第36話 素のままで


「……どうしてアレクはわたくしのことを心配してくれるのかしら?

 姉らしいことなど出来ないまま、今に至るというのに」


 口から出てきた言葉は彼の優しさを疑うようなものだった。

 自分でも捻くれた言い方だなと自嘲する。


 が、アレク本人もカサンドラもそう思っているように――決して良い姉ではなかった。


 高慢と呼ばれても仕方ない、ナチュラルに上から目線のお嬢様だった。周囲の評判が芳しかったわけでもない。

 アレク自ら義姉のために外に連れ出して気分転換、悩みを聞いてあげたい! だなんて思ってもらえるとは思えず不思議だ。


 彼はちょっとだけその碧眼を細め、ぶっきらぼうな口調で返す。


「今の姉上は良い方向に変わっていて凄いと思いますよ、ええ。

 でも、前の姉上も結構……その、面白いところがありましたし……

 愛嬌がなかったわけではないと言いますか。

 褒められるような人ではなくても、悪い人ではなかったですし?」


 微妙にフォローされているのか貶されているのか難しい。


「僕にとっては、姉上は侯爵のお嬢さんで恩人の子なんです。

 心配の一つや二つさせてくれたっていいじゃないですか」


 父を恩人というのは聊か大げさすぎる気もするが、普通は侯爵家の後継ぎなんか望んでなれるわけもないから自然な想いなのだろう。


 それはそれとして、カサンドラは姉として、家族らしいことをしてあげた記憶がない。

 一緒に遊びに行くだとかそんな微笑ましい記憶もないというか、カサンドラにとってアレクはあくまでも義弟だった。

 自分が王家に嫁ぐから当然のように連れてこられた遠縁の少年。


 他人行儀感さえある状態。

 前世の記憶を思い出した直後などは、ゲームの中に影も形もなかったアレクの存在に違和感が強くて見ていると気分が悪くなったほどだ。


 その時はいっぱいいっぱいだったとは言え、物凄く失礼な態度だったと反省するばかりだ。


「アレク……」


 カサンドラの弱みを握ってやろうだとか、そういう悪意や邪念は彼の表情から僅かでも見つけ出すことが出来ない。

 偶然でさえ誰にも聞かれることのないよう、こんな場所に連れ出してくれたのも彼の優しさの表れなのだろう。


 心配してくれている。

 逆の立場で考えて、自分が心から心配している相手にあくまでも本人の問題だからと頑なに拒まれ続けたら悲しい。

 自分なんかじゃ何の役にも立たない、関係ないって思われてるようで――


 子どもだからわからないでしょう、なんてはぐらかすことは出来ない。


「貴方の言う通り、悩んでいたのです。

 わたくしは王子の婚約者だと周囲に認識されていますが、お話をする機会もとても限られていますわ。

 王子ご自身も、わたくしのことに興味を持ってくださっているとはいい難い状況で……」


 口にした言葉は緊張と屈辱で震えていた。

 滝の音が、その震えを掻き消してくれはしないだろうか。


 勿論、抱えているものを全部披瀝することは不可能だ。転生だなんだと、彼に言うことは出来ない。

 今頭の中を占め、途方に暮れているのはジェイクとの昨日の会話の内容である。

 実際に悩んでいたのだから、スルスルと口から溢れ落ちてゆく。


「まだ王子とはお会いしたばかりではないですか、焦らなくてもよいのでは?」


 カサンドラは王子が自身の婚約者になれて、本当に嬉しかった。

 王妃という立場よりも何よりも――前世を思い出すまでのカサンドラは、前世の己と同じように面食いであったようだ。

 好ましいタイプの顔が同じ。ある意味では同一人物なのだから好みが似通うのは当然かもしれないが。


 どこからどう見ても王子様然たる彼の姿を垣間見た時、一瞬で心を射抜かれてしまう程の一目惚れだったのだ。

 だからやっと何の障害も距離の障壁もなく王子と毎日会えると喜んで、ドン引きするアレクにその思いの丈を入学前日にぶちまけていたわけだ。

 まさにテンションマックス状態。


 アレクとしても、まさか今でさえほぼ初対面よりマシとはいえ微妙な距離感で友人でさえない関係だとは思っていなかったはず。

 義弟に現状を正しく認識してもらうのは、姉として恥ずかしいと躊躇ったのは事実だ。

 実は体よくあしらわれている感じですなんて、身内には特に知られたくない。


 だがアレクも薄々感づいていたのか、カサンドラの現状を聞いても特に際立った反応は無い。

 最初からうまくいっていないと思われていたなら、若干悔しい。


「このままでは、わたくしは王子のお力になどなれないのではないかと。

 どう支えていけばいいのかもわからず、強く思い悩んでいたのです」


「仰る意味が良くわからないのですが、何故急に? そのように思われたのですか?」


「わたくしは……

 両親も健在ですし、それどころかこうしてわたくしのことを心配してくれる優しい義弟までいる恵まれた身の上。幸せ者なのです。

 ですからわたくしは本当の意味で王子の気持ちを理解することは出来ません。

 何を申し上げても王子に響かないどころか、疎ましがられているのではないかと恐ろしくて。

 ずっと距離が隔たったままだと想像したら……」


 アレクはカサンドラの言葉を彼なりにじっくり咀嚼しているように考え込んだ。


 自分は皆が思っているように癒し系とは程遠い。真逆だ。

 ジェイクの言う通り、外見が持つ印象の力は強く、そして実際にカサンドラは可愛げのある性格ではなかった。

 相手の繊細なところを、自分という人間は逆なでしてしまうのでは?


