第80話 振り返る



「……ふぅ」


 ようやく怒涛のような一日が終わったのだ。

 カサンドラは夜着に着替えた後、別邸の自室にて開放感に包まれる。

 はしたなくも快哉を叫ぶ寸前だった。


 目だった失敗もなく、聖アンナ生誕祭は成功と呼べる状態で終えることが出来たのだ。

 前世の記憶を思い出して以来、初めて何かを成したという現実的な達成感に満たされカサンドラは気分が良かった。


 勿論全てが思うままというわけにはいかなかったが、主人公は当初の予定通り主人公パワーを発揮してお目当ての相手と確実に距離を詰めている。

 この調子で上手くいってくれればと願わずにはいられなかった。




 ジェイクは基本的に運動系のパラメータを集中して上げていけば問題がない。

 学期末試験で赤点をとって補習になろうが、名声が下がろうがあまり気にしない人である。

 選択肢も素直で、嘘や誤魔化しをせずに素直でいればいい。


 初心者向けの攻略対象と言ったらジェイクに物凄く失礼なのだが、あまり難しいことを考えなくても学園恋愛ものとしての要所をきっちり抑えたイベントばかり。

 ただ、彼とのイベントが進んでいればそのうち義弟のグリムが登場して大変ややこしい話になる。

 腹違いの義弟――というだけではなく、彼が生まれた経緯が大変面倒なものなのでシナリオに結構絡んでくるのだ。

 ジェイクとは正反対というか、どちらかというと病弱で体が弱く人前にあまり出ることがない少年。

 今までダグラス将軍によって隠蔽されていたというべき彼が学園に入学してくると一波乱の覚悟がいるだろう。

 リゼなら大丈夫だとは思うが……



 ラルフは気品のパラメータが重要視され、その上で魅力の値も結構大事だ。

 彼のメインルートに入るためには、三学期の嫁選びパーティに参加しなければいけない。


 ラルフも結構無茶ぶりをする。

 主人公に夜会で偽装恋人になってくれと個人的に相談してくるイベントが起こる。

 主人公を出自不詳の貴族の娘としてパーティに潜り込ませ、そこでラルフが彼女を選ぶ――今後一切、嫁選びのような集まりを止めさせるため。

 仮初のパートナーになってくれ、と。


 夜会に突如姿を現した着飾った主人公の正体を誰も暴けず、学園生活では主人公が相手だなんて誰も気づかないので必要な時に彼のパートナーとして同行するようになる。

 ……侍女らのメイクで完璧にお姫様然たる主人公は周囲の目を掻い潜りつつ、卒業まで”縁談除け”の役回りがバレないように学園でクラスメイトの一人として接するわけだ。

 ラルフとの話になると学園というよりも社交界での話が多かったりする。


 最初は自分の事に好意を持ってるらしく礼儀作法もそれなりの主人公を謎の令嬢と化かせて利用し、嫁選びから逃れようと画策するラルフ。

 だから彼の性格は決して良いわけではない……のだけど、やっぱり最後の卒業パーティで一番盛り上がって華やかなのはラルフだと思う。


 社交界でラルフがパートナーとして選んだ相手が実は主人公で。

 しかも卒業までの約束が永久契約に変わるって宣言されるのは、やはり王道物語として外せないところだろう。


 ラルフ個人が云々より、こういう”契約”からのマジ惚れ話は物語として好きだ。

 それも三人の主人公ごとにシナリオが変わってくるので三粒美味しい。


 ……ゲーム内のシナリオの都合とは言え、卒業まで正式な婚約者が絶対出てこない徹底っぷりは凄いと思う。

