第57話 休日は三つ子と
別邸に訪れた三つ子が『特訓』するのも今日で三回目。
三回目ともなれば彼女達も慣れたもので、今日はリナ特製のアップルパイの手土産までもらってしまった。
毎週料理の腕が上がってない? と、彼女から大きな包みを受け取って成長ぶりに戦慄を覚える。
今日も今日とてリタとリゼはコンラッド夫人のもとで礼法作法を学び、リナはカサンドラと一緒に週末の課題を黙々とこなす。
慣れないことをするリタ達と比べ、カサンドラは自室での学習。
普段通りの環境で、喉が渇けばすぐに使用人が動いてくれる恵まれた環境下にいられるわけだ。
自分一人で勉強するのではなく、学習関係でのパラメータに難があるリナと一緒なのは逆にありがたい。
習ったことを誰かに教えることで知識は自分のものになる、これは図らずも学期末の試験で良い成績を修めることになるのではないかと期待してしまう。
自分の成績順位は攻略に関係ないとはいえ、王子の婚約者として知られているのだから上位であるに越したことは無い。
そうは言っても文章題や図形の問題は苦手だな、とカサンドラがカリカリと羽ペンを動かす。
するとその手元に視線を感じて、顔を上げた。
「……申し訳ありません!」
あまりにも不躾な視線だった、と彼女は慌てた様子で手を左右に振る。
「どうかなさって?」
「い、いえ……。
カサンドラ様の長い指を見ていたら、先週の演奏を思い出してしまって」
ほぅ、と溜息をつくリナ。
その蒼い瞳は憧憬に煌めき、手を当てる頬はうっすらと赤らんでいる。仕草を含めて可愛らしい。
どうやら相談を受けたラルフの件については彼も早々に諦めたらしい。
彼についての話題が先週から引き続き一度も出ていないことでそれと分かる。
まぁ色よい返事をもらえない相手を誘い断られ続けるのもラルフには若干耐えがたいことだったのかも知れない。
彼にもプライドというものがある。
ラルフも今の生活に思うことも多いだろうな、と少し同情。
彼らは制約が多すぎるのだ。
貴族と言ってもピンからキリまで。中でも下級貴族――名ばかりの貴族だとか影響力を持たない貴族の次男や三男だったら結構自由な身の上だ。
長男がいれば爵位などどのみち継げるはずもない。
縁故でそれなりの職を用意されたり、当主になる兄の手伝いをするために家臣になることもあったりするけれど一生安泰というわけではない。
その代わり、それなりに自由だ。
屋敷に通うメイドとくっついても認められはするだろう。いい顔はされないだろうが。
子どもたち全員平等に将来食うに困らないだけの財産を残せる家など滅多にないのだ。
子どもらが自立して生計を立ててくれるなら嬉しいだろう。
次男や三男が学園で良縁をゲットすればもっとラッキー、そんな期待度しかない。
アンディのように嫡男が騎士団入りするのは珍しいが、継ぐ名を持てない次男や三男が騎士団に入るケースも多い。
剣術指南の講座で男子生徒が多いのも当然の流れかもしれない。今年は特にジェイクがいるから、気合も入ろうというもの。
上級貴族は――沢山の財や特権の代わりに、自由というものが基本的に無い。
周囲に敷かれたレールの上で生きる人生を強いられ、それを拒めば社交界からドロップアウトして二度と家の敷居は跨げまい。
クラスメイトの男子の多くは、周囲の目を気にせずリナに話しかけることが出来るのだ。
ふと、三人のことを脳裏に思い浮かべた。
彼らは根本的に乙女ゲームの世界の住人、それも攻略対象という特殊な立場。
基本は恋愛脳なのだと思う。
主人公を好きになりたいし、想われたいと願うのは彼らの根源を為す要素と言っても良い。
第一、恋愛的素養が欠片も無い男性からあれやこれやのこっぱずかしい身悶えるようなセリフがスラスラ出てくるものか……!
