第34話 最後に藪蛇


「いくらジェイク様と言えど……」


 言って良い事と悪い事がある。

 カサンドラの表情が怒りを通り越して無に変わっていく寸前、彼は本当に興味深そうに言葉を続ける。

 腕組みをし、少しばかり身を乗り出して。


「気を悪くしたならすまなかった。

 だが外見から受ける印象ってのは馬鹿に出来ないもんだな…」


 そりゃあカサンドラは悪役令嬢、美人だけども雰囲気が刺々しいかも。癒し系の対極に位置する属性と言えばいい。

 だが同年代の少年に指差されて悪人顔だなんて中傷される謂れはないはずなのだけど。


「アーサーの婚約者にレンドール侯爵の娘を考えてるって話を聞いた時はお前がどんな奴なのか知らなくてな。

 顔でも見てやろうかと舞踏会の招待状を送ってもらったら、まぁそこにいたのが……」


 チラ、と彼はこちらを見下ろす。


 どこからどう見ても気の強そう、高慢そうなお嬢さんがやってきた。

 そしてその令嬢は、なんとこちらの派閥に属する令嬢を泣かせて追い払う。


 ああ、とカサンドラは目を泳がせることになる。

 故意ではないにしろ、あのお嬢さんのプライドを傷つけてしまったことは事実だし……

 悪かったとは言わないが、あの場で初めて話しかけてもらってちょっと嬉しくてしゃべり過ぎた自覚はある。

 自前の雰囲気のせいで親しみを持って接してくる人も滅多にいなかったし。


「その後も気になって、ちょくちょく噂を集めてたら変な話しか聞かないし。

 何より親父がレンドールが嫌いだし?

 ラルフもシリウスも俺と似たような所感だったしな」


「……。」


 黙りこくってしまうのは、自分がこの世界で前世の記憶を思い出す以前のカサンドラは……

 乱暴でも冷酷無比でもなかったが、決して優しくて評判のお嬢さんとは程遠い。

 典型的な良家のお嬢様で、皆に傅かれるのが当然という現代日本ならさぞかし生きづらかっただろう性格をしていたことは認める。

 

 ジェイクの発言を訂正するのはとても難しい。

 何を言っても過去の自分カサンドラがしたことの言い訳にしかならない。


「そんな奴が王妃とか以前に友人の嫁とかどうなんだ? って腹を立てたのが最初な。

 だけど……ここまで食い違いがあるといっそ笑えるよな。

 印象とか噂なんざ、最初の思い込みで白でも灰色でも黒に見えるんだなぁって感心したわけ」


 この人はこんな人だ。

 そうに違いない。

 そうでなければならない。


 色眼鏡やフィルターを透してみるという言葉があるけれど、まぁ何でもそうだろうな。

 実際カサンドラもこのジェイクという男子生徒はゲーム中で完全に体育会系で脳筋だなという分かりやすい単語での印象を引きずっていた。

 だが実際は思考が足らないわけでもないし、彼なりに考えることも多いのだろうと気づくこともあったわけで。


「色々思うことがあってな。

 ……もしかしたらカサンドラは、俺が勝手に思ってたような奴とは違うんじゃないかって」


「は、はぁ……それは、どうも……」


 あまりにも予想外の彼の発言に、完全に毒気を抜かれてしまった。


「三つ子に言われたもんなぁ。

 俺はお前のこと何も知らない、それなのに勝手に決めつけるなって。

 邪魔で嫌な奴なんだと、勝手に俺が思ってただけだ」


 良いイメージを持っていない相手の良くない噂に触れれば、その悪印象は補強される。

 実際に会ったことのないに等しい相手の外観、イメージに噂の方を寄せていく――というのはジェイクに限らず珍しい話ではない。


 だって、その方が都合がいいし気持ちが良い。

 自分にとって敵と定めた相手が実は良い人でした! と打ち消されるよりも「ほら見た事か」と肯定できる方がスッキリするに決まっている。

 特にジェイクの場合は周囲の価値観では、いっそ悪人であるべき存在ともいえるのだし。


 どんな行いも、悪く見ようと思えば悪印象を抱くことは容易く。

 彼自身もずっと嫌な奴だという思い込みを持って自分と接していたわけだ。


 ”やっぱりあいつはこんな嫌な奴なんだ”とカサンドラの行動全てを穿って見るのはさぞ簡単なことだったろう。


 カサンドラが命じたわけでもないのに周囲の人間が道を開ける、その光景は彼らの目からは「傲慢な奴」と勝手に見做されてしまうように。

 どれだけ相手に褒められようが、自分が嫌っている相手の発言なら「皮肉? 嫌味?」と頭から疑ってかかってしまうように。


 一事が万事、だ。


 よっぽどのことがないかぎり、相手の行動は自身が抱く印象の中におさまる解釈をするものだ。


「お前は生徒会の仕事も真面目にするし、誰かを虐めるわけでもないしなぁ。

 いい子ちゃんアピールで王子の婚約者って立場に固執するのかと思ったけど、別に無理矢理アーサーにつきまとうわけでもないし?

