第82話 子どもは正直


「まぁまぁ、王子、ジェイク様。

 このような不便なところまでご足労ありがとうございます」


 孤児院の『母親』とでも言うべき年嵩の女性が奥の方からスッと現れる。

 物腰の柔らかい女性ではあるものの、修道女特有の白い頭巾を被る女性は聖アンナ教団の一員のようだった。

 教団が慈善事業の一環として経営している孤児院という体ではあるけれど、王子やジェイクも足を運んでいたように教団という隠れ蓑を使ったシリウスの私設孤児院のようなものなのかも。


 院内を見回すと聖アンナ像が目立つ場所に立っている以外はごく普通の宿舎と変わらないように見えた。


「貴方たちは学園に入学しましたし、もういらっしゃることはないかと胸を痛めておりましたのよ」


 ホホホ、と鷹揚に笑う院長はマーヤと名乗った。

 歳の頃なら五十を超えているような、カサンドラから見ればおばあちゃんの世代だ。


「言われてみたら寮に入って初めてか、そう頻繁に来れないからな。

 ほら、シリウスからの差し入れだ」


 ジェイクが荷駄を下ろし、五十キロは下らないだろう木箱をドサッと院内玄関に乱暴に置いた。

 着地の衝撃で木箱の蓋が開き、そこには――重たいはずだ、衣類の下に沢山の本が詰まっている。


「新しいお洋服だ! これ私の!」


「ダメダメ! あなたにはまだ大きいでしょ、こっちはシーナが着るの」


「いんちょー先生、絵本がいっぱいあるよ」


「うわ、こっちは分厚い本……要らね、誰が読むんだよ」


 まさにその様はかつて前世で体験したバーゲンセール。

 一つの木箱に群がりそこから己の欲しい物を取り合う、まさに戦場……。


 下は幼児、上は十歳ほどの子どもたちが押し合いへし合い楽しそうに木箱をひっくり返さん勢いだ。


 全員で三十人くらいの子供たち。予想以上に多い!

 皆が親がいない子どもたちなのか。

 事情は様々だろうが、子どもを育てられないと置き去りにする親もいるし、両親が不幸なことで亡くなって親戚の誰も引き取ってもらえないとか。

 想像すると胸が詰まる。


「馬鹿ね、ダン!

 ちゃんと勉強しないと、学園に入れないんだから!」


 一人の少年が放り投げた本を拾い上げ、表紙についた埃を払う子がいた。

 少し小生意気な言い方の女の子だ。だがシリウスがそういう勉強のための本を同梱しているというのはそういうことなのだろう。

 身を守る術を持たない子どもたちが真っ当な職を得ようとするのはとても難しいことだ。

 例え王都という治安の良い場所でも、お金を持たず知識や世間を知らない人間を食い物にする悪い奴はいくらでもいるのだ。


 その点学力という一点突破でも学園の入学試験に受かればその後の生活の多くは保証されるわけで。


 ……孤児院を経営していることはお目こぼしされている状態で甘んじていても、差し入れは家人にバレたくないというシリウスの事情が分かった気がした。

 学園運営側としては有能な庶民が入学してくれるのは人材的にありがたいけれども、その数は抑えたいのだ。

 有能な庶民ばかりでは治める側たる貴族の子女のメンツも立たない。

 何より市民が皆賢いというのは為政者側には結構面倒なものだと彼らは思っているはずだ。

 中でも孤児院育ちの特待生などとんでもないと中央が考えているなら?