と、ゲームで遊んでいる時甘い台詞に何度もクッションを投げつけていた前世の自分を思い出して赤面する。
……女の子の方からグイグイとイベントを進め、フラグを立てて距離を詰めていくのが正道。
思い切った行動を起こせない制約をこれでもかと課せられて身動きがとれない彼らにとって、カサンドラに仲介を頼んだジェイクや個人的にこっそりリナに声を掛けるラルフは――
彼らのできる最大限の行動なのだろうなぁ。
それさえも相手がその気でなければ空ぶるだけだ。
主人公に選ばれない周回の攻略対象は、どんな人生を送るのだろう。
あまり良いイメージが浮かばない。
でも彼を攻略しようと望み、想われたいと頑張る主人公が奇跡的に同じ世界にいるのだ。
是非、大団円で終わって欲しいものである。
さて、ラルフの好みの性格をしている主人公リナ。
彼女は本人が自覚している通り勉強は苦手だが運動系はそこそこ得意。また、礼儀作法や家事技能に他の二人より長じている。
三人とも全く同じ顔立ち、一つ一つのパーツは同じ。
それでも仕草や表情、纏う雰囲気でこんなに違いが出るのだなと感心してしまう。
リゼやリタとは結構話をするけれど、彼女は困ったことがあっても限界まで一人で抱え込むタイプらしいと分かった。
身分を慮ってくれているからか、いつもカサンドラを立ててくれるリナ。
彼女がうっとりとした夢見る少女のような表情でこちらを見つめていたのだ。
それはカサンドラも手を休めて彼女に話しかける他ないではないか。
「リナさんは音楽が好きなのですか?」
「はい、音楽は昔から好きです。
……神父様にお願いして、故郷にあった教会の古びたパイプオルガンを弾かせてもらっていたんです。
下手の横好きですね」
田舎の町でピアノなどヴァイオリンなど嗜む一般家庭は想像できない。
たまに教会を訪れる聖歌隊の演奏者に教えてもらっていたというのだから凄いと思う。
カサンドラは生憎パイプオルガンを弾いたことはないけれど、ステンドグラスの教会の中一人オルガンを弾く少女の姿を想像したら心がときめいた。
是非見てみたい光景である。
「私はパイプオルガンが目当てでしたけれど。リゼは農作業から逃げる時に教会に隠れていましたね」
陽が落ちるまで遅くまで読みふけり、神父に家まで連れられ――両親に叱られるまでがワンセット。
当時を懐かしそうに語るリナの言葉は興味深い。
主人公は聖女という特別な力を持つ普通の女の子だ。
聖女だから本質的には選ばれし存在だが、真EDルートで力が解放されるまでは一般的な女の子という情報以外良く知らなかった。
当然ながらカサンドラが生きてきた十五年分、彼女達もこの世界で生きていたのだ。
その裏事情に触れた気がして得した気分である。
しかも三つ子という特殊事情、興味がないわけがなかった。
「パイプオルガンはありませんが、ピアノなら。
昼食の後、器楽室でピアノを演奏されますか?」
「え……!
宜しいのですか……!?」
彼女の周囲に小さなお花が沢山咲いたのを空目したカサンドラ。
凄く嬉しそうに微笑むリナの姿を見ていると、このふんわりやわらかい雰囲気はあの二人と全く異なっているなと思わずにはいられない。
「食事が終わったあとはピアノのレッスンにしましょう」
リタは手先の細かい動きが得意ではなく繊細な動きを要求される楽器の演奏は苦手だそうだ。
ジェイクがかつてやらかしたと聞いたのと同じように、ヴァイオリンを破壊されてはかなわない。壊すまで行かなくても、弦が全部斬られそう。
ピアノなら……
まぁ、弾くというよりはまずは譜面を読めなければ話にならないのでカサンドラが幼少の時に使っていた教書を引っ張り出そう。
その時にリナも一緒に器楽室で弾けばいいと思う。
実際ラルフの演奏を聴いていて、リタのような音楽的教養がない状態ではもったいないとも感じる。
彼のように弾けとは思わないが、好きなものが同じ方が話をしていて楽しいだろうし。
リタがしなければならないことは多々あるが、彼女自身の持ち前のバイタリティと超モチベーションで週中の選択講義も楽しそうにこなしている。
慣れないヒールを履いて転ばないか、勢い良すぎて相手を突き飛ばさないかなど。
ハラハラしっぱなしのカサンドラのフォローが――二時間につき五回は必要だったものが二回程度に減ってきたと思う。
この一月半でこんなに変わるのだから主人公特権って凄いとしみじみ思う。
望んで打ち込めば、苦手な分野でも三年後にはその道の一人者として名を馳せる伝説になれるのだから。
……ただ思うのは、三人とも真面目。入れたスケジュールをサボるという発想がなく、黙々と消化できるのは最早それだけで才能だということ。
カサンドラがしていることなど、彼女達のスケジューリングだけである。マネージャーかな?
