第58話 『デイジー嬢、汗馬の労をいとわない』
ガルド子爵家令嬢デイジー。
彼女は入学前より、レンドール侯爵家令嬢かつ王子の婚約者として周知されたカサンドラと顔見知りの仲である。
いや、顔見知りというよりは取り巻き希望というか。
親の意向もあって、何が何でもカサンドラと誼を結べという半ば命令に近い形で言い聞かされていた少女である。
クローレス王国南方一帯の気難しい領主達をまとめるレンドール侯爵の存在があってこそ、彼の傘下である実家も中央から目を掛けてもらえているわけだ。
だが現在、そういう気負いも必要ないほど毎日が平和で、無事に過ごしている。
拍子抜けするような日々も続けばそれが普通になっているデイジー。
だが、ひとたびカサンドラに何かあろうものなら、その泥ごとひっかぶる覚悟はある。
自分と同じ立場の同級生も他にもいる、カサンドラがやんわり拒否しなければ所謂『取り巻き』状態であっても構わないのだが。
普通に話ができるそれなりに話の出来る同級生の立場は堅持しているつもりである。
※
そんな彼女は休日の日曜日、邸内でそわそわと彼女達の訪問を待っていた。
父母の住む本宅は当然遥か遠く通うことなどできず、彼女は王都内に持っている屋敷から通っている。
カサンドラと同じような状態だが、彼女の家程一等地でもなければ広さもない。
お茶会をここで開いて他の令嬢を招くのは少々都合の良くない状態だ。
まぁ、元々ホームパーティだのガーデンパーティだのは好きじゃない。
招待に与るならともかく、ホスト側にならなくてもいいならそれは万々歳。別宅で本当に良かった。
学友たちを招くほどの準備が出来ない家。
だが今日デイジーは初めてクラスメイトを自宅に招いたのである。
それも三人!
寮住まいの平民でなければ、招待しようなんて己から言い出せるはずもなかった。
いいところの貴族、例えば御三家所縁のご令嬢なら到底この家に呼べるはずもない。
絶対後日、貧乏子爵家と笑いものにするような噂が駆け巡ることだろう。
裕福ではないが貧乏でもないつもりなのだけど。
貴族の娘として恥ずかしくないだけのお金はかけてもらっているはず。
特に衣装関係は母親が気を配ってくれているので、一度袖を通したことのあるドレスを着てパーティに出たことは一度もない。
だからこそ、今日三つ子を招待することができるのだ。
礼服替わりのドレスは入学前に何着も誂えてもらった。
来月の聖アンナ生誕祭で着る礼服。式典などで着用する服で、アフタヌーンドレスと一般に称されるものだ。
良いものを仕立てようと思ったらかなりお金も時間もかかる上、使う機会など一年に二、三回くらい。制服で参列できるなら特待生が用意するものではないだろう。
三人が制服で参列するのが気が引けるだとか、カサンドラのドレスが貸与できないというのならここは自分の出番だ。
カサンドラのようなメリハリのあるボディラインとは縁遠い、どちらかというとスットン側のスレンダーな体型。
それは図らずも三つ子と大して変わりは無い。
……ただ、一抹の心配もある。
もし、胸囲がキツいって言われたらどうしよう……
多分自分の方が彼女達より薄い気がする。まぁ、大丈夫だとは思うけれど。
入らないって言われたら、
他にも何名かドレスを貸そうという話も出たのだけど、そんなに何着もあっても三つ子も困るだろう。
デイジーが今回着用しないアフタヌーンドレスが数着、従姉に譲ってもらったものもこの屋敷に運ばせた。
六着もあればそれぞれの好みに合うかな、と。
そんな心配とは別にそわそわと落ち着かない気持ちになるのも当然と言えた。
濃いブラウンの長い髪、綺麗な青い瞳。可愛らしいお嬢さんにしか見えないデイジーは、生まれこそ貴族の血を継いでいるけれども。
彼女もまた年相応の普通の感性を持った女の子だ。
友人が家に遊びに来るというだけでドキドキするのはしょうがない。
屋敷で自分の世話をしてくれるのは二十歳過ぎの使用人一人だけ。
家政婦さんのように家事や身の回りのことを一手に引き受けてくれる有能なハウスキーパー。