 自分の失ったものを全部持っている相手がヘラヘラと近づいてきたら、容易に受け入れがたいのではないだろうか?


「王子はご家族を亡くされているのでしたね、確かにお辛い過去をお持ちでしょう」


 中央から遠い地方で育ったカサンドラ、そして同じように中央とは遠い場所で育っただろうアレクは事実は知っていても我が事として捉える身内の訃報ではなかった。

 自分でも薄情だなと思う。

 いくらゲームをしている時には知る由もない事情とは言え、この世界に生きていたカサンドラはもっと重大事件として記憶に強く刻み込まれていても良いのに。


「それでは姉上。

 例えば僕がこの滝から身を落として死んでしまったら――貴女は王子の心情への理解に近づき、仲良くなれるのですか?」


「……何を言っているの!?」


 はぁ? と顔を跳ね上げる。

 彼の顔は存外真剣そのものだったので、心の底からぞっとした。


 その思考がポンと口から出ることの方が理解できず、唖然とした表情のまま固まる。


「ああ、義弟程度では王子の感じた喪失感の何分の一も理解できませんよね。

 それなら夫人も一緒に……」


「おやめなさい!」


 想像するだけで忌まわしい。


「姉上が悩まれている事は、それほどに愚かしいものだと思います」


 淡々とアレクが言う言葉に、カサンドラは再び歯ぎしりをしそうになる。

 結局のところ相手の気持ちを完璧に理解することなど出来ないと彼は言いたいのだろうか。


「自分と同じ境遇の人、同じ重さの痛みを知る人としか仲良くなれないなんておかしな話だと思いませんか?

 経験したことがない人から、カンに障ることを言われて気分を害することはあるかもしれませんが。

 ――別に王子は、姉上に同じ経験をしたり分かって欲しいなんて思ってないですよ」


 そう……なのだろうか。

 自分はこの世界で所謂『主人公属性』とは全く違う存在で、だから軽々しく口にもできない過去を持つ王子に真っ向から挑んで支えることは難しいと悩んでいる。

 何の苦労もない適当に生きていた人間の言葉や態度が、果たして彼に届くのか?

 やってみて無理だったら、と想像すると身が竦むのだ。


 この世界で皆と幸せに暮らしたい、王子を打ち倒されるような存在にしたくない。

 目標が絶望的なまでに遠くなった気がして、目の前が暗くなった。


「僕でしたら、同じ傷を持つ人だとか全部分かったような顔をした人だとかに手を差し伸べられるよりは……

 普通に接してくれたり、分からなくても分かろうとして歩み寄ってくれる人の方が嬉しいですけどね。


 何にせよ姉上が思いつめる必要はないです。

 腫物に触れるように接するより、堂々と歩み寄って行くのがいいと思いますよ!


 そうすれば王子も姉上の良いところや魅力に惹かれて……

 ん、と……良いとこ、ろ……?

 ええと………姉上の、良い点……?」


 途中までこちらを言い含め諭すような物言いだったアレクが、急に真剣に悩んで語尾を濁し始める。

 良いところ、と何度も口ごもりながらチラっとカサンドラの顔を窺う。

 そして視線を外し、うーん、と唸る。


 重ね重ね失礼な……!

 数年姉と弟として暮らしてきたのだから、そこでさらっといいところを挙げてくれればいいのに!


「そ、そうですね。

 姉上は元々図々しい――いえ、積極性のある性格なので、引っ込んでウジウジしては面倒――違う、勿体ないかと!」


 色々とフォローしてくれようとしているのが裏目に出ているような気がしなくもない。

 だが彼は彼なりに元気がないカサンドラを無理矢理にでも元気づけようとしてくれている。

 その気持ちだけは伝わってくるが、そんなにいいところがないんだな……と笑顔も引きつってしまう自分。


「そ、そう。ありがとうございます、アレク」


 同じ思いをして彼の境遇を理解することは出来ない。優しい王子はそんなことなど望んでいないだろう。


 王子を救わなければ理解しなければ、何とかしなくてはという焦燥感でいっぱいだった。

 普段通り、理解しようと歩み寄る……か。

 知らないフリというよりは、それを分かった上で自然に接することが一番いいのではないだろうか。



 改めて相手の傷跡を暴いてさすって撫でて痛かったね、もう大丈夫だよと微笑む。



 ――そんなやりとりはきっと彼も望んではいないと思う。

 望む人だったら、とっくの昔に親友に弱音を吐いて縋っていただろうから。

 現状は彼の強い意志であり望みなのだ、その重さにカサンドラが無駄に右往左往する必要はない。


「……姉上にお礼を言われるのも、なんだか変な気がしますね」


 アレクも自分が失礼なことを言ってしまったのは理解しているようで、バツが悪そうに顔を背けて目線を逸らす。

 そんな真剣に対応されたらカサンドラの方がみじめになるのでやめて欲しい――

 ふと、顔を背けたアレクの首元が目に入る。


 今まで室内でも詰襟のシャツが多かったアレク。

 だが初夏の陽気と山道を歩くという行為で暑くなったのか、いつの間にか首元のボタンを外している。

 