 他の生徒に邪魔されても何にも言わないし。

 三つ子のことで話した時も――俺の事情は知ってるけどそれをもとに何かするわけでもなく?

 無茶ぶりにもすぐ応えてくれたしなぁ。


 俺の中の『王子の婚約者カサンドラ』は、意地悪で権威主義者だし気に入らなければ対象を排除するような冷たい人間、偉そうで取り巻きを侍らせて悦に浸る。

 そんな嫌な奴だったんだけど」


 よくもまぁ当人を目の前にしてぺらぺらとそんなことを話せるものだ。

 呆気に取られて口をつけないままのハーブティーがすっかり冷めてしまったことにも気づけない。


「で、いよいよ俺のリアルな認識がおかしいのか、他の人間シリウス達の言うことが正しいのか確かめたくなってな。

 それなら直接確認した方が誤解もないだろ」


「ジェイク様のお考えは把握いたしました。

 ではこうして質問を通しジェイク様は、果たしてわたくしのことをどのように評価して下さるのでしょう」


「――そうだな」


 彼はしばらく目を閉じて思案した後、爽やかな笑顔とともに言い放つ。


「やることなすことその悪役顔のせいでマイナス印象が飛び交ってるが、本人は至って無害。

 レンドールの人間だから背景込みで悪印象を抱かれやすい……ってとこか。

 少なくとも、俺にとっての敵ではないな」


 敵ではない。

 果たしてそれをカサンドラはどう解釈するべきなのだろう?


「俺はアーサーがとんでもない嫁を掴まされるのが嫌だっただけだからな。

 たまたま適当な相手がいないときに、これ幸いと悪人面した女がやってくるとか……流石に納得できない」


 失礼な、とは思った。

 でも様子を窺うために呼んだ舞踏会で、自分の派閥のお嬢さんを虐めて泣かせたカサンドラに良い印象を抱くわけもない。

 その後はそのイメージを固定させるような噂だけを耳に入れるようにすれば、入学してからの彼の態度も強ちおかしな行動でもないのかも。


 さっきジェイクの言った通りの嫌すぎる女が、もしも義弟のアレクに擦り寄って婚約者の地位をゲットしたら? 姉として認め祝福できるのか……という話だ。

 身びいきだが、やはり家族には幸せになって欲しい。

 良縁であって欲しい。

 簡単には賛成できないかも。


「認める――って言うのもおかしな言い方だが、俺が躍起になって反対するほどでもない。

 その外見がな……

 うーん……お前、損してるよなぁ」


 ありがとうございますとお礼を言うのも癪な話だ。

 まるで自分が悪役みたいな容姿をしているから、そのイメージに引っ張られて誤解してしまったとでも言わんばかりだし。


 ……ああ、でも、もし……

 もしカサンドラが思わず守ってあげたくなるような、愛らしく庇護欲をそそる少女だったら?

 小柄でふわふわした小動物系のお嬢様だったら……?

 人に悪意なんて持ってませんと言わんばかりの乙女チックな少女だったら?