そんな風に思いながら、カサンドラは昼食の時間が差し迫るまで部屋で勉強を続けていた。
そろそろ食堂に向かいましょう、とカサンドラはリナと一緒に階段を降りる。
すると丁度タイミングばっちりに同様に食堂へ向かうリタとリゼと……そしてたおやかな微笑みを浮かべるコンラッド夫人とかちあった。
相変わらず二人ともげっそりとした様子で指導の厳しさを物語っているようである。
「あら、リタさんにリゼさん。お二人ともご苦労様でした。
随分慣れて来た頃でしょうか」
「いつもすみません! 本当にカサンドラ様には迷惑かけっぱなしで――」
リタは平身低頭と言った様子。ペコぺコと頭を下げるリタの背後から、鋭い叱責が矢のように飛ぶ。
「リタさん。」
その声の主、コンラッド夫人はにこやかに微笑んでいるように見えて、厳しさと苛烈な感情を瞳に宿す。
ひぃっ、とリタが両肩を跳ねて震える。
まるで刃物でも突きつけられた市民そのもののようにフリーズの姿勢で両手を挙げて白旗を振る。
「『すみません』という言葉はご法度であると、私は何度申し上げましたか?」
上背の高い夫人に見下されるように見据えられると、迫力も満点だ。
ようやく作法の時間から解放されたと喜び勇んでいた彼女は滂沱する。
「す……すみませ……じゃない、申し訳ありません!」
まぁそこまで仰々しく言葉遣いについて指摘する人も多くはないと思うが、目上の人に対する最低限の礼儀は弁えておかないと彼女自身が苦労するだろう。
特にラルフに興味があるとすれば猶更。
「『恐れ入ります』……とか、すぐに出てこないし」
食堂に入ることでようやく夫人の言動チェックから逃れたリタが、はぁーーー、と盛大に溜息を吐いた。
「『存じます』とかリタが口にするといつも吹き出しそうになるわ、私」
「それはリゼも同じでしょ、そっちも違和感バリバリよ!?」
フッと軽く笑うリゼに反駁するリタの姿も日常茶飯事なわけで、こういう光景を見ていると心が和むというものだ。
カサンドラにはこんなに軽妙で喧嘩上等な会話が出来る相手なんていない。
仲良し姉妹の特権だと思う。
「お食事の際に、リゼさん。貴女に少しお伝えしたいことがあります。
相談に乗っていただけますか?」
「え? 私ですか? そりゃあ、勿論大丈夫ですけど」
リタとリナは無関係とは決して言えない。
何故なら彼女達は、三つ子でセットというイメージがあるからだ。
相談事は当然、生誕祭後の王子との街の散策。そしてそれに護衛でジェイクがついてくるという知りたくなかった事実が判明してしまった。
彼女達は預言者か。
王子とジェイクと市中散策に出かけるとして。
リゼ一人が自分達と合流――というのはあまりにも不自然だ。
カサンドラが一緒に行こうと誘えば済む問題ではない。
この散策は王子から誘ってもらい、彼らの予定に自分が乗せてもらった側だ。その自分が分を弁えず王子と接点のないクラスメイトと一緒に散策しようなんて言い出すのは失礼極まりない。
では王子やジェイクが、通りすがりのリゼに声を掛けられたら一緒に行こうと誘うだろうか?