 それをあのヴァイル公爵が納得しているのも不思議だが、ここで正式な親が定めた婚約者がドーンと登場したら昼ドラみたいな展開になりかねない。

 他の女性の影を潔く排したのは英断だと思う。

 どれだけ心地よい”真実の愛”を謳ったところで、親に決められ覆せない婚約者がいるなら浮気では? と考えてしまう人もいるだろうから。


 特に悪役令嬢カサンドラを糾弾する側としてはそれは絶対してはいけないこと。

 倫理観を守るために色々苦労を強いられているのが攻略対象達とも言える。



 そして最後の攻略対象のシリウス。

 ――一学年最後の学期末試験で彼の成績を越えることで初めてルート入りできる。


 勉強コマンドだけやっていれば良いのかというと、気品も大事なのでそこは忘れずにフォローしなければいけないのだけど。

 彼の場合は人死にが関わる過去持ちなので、変な選択肢を興味本位に選んでしまうと他陣営の間諜疑いを掛けられて謀殺されてしまう。注意が必要である。

 リナがそうならないように全力を尽くして見せるが、彼女の真面目な性格では変な選択肢は選ばないだろう。それは安心事項だ。


 ……幼い頃、偶然仲良くなった孤児院育ちの友達を自分が乗っていた馬車が轢き殺してしまった。

 しかもその遺体が「邪魔だ」と憤る従者たちによって塵のように川に投げ捨てられるのを目の当たりにし、忘れられない記憶となってずっと残っている。

 シナリオで焼き討ちされる孤児院を経営していたのは彼なので、大変な荒れ模様になる様子が不憫でならなかった。

 孤児や貧しい者のいなくなる平和な世界を実現するには結局権力が必要だと悟った彼は、父の後継ぎになれるようずっと努力の下積みを続けている人だ。


 王子を非の無い絶対的存在と立て、王政を強化するべく支えてきたにも関わらず――シナリオ上、真後ろから撃たれていた可哀想な人ともいう。

 『悪意の種』云々で一番精神的にやられたのは彼だと思う。


 彼をどういうアプローチで癒していくか、寄り添っていくかというのが主人公の性格ごとに違う。

 別方向からの接し方で攻略対象を掘り下げるという手法だが、前世の自分はその扱いの差を楽しんでいた。 



 シリウスだけ重たいというわけでもなく、ジェイクは義弟グリムとのどうしようもない確執に加えて友人どころか一部隊を失ってしまうし、ラルフも彼の姉に纏わるエトセトラで心にダメージを負うことになる。

 ただの学園ものにしては急にキツい展開が挟み込まれるのである。

 そこはファンタジーを舞台にしたがゆえの要素なので、逆に非現実的な世界だと切り離して遊ぶことが出来た。




 ……今はこれが”現実”なのが困る。




 これらの事情全部知っているのだ、そりゃあカサンドラはスパイじゃなかったらエスパーとしか言いようがない。



 王子には酷いことをさせない、絶対に止めて見せる。

 そう決意しているのだが、もしも自分が王子を止めてしまったら……

 もしかしてシナリオが変わって、主人公達の恋愛が成就しないのでは?


 嫌な想像に突き当たりヒヤッとしたが、卒業パーティの告白で終わる通常エンディングの場合は共通シナリオで起こったことが一切解決されないまま投げっぱなしジャーマン状態。

 それを考慮するなら王子が凶行に走らなくても二人は結ばれる、はず。


 もしもそれでイベントが進まなくなるとしても、だ。

 カサンドラは――王子に悪役になって欲しくない。


 シナリオを壊してでも、王子を救う。そして三人の恋愛も成就させてみせる!




 王子が悪魔に乗り移られないと主人公達が相思相愛になれないなんてこと、あるわけがない。


 ――そんな未来、見たくない。






 ※





 翌日、教室の中は生誕祭のことで大盛り上がりだった。

 これは予想していたことだが、やはりラルフだけではなく王子の演奏も凄かった! という感想に尽きるのだろう。


 普段後方に座して見守っているタイプの王子様が、急に前線に出張ってくれば否が応でも注目を浴びるのは必然である。

 王子達の周囲にはとても踏み込めたものではない大人垣が築かれていた。


 これが朝のホームルームまで続くのかと思うとカサンドラも顔が引きつるというものだ。

 先日の内に感動を伝えることが出来たのだから良しとしなければ。


 うんうん、と頷いてカサンドラは自身の席に鞄を掛ける。

 もしも自分がレンドール侯爵家の娘でなければ、いや、もしも悪役令嬢としてこの世界に役割を与えられていなかったら。

 あんなにも人気者の王子様の婚約者になど絶対なれなかったはず。

 生徒会にも入れて御三家の御曹司達と接することが出来るのも全てが運。別にカサンドラが何かを努力して得たものではない。


 ……だから王子に気安く近づくな、なんて――思う権利さえ自分にはないのだ。

 何も知らなければ、誰に遠慮するでもなく偉そうに口にしていたかもしれないけれど。

 流石に自分が悪役の片棒として設定された側だと知ってしまった以上、王子に関する権利を行使するのに抵抗が出てしまう。


 それに自分は今週末、王子と一緒に出掛けるという重大イベントが待っている。

 わざわざ王子の周囲に咲く花畑を賑やかす一輪にならずとも、自分をアピールする機会を与えられているのだ。


 ただの紙面上の契約ではなく、お互い血の通った信頼ある関係性を築くため。

 カサンドラは真っ新な状態から王子を攻略しなければいけないのだ。


 ここは失敗できない重要局面と考えて挑むべきだろう。


 着ていく服やら髪型やら、未だにどれにしようか決まっていない。

 何せお供にジェイクも一緒だ、物凄く気合をいれた格好で出かけたら自分一人だけ浮いてしまう可能性もあるし。

 ……何よりジェイクにニヤニヤからかわれるのは癪に障る。


「あら?」


 カサンドラの視界に入ったのは、昨日の興奮など一気に醒めきった様子で頬杖をつき、窓の外の景色をぼんやり眺めるリゼの姿である。

 憂鬱そうというには及ばないが、何かを悩み思案しているのは伝わってくる。

 彼女は普段悶々と抱え込まずに竹を割ったようにスッパリと即決する性格だと思っていたのだけれど。


 まさかジェイクを囲む女生徒達の中に混ざれずに苛々しているわけじゃないだろうに。

 共通イベントで好感度もちゃんと上げ、楽しい時間を過ごしていたはずのリゼの現状にカサンドラは首を傾げた。


 だから窓際のリゼの席に歩み寄り、そっと声を掛けたのだ。


「おはようございます、リゼさん」


「……! おはようございます! 昨日はとても良い式でしたね」


 本気でカサンドラが近くにいたことに気づかなかったのか、弾かれたように頬杖を解いて顔を上げるリゼ。

 眉間に寄っていた皺は解けたものの、どこかぎこちない様子。


「長時間慣れない装いでお疲れでしょう、体調は大丈夫ですか?」


「……体調は、大丈夫です」


 体調”は”、か。

 彼女の蒼い瞳に迷いというか悩みが浮かんでいるのはよくわかるのだけど。


「何かお悩みでしたら仰ってくださいね」


 もう週末の自宅特訓はしなくてもいい。

 三つ子が屋敷を訪れることは無いのだ、コンラッド夫人も料理長も非常に残念そうだったのを思い出す。

 カサンドラも毎週のように会っていたのだからちょっぴり寂しい。毎日学園に通えば会えるとは言え、やはり気兼ねなく話せる機会は貴重だった。


「じゃあ少し相談させてもらってもいいですか?」


 リゼはおでこを掌で押さえ、椅子から立ち上がる。

 頭痛に見舞われているなら医務室にでもと思ったけれど、体調は悪くないと予め言っているのだ。

 その提案は野暮かと思い、挙動を見守るだけにとどめた。


 先日の何かが原因で悩んでいるのだろうか。

 だとしたらカサンドラにどんなアドバイスが出来るだろうか? ――緊張に支配され固唾を飲む。


「さっき、ジェイク様の誕生日が来月だって聞いて……」


「……まぁ」


 そういえばそうだったな、七月の上旬。あと半月も経てば彼の誕生日になることは多くの生徒には周知の事実だろう。