 シリウスの行動に口出しして、この孤児院の経営権自体を取り上げてしまうかも。




 子供たちが木箱の中身に夢中になっている間、院長は自分達を応接室に招いてくれた。

 この施設で最も広い部屋なんですよ、と彼女が言った通り何脚もソファが置かれている。

 だが調度品が少ないせいで、その広さが少し殺風景に感じられてしまうのが胸が痛かった。


「それで、そちらのお嬢さんは……」


 子どもたちの勢いに圧倒されていたカサンドラは、ようやく自分の置かれている立場を思い出した。ハッと意識を醒ます。

 院長が訝しそうに見つめているのも当然で、見たこともない女が王子とジェイクと一緒に訪れたら出自を問いただしたくなるだろう。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。

 わたくしはカサンドラと申します、お見知りおきください」


「カサンドラ様……ですか」


 彼女は自分の名前を聞いた後、何か思うことがあったのか何度か小声でカサンドラの名をつぶやいた。


「失礼ですが、もしやレンドールのお嬢様でいらっしゃる?」


 ああ、とようやく思い出したようで両手を合わせて彼女は顔を綻ばせた。


「――レンドール侯爵クラウスはわたくしの父です」


 レンドールは王都の孤児院の院長にまで名を知られるような存在なのだろうか。

 一応南方の大勢力、地方とは言え侯爵の称号を王家に賜っているわけで。カサンドラが思っている以上に知名度があるのかもしれない。



「ええ、ええ。存じております、何でも王子の婚約者でいらっしゃるとか。

 未来の王妃様にお会いできて大変嬉しく思いますよ」


 そこにあるのは何の他意もない、ニコニコと優しい院長の微笑みだ。

 家柄がどうだとか政略がどうだとか、誰の圧力だとかそんな穿った意図は一切感じられない。

 それが素直に嬉しかったし、無性に気恥ずかしくなって仕方ない。


 親の決めた云々ということをパージして、ただの婚約者という言葉だけが妙に浮いているというか。

 淡々と事実確認をされただけなのに、何故か面映ゆくてしょうがなかった。


 でも王子の態度はそれを受けても何も変わらないから、ここで自分だけ動揺するのは馬鹿みたいだ。



 和やかな自己紹介の時間は、子どもたちの強襲で一気に霧散する。

 けたたましい足音が廊下に響き渡った。


 玄関を開けたときのような勢いで、子どもたちは一切の加減なく応接室に転がり込んできたのである。



「あらあら、まあまあ」



 院長も苦笑する。

 この人数の子供がテンションマックス状態で、そう簡単に収拾がつくはずもなかった。


 立ち尽くすカサンドラのスカートの裾がくいくいと引っ張られる。

 可愛らしい黒髪の女の子、恐らく三、四歳だろうか。彼女は片手に一冊の絵本を抱え、カサンドラに話しかけてきた。





「おねえちゃん、えほんよんで!」



 ………絵本。


 カサンドラ少しは戸惑いながら、腰を屈めて少女に視線を合わせる。

 少女は「はい、これ!」と目を輝かせて一冊の薄っぺらい装丁の絵本を突き出してきた。



「エミリー、そちらの方はレンドールというお家のお嬢様で……

 ――王子の婚約者でいらっしゃいます、控えなさい。

 何より、初対面の方に無理を言ってはいけません」



 そんな何回も! 婚約者って吹聴しなくても!

 王子の婚約者ってアピールされると、凄く居たたまれないというか気まずい。


「素敵な絵本ですね。一緒に読みましょう?」


「いいの?」


「勿論です」


 こんな幼女のささやかなお願いを断れるほど強心臓ではない。

 一体シリウスがどんな顔をして入れたのかは知らないが、可愛らしいプリンセスが表紙の絵本であった。


 チラ、とジェイクと王子の様子を横目で伺う。


「――王子、先日は学園からピアノのご寄付を頂戴し、まことにありがとうございました。

 皆楽しく使っておりますよ」


「ラルフに伝えておくよ、喜んでくれたなら何より。

 学園で使わなくなったものだけれど、まだ十分綺麗だから処分するのも勿体なかった。

 院長が引き取ってくれて助かったようなものだから」


「あんな立派なピアノを目の当たりにしたのは何十年ぶりでしょうね、あれを捨ててしまうなんて女神様に叱られてしまいます。

 折角ですから何かお弾きになりませんか?

 遊戯室に置いてありますよ」


 アーサー王子と院長のやりとりの終わりを待たず、王子の足元に何名も「ピアノひいてー!」と子供たちがまとわりつく。

 他人にまとわりつかれる王子の様子は教室内でさんざん見てきた。それほど呆れるくらい、彼の周囲には人が集うのだ。


 だが子どもたちに囲まれて弾いて弾いてと急かされる王子の表情は、今まで見たことがないくらい嬉しそうで目を奪われる。


 ――コーティングされていない素の表情というのか。


 ……ああ、きっと彼は本来こんな姿なのだなと気づいてしまう、ある種無防備な表情である。


「ピアノ……って」


 その会話で思い至ることがある。

 学園の音楽室のピアノが、ラルフによって新しく寄贈されたものに変わったのはつい最近のこと。

 それまで使用していた大きなグランドピアノの行き先など誰も興味はなかったが、なんと『ここ』に寄付されたのか。

 使い古しのピアノなど廃棄されるものだが、院長の言う通りまだまだ現役、立派なものだとしたら。


 ここに寄付するために新しいピアノを寄贈したわけではあるまいが。

 結果的に誰も知ることのない善行を素知らぬ顔で行っていたわけか。


 自分の功績を周囲に言って回る必要はない。そんな立場の人たちだ。

 でも本人たちは善行とさえきっと思ってない、それは当たり前で普通のことだから。

 この世界にもあったのだな、ノブレス・オブリージュという概念が。



「ジェイク様ー、かたぐるま! かたぐるま!!」


 普通の青年と比べて体格が良いジェイクの周辺には大小構わず少年たちが寄ってくる。

 元々ジェイクも子供が好きなのだろう、広い応接室の中で子どもたちにソファのバウンドを利用して飛びつかれたり、背中によじ登られたりして楽しそうに笑っていた。


 高い天井にぶつけるんじゃないかという上方への投げ飛ばし方は見ている方が心臓に悪い。

 でもそういうスリリングな動きはこの年頃の少年には楽しいものなのだと初めて目の当たりにした。



 ……王子にせよジェイクにせよ、子供好きであることに疑いの余地はなさそうだ。


 特に王子、本当にこの人は完璧超人かな? 苦手なものや欠点とかないの?


 子どもたちと一緒にピアノがあるという部屋まで連れ立つ王子は、部屋を出る直前に振り返って軽く手を振った。

 すぐに戻ってくるから、と言い添えて。




 とりあえずカサンドラは、傍にいる四人の女の子に絵本を読んであげることにした。

 ページ数も少なく、ものの五分で読み終えることが出来るものだ。

 だが四人ともそれぞれ読んでみたい絵本を抱えているので、きっとこれらすべてを読むことになるのだろうと覚悟は決めた。


 絵本の読み聞かせなんて初めての経験だ。


 ソファに座って、絵本を膝の上に立てる。

 正面の絨毯にぺたんと座る幼女たちにも見えるように、やわらかいタッチで描かれた紙面をそちらに向けて。

 紙芝居のように裏に文字があればいいのだけど、もはや記憶にも薄いお話をチラチラと上から覗き込んで確認しながらカサンドラは読み進める。



 あまりにも美しいお姫様に嫉妬した悪い魔女が、お姫様を塔に閉じ込めてしまうことから始まる物語。

 しかし顔だけでもなく心も優しいお姫様に感銘を受けた手下の使い魔。

 お姫様を探す王子の元へ飛んでいき、彼を閉じ込められた塔へ案内してくれる。


 果てしない嫉妬にかられた魔女は醜い魔物と化して王子に襲い掛かるが、王子がそれを打ち倒す。

 ささやかな争いのシーンの後、王子がお姫様を救い出すという物語だ。


 お子様にも大変分かりやすいストーリーである。



 心の清らかなお姫様の声を無理して可愛らしい声で演ずるよりも、悪役である魔女の声の演技に気合がこもってしまったことは否定しない。




「――こうしておうじさまとおひめさまはすえながくしあわせにくらしました。」



 王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしました、めでたしめでたし。




 幼女たちはぱちぱちぱち、と拙いながらも拍手をしてくれたのだ。


「おねえちゃん、すえながくってどういうこと?」


「ずっと一緒という意味ですね」


「じゃあけっこんしたってこと?

 これ、けっこんしき?」


 この年頃から結婚という概念を知っているのか、とちょっと吃驚した。

 最後のページは王子様と救い出されたお姫様の教会での結婚式シーンである。


「そういうことですね」


 可愛らしいその姿に、カサンドラも充足感に満たされていたのだけど、一人の女の子が呟いた。



「いいなぁ。

 わたしもおうじさまとけっこんしたい!」




「え、ええと……」


 カサンドラは一瞬言葉に詰まった。一体自分は何と言うべきか?

 きっと結婚できるよ! なんてポジティブに応援すればいいのか。

 でも――実際に王子の婚約者という立場で、そんなこと言い出すのは非常識ではないだろうか?



 四人の幼女の前に王子様とお姫様の結婚式の絵を掲げたまま、カサンドラは焦る。



 だがこれはただの可愛い幼女の幼い空想、夢物語。

 真顔でそれを否定するほど大人げない人間ではない。


 ここは彼女に合わせよう。だが、そう決めたタイミングが少し遅かったのだ。


「無理よメアリ、さっきいんちょー先生がいってたでしょ?

 このおねえちゃんが、王子のコンヤクシャ――結婚する人なんだから」


 ふふん、と。

 やや大人びた仕草で肩を竦める女の子。


「ええ、そうなの……?」


 がーん、とショックを受けた栗色の髪の女の子。メアリと呼ばれた少女は涙目でカサンドラを見上げて来るではないか。

 その純粋無垢な幼気な視線が心に突き刺さる……!




「えー、その姉ちゃんが王子の結婚相手ー?

 なんかおっかしーの」


 更に太い横槍がカサンドラの急所も同時に貫いていく。

 ジェイクと遊んでいた少年が、ソファの背もたれの上でじーっとこっちを見ていた。

 はしゃぎ疲れたのか、ソファの背の上でひと休みする姿は止まり木にとまる快活な鳥のようだ。


「お、おかしい……ですか?」


 つい口元が引きつる。

 子どもの年齢は詳しくないけれど、五歳くらいかなぁ、と推測できる小柄な少年。

 彼はニヤニヤ笑みながら、カサンドラが今しがた読み終えた絵本を指差した。


「だって姉ちゃんって、どっちかっていうと魔女じゃん?

 ――悪役っぽい顔してる!」


 純粋で嘘のない、素直な感想。

 だからこそ辛い。

 子どもってお世辞が言えないものね!



 奈落の底に突き落とされる心境とはこういうことか。

 ああああ、と頭を抱えて蹲りたくなるのを懸命に堪える。


 好きで悪役顔で生まれてきたわけではない!

 清廉で清らか、ふわふわした守ってあげたい雰囲気など出せません!


 自分でも自覚しているけれど、何で短期間で何度も他人に面と向かってそんな失礼なことを言われなければいけないのか。



「こら!」



 だがその少年の頭上に、ジェイクが拳骨を入れる。

 完全に不意打ちだった少年は、ソファの背もたれから落下して絨毯の上で痛てーー! とゴロンゴロンと身悶えた。


「他人の顔を茶化すのは止めろ。

 そんな風に言われたらあの姉ちゃんも傷つくだろうが!」





  ………えー…… それをジェイクが言うのか………





 衝撃が引っ込み、ついカサンドラは能面になってジェイクを凝視する。





   じーーーー。





 その無表情、感情の見えないカサンドラの視線に気づいたジェイクは一瞬怯んだ。




「だからあの時は悪かったって。

 いやー、客観的に自分の言動見せつけられたら『やっべぇ』ってなったわ。

 ――マジでごめん」


 視線を逸らし、彼は改めて謝罪してくれた。

 だが謝ったからと言ってなかったことにはできない。

 しかもこの少年と違い、彼は良い歳をした人間だ。悪意がなかったとは思えない。





 お前も二度と言うなよ? という無言の圧力を視線に乗せ。




  カサンドラは少し強めに絵本を閉じた。


 


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