第51話 自由な想い



 着実に一日一日が過ぎ行き、カサンドラの今週の学園での予定が全て終了してしまった。

 生徒会役員会議も今日に至っては穏やかで凪いだ水面そのもののような静かなもの。


 騒がしいと言えば役員会が始まる前、学園が一時異様に騒然とし、そのどよめき具合が生徒会室に向かうカサンドラの首を予期せぬ事態で傾げさせたくらいだ。

 本日は物凄く淡々として、まるでお茶会さながらの終始和やかな雰囲気で進められた。


 音楽を嗜む役員はお遊びがてらだが、日曜日に集って合奏をしてみないかという提案がラルフからあった程度だ。

 お遊び程度と強調されたが適当な腕でのこのこマイ楽器を持って挑んだら彼らのレベルの高さに恥を掻く危険が大いに孕んでいるわけだが。

 隣に座る侯爵令嬢アイリスは結構乗り気で、ハープを弾きたいけれども流石に持って来るのは難しいのでヴァイオリンを持って来ますね、とカサンドラに微笑みかける。


 あのラルフの演奏を聴いてなおヴァイオリンを得手とする彼の前で奏でようなど、凄い強心臓! と驚いた。


 ラルフもシリウスも役員の仕事に対して非常に真摯で真面目に対応している。

 カサンドラが何か嘴を挟む余地もない程、彼らは過去の資料を総浚いして問題点や改善点を掲げて生誕祭に向けて抜かりの無い進捗状態。


 会議は踊る、されど進まず――という話はよく聞くが、今の自分達には当てはまらない。

 指揮権を持った者が有能で何でもテキパキこなしてくれると会議ってこんなに楽なんだなぁ……としみじみ感動を覚えた程。


 他の役員の意見も汲み上げてくれるだけの懐の広さもあるし。


 王宮の重鎮メンバーが来賓するということもあり、下準備に余念がない。

 カサンドラは彼らの相談という名の一連の報告を紙に纏めて後ほど顧問に提出する仕事が残っている。


 できればさっさと終わらせてフルートの練習に入りたい。

 あと二日……あと二日しかないのだ!