……想像できない。
万が一現実になったとして、だ。
事実とは異なるが傍目には王子とカサンドラ、そしてジェイクとリゼのダブルデートみたいに見えるわけで。
以前リゼと二人で寮に帰ったことでミランダ事件が起こったことを知った彼は軽率な行動はとらないだろう事は分かる。
実際その組み合わせで男女比二対二は誰かに目撃されたらヤバいと思う。
自然に一緒に行動できる方法があるのだろうか。
三人揃っての知恵を借りる他ないと判断した次第である。
※
「ジェイク様が護衛に……ですか! 本当にそんなこともあるんですね、教えてくださってありがとうございます。カサンドラ様!」
リゼは当然の如く喜色満面。
今にもカサンドラの手をとってブンブン振りかねないくらいテンションが高くなっている。
「その状況でどのようにしたらリゼさんとジェイク様が一緒に過ごせるかということを考え
最も現実的なプランとしては、以前の広場のように三つ子が揃って”偶然”声を掛けられる――という状況を創り出すことだ。
リゼだけでは素通りされる可能性もあるが、そこにいるのが三つ子。
いや、リタがいるならあるいは!
ジェイクは足を止めるかも知れない、彼女達の休日に興味を持つかも。
自分達と一緒に行動できるという可能性も……
そんなカサンドラの心中を察したのか、リゼは大きく手を横に振る。
「別に一緒に行動したいなんてこれっぽっちも思ってないですから!
そんな畏れ多い!
……あの、ジェイク様が行く場所が分かったら、休日でも姿見れるかなって思っただけで。
挨拶だけでも全然嬉しいです」
また私服が見れるなら、それで!
グッと親指を立ててそう笑う彼女に、本当にそれ以上の他意を感じられない。
そして気持ちが分かる! 私服って良いよね!
「それにこうやって三人揃って休日行動とか、結構レアなんですよ?
やりたいこと、皆バラバラですし」
その上更に自分の都合に妹を巻き込んで予定を縛りたくない、と。
「どうしてそんなに気にするの? 私なら大丈夫、三人一緒におでかけするのも好きよ?」
話に聞けば、前回ジェイクとの待ち合わせ、偶然を装った邂逅で大変な目に遭ってしまったリナであるが。
彼女はそう言ってリゼの背中を押そうとする。チャンスだよ、と言わんばかりに。
でも彼女は頑なに首を横に振った。
「だって、もし私が逆の立場なら嫌……とまでは言わないけど、気が進まない。
超気を遣うし、万が一にでもシリウス様だとかラルフ様だとかと一緒に過ごす空間とか……想像するだけで顔が歪みそうだし」
気まずいなんてもんじゃないわよ、と彼女はかつて身に染みた体験をもとに拒む。
前はジェイクの依頼もあり、カサンドラが三人セットでまとめて会うように軌道修正させたわけだ。その時の気まずさを彼女は覚えているのだろう。
彼女達は姉妹同士で恋を応援し合っているかも知れないが、それはそれ、という明確な線引きを守っているらしい。
相手に迷惑をかけないようにという不文律。
護衛中のジェイクと過ごす『撒き餌』のようにリタを使うのは嫌だと。
もしくは、リタに対する少なからぬ嫉妬……か。
傍にリタがその場にいたら、ジェイクは時間を割いて付き合ってくれるかもしれない。
だがそれは決してリゼにとって心地いい時間とはいかない。
気まずい想いは嫌……か。
それはそうかもしれない。
回るコース、店などが判明したら教えて欲しい、と言われて曖昧に頷くほかなかった。
可能であればジェイクを王子から引きはがして欲しかった……!!
そんなカサンドラの浅ましい計算は神様に見透かされてしまったようである。
「リゼさん、それで本当に良いのですか?
以前護衛のお話になった時、随分気にされていましたし……
貴女が同行出来る方法が他にあるかもしれませんよ?」
往生際悪く、未練がましくカサンドラは語り掛ける。
「確かにジェイク様がカサンドラ様と王子の護衛につかれているなら見てみたいって思ったのは事実です。
でもあれはリタに突っ込まれたというか、言わされただけですし。
それだけですよ、同行とかそんな畏れ多い」
謙虚……!
そしてどこまでも現実的!
それ以上の打ち合わせなど出来るはずもなく、食堂に並べられた料理に向かう三人娘の後姿を眺めるカサンドラだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます