第54話 週明けの一幕


 演奏自体はとても上手くいったし、とても楽しかった。

 カサンドラにとって思い出として残る休日になったと言って良いだろう。


 だがしかし。


 なんで!


 幸運にも王子と街での散策の約束を取り付けることが出来たというのに……

 その機会にジェイクがついてくるというのか。

 むしろ普段二人で街を見て回っているのなら、カサンドラの方が付属物。

 本当におつきの人に他ならないわけだが、それにしたって何故彼が同行するのか。


 綺麗で真っ白な画用紙に、黒いインクの染みが滴ってしまった。

 ジェイクの事が嫌いなわけではないが、なんというのだろう。


 この感覚はあれに似ている。

 乙女ゲームをプレイしていて、前回EDを迎えた登場人物が頻繁に画面に現れた時「ごめん今狙ってるのは君じゃないんだ…!」と懊悩してしまう感覚。


 ゲームの世界観を基に創られたと思われる世界であっても、ここは現実だ。

 ジェイクに対してあまりにも失礼極まりないと自覚していても、今は王子との仲を進展させたいカサンドラには死活問題だ。


 一段飛ばしで相手の信頼を得ることなど出来ず、限られた時間で王子と親密になる必要があった。少しずつ着実に、それが今のカサンドラの対王子スローガンである。


 焦り過ぎておかしな言動をしてしまったら、王子は自分を警戒する。

 一度不信感を抱かれてしまえば――二度と近づくことなどできないのではないか。


 カサンドラに『力』があれば、彼に巣食うだろう悪魔の力を強引にでも倒すことが出来るかもしれない。これから訪れる”兆候”に先んじて立ち向かうことも視野に入っただろう。

 自分は何の力もない、その代わりに王子の婚約者という立場をあてがわれた悪役令嬢。


 もどかしい気持ちは変わらないが、王子の事情の一切はカサンドラには闇の中。

 効率的に解決する方法を知らない以上、手探りで彼の事を知っていくしかないのだ。


 本来聖女になるべき力を秘めた三人が別方向に突っ走っているので、最悪の状態に至る前にカサンドラが何とかしなくてはいけないという切迫感に追い立てられることもある。


 このまま相性の悪い攻略相手との仲を進展させては、誰も聖女になってくれないのではという根本的な恐怖。


 だがそれは既に打ち捨てた。


 通常ED後も世界が続くなら、相性のいい相手じゃなくても聖女になれると信じている。

 『聖女』という生まれ持っての素質、属性が恋愛対象が変わったら消える? それは設定上での整合性がとれない。

 恋愛は力が目覚めるきっかけなのだという解釈、前提で動いている。


 それにはまず各々の想いを成就してもらわない事には話にならない。

 背中を押し、攻略法を教えてでも上手くいって欲しいと願う。


 賭け――なのだろう。


 でも彼女達の相談を受けた時思った。自分の好きな相手を好きとも言えず世界のために別の男を好きと偽り結ばれろなど言えない、と。

 事情を知らず毎日必死に生きる三つ子が、己の気持ちを裏切ってまで奉仕しないと滅びかねないなんて世界が許されていいのか?

 物語として勇者が世界を救うのはありだが、現実・・で誰か一人に世界の命運を背負わせるのは駄目だと思う。

 カサンドラの場合は事情を知っていて向き合う覚悟があるが、彼女達はそうじゃない。


 聖女の力はあくまでもどうにもならない時のための保険。

 第一、シナリオ通り聖剣が必要になった時点で王子の未来は失われたも同然。カサンドラの負けだ。


 その前に――王子の事情は、必ず自分が何とかして見せる。

 その手段が王子の”攻略”だというなら、一歩一歩確実に攻め込むしかない。


 何よりカサンドラは王子が好きだ。

 改めて言葉にするのは非常に極まりが悪いものの、彼に不幸になって欲しくないのである。




 もしも親密になる対象がジェイクだったら、どういう形でイベントを攻略して。

 どういう風にパラメータを伸ばして、どこでフラグを立ててとか全部掌の上だというのに……!


 中々、人生とは儘ならないものである。

 ゲームの世界に転生したらしいとはいえ、セーブもロードも出来ない現実を生きるならただの人生である。


 王子の核心をいつ突くべきか? という命題は未だ道筋も見えないものであった。




「姉上、今日はいかがでしたか?」


 別邸に戻ると、やや緊張した面持ちのアレクが出迎えてくれた。

 彼なりにカサンドラの首尾を気にしていたのだろう、一週間ずっと練習に付き合ってくれた彼には本当に頭が上がらない。


「ええ、楽しい一日を過ごせました。

 貴方の協力のお陰です」


 取り繕うでもなく彼に伝える。

 彼は「良かったです!」と緊張から解放されたように満面の笑顔を向けてくれた。


 普段十歳とは思えない利発で小生意気そうな少年なのだけど。こういう時だけ年齢相応の笑顔を向けてくるのは反則だと思う。


「何故、そこまで気にかけてくれるのですか?」


 いつも思うことだが、彼はカサンドラにとって常に協力的だ。

 立場上仕方のないことかも知れないけれど、いざ改めて我が事のように安堵するアレクを前に違和感を覚えるのも仕方ない。

 カサンドラがうまく演奏しようが失敗して笑いものになろうが、アレクは全くの無関係ではないだろうか。

 いや、あれだけ無理矢理手伝わされたのだから結果を知る権利があるのは分かるけど。


「姉上は本っ当にお人よしと言いますか、物事の裏を考えるのが苦手ですよね」


 彼は少しばかり醒めた視線で、帰宅したばかりで外出着のままのカサンドラを見据える。

 その視線に不穏な感情をふと感じ、フルートを入れたケースを胸元に掻き抱いてしまった。

 ――善意だけではない、と……?


 一体アレクにどのような深淵なる事情が?


「考えてみてください。

 姉上が王子と上手くいかずに婚約破棄――とまではいかずとも婚約を再考され解消してしまったら」


「不吉な事を言わないで」


 本当に予想できる未来なのでアレクに言われるとぐっさり突き刺さる。


「姉上はレンドール侯爵のたった一人のお嬢さんですよ?

 貴女が王家に輿入れする話が白紙になれば、家督は貴女が継ぐことになりますよね?

 きっと侯爵も姉上に相応しい相手を探されることでしょう」


 言われてみれば、確かに。

 カサンドラはこの家の正統な血を継いだ後継者。女性であっても、爵位を継げないことなどない。

 普通に親が再度選んだ縁談に身を投じることになるだろう。


 婚約破棄にまで至れば、そんな不出来で醜聞に近いことを起こした令嬢を嫁にしようなどという上位貴族は現れないだろう。

 その場合、カサンドラは僻地の修道院にでも送られて一生結婚などとは無関係で生きる。

 もう少し穏便に「おたくの娘さんはちょっと…」と王家側からやんわりお断りをされれば、多少問題があるとしてもレンドール侯爵の夫に名乗りを上げる貴族はいるだろう。


「――つまり、です。

 姉上が王子と無難に婚姻できないのであれば、僕はこの家で居場所がなくなってしまうのですよ」


「あっ」


 言われてみて気が付いた衝撃の事実。

 青天の霹靂とでも言うべきか。


 レンドール侯爵の後継ぎに養子にもらったアレクである。カサンドラが王子と上手くいかずに話が頓挫してしまったら……

 アレクは後継ぎになれないのだ。


 成程、そりゃあ彼にとっても正念場というか姉の応援をしなければならないと意気込むわけだ。

 自分が失態を重ねての婚約破棄が、彼にとって最も都合の悪いシナリオなのだから。


 ゴクリと喉を鳴らす。


「わたくしがしっかりしていないと貴方に迷惑をかけてしまうのですね」


「そういうことです」


 何故かアレクは堂々とそう頷く。

 下心があるから義姉に協力しているのだ、それなのに理由なく協力していると思い込んでいるカサンドラを『浅はか』だと指摘している。


 ではあの時落ち込んだ自分を滝の名所まで連れて行ってくれたことも。そして一週間文句も言わずカサンドラの演奏練習に付き合ったのもそのせい……?


 だがアレクは強かで賢い少年である。

 本当にそれを下心だと思っているなら、こんな風にカサンドラに直接語り掛けることもない気がする。


 自分の地位のためにも頑張って欲しい――それは一種の照れ隠しのように見えないだろうか?

 彼が優しい少年であることはカサンドラも知っている。義務感だけで付き合って恩に着せようという性格には程遠い。


 カサンドラの進退が自分の将来に直結する。

 利害は一致しているのだ、と。彼はそう宣誓したに過ぎない。


「アレク、思いつめてはいけません。

 わたくしは婚約を破棄されるような醜聞など起こしません。

 王子が婚約を解消されたいと仰るのであれば、わたくしにはどうすることもできませんけれど」


 まぁ、婚約の解消など王子個人の意思があっても難しいだろうな……とは思う。

 彼がカサンドラをどう思っていても、立場上よっぽどの事件でもない限り親の言うことを聞き入れて婚姻するしかない。

 カサンドラにも同じことが言える。


 だから義弟が粉骨砕身してまでカサンドラに尽くすまで思いつめる必要はない。


 もはやアレクは我が家にとって欠かすことの出来ない家族の一員なのだから。


「姉上のなさることですからねぇ」


 アレクはとっても訝しげで、胡乱な表情でじろじろとこちらを見る。

 彼の自分への信用がこんなにも足りていないのか、と思い知らされる瞬間であった。

 やはり数年共に過ごした記憶は、たった一月程度の行動改善では覆すに至らないのか。


「そ……それに!