 寝不足も重なればハイになる。カサンドラはやる気に満ち満ちていた。


 定刻通りに会議が終わったことに神に感謝を捧げつつ、いつも通り資料を片付けある程度報告書の下書きをメモした。

 その後ようやく鞄をとって生徒会室から解放された。


 生徒の気配が殆どない学園はまるで別世界のよう。


 逸る心を押さえスタスタと早足で廊下を進み、カサンドラは金の髪を靡かせ校舎の玄関ホールを後にする。

 まだ陽は空を青く照らし、このまま馬車に乗って帰宅すれば今まで通りたっぷりアレクとの練習に励むことが出来そうだ。


 さぁ、校門をくぐって馬車の待つ広場へ――

 と一歩踏み出した瞬間、横から声を掛けられた。


「カサンドラ様! お疲れさまでした」


 声の主はリゼであった。

 三つ子は声質さえ全く同じだが、話し方や抑揚の差で何となく誰の発言か聞き分けられる。

 もしも意識的に真似されて三人同時に話しかけられたら聞き分けるなんてまず出来ないだろうが。


 まるで自分を待ち構えていたかのようなリゼのタイミング。

 吃驚したが、実際に自分を待っていたのだろうとすぐ分かる。


 校門を出て別方向の道を歩けばそこは学園寮。遅刻することなど早々ない近距離に建てられた寮にすっかり帰宅しているものだと思っていた。

 他に生徒の姿も見えないのだが、彼女はずっとカサンドラの帰宅を待っていたのだろうか。


 内心の動揺を隠し、カサンドラはにっこりと微笑んで彼女の方に向き直る。


「あら、リゼさんごきげんよう。恐れ入ります」


「……あの、お忙しいのにごめんなさい。

 少しで良いので! 本当に少しでいいので……話、聞いてもらえませんか!?」


 自分が男性だったら、これはもう愛の告白以外ありえませんね? と確信を持って勘違いするだろう。

 生憎そんなことはあり得ないと分かっている。心はまだ穏やかだ。


 一瞬、早く帰ってフルートの練習を――なんて願望が頭を過ぎってしまった。

 だがリゼはまだ鞄も持ったままだし制服のまま。

 自分に話を聞いてもらいたいとここで待っていたのだろう。その姿を想像すると、彼女のお願いを無下になどできるはずがない。


「わたくしがお聞きしても良いことなのでしょうか」


 校門の横の花壇に立ち位置を変える。

 こんな場所で立ち話というのも、なんだか普通の学生みたいで新鮮な気持ちになった。

 カサンドラの立場上、無遠慮に花壇の端に腰を下ろすだなんてはしたない真似は出来ないけれど。


「……。

 あの、ミランダさんって先輩のことなんですけど」


 彼女は何とも言い難いのか、まるで苦虫を噛みつぶしているみたいな不味そうな顔。



「あの人が良く知らない貴族の人と結婚するんだって話、昨日あったじゃないですか!」


「ええ、仰る通りです」


 噂は一瞬で知れ渡り、無関係の特待生の耳にも届いている。

 昨日食堂にいた生徒は全員知っているのではあるまいか。


「それで……昨日一日それでモヤモヤしっぱなしで」


 気持ちは分かる。

 リゼ本人にしてみれば、全くわけのわからない状況だろうから。

 カサンドラは直接ジェイクに事の次第を聞けたので憂いもなくすっきりした気持ちで朝を迎えることができた。

 無理をしても、彼から話を聞きだして正解だったと言わざるを得ない。


「……先輩がジェイク様を何かで怒らせて、それで罰として位の低い外れの貴族に無理矢理……って。

 そんな話も聞こえて、もし私のせいだったらどうしようとか」


 実際、そういう外圧でもないとミランダとアンディの婚約など不自然極まりない。

 自分が思い至ったのと同じように、リゼもまた不審がってモヤモヤを抱えていたのだ。彼女は鈍感でもなく聡い娘である。

 因果関係を考えたら、自然あの日の事に行き着いてしまったのだ。

 リゼに対する酷い行いが何らかの形で詳らかになり、そのせいでミランダは罰を受けてしまったのだ、と。まさにカサンドラと同じ思考回路である。


「すごく落ち着かなくって! 一日悩んでたんですよ。

 ――そうしたら……

 今日、その件の男の人が、ですね。


 ……放課後、先輩を迎えに来て」


 それは意外だった。カサンドラも翡翠色の双眸を大きく見開く。


 自分達が役員会をしている時間、学園全体が騒然としていたのは――

 噂の大元、アンディその人が姿を見せてミランダを迎えに来たからだという。


「気になるじゃないですか!

 で、当然見に行くじゃないですか!」


 彼女はそう言って拳を固める。

 クッと、悔しそうに眉に皺を入れたまま言い放つ。


「凄い美形でした! 騎士の制服が似合うとっても上品な……って、外見はどうでもいいんです。

 お二人とも――信じられないくらいラブラブっていうか、何ですかあの幸せオーラは!」


 バンバン、と彼女は花壇に縋りつくようにして、拳をその縁に叩きつけて悶絶していた。

 元々恋人同士ということがあったということしか知らないが、リゼがここまでのリアクションに走るということは相当凄いツーショットだったのか。

 普段こんな挙動をする娘ではないのだが、話の内容が恋愛に関係することは彼女らしからぬ妄動に走ってしまうらしい。


「それまでからかおうとしていた他の生徒たちも皆呆然と立ち尽くしてるし。

 しかも婚約者さん、騎士団の紋章入りの飾りが立派で――実は凄い人なんじゃないかって男子生徒が騒ぎ出して」


 その光景が目に浮かぶようだ。

 一体どんな下級貴族がやってくるのか興味津々だった生徒たちがさぞかし驚き戸惑った事だろう。

 一番顔を青く染めてることになるのは、今後正確な情報を知るミランダの元取り巻きではないか?