 カサンドラは正確に何日だったかすぐに思い出せず笑顔で濁した。

 人の誕生日を日付単位でも覚えていられるのは自分か家族くらいなものである。

 ジェイクの誕生日はリゼが言うとおり一学期の最後あたりだったような。家のスケジュール帳にジェイクの誕生日など記載されていない。



 乙女ゲーム、それもカレンダー育成方式のゲームで”誕生日”は避けては通れないミニイベントなのかも知れない。


「別に私が何かあげる必要ないじゃないですか。

 ジェイク様、何だって買えるでしょう?」


 それに今現在ジェイクを取り巻く女生徒、貴族の令嬢や商家の娘たちが選別した物凄い数の誕生日プレゼントが彼に届くはずだった。

 特に縁談の探りやアピールを兼ねて、彼の屋敷の一部屋は確実に埋まるなと想像が出来る。


 とりたてて彼女でも恋人でもないただのクラスメイトが誕生日プレゼントを渡すなど、あまりにも不自然すぎる。

 しかも相手は超のつく金持ちのお坊ちゃんだ、欲しいものがあったら自分で何でも手に入れるはずというリゼの言い分は正しい。


 ならば彼女が悩む必要はないと思うのだが……


「おかしいんです、私、変なんです。

 誕生日なんてスルーするべきだって分かってるのに、どうしても何かしたいし贈りたいとか……

 そういう願望が抑えられなくて」


 そう唸るようにつぶやくと、彼女はもう一度頭を抱えた。

 理性ではあげるべきではない。あげてもしょうがないと判断して今年は何もなかったことにしようと決めている。

 でも乙女ゲームの主人公として、何かプレゼントをあげなければという使命感との板挟み状態になっているのか。

 主人公の特権は沢山あるけれど、強制力を発揮されると戸惑う場面もあるのだなと変な意味で感心してしまった。


 少しでも好感度を上げるために、相手の喜ぶ贈り物は大切なポイントだ。

 リゼはいきなりその選択を突きつけられ、スルーした方が良いという理性の楔を薙ぎ払う”願望”に心を揺さぶられている。

 本音はあげたいのだとしたら抗えないのかも。


「確かにジェイク様は沢山の贈り物を受け取るでしょう。

 ……ですが”お友達”に軽い感覚でプレゼントをもらうという経験はないかもしれません。

 姉妹で贈り合うような、高価ではなくとも気持ちの籠ったプレゼントを渡してはいかがでしょう。

 わたくしがジェイク様なら、とても嬉しく思います」


「私でも渡せるようなものをもらってもジェイク様困るんじゃないでしょうか」


「要は気持ちですから。

 まだ時間はあるのですから、ゆっくりお考えになって下さい。

 どうしても思いつかなければわたくしもお話を伺います」


 是非彼の好みに合ったプレゼントを選択し、好感度を上げて欲しい。

 カサンドラは不審に思われない程度に贈ることを好意的に伝えてみた。


 本当にどうでもいいクラスメイトからプレゼントなんてもらっても困るかもしれない。

 でもリゼはその他大勢なんかじゃない、その想いの籠った贈り物は必ず良い結果をもたらしてくれることだろう。


「……ありがとうございます、いつも力になっていただいて」


 はぁ、とリゼは腰に手を当てて吐息を落とす。

 彼女本来の性格上中々選択しづらいことは、こんな風に理性と願望がせめぎあう……と。


 とりあえずジェイクの嫌いなものを渡すことになっては大変だ。

 そこの監修だけはしっかり行おうとカサンドラは心に決めた。



「そういえばカサンドラ様。

 今週末でしたよね? ……王子様とのデートは」


「………王子の街内散策に同行させていただきます」


 デートと断言されるとカサンドラも顔が赤くなってしまいそうで、そこは何とか平静を装うために別の言葉で打ち消した。

 一々そんな単語ごときで怯んで顔を赤らめていたら、実はそんなに仲が良くないのではとリゼ達に疑問を抱かれかねない。


 彼女達にとっては恋愛のエキスパート的立場でいなければ、信頼もガタ落ちだ。

 気を付けないと。



 一応、リゼがジェイクの姿を遠目からでも見たいというので道中寄るだろう場所は予め伝えてある。

 カサンドラとしては是非遠目から見るだけではなく実際に割り込んで彼をどこかに連れて行って欲しいものだが……



 流石に今のリゼにそれを期待するのは困難だ。

 ジェイクがいても、王子と一緒に行動できることは事実。

 それだけで十分幸せだ。





   ……早く週末にならないかな。


 


 

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