第33話 怒髪天
一体この男が自分に何の用事があるというのか。
三つ子関係だとしたら面倒だし、そうでなくても結局面倒だ。
王子の幼馴染三人組は、カサンドラの中では今の段階では避けるべき対象でさえあった。
立ち位置が違えば、こうも相手に抱く感情が違うのかと溜息を落としたい気持ちになる。
飄々とした様子でどっかりとソファに座るこの男の頭の中身を覗いてみたいものだ。
彼の座る机の前に、淹れたての紅茶をそっと置く。
この気が晴れない心情を少しでも和らげるため、自分の分は香り高いハーブティーにしておいた。
ジェイクの分は先ほどと同じ茶葉で十分だわ、と適当に。
「確認したいこととはなんでしょう?」
精神的に疲弊しきっている。
なので早く家に帰りたいというのにジェイクが邪魔をしてくるのだ。
でもすげない扱いも出来ない気を遣う相手、緊張を緩めるわけにもいかない。
彼は大きく厚い手で紅茶のカップを手に取る。
「二年前のことだったか。
親父がレンドール侯爵を舞踏会に招いたことがある。
その時、確かお前もいたな?」
「……ええ、覚えております」
一瞬の沈黙の後、カサンドラはそれを取り繕うようにキリッと表情を引き締めた。
実はあまり覚えていない。
過去の記憶をシャベルを持って掘り進め、ようやくジェイクの言うところの舞踏会のシーンを思い浮かべることができた。
その時に初めてジェイクと会ったのだったか。
物凄く目立つ少年がいると思った、それが彼だった。
その後もどこかの夜会や茶会や舞踏会などで顔を合わせたことがある。
王子より会った回数は多いだろうと思われる。
とは言っても互いに挨拶をした以上の記憶がない。
ジェイクは常に他所のお嬢さんに囲まれていたし。
前世の記憶を思い出す前のカサンドラはジェイクに関心があったような記憶があるが……
まぁ普通にカッコいい少年で、しかも名門出身の御曹司相手なら同年代の女の子なら多少なりとも心を揺さぶられるのはしょうがない。
見た目は! 良いからね!
全く話しかける隙さえない状態、ジェイク自身もパーティに出るなんて珍しいことだったそうでまさしく引っ張りだこ。
「グリーテンの二女を虐め、泣かせたのを覚えているか?」
「……え……?」
急に真顔で詰問されても、非常に困る。
グリーテン? グリーテンって……
恐らくどこかの男爵令嬢だったかのことか?
自分とグリーテンのお嬢様は周囲から爪弾きされるように端っこで皆の踊りを眺めていた。
逆算すれば、王子の婚約話が内々で進められていたらしい頃だと思われる。
正式に公表されたのは少し後だが、色んな噂もあって自分に声を掛けてくる男性もほとんどいなくて暇だった。……あまり良い噂ではなかった事は間違いない。
同行した父がずっと目を光らせていたともいう。
その時同じ場所で一人で所在なげに壁の華をしていたお嬢さんに話しかけた……そう、記憶はある。
確かグリーテン男爵のお嬢さんだったかなぁ。
朧げな記憶。ほぼ顔も名も覚えていない彼女を虐めたと言われましても。
「虐めたわけでは……」
「ではなぜ彼女は、お前の傍から泣いて去って行った?
何か追い詰めるようなことや、意地の悪いことでも言わなければあんな反応はしないはずだ」
ええ……
と、カサンドラは何とも言えない微妙な顔つきになった。
「グリーテンのお嬢さんとは、着ていたドレスの話をしていただけですわ」
なんてことのない会話だった。
彼女の着ているドレスは決して煌びやかで高価そうなものには見えなかったが、柔らかい雰囲気の彼女を引き立てる桃色の可愛いドレス。
話しぶりから、手持ちで最も気に入ったドレスを着てきたのだなと解釈した。
こういう場では袖を通したことのあるドレスではなく、新調して臨むものだと思っていた。が、本人に良く似合っているのだからカサンドラがとやかく思う必要はない。
「わたくしのドレスを気にかけていらしたご様子で」
そういえばあの舞踏会はまだ婚約者の決まっていなかったジェイクにとって候補を見定める意味合いもあったのだろうなと思う。
ロンバルド侯爵の名で開かれたそれは豪勢な舞踏会だったのだが、ロンバルドに地縁も所縁もないカサンドラにとっては敵地に赴くようなものだったかと。
招待客は中央貴族でびっしり埋められ、カサンドラが何故呼ばれたのか今もって判然としない。
今から思えば――あのお嬢さんは可哀そうだったかもしれない。
あらゆる令嬢が新しく流行に合わせた豪華絢爛なドレスを身に纏い、己の家の財力を思う存分誇示していた。
カサンドラは内々に王子との話も進んでおり、目立つ必要も他の男と踊る必要もなかったのでどちらかというと地味に見えるドレスで参加したのだ。
だからあのお嬢さんも親近感を持って話しかけてくれたのかもしれない。