 印象や噂も今とは様相が違っていたかもしれない、それは否定できない。


 だからと言って、彼が失礼なことには変化はないが。


 でも思い立ったから本人に直接問いただして確認しようと行動できるのが、彼が彼足る由縁なのかもしれない。 


「アーサーは俺と違って、気に入らないから結婚しませんだとか王子様を辞めますだとか言えない立場だ。

 あいつが嫌だと思ってても立場上嫌だって言えないなら、誰かが言ってやるしかない」


 そう重たい吐息を落とすジェイクは、嘘をついてまで自分を陥れているような雰囲気はない。

 彼は素直なのだと思う。


「わたくしは……

 どのような状況であろうが、微力ながらも王子にお力添えすることだけを考えております」



 すると彼は、途端に表情を翳らせる。

 声のトーンをひとつ、二つ落として声を紡ぎ始めた。



「そこまであいつに肩入れしてくれるなら、話しておく。

 ――アーサーは変わった。

 あいつが母親と弟のクリス王子を事故で喪ったことは、お前も知ってるな?」


「ええ」


 先週のアーサー王子とのやりとりを思い出し、仄暗い憤りの炎がゴォッと沸き起こるのを懸命に抑える。

 あの時彼が星空を見上げるのを好きだなんて唆されなければ、王子の悲しい顔など見ずに済んだというのに。


 お門違いとは分かっていても、あのどん詰まり感の全てをジェイクのせいにしてしまいたくなる。


「あの時までのアーサーと今のアーサーは全く違う。

 以前のあいつは積極的で前向きで、いつだって皆を引っ張ってくれる奴だった。

 ま、多少抜けてるところはあったけどな」


 それは確かに今のアーサーと比べると印象がガラッと変わって聞こえる。

 今のアーサーは王子として立派な存在だと思うけれど、人をぐいぐい引っ張って自分が率い前に出る性格ではない。

 昔は、真逆だった……?


「クリス王子がいなくなったことで、王の子は自分だけになった。

 逃げ場もないし自分が失策を犯せば忽ち王室が揺らぐ。そんな重責にやられちまった。

 陛下も必要以上にアーサーに厳しく接するようになったしな。

 ……前にあいつに欠点がないって言ったのは事実、欠点を許されないような環境に置かれていたから。

 覇気がないっていうのも本当のことだ」


 彼の言葉を聞き、動悸が速くなるのが分かる。

 穏やかに微笑んでいたいけれど、それが出来ない。


「変化はあいつなりの決意の表れだろうし、俺がどうこう言えるもんでもない。

 ラルフもシリウスもそれを受け入れた、仕方ない事だ」


 カサンドラの頭の中に、ジェイクが述べてくれた王子の過去の姿が自然と思い浮かんでくる。


 幼い頃は快活だった少年が実母と弟を喪ったことで、その生来の明るさを失っていく。

 本来頼りになるはずの父は息子の心の支えになる事よりも己の立場を第一に考え、それを息子にも求める。

 弱音を吐くこともなく、夜空に浮かぶ星の影に母と弟を重ね偲ぶ。



   か、可哀想……。



 なんで王子ルートがないの?

 こんなの主人公が王子を助けて心を癒していくお話になるでしょう?

 ラスボスとか何なの? 嫌がらせ?


 そんな風に不思議な現象に混乱していると、ジェイクの前だと意識して取り乱さぬよう努めて気を落ち着ける。



 ジェイクのこんな神妙な顔は初めて見た。

 ――友人のそんな姿を見ている事しかできない立場も、辛いのではないかと思う。




「……だから、今日は嬉しかった」


 彼の言葉がどこに繋がるのか分からず、カサンドラは首を傾げた。

 自分の知らないところ、選択講義が何かで想いもよらないことがあったのかとジェイクの言葉を待つ。


「自分から何かをしたいなんてあいつが言い出したのはいつぶりだ? って感じで」


 そこでようやくピンと来たと同時に、理解した。


「もしかして独奏会の件ですか?」


 アーサーが急に遮るように手を挙げ、自分も参加したいと言い出した。


「そうそう」


 誰もが驚いていた。

 カサンドラだって吃驚した。


 その驚愕が実はジェイクやラルフ達にとってはもっと大きな衝撃だったのだと漸く把握するに至ったのだ。

 ああ、普段表情を歪ませることなどないラルフが、あんなにツボを突かれたように笑ったのはそのせいか?


 あまりにも唐突だった。

 既に決まりかけていた頃合いに割って入ってくるのは、確かに違和感のある光景でインパクトは絶大だ。


 それまでまるきり興味なさげな様子だったジェイクがあの時だけやたらと饒舌に王子を庇ったのも腑に落ちる。

 シリウスの内心までは推し量れないが、彼が断腸の想いで王子の提案を退けなければならない立場だったのなら――

 それを留まらせるのもまた友人、か。


「アーサーはあんな風に我を出すような奴じゃなかった。

 恐らく何かがあったんだろう」


 入学する前までと今では違うというのなら、きっとこの一か月に何かしらの考えを変えるような影響があったに違いない。

 だがそれをカサンドラに問われても答えなど出てくるわけもないと思うのだが。


「俺はその”原因”がお前にあるんじゃないかとも思ってる」


「……はい?」


「いやー、なんかさっきもアーサーがお前の方見てた気がするし。

 俺も最近、カサンドラって一体何なんだ? ってモヤモヤしてたし。

 そういうの全部ひっくるめて本人に確認したかったってわけだ。

 ――まぁ概ね想定通りだな」



 いや。

 いやいや。


 カサンドラはあまりの突拍子もない彼の論理飛躍に慌て、顔から汗が噴き出るのを感じた。

 殆ど話もしていないカサンドラに影響力があるわけがない、それなら他の学生に影響を受けたと考えた方が……!


「学園の生徒会長になられたことによる心境の変化かもしれません…。

 わたくしは王子と殆ど相見あいまみえる機会もございませんし」


「その可能性は否定はできないけどな」


 彼は頷いているが、あまり否定しているようには感じない。 


「だがアーサーの婚約者は俺が思い込んでいたような性悪で嫌な女ってわけじゃなかったって事が確認出来た。

 少なくともお前が同じ学園にいることはアーサーに悪い影響を与えていない、むしろあいつが意思を見せたのは良い変化だ。

 なら今、敢えてお前の邪魔する必要ないな! って結論になるだろ?」


 邪魔……

 うん、改めて言葉にされると、本当に障壁だったんだなぁと遠い目をしてしまいたくなるカサンドラである。


 でも嫌われるよりはいいことだ。

 それにこの状況は、カサンドラの悲願に適うものであろう。


「俺はラルフ達と違って親父の言うこと全部呑むような良い子じゃないからな。

 別に親父のためにお前を嫌ってたわけじゃないし」


 友人のため、か。

 それは一貫しているし、彼の行動にさほど矛盾は感じない。

 元々実直で嘘の嫌いな人間だ、己が納得できない事に従う気がないのだろう。


 嫌味や皮肉を言ってきたり、デイジーを陥れかけたのも王子のため――と、ここは受け入れようではないか。

 悪役令嬢フィルターが強力だったと。そう納得しよう。

 腹も立つが仕方ない、前世を思い出す前の自分の行いのせいだ。

 甘んじて受け入れよう。


 彼はすっきりした顔をしているので、今まで余程モヤモヤしていたんだろうなぁというのは分かった。

 周囲の噂ではどうにも分からないなら直接本人に糺そうというのは、ジェイクらしくもある。






「こっちの勝手な言い分には違いないけどな。

 よし、スッキリした!

 ――ま、お互い気楽に行こうか」


 一人で勝手に納得してる。





   え、もしかして……私、片思い仲間とか認識されていますか……?





「あら……意外ですわね。

 過日のジェイク様のご様子から、てっきり王子との間柄を認めて下さる替わりにリタさんとの橋渡し役を依頼なさるのかと」


 カサンドラとしては自身ではどうすることもできないところで、彼の言う通り勝手に誤解され勝手に納得されて誤解が解けたことになっていて。

 これで何もなかった事にしようと言われるのだから、多少の意趣返しくらい許されると思った。


 ――そんなよこしまな取引をもちかけてもこっちは乗らないぞという強い意志を持った牽制だ。


「なんだ、お前。俺にそんな提案して欲しかったのか?」


 呆れた様子のジェイクに、ちょっと動揺した。

 そんな邪道なことは、考えてさえいなかったのか……

 では本当にただ確認したかっただけなんだなと。

 彼の裏、一般的に下心と呼ばれるものを疑った自分を恥じた。


 実際に依頼されたらカサンドラは身が捩じ切れるくらい悩みに悩むだろう。

 そんな提案が無かったのはカサンドラにとっては良い事なのだ、もしかして本当に余計なことを言ってしまったのでは?

 焦った。


「そのような意図はありません」


「どうしても協力して欲しいって言うなら協力してやってもいいけど?

 その方がお前もやりやすいだろ。

 今のままだとお前、アーサーと仲良くなるとか――かなり難しいぞ?

 あいつら、特にシリウスは利害も絡めて動いてるから、懐柔なんて考えても無駄無駄」


 だから協力しないって言ってるでしょう!


 ジェイクに一方的に借りを作るなどとんでもない。

 万が一にもリゼを裏切るような行動をとりたくない、彼の協力を得るということは……

 彼がリタに関心がある間中、自分は彼の意向を汲んで三つ子に接しなくてはならなくなる。





 

「いいえ! 結構です!

 ジェイク様のご助力をいただかずとも、わたくしは自分の力で王子を振り向かせて見せますので!」





 堂々とそう宣言せざるを得なかったカサンドラを見て、ジェイクは堪えきれず噴き出した。




「お前、本当に変わってるよな」





 ……帰りたい。

 その願いをやっと彼は叶える気になってくれたようで、生徒会サロンには放心状態のカサンドラが一人取り残されることになる。




  一体何を口走っているのだ、自分は……。

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