 実家から切り捨てられてお気の毒様と掌を返して嫌味や皮肉を言ったけれども、現実はどうもそうではないらしい。


 あのアンディという騎士は今後要職に取り立てられて称号や勲章を戴くことになるはずだ。

 彼はウェレス伯爵令嬢ミランダに相応しい身分になる。それはとりもなおさず、ミランダは『勝ち組』であるということに他ならない。

 しかも――手に入れたのは身分の安泰だけではない。


「ああいう手のつなぎ方を恋人繋ぎっていうんだってリタが言ってましたけど、まぁ、凄かったです……」


 彼女はリゼが驚き、こうしてカサンドラに話をしたくなるくらいの仲睦まじさ。

 これは来週からミランダは話題の中心になって注目されるに違いない。


 一時間前のこの校門は凄い空気で満たされていたのだろうな。

 見たかったような……こうして聞くだけでお腹がいっぱいのような。


「見た瞬間、叫びたくて頭を抱えたくって。

 ……凄く腹も立ちましたし、恥ずかしかったですし。

 あの人にそんな恋人がいるの!? いたの!? ……って。


 じゃあ私、なんだって水攻めにされたんですかね!?

 そもそも先輩に勘違い丸出しの変なこと言っちゃって……」



 ”ああああああ”、とリゼは顔を真っ赤にして両手で覆う。

 そのまま地面にくずおれた。


 リゼの様子は自分にも覚えがある、黒歴史を思い出した夜にいてもたってもいられずゴロゴロ転がってしまうもどかしさ、いたたまれなさ、恥ずかしさ。



「落ち着いて下さい、リゼさん」


 震える彼女の肩にそっと手を添えた。


 昨日ジェイクが『落ち着け』と自分に言った時もこんな気持ちだったのだろうか。

 事情を知らないゆえの思考の暴走、勘違いで騒がれて少々困ってしまう。


「ミランダ様にも色々な事情がおありです。

 リゼさんに狼藉をはたらいてしまった時、あの方は確かにジェイク様の事を思いつめていらっしゃったのですよ」


「……はい……。それは、そうだと思います。

 何となくですけど。

 きっと、今の婚約者さんは……ずっと前から、好きな人だったんだろうなぁって。

 一々説明されなくっても、そうなんだって分かっちゃいますよ」


 ようやく彼女は息を整え、スッと立ち上がった。

 まだ恥ずかしそうに頬の端を染めているけれども。


「で、思ったんです。

 何か理由があっての、今日の先輩の姿を見て……

 羨ましいっていうのと同じくらい、自分が思い違いをしていたんだって衝撃を受けました」


 リゼは唇を噛み締め、懊悩の様を見せる。

 そして自身の身体をぎゅっと抱くように、己の両手で反対側の二の腕を掴み震えた。


「簡単に『見込みがある』だとか、ないとか。そんな風に言っちゃいましたけど。

 あの人達は、自由な恋愛なんか出来ないのに……何てことを私は口走ったのかって。

 ……あんな幸せそうな顔になるくらい好きな人が他にいて、それでも私を攻撃しないといけないような立場で……」


 ジェイクに選ばれなければいけない人、だった。

 あの時は確かにそうで、だからミランダはリゼを許せなかったのだろう。


 彼女は家の都合、親兄弟の都合で政略の一環でジェイクの嫁候補に押し上げられていた。


 勿論、政略結婚というのは全て愛が無い結婚というわけではない。

 お見合い結婚、そこから始まる恋もある。

 当人の意見を尊重して相手を決める親だって当然いる。


 全てが女性にとっての不幸せではないけれど、基本的に女性の方が結婚相手の男性に左右される。


 責任ある貴族の令嬢にとって結婚というのは、己の一生を賭けたルーレットを回して出た目に従って行動するしかない大博打のようなもの。

 上手くいけば幸せ、でもそうでなければ夫は他に女性を囲うかも知れない、愛されないかもしれない――

 当主が女性を囲うことが正当化されても、妻が他に男性を愛人として養うことはありえない。非常識だ不貞だと責められることから伺える。

 尤も、結婚というものが次代を残し血統を繋ぐものと考えるならそれも致し方ない通念だろうが。

 女性は受け身にならざるを得ない。


 本人たちの意思だけでは、どうにもならない事情が絡み合う。


「私なんかと違って、抱えてるものが沢山あるんだなって。

 今まで高飛車で偉そうで、貴族なんて大嫌い! って思ってたんです」


 勿論カサンドラ様は別ですよ! と彼女は慌てて言い添える。


「今日の先輩の様子を見て、お嬢様って色々大変なんだなぁって同情もしちゃいました」


 人一人リゼの固定観念を完全に壊してしまう程のインパクトがあったようだ。

 一体ミランダはどんなラブラブカップルっぷりで場を騒然とさせたというのか。


 それまで一人でジタバタしていた彼女も、ひとしきり己の感情を言葉にしたことで落ち着いてきたようだ。

 表情がすっかりいつもの彼女のものに戻っている。

 今日の事態を誰かに話さずにはいられないという一心でカサンドラを待っていたのだろうか。


 ――王様の耳はロバの耳。


 叫びだしたい感情や想いを一人で抱えることがどれほど難しいのか。

 言葉にすることで軽くなる。言語化するから気持ちに整理がつくのだ。

 特に理性派のリゼにとって、この作業は必要な過程プロセスに違いない。

 普段は言語化する相手が家族や妹達で、今はカサンドラもその一員に含んでくれているのだろうか。

 それなら嬉しい限りだ。



「私って平民ですから。

 ……好きな人をそのまま好きだって思えたり言えるのって、凄い恵まれてるんですね」


 しみじみと、彼女はそう語る。



「もともと、最初っから困難な目標です。

 でも失敗したって失くすものなんか、私にはないって思うと楽になりました。

 気が済むまで、自分が納得するまで頑張ろうと思います!」



 普通に考えてただの特待生で庶民そのもののリゼやリタ達がその想いを叶えるなんて絵空事だ。

 荒唐無稽の夢物語と言って良い。


 現実主義者のリゼがそんなの無理だから諦めた方が良いのでは、と嘗て真剣に思い悩んでいたように。


 例えばもしも万が一、仮に、ありえないけれども!

 カサンドラがジェイクを好きになってしまいました! 身分が釣り合っているから結婚できますね! ――なんてありえないわけだ。

 いくら王妃候補に名を挙げられたレンドール侯爵家の一人娘でも、状況が赦さなければ叶わない想いなどいくらでもある。


 ミランダは辛い想いもしたけれど、回されたルーレットでドンピシャリの狙った数字を叩きだした豪運の持ち主。現状は奇跡に近い。

 アンディの執念とも言うべき努力が実ったのだ。

 




 リゼの言動は彼女らしいと思った。

 そうやって己を奮い立たせ、自信やプライドを保っているように見える。



「ですので明日以降もカサンドラ様のご指導の程、宜しくお願い致します。

 ……大丈夫です、私、最近身体動かすの慣れてきたんですよ!」



 明日はカサンドラの別邸で再び皆で特訓する日。

 今のリゼとリタのモチベーションなら、素晴らしい結果を叩きだしてくれることであろう。

 数値としてパラメータ上昇値を目で確認できないことがこれほど口惜しいと思った日は無い。


 前向きで、やる気も十分感じられるリゼ。

 本当なら叶いもしない目標に向けて暗中模索で努力し続けるなんて難しい。

 特に、この時期は展望も見えないし上手くいかないことだらけだろう。

 普通に彼らと話をすることさえ儘ならない、だからモチベーションが上がるのはカサンドラにとってとても幸いなことである。




 無謀な想い、か。



 そう言葉にされると、「でもね」と否定したくなる。


 貴女達は知らないけれど……


 その恋愛が成就しないと、世界が危険なことになるかもしれないのです。



 ともすれば王国の命運を背負った、命がけの恋愛をしているのが誰あろうこの三つ子だなんて不思議なことだ。





 どうかその心意気のままジェイクと仲良くなってくれないかなぁ、と微笑むカサンドラだった。 


 そしてあの男ジェイクに乙女心の何たるかを教えてあげておくれ。

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