彼女が三つ子の来訪を告げ、デイジーは意気揚々と彼女達を出迎える。
「お邪魔しまーす!」
玄関で待っていた三つ子の姿に「わぁ」と声を上げてしまった。
普段学校ではリボンの色が彼女達を見分ける印のようなものだが、休日の装いは全く雰囲気が異なる。
同じ容姿なのに個性が違うとここまで私服姿の印象も変わるのかと、目から鱗だ。
「お待ちしていました。
早速ですが、お部屋に案内しますね」
三つ子は興味深そうに邸内を一望した後、互いに顔を見合わせる。
そして同じタイミングで、ホーッと胸を撫でおろしたのだ。
どうやらデイジーの家がどんな豪邸か戦々恐々していたそうで、その普通さ加減に逆に安心したと。
それはもしも他のお嬢さんに言われたらどんな嫌味かとムッとするところだが、彼女達は心底安堵しほんわかした雰囲気なので他意はないのだろう。
比較対象がカサンドラのお屋敷だと言う。あそこと比べればどの家でもこぢんまりだわ、と納得せざるを得ない。
心の中で、どうしてこの子達ばかりがあの人と仲良くしてもらえるのだろう、という想いが鎌首を
だがどういう理由であれ、カサンドラがこの子達を気に入っているのは事実。
そして敵愾心や嫉妬の対象にしたところで、それは何の意味も持たない感情だと分かっている。
何よりデイジー自身、この三人の事を気に入ってしまっているのだ。
こうして彼女達のために奔走することはカサンドラに取り入るということよりも自分の満足のためであり。
そして彼女達が吊るされたドレスを見て目を輝かせている姿、嬉しそうな顔が見たくてやっていることだ。
「気に入られたら、どうぞ試着なさってね。
着替えは彼女が手伝います」
使用人のベスがその言葉に合わせて深々とお辞儀する。
アフタヌーンドレスはイブニングドレスと違って肌の露出は極力抑えているもの。そして光沢のある生地で仕立てられたものも多く、三つ子も普段間近にしたことのない作りの服に興味津々だ。
どれもレースなどで装飾されていないシンプルな形だ。
膝よりも下まで裾の長いスカートを手に取っているリナ。デコルテが見えないハイネックの襟付きで上品な印象を与える。
パステルグリーンの鮮やかなドレスはリナに合うことだろう。
「見ているだけではわかりません、どうぞ遠慮なさらず」
ベスの手によって仕切りの向こうに衣装ごと連れていかれるリナ。
きょろきょろと所在なげに不安そうな彼女の着替えは使用人に任せれば大丈夫だろう。
「あ、この水色の可愛い!」
リタはそう言って水色のワンピースを指差す。基本的に装飾品はつけないものだが、ちょうど服の前面で布地が重なりクロスしている。それがリボンのように見えなくもない。
七分袖の爽やかなワンピース、裾が特徴的なデザインだ。
「私もこれ着ていいですか!?」
「ええ、勿論」
服がキツい、もしくは緩い。そういう声が衝立の向こうから聞こえたらどうしようかと内心冷や冷やものだ。
「……。」
先ほどから気になっていたが、リゼは口数が少ない。
心ここに在らずというのが正しいのだろうか。ぼんやりして、普段キビキビしている彼女と同一人物とは思えないほどだ。
ドレスだって何十着もあるわけじゃなくてほんの数着。どれにしようか迷う程も選択肢がない。
即断即決タイプにしか見えないリゼが、物も言わずに決めることもなくボーッとしている様子に違和感を覚えずにはいられない。
「リゼさん、どうかされましたか?」
声をかけると彼女もようやく我に返り、気まずそうにハハッと笑う。
じゃあこれお借りしてもいいですか、と。
彼女はもはやドレスの方を見るでもなく、サッと指をさす。真剣に選んだ末の選択とは到底思えない彼女の様子に何かあったのかと思うのは当然だ。
「……ごめんなさい、ちょっと心がモヤっとしてて。
折角招待していただいたのに」
進んで語りたく無さそうな雰囲気。
が、衝立の向こうで二人が試着する音や声が響く衣裳部屋の中央で二人きり。黙りこくるのも不自然だ。
リゼはうーん、と口を曲げる。
そして愚痴なんですけど、と前置きして彼女の胸中を語ってくれた。