 鎖骨のあたりに、何か薄っすらと痣のような影が見えた。

 それは屋敷で幾度か目の当たりにすることはあったが、陽光に照らされてくっきりと浮かび上がるそれはただの痣とは違う痕だと気づく。


 あの痕は、裂傷……?


「あら? アレク、貴方その傷痕はどうしたの?」


 指摘をすると彼は素早く襟を立てボタンを留める。


「この痕は治らないんですよね。

 愉快なものではないです」


 そう言って彼は困ったように笑う。

 何も聞いてくれるなというそっけない言い方。



 ……侯爵に恩がある、という言葉を今日アレクから聞いていなければ今まで通りスルーしていただろう。

 だが明らかに、明るい屋外で見えた痣は古傷に見えてしょうがなかった。

 アレクはさっき、自分に何と言った?



   父に恩がある……?


   遠縁の子。


   その子の体に、傷跡………?


   ”同じ傷を持つ人”?   




 それらのキーワードが脳内で重なり合い、そこに答えとして表出した単語。

 虐待………?


 まさか養子に来る以前のアレクは……虐待を受けていた少年だった……?


 彼の飄々とした澄ました表情からは到底窺い知れることはない。

 徹底的に隠していたわけではないが、色んな情報を当てはめると今まで気づかなかった真実が見えてくる気がした。



 アレクは遠縁の子だとしか知らされていない。

 父親は侯爵の跡を継がせると言っていて、侯爵の後継ぎに選ばれたからアレクは父に感謝しているのだと当然思っていた。

 厳しい後継ぎ教育に音を上げることもなく、姉の目付けとして別宅で過ごせという命令にも唯々諾々と従う聡い少年。


 想像力が逞しいカサンドラは、彼が元の家にいた時の境遇をそういう印象でイメージしてしまった。


 その途端、ザーッと全身を巡る血が足元に落ちていく。



「……どうかしましたか? 姉上」


 ハッキリ言われたわけじゃない。

 ただの怪我の痕に過ぎないのかもしれない。カサンドラの見間違いかも。


 王子の過去を聴いて、殊更他人の過去に悲劇性を見つけこじつけようとしているのかも。それならなんて失礼な想像をしてしまったのかと自己嫌悪だ。


 どちらにせよアレク本人はそれに言及して欲しいわけではないのだろう。


 本当にしれっとした顔だ。


 彼から相談を受けたわけでもない、勝手にカサンドラがストーリーを組み立ててしまっただけ。

 仮に真実でも、それを全て共有したり共感したり、自分には出来ない。




 薄っぺらい自分の人生を顧みて、こんな自分でもこんな風にゲームの中に転生するなどというとんでもない境遇に置かれ、それを誰かと共有出来ず。

 誰からも共感されない。


 その誰にも言えない真実を暴かれなくても、カサンドラはこうしてアレクに慰められ、三つ子に癒され、王子と話せたら嬉しいのだ。

 抱えている真実に近かろうが遠かろうが、他人の言動や振舞に救われることは多い。

 自分を完璧に理解などされなくとも、たのみにすることは出来る。


 相手の過去におののいてウジウジ悩み、尻込みする必要などどこにもない。

 アレクが指摘してくれた事は根拠のない慰めなどではなく、まさに事実。




  ――ああ、そうか。いつも通りで良い……のかも。




 一々嫌われ遠ざける事ばかりに臆病になっていて、関係性や事態が進展するものか。

 自分は王子を支えたいし、助けたい。それだけだ。 



「いいえ、アレク。貴方のお陰でわたくしの思考が晴れたように思います。

 ……こんな孝行弟ですもの、姉として貴方に相応しい立派なお嬢さんを見つけますからね!」


「あ、結構です。全て侯爵にお任せします」


 容赦ない真顔できっぱりと姉心を捨て置かれ、カサンドラは苦笑いを浮かべる他無い。


 折角彼の幸せを出来る範囲で助けてあげたいと思ったのに。

 でも現実を良く知るアレクは、いつも通りの反応だ。


 そういう他愛ないやり取りができる『家族』がいてくれることは己の幸運であり、決して王子への理解を妨げるものではないのだと。




「さぁ、随分陽も高くなってきましたわ!

 木陰でサンドイッチを食べましょう」



 アレクとこんな風にピクニック気分で食事をしたことはない。

 年の離れた義弟が、こんなにも優しくて頼りになる存在だと知れて良かった。



 

 カサンドラは今の天気のように晴れ晴れとした気持ちになっていた。

 この心を覗けば、七色の虹が架かっているに違いない。




   ――月曜日からもいつも通り頑張ろう。

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