右ストレートで殴りたい。

 彼は自分との約束を守るため、ぎゅうぎゅう詰めの予定をテキパキとこなして今に至るというのに。


 そもそも孤児院に行くということ自体が予定外のことで、それも行動時間の半分近く持っていかれたのだ。

 カサンドラが今のように後ろめたい気持ちになる必要などどこにもない。


「あそこの食事はちょっと量が物足りなかったからな、俺も腹に何か入れたい」


 味が云々よりも、量に言いたいことがあってとして。

 ――あまりお金があるようには見えない台所事情、子どもたちの分の食料を食い尽くす程ジェイクも常識知らずではない。

 彼はお腹を押さえて、はぁ、と溜息を落とす。


 カフェと言えば勿論軽食もある。

 小腹を満たす分にはちょうどいいだろう。



「ありがとうございます! 喜んでご案内致します」




 徒歩で二十分くらいの、お財布に余裕がある層向けのお洒落な小売店。それらが建ち並ぶ通り沿いに目的地のカフェがある。

 かつてデイジーに教えてもらい、三つ子と一緒に行ったが全体的シックな色合いで落ち着いた雰囲気。

 カップルが多いのも頷ける、男性でも抵抗なく入れそうなお店だ。


 お値段もそこそこ張るので一般市民が常用するには向かないカフェ。

 特にこの辺りは親が金持ちでもない、所謂庶民の子が気軽に出入りできる立地ではなかった。馬車での移動も多く、この通りは事故に気を付ける必要がある。





「こちらです、クラスメイトに勧めていただいたお店で……」





 カサンドラが扉を開けて中に入る。

 次いで、王子。ジェイクは店頭に並ぶメニュー表を少し立ち止まって眺めていたが、すぐに入店。



 王子が店内に入った瞬間、





   ♪ パンパカパーーーン ♪





 突然店の奥からトランペットを持った店員らしき男性がスッと現れ、ファンファーレを豪快に鳴らしたのだ。

 ビクゥ、とカサンドラの肩が跳ねる。

 周囲のお客からも何事かと視線が痛い。





「……!?!?!?」




 カサンドラの脳内から一時的に色彩が抜け落ち、真っ白になる。


 何故!? 何これ!?



 呆然と立ち尽くすカサンドラと、不思議そうに首を傾げる王子。


 今どきのお店は、こうやって入店客を迎え入れるのが常識なのかと納得してそうな素振りであるが、絶対違いますから!





「おめでとうございます!

 お客様は――当店が始まって以来、なんと千組目にご来店されたカップルです!

 今日は特別に、該当カップルのお二人のため奥のお席をご用意させていただきました。



   どうぞどうぞ、こちらへいらしてください!」




 物凄い勢いで快活な店員がまくしたてる。

 記念? カップル? そんなこと前回来た時は一度も……

 というかカップル数でカウントとってたのこのお店!?

 そんなことなど露知らず、カサンドラは大混乱、大パニックだ。


「え、ええと……わたくし達は……あの、そういうわけではなく、三人で……」


 このお店の記念を意図的に壊すつもりはなかった。

 だがカサンドラが辞退するような言動をした瞬間、従業員たちが凄く物悲しい顔で見つめてくる。


  ええ……そんな…… と、彼女達はしょぼんとした顔。


 良心に訴えてくるのは止めて!

 勝手に自分達をカップルだと勘違いしたのは店側のミスで、カサンドラが気まずい想いをする義理もない!


 だがその居たたまれない空気を割ったのはジェイクだった。

 彼は呆れ声で、カサンドラを倦厭するかのような視線で眺めてくる。


「いいんじゃねーの?

 折角だし、その席使わせてもらえば。


 ……っていうか晒し者状態なのが嫌だから、早く行って欲しいんだけど」




 彼の冷めた目から、『俺を巻き込むな』という強い意志を感じる。




 まぁ同じ店の中だし、護衛と言っても同席である必要はないだろうし……



「カサンドラ嬢。

 ここに留まっていては他にこのお店に入りたい人が入ってくることができないかもしれない、早く移動しよう。

 ――折角お店の方達がこんなにも喜んでくれたのに、私たちが断っては失礼だ」



「は、はい………!」



 え、良いの!?


 カサンドラは王子が苦笑しながらそう促して来て一気にカーッと顔が熱くなってきた。

 カップル……

 カップル、か。


 婚約者同士だったら確かに間違いではないし、ジェイクも我関せず状態を貫いているのだから、ここは自分の心に素直に従うべきではないのだろうか。









「あら、ジェイク様。

 このような場所でお会いするなど、珍しいこともあるものですね」



 聞き慣れた声がテーブル席から聴こえる。

 そちらにはにっこにこと上機嫌に紅茶を嗜むデイジー嬢と――緊張が顔から抜け切れていないリゼが座っている。



「こんにちはジェイク様。

 偶然ですね、良かったら一緒に何か食べません?」



 こんな偶然があるわけない。


 もしやこれは……

 デイジーが、カフェの経営者を抱き込んで仕掛けた、盛大な茶番劇ヤラセ………!?





 デイジーがこちらの視線に気づいて、そしてニコニコと微笑む彼女は訳知り顔で片手を振る。





 ………ジェイクを引き離すためだけに、こんな前準備をしていたというのか。

 カサンドラでさえ、いや、当事者だからこそこんなこっ恥ずかしい手段など思いもよらなかった! 






 

 今は素直に、デイジーの計らいに感謝しよう。





 王子と二人でお茶の時間を楽しめるなんて思いもよらなかった。

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