 万が一ということがあったら、お父様はわたくしとアレクを婚姻させる選択をとる気がします!」


 今までアレクに施した後継ぎ教育の時間や経費の問題もある、ポカをやらかした一人娘のためにアレクを放流させたり飼殺すのは損。

 あの人は合理主義者なのだ、それならいっそアレクをレンドール家の婿に迎え入れる方に舵を切るだろう。


「………えぇ……?」


 アレクは一歩後ろに下がる。


「まさか姉上にそんな趣味が……」


 彼の両肩がぞわっと震える。


「ありません! もしも、万が一!

 その万が一が起こっても、貴方がこの家から出ていく必要などないと言いたいだけです!」


 いくら将来の美形が約束された美少年であっても、五つも年下の十の子供だ。それも義弟として普段から接している相手に邪な感情など抱くわけがない。

 勝手に勘違いされてドン引きされる謂れは無い!

 カサンドラは必死の形相で彼の懸念事項を蹴り飛ばす。


 すると彼は楽しそうにクスクスと笑いだした。


「姉上が家にいると思うと僕は安らげませんからね!

 王子と上手くいくよう、どうかこれからも尽力してください」



 先週散々付き合わされたんだから、これくらいの意趣返しは許されるでしょう? と。彼は笑いながら背を向ける。

 ただ単に慌てている姿を見せてしまっただけか。


 全く、こちらは本当にアレクの将来に対する不安を欠片でも抱いて欲しくないからそういっただけなのに……



「あ、そうだ。

 ……その髪、良くお似合いですよ」




 思わず一つにまとめた髪を手で押さえる。



 この少年が学園に通いだしたらヤバいな、ファンクラブが出来てしまう。

 カサンドラはそう確信せざるを得なかった。


 五年経ったアレクに、あんな笑顔で囁かれたら――一発でコロッと理性が転ぶわ。





 ※





 日曜日が終われば、すぐに月曜日。

 王子に手紙を届けるために早起きしなければいけないのに、その手紙の内容に四苦八苦。

 色々な事を思い出しては一人騒がしく寝付けなくって睡眠不足は継続中。


 いつ思い出しても顔が真っ赤になってしまう。

 別に好意があったから手を差し伸べてくれたのではない、人間の反射運動。

 目の前で誰かが転けてしまいそうだったら、そりゃあ誰だって腕を出すだろう。


 それなのに自分ばっかりこんなにドキドキするのもなんだか不公平だ。

 こちらが追いかける側なのだから仕方ない。


 手紙には合奏が出来て楽しかった。また機会があれば誘ってほしいという攻めすぎない内容に終始する。

 


 距離がちっとも縮まっている気がしないけれど、来月の生誕祭の後は大きなチャンスなのだ。




 恙なく午前の授業を終え、皆で祈りを捧げた後昼食に入る。

 カサンドラにとって一日で最も神経を遣う苦痛な時間と言っても差し支えない。


 だが今日に限ってはあまり圧迫感を感じないのを不思議に思った。

 チラとシリウスやラルフの様子を横目で窺ってみると、いつもはカサンドラに対して些細な事でも指摘してやろうと鵜の目鷹の目だった彼らだというのに。

 今日は穏やかに感じる……?


 うーん?

 やはり昨日一緒に活動したという事実が案外大きかったのかも知れない。

 あの僅かな時間だけで全て打ち解けて仲良くなることは不可能だが、多少当たりがマイルドになった――気がする。

 気がするだけで、彼らの内心など知りようがない。


 嫌味をダイレクトアタックされない環境であればそれで心が休まるというものだ。


 神経を遣うのが嫌だっただけで、それがなくなれば無害な時間と早変わる。

 ……今日だけかもしれないが心に余裕が生まれたのは確かだ。


 この際、ラルフとシリウスのことばかり考えているわけにはいかない。

 今最もカサンドラがやきもきしているのは、目の前で黙々と食事を続けているジェイク。

 彼が折角の王子との外出に同行するというおまけの話に目の前が真っ暗になってしまった。


   ジェイク様が王子の護衛に――


 本当にリゼの勘の良さには恐れ入る。

 その時は勘弁してくれと思ったものだが、実際にアーサー王子とジェイクは街の様子を見て回るのが初めてではないということ。


 どんな格好をしていようが王子は王子、その輝きを翳らせることはできはしない。

 ――間違いなく騒ぎになっているものと思われる。

 更に見た目が派手で有名人のジェイクも合わされば、誰もが道を譲って平伏するのではないだろうか。


 そんな目立つ一行の一員として歩きたくない。


 どうにかしてジェイクと別行動出来ないものか……


 非常に難しい問題だ。

 ジェイクが同行しなかったら、それこそ数人の護衛をぞろぞろ連れて街中を歩くことになる。

 それは非常に居心地が悪いので御免被りたい。


 ここはリゼの協力を仰ぐのが一番ではないだろうか?


 予定にあるコースのどこかでリゼと偶然会うように仕向けて、二対二で行動する……

 いや、あの娘は常識的な感性を持っている。王族や自分達が歩いているところに偶然ですねー、と入り込んでくるような女の子ではないのだ。

  

 かなり綿密に打ち合わせをしておかないと、彼女の存在は見逃されてしまう可能性もある。


「……何だよ、俺に何か言いたいことでもあるのか?」


 眉根を寄せ、正面のジェイクの顔を凝視する時間が自分が思っていた以上に長かったらしい。

 当然不審に思って彼も顔を上げてこちらを厭そうな表情で見てくるわけで。


 しまったと後悔しても後の祭り。


「い、いえ。少しばかり先日のことを思い出していまして。

 ジェイク様は講堂にお見えにならなかったのですね」


 こんなところで王子との街中散策の件を話題に出せるものか。

 ホホホ、と全く思っていないことが口からスラスラ出るのだから人間って怖い。


「そうだぞ、ジェイク。お前も弾ける曲を選んだというのに」


 何故かその会話にラルフが割り入って来て心中で悲鳴を上げる。

 何で彼が会話に参加してくるんだ。


「しょうがないだろ、俺だってできることなら抜け出したかったぜ」


 ジェイクは不機嫌そうに口をヘの字に結ぶ。

 彼が昨日来るか来ないかはカサンドラには直接影響のない事だった。

 だがジェイクは音楽関係は殆どノータッチ、今回の独奏会の件だって誰よりも引いた場所から眺めているだけだった。


 ……弾ける曲っていうか、楽器があるの?


 そっちの方に吃驚した。


「ジェイク様も演奏を嗜まれているのですか?」


「お前らみたいにガッツリ練習はしてないけどな。

 チェロやコントラバスくらいなら――まぁ、昔、ラルフに無理矢理付き合わされたことがあるだけだ。

 弾けるって程じゃねーし」


 確かに握力が必要で最低音のコントラバスは大柄な彼に似合うと言えばそうだけど。

 基本何でもできるな、この人たち……

 素のスペック高すぎない?


 ヴァイオリンは一回壊したことがあるから駄目なのだそうだ。

 どんな握力してるの、この人。


 成程、どんな楽器の合奏も想定され書かれた楽曲指定はジェイクのためだったのか。

 肝心の彼は不在だったわけだが。


 ラルフと王子の腕を実際に事あるごとに耳にしていては、自分も演奏が出来ます得意です――なんて絶対自称出来ない気持ちは分かる。

 この二人に比べたらカサンドラだって素人に等しいのだ。

 そりゃあジェイクも門外漢の態度を貫くわ。


「土日にずっと騎士団に詰めていたそうだな。

 何かあったのか?」


 シリウスの鋭さのある指摘に、ジェイクは大仰に溜息を吐いた。


「ちょっとなぁ。

 騎兵借りた分の穴埋めっていうか、まぁ。

 ……書類仕事の手伝いに……クソッ、どれだけ処理しても次から次へと……!」


 彼は前髪を掌でくしゃっと掻き上げて大変苦悶していた。

 どうやらこの間ウェレス伯爵邸に引き連れていった将軍擁する騎兵を動かしたことの対価を支払えというか、それだけ分の働きを重ねて求められている、と。

 将軍も噂に違わぬ厳格な人だ。実の息子にも厳しい。


 ジェイクもジェイクで、色々大変なこともあるようだ。



 そんなに騎士団の仕事が忙しいのか。

 いっそ六月末まで忙殺されて王子に来月は同行できないということはないのだろうか?

 それとなく尋ねたが、拘束期間は今週いっぱいで終わるらしい。



 残念だ。

 だが学生生活と騎士団員を兼ねるのは大変そうだなと思う。

 多くの職務を免除されているとはいえ、時期によっては学園を休むことも多々あるわけで。


 彼にとっては騎士団の方が自分の居場所。帰属意識のある場所なのだろう。


 騎士団の出入りを制限される騎士位の一時返上は考えず学園に通っているのは、彼なりの矜持なのだと思う。





 高い職務意識は良いのだが、それはそれとしてアーサーとの散策を邪魔されたくない。

 協力をお願いするのも、なんというか癪だ。

 そもそも論として、何故自分がジェイクに下手に出なければならないのか。





   ――一度、リゼに話をしてみようかなぁ。


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