どうやら生誕祭が終わった後、カサンドラとアーサー王子が街中散策という名のデートをするらしい。
そしてその時にジェイクが護衛で随行するという話を教えてもらった。
休日の姿を垣間見る機会を”教えてもらえた”。……通りがかるだけでも儲けものと思っていたが、ここにあるドレスを見ていたら複雑な気持ちになったそうだ。
こういうドレスを普通に用意できる『お嬢様』だったら、僅かでも同行できる可能性もあったのだろうか? と。
彼女の告白は、デイジーに大きな衝撃を与えた。
リゼがジェイクのファン的立場だというのはこの際あまり気にならない。
理知的なリゼがあのタイプを好むのも面妖な……と思わなくは無かったが、自分は恋などしたことがないし憧れる男性もいない。
リゼの気持ちは理解はできるが共感できない。そんな状態で。
「カサンドラ様と、王子がデート……!」
その情報こそが、最も衝撃的な事実としてデイジーを一気に高揚させた。
今まで彼女は王子の婚約者という立場ではありながらも、王子に馴れ馴れしく接する女生徒達に対して注意することもなく不愉快に思う態度もない。
デイジーの方がよっぽど苛々するくらい、彼女達は図々しい。
カサンドラが争いや諍いを嫌う平和主義者であるのを良いことにやりたい放題だ。
ふと、不安になることもある。
もしかしてカサンドラと王子の仲がうまくいっていないのではないか? と。
それは普段から彼女達の様子を微に入り細に入り観察していたデイジーだから抱ける疑念である。
二人は婚約者、だがしかし。
もしも不仲というのであれば、それはデイジーも困ることになる。
最悪の場合、相性が合わないから円満婚約解消、なんて話に飛んで行ったら……!
レンドール侯爵家の中央での発言権が上がると見越して諸々根回しを行っているだろう南方貴族たちへの影響は計り知れない。
是非仲良くそのままカサンドラには正妃として立ってもらわなければ困る。
何よりカサンドラが王子を大事に想っているのは分かっている、それを足蹴にするなど王族だとて許せるわけもなく。
それにカサンドラは心根の優しい女性である、もしも王子が嫌だと言えばすんなりその願いを受け入れそうで怖い。
カサンドラにも王子にも進展を聞くに聞けないデイジーにとって、リゼからの情報はこれ以上ない朗報だった。
やはり二人が不仲などありえないこと、休日にデートなんてまさに健全なカップル。
デイジーとしてもホッと一息つける状態なわけだ。
しかし問題もある。
「ジェイク様が……」
ぼそりと彼の名をつぶやく。
背後から立ち上る自身の怨念に気づいたリゼが、ビクッと後ろに一歩引いた。
デイジーはハッキリ言って御三家の御曹司が苦手だ。いや、最近分かった。大嫌いだ。
何故なら、王子の親友であることを良いことにカサンドラに偉そうだから。
王子との仲がうまくいっていないのではとデイジーが勘違いしたのも、彼らがいるせいだ。
特にジェイクに関しては、入学早々殺されるというかこの学園からカサンドラ諸共排除されるのではないかという恐怖を刻み込まれた相手である。
「さっきはどうかしてた、悪かったな」と軽く言われた時は驚いたものだけど。
彼に対する不敬を不問にされて首の皮一枚繋がったのは良かったが、リタが気を回してくれなければカサンドラまで累が及んだかもしれないのだ。
その一言で感情をフラットにしろだなど無茶を言うなという話だ。
地方貴族と御三家周りの軋轢は今に始まったことではない。
クローレス王国が西方大陸を一つの国に纏めて以降、ずっと火種として燻っている問題でもある。
立場上彼らに従わざるを得ないが、それもこれもカサンドラの婚約話をふいには出来ないという状況が自分達に緊張を齎しているのは確かだ。
カサンドラがやんわり取り巻きを嫌がっているのは、彼女なりにデイジーたちを巻き込みたくないという思いやりがあってのことなのだろう。
レンドールの一門だと素性も知られてる自分は表立って何もできない。
さりげないフォローを入れるくらいしか……! 無力な自分を許して欲しいと思う日々。
しかもジェイクが二人のデートについてくる……!?
デイジーにとって聞き逃せない話ではないか。
彼が王子の親友であり、腕っぷしも強い人だということは把握しているけれど、やっぱり二人を邪魔する気満々なのでは!?
そう穿ってしまうほど、デイジーのジェイクへのイメージは底辺である。
彼らには彼らの事情があるのかもしれないが、それはこちらも同じことだ。
掲げる旗が違うだけで、上手く立ち回らなければいけない者同士。
表立って武力蜂起をし攻め込むわけじゃない。
そもそも政略結婚とは血を流さない戦争の形態の一つ、政治外交の一種と捉えるならばデイジーとて指をくわえてみているわけにはいかない。
自分は何が何でもカサンドラと王子の関係を良好に保ち、
彼女が国母になれたら、言うことは何もない。
「リゼさんは、そのように思いつめられるまでジェイク様と御一緒したかったのですか?」
アフタヌーンドレスなどただの礼服。制服でも代用が利く程度のものだ。
舞踏会や夜会用のドレスでもないのに、ここまで物憂げな様子で衣装を見据えるリゼを見て話を続けてしまう。
「…………!」
彼女はあからさまに動揺し、挙動不審な態度で視線をあちこちに散らす。
物凄くわかりやすい、顔が真っ赤だ。
もう愚痴は終わったと一区切りしたリゼに追加で畳みかけて尋ね、その乙女な反応に再度驚く。
成程、成程。本当にファンなのだろう、周囲を賑やかす一員にこそ入っていないが彼の事を気にかけているのか。
デイジーの場合はカサンドラ第一主義なので曇って見えるが、何もなければ御三家の御曹司達をマイナスのイメージで見る生徒の方が希少種だ。
見た目は半端なくいいもの、あの三人……
それならばデイジーの目的に協力してもらえるかも知れない。
彼女が一緒に行動してくれるなら、とても心強いではないか。
自分とリゼの『目的』は同じようなものだ。
両目を見開き、未だ懊悩を続けるリゼの両手をしっかりと握りしめた。
「リゼさん。もしよかったら、生誕祭後のお休みに――
私と一緒に『お出かけ』しませんか?
もしかしたら、カサンドラ様達とバッタリお会いするかも知れませんけれど」
デートの邪魔をするジェイクを邪魔しに行こう。
心の中の”悪い自分”の囁きに身を任せ、デイジーは彼女を誘ったのだ。一人で邪魔に入るより、こちらも複数の方が動きやすいもの。
それがリゼにとってどれほど甘美な響きであるか、理解した上で。
「デイジーさん、ありがとうございます!
サイズぴったりでしたー!」
リタが満面の笑顔で衝立の奥から再度自分の服に着替えて姿を現す。
「どうしたの、リゼ?
私の選んだのが良かったの? えーと……換えようか?」
四着の衣装を前にうーんうーんと頭を抱えるリゼ。
そんな姉をけったいなものでも見るかのように、リタは棒立で目を凝らしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます