第81話 行き先変更


 一般的な『デート』と表現すれば語弊がある。


 これはたまたま王子がもののついでに誘ってくれたことで、しかも本来カサンドラが同行する予定ではなかった。

 王子が街に降りてお忍びで散策というシチュエーションはドキドキするが、話を聞いていると半分以上が遊びというよりも雑務の一環である。


 だがしかし。

 カサンドラは馬車に揺られながら、全身を緊張で強張らせていた。


 とうとう生誕祭後の休日が訪れてしまった、勿論嬉しい。

 一日千秋とばかりに待ち望んでいた休日である。


 嬉しいには嬉しいのだけど、本当に自分は王子の誘いに頷いて良かったのだろうか……という根本的なところから不安になってくるのだ。

 こんなにウキウキと浮かれているのはカサンドラだけで、彼らにとっては取るに足りない日常に過ぎない。


 あまりにも気合を入れた格好をしても仕方ない。

 色々悩んだ結果、髪型は通学の時と同じハーフアップのまま。

 着る服もごく普通のワンピース、そして一点もののお洒落だと持ちだしたのが白い日傘だ。

 真っさらなおろしたての傘は上手くすれば自分の表情を隠すことも出来る。


 まさか扇を持って歩くわけにもいかないし、顔を自然に隠すにはこれが一番。

 そして街の中を歩き続ける予定と聞いているので、ヒールのある靴は絶対にやめようと歩きやすいショートブーツ。


 今日一日で何かが大きく変わるということはないだろう。

 でも王子がいつも週末何をしているのか気になる、それに学園生活で伺い知ることの出来ない彼の素顔の一端を垣間見るチャンス!



 馬が嘶き、馬車の動きが止まる。

 ドキッと心臓が大きく高鳴った。


 御者が恭しく馬車の扉を開け、閉じた日傘を片手にカサンドラは街路に降り立つ。

 指定通り学園寮の入口に馬車を寄せた後、ぐるりと周囲を見渡した。


「……王子!」


 ぱぁぁ、と表情を明るくさせカサンドラは小走りに駆け寄った。

 制服とも合奏の時との私服とも違う、普通の街行く男性市民が着ていそうな装いである。

 だが当然そんなことで彼の王子様オーラが隠しきれているはずがなく、どこからどう見ても敢えて市民の格好をして街にお忍びで出かける偉い人にしか見えない……!


 アーサー王子が本気で一般人Aになりきろうとしたら生まれ変わる他ないのではないか。

 そう確信が持てる程、彼の存在感はあくまでも煌びやかで光の粒子をキラキラ纏っているのである。


「おはよう、カサンドラ嬢。

 来てくれて嬉しいよ」


 休みの日まで王子のお姿を拝見できてとても嬉しいです! と、自分が犬だったら完全に尻尾が左右にぶん回されていただろう。

 だがここで理性が働いて思いとどまり、いつも通り涼しい表情になってしまうのは『彼』の存在だった。


「――よう」


 彼は気軽にひょいっと片手を上げ、何故か一頭の馬の手綱を牽いたまま王子の傍に歩み寄る。

 綺麗な栗毛の馬は槍や剣を携えて乗りこなす騎馬用の馬よりも雰囲気が穏やかに感じられた。馬特有のつぶらで優し気な黒い目が可愛い。

 馬に取り付けられた鞍に一塊の荷物が括りつけられていたので、その通り荷駄を運ぶために連れてこられた馬なのだろう。


「ごきげんよう、ジェイク様。そちらの馬は……」


「悪いが今日、行き先がちょっと変更になってな。

 先にこいつを届けに行きたいんだが、いいか?」


「勿論構いませんけれど」


 荷物を持っていく――王子とジェイクを使い走りのように扱う人間がこの国に存在するのか。

 そのことに大きく動揺した。


「今日街に出ると言ったらシリウスから頼まれてね。

 カサンドラ嬢には申し訳ないけれど、午前中の予定が変更になってしまった。

 午後はちゃんと君が提案してくれたお店に寄るから、それは安心して欲しい」


 やはりシリウスか、と心の中で納得できてしまう。

 この二人に「ついでだから荷物持って行って」なんて言える人間、他に王様くらいしか思いつかないし。王様だってもう少し遠慮すると思う。


「職人通りで武器屋とかギルドを廻るはずだったんだけどなぁ」


 ジェイクは溜息をつきながら、そうぼやく。

 流石に大柄なジェイクでも抱えて歩くには邪魔な大きさの荷物、それが何なのか興味がある。


 この荷物の届け先が何処かは分からないけれど、少なくとも武器や溶工施設の見学会にはならずに済んだようだ。

 ありがとうシリウス。


 そして王子が自分に気を遣って例のカフェには予定通り午後に寄ってくれるという……。

 それだけでカサンドラは背中に羽が生えたように幸せな気持ちになれた。


「ところで、こちらの荷物をどちらまでお届けするのですか?」


 シリウスならばこの二人に遠慮なく荷物運びを依頼できるとは言っても、もっと他に適役がいるはずではないだろうか。

 一応お忍びで王都を散策する王子に何でこんな事を言い出したのか、とカサンドラも首を捻った。


 シリウスは実際に偉い人ではあるけれども、傲慢な人間ではない。

 王子や幼馴染を顎で使うような不遜さは持ち合わせていないはずでは。


 すると王子とジェイクは二人顔を見合わせ頷き――同時に答えてくれた。






    『孤児院だ』、と。






 ※




 丘の上の孤児院に三人は徒歩で向かう。

 その間、露店の並ぶ大通りを歩いたり大広場を横切ったり、街の様子を彼らは真面目な表情で観察して回る。


 ギリギリ王都の一部とは言え、便の悪い辺鄙な土地だった。

 道は完全に舗装されておらずところどころデコボコしていて歩きづらい。

 坂道を上るのにも一苦労だ。


 ジェイクが徒歩のまま手綱を牽く馬は気にせずパカパカと蹄の音を響かせる。

 周囲は草原が広がり、どことなく牧歌的な光景が漂っていた。

 ここまで歩くだけで一時間弱もかかるとは……


 明日、間違いなく筋肉痛だ……!

 二人は女性であるカサンドラを気遣ってゆっくり歩いてくれているつもりらしいが、それでも速い!


 まさかこの荷物の配達先が孤児院だとはね、と心の中で納得してしまった。

 あまり大っぴらにこういう環境を整えていることを知られたくないシリウスは、実家を通さずに個人的に支援を行っているのだろう。


 王子とジェイクが街に出るとたまたま小耳にはさんだシリウスが、それならついでに、と。

 どっさりと荷物を寄越してきた――ついでっていう量でも距離でもない。


 さっきはシリウスに感謝したが、これだけ歩かされるのなら素直に職人通りでむくつけき屈強な漢達が武器や防具を手に取り製造する過程を見学している方がマシだったかもしれない。

 怨嗟の念を、今頃部屋の中で寛いでいるかもしれないシリウスに向ける。


 日傘をさす手がプルプルと震えてきた。

 いっそ畳んで杖にして歩いてしまいたいが、淑女はそんなことしない。

 すました顔で、楽しそうに会話をする王子達の数歩後ろを静かに歩くのみだ。


「カサンドラ嬢、大丈夫かな? 長時間歩かせてしまった、もう少しで着くよ」


「いえ、お気になさらないでください。

 普段の運動不足解消になりますもの」


 ここで音を上げてしまうのは何とも情けない話だ。

 彼らは体力的に全く問題がなく、全く同じ歩幅で先に進む。


 気を張らないと置いて行かれてしまう。

 カサンドラは彼らとハイキングに来たつもりではなかったのだけど……?


「相変わらず体力ないんだな。リゼと一緒に運動した方がいいんじゃないか?

 ま、荷物下ろしたらコイツに乗せてやるよ」


 ジェイクはそう言って栗毛馬の鬣を撫でる。

 彼の愛馬というわけではないようだが、馬もすっかり大人しく言うことを聞いて黙々と歩いていた。

 荷駄獣と言えばやはり馬、もしくは驢馬やラマだが……。この王都でラマの姿は見たことがない。

 レンドールでは頻繁に見かけたが、風習の違いか。


「……ありがとうございます、お気持ちだけ頂戴します」


 流石に王子とジェイクを歩かせたまま自分が馬に乗って移動るすのは精神的に無理だ。


 もしも王子が一緒に乗ってくれたら――そう想像しかけたが、シュッと凛々しい軍馬と比べてこの茫洋とした表情の荷駄に乗るのは彼にはとても合わない。


 一瞬の夢想は無かったことにした。

 アーサー王子には白馬が似合う。


 無駄な妄想を振り払うため、カサンドラは細い息を落とす。

 そしてようやく目前に迫った、煙が立つ大きな建物が視界に入ってようやく胸を撫でおろしたのである。


「どうしてシリウス様は、お家の方に孤児院のことを内緒にしているのですか?」


 王子を配達人に使うような真似までして。

 もしも家人が動かせるなら、カサンドラがここまで歩く必要もなかったはずだ。

 若干の納得できなさが口を滑らせてしまった。


「内緒にしてるわけじゃない。

 ――あいつの親父が利益にならないことをするなって煩いから、わざわざ表立って動かないだけだ」


 ジェイクが淡々と答える。

 今更だな、と肩を竦める仕草。確かに孤児院を経営しようとしたとして、所詮身寄りのない者達の集まり。

 決して生産性が良いとは言えないし金だけ無駄に食う。

 慈善事業なら、散発での炊き出しのように派手なアピール方法がある。


 地味な後援など何の意味もない、と。あの宰相なら確かに言いそう。

 普段は国民のためだの何だの都合の良い時に持ちだしてくるが、本音は貧乏人は生きている価値がないくらいは思ってそう。

 口にする程愚かではないだろうけど。


「でも意外だ。

 シリウスが孤児院に関わっているって聞いても、お前は驚かなかったな」


「え?」


 ジェイクはこちらの反応を抜かりなく窺うように、その橙色の目を細めた。


「てっきり経緯を聞いたり、あいつに似合わないとか騒ぐのかと思ったけどなぁ。

 シリウスもお前が同行だし渋るかと思ったけど、別に文句もなかったし。

 随分信用されてんだな」


 うっ、と息を呑んだ。


 シリウスと殆ど交流がないカサンドラが、彼が恰も親に隠すように関わっている孤児院経営なんてことを知っているわけがない。

 いや、シリウスにそこまで信用されている理由は分からないけれども。

 ……普段の学園での塩対応で冷たい氷の貴公子扱いされているシリウスと孤児院は普通は結び付かない……かも。



   まるで 最初から知っていた・・・・・・・・・ようだな? 



 ジェイクはそう、直截に突っ込んできたのだ。


 カサンドラが普通に受け入れて驚く素振りもないことが、ジェイクの勘に引っ掛かってしまったのか。


「シリウス様がお優しい方だということは存じておりますし。

 孤児院への用事と言うのも、特に不思議には思いませんでした。

 勿論、わたくしもこのことを誰かに口外するつもりもありません」


 背中に汗がへばりつく。

 ジェイクと二人きりならばまだいいが、ここには王子もいるのだ。


 彼に不審がられたらどうしよう!

 王子のことを探っていたから偶然シリウスの事も知ってしまったんです、なんて。王子本人に知られるわけにはいかない。


 カサンドラの焦りに反し、王子はやんわりとジェイクを嗜める。


「カサンドラ嬢と共に生徒会で活動して、もう二か月以上経っている。

 彼女は聡い女性だ、シリウスの為人ひととなりを看破することくらい出来るだろう。

 ジェイク、何をそんなに疑っているんだ?」



「ふーん、それもそうか。

 俺はレンドールに腕利きの間諜スパイがいて、カサンドラがシリウスの事も全部お見通しなのかと」


 ははは、とアーサーは笑った。

 そこには警戒心も疑いも欠片もない、爽やかな笑顔だった。


「何故彼女が間諜など放つ必要があるんだ、面白いことを考えるんだなジェイクは」


 ジェイクからの視線が非常に痛い。

 やはりあの時の事情暴露で、カサンドラが有能な間諜を雇って王子や御三家周りの情報を探っていると未だに勘違いしているのか。


 王子のことを知りたいがための副産物で、彼らの事を知ってしまった。

 その言い分を完全に鵜呑みにされたわけではないと。


 ゲームでの印象と異なり、ただ力任せに問題を解決する人物ではない。察しも良い人間なんだなと改めて驚かされる。

 何も考えず言われたことを全て真に受ける人間が、仮にも軍人を務めることはできない。

 ゲーム中で見せていたのは全ての側面ではなく、主人公に見せた彼の素顔の”一部”ということか。

 やはり人間と言うのは、奥が深い。 

 定まった記号のようにこういう人間だなんて言い切れないし表現も出来ないものだ。


 カサンドラが本来知り得ない情報を知っていることは事実。

 その情報源は絶対に誰にも知られることは無いとはいえ、結構後ろめたい想いはある。


 それよりも!

 ジェイクに不審そうな顔で糺されたとき、言葉に窮したカサンドラを庇ってくれたのはとても嬉しかった。

 友人と一緒になって「どういうこと?」なんて重ねて聞かれたらカサンドラの顔は顔面蒼白になっていたことだろう。


 まさかシリウスが孤児院に関わっていることを情報として知っているだけで、現実の自分の反応が違和感を抱かせるものになるとは……

 でもカサンドラは演技が得意ではないし、これからも同じような失態をしてしまう可能性もある。

 極力気を付けよう、と心に誓った。


 カサンドラは無意識に日傘で彼らの視線を遮る。

 誰にも理解されない隠し事があるというのは、このように立ち回りが難しいものなのだ。




「悪かったな、別にお前の事疑ってるわけじゃない。

 悪意なんかないってのは分かるんだけどな、つい」



 カサンドラの近くで、ジェイクはこそっとそうぼやく。

 まぁ自分がこの世界での異物、変な存在であることは自分が一番知っている。


 王子の幼馴染で、身の回りを守る護衛の身としては――

 そういうふとした違和感を突かずにはいられないのかも知れない。


 



 彼らに不信感を抱かせないよう、気を引き締めて過ごさなくては。

 お互い気持ちよく日常を過ごしたいではないか。


 それにまだ今日は孤児院まで移動しただけ、一日は始まったばかりなのだ!


 王子と少しでも距離が縮まるよう、そちらも意識しなければ。



 孤児院の敷地内に入った後、ジェイクが呼び出しのため金属の輪っかをコンコンと大きく叩く。

 すると――



 扉が壊れそうな勢いで、バーーン! と開け放たれた。

 








「あ、ジェイク様だーー!」 


「わーーー、王子様ーー! ひさしぶりー!」


「ねぇねぇ、こっちのお姉ちゃんだぁれーーーー?」 


「シリウスさまはどこーー? ラルフさまもいなーい!」



 



 


 呆然とするカサンドラ。


 ジェイクと王子の周囲に十歳に満たないだろう子どもたちがわらわらと押し寄せてきた。

 彼らは口々に思った事を叫ぶように主張し、大きな目をキラキラを輝かせて詰め寄ってくる。







   ――ヒヤッとした緊張感が吹き飛ぶ、子どもたちの歓声が青空の下に木霊した。

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