「それならばと仕立てた生地の仕入れ先をお教えした途端、急に泣き出して走り去ってしまって……」
当時の気まずい状況を思い出し、深い溜息をついたカサンドラ。
同じような貧乏貴族だと思っていた相手がポンっと口にしたドレス生地。
彼女が知っている程有名なサーシェ商会が取り扱う布で作られたものだと知って驚愕したのだろう。
見た目は地味でも、何枚も美しくグラデーションを纏う薄布の意匠は素晴らしく精緻。
元々派手な顔のカサンドラはドレスまで華美にすると物凄く
これは今も変わらない、派手にド派手を合わせると稀に大事故が起こる。
「あの方は『馬鹿にして!』と仰いましたが、わたくしには何が何だかわからなくて……途方に暮れたのを覚えています」
グリーテンのお嬢さんも己の実家の資産状況、あの重要な舞踏会にもドレスを新調出来ないことにコンプレックスがあったのだろう。
同じようにカサンドラも肩身の狭い者同士だと思ったら、実はどうやっても手が出ない代物を着ていたとなったら……
恥ずかしいし、メンタルがやられてもしょうがないかもと思えるのだが。
感情の機微に疎かったカサンドラは、良いことをしたつもりで教えてあげただけだ。
それを虐めだと謗られればもう閉口するほかない。
無視すればよかったか、最初から大上段から偉そうに振る舞えば満足だったのか。
「把握した。
じゃあ次だな、これはケンヴィッジ侯爵夫人が主催した茶会での話だが」
今度は何の話だと質問したかったが、とりあえず彼の話に付き合うことにした。
「アイリス様のお母様ですわね、ええ、お声を掛けていただいたことを勿論覚えていますわ」
あれは学園に入る数か月前、初めての学園生活に戸惑ってはいけない、と。
生徒会役員になることが決まっていたカサンドラに気を遣ってくれた夫人が、娘のアイリスとカサンドラが先だって話をする機会を設けてくれたのだ。
だから彼女とは顔見知りだったし、知らぬ仲でもなく為人を信用できたわけだ。
アイリス自身は恩着せがましいことは全く言わなかったが、彼女がカサンドラのために動いてくれたことは明白。彼女の思いやりには感動したものだ。
彼女には何の得もない事なのに、王子の正妃候補として役員入りすることを気遣ってくれた。
「お前がアイリスの腹違い三姉妹を酷く罵って、折角の場を壊したという話を聞いた」
「………はぁ……」
そういう噂を面白おかしく吹聴する人間はどこにでもいるということか。
「あれは――アイリス様の婚約者であられるレオンハルト公子に妹様方が過剰に接触していたのを咎めただけですのよ?」
うんざりした表情を隠す扇が欲しいと切に思う。
ケンヴィッジ妾腹三姉妹の性格が悪いと知っているのは、実際に目にしたことがあったから。
何かとアイリスに突っかかる三姉妹は、王家の血を汲むレオンハルト公子とアイリスの婚約を妬んでいる。
もしも姉さえいなければ自分達が求婚されるはずと何故か盛大で身の程知らずな勘違いし、必死に粉をかけている様子は滑稽でさえあった。
そんな妹のはしたない言動を見ても眉一つ動かさず、彼女は茶会においてホスト役を母とともに見事に勤めていた。
嫌味交じり、皮肉交じりに彼女達に剣呑とした言葉を向けた記憶は確かにある。
「婚約者のおられる殿方に過剰に接触をはかるのはマナー違反。
そもそも無位の民でいらっしゃった母君をお持ちの妹様方が、アイリス様と同様の待遇など求めることさえ畏れ多い事。
本来であれば同席すること自体お姉様とご夫人の温情ありきの取り計らいですのに、大変お見苦しくて……
控えてくださるようお願い申し上げただけですわ」
ケンヴィッジ侯爵が愛妾を殊の外可愛がっていることは周知の事実だ。
政略のために結婚した正妻より自分が見初めた相手の方が大事という気持ちは分からなくもないが、それがあの三姉妹を増長させている。
侯爵の不興を買ってはならないと誰もが遠巻きに見守る中、カサンドラは剛速球を思いっきり投げつけた。
自分があまり利害関係にない、娘同士ただ同じ学園に通う者で役員の事前顔合わせに過ぎなかったということもある。
家同士の繋がりが濃くあるわけでもない、より正しい表現を用いるならば別の国の出来事のようなものだ。
カサンドラの物言いは非礼にあたるかもしれないが、招いた相手に不快な想いをさせる方が非礼だという考えの下忠告したまで。
事情を知らない者、もしくは知っていてもカサンドラに悪意がある人間から見れば――
あの高慢ちきな令嬢が口さがなく三姉妹を罵って台無しにした、という噂も尤もらしく広められてしまうかも。
娘を愛するケンヴィッジ侯爵が話を聞いて、娘の縁談に差し障りがあってはならぬとカサンドラを悪者に見立て吹聴した可能性さえ過ぎる。
いくら愛人との娘は目に入れても痛くないほどかわいがっても、レオンハルト公子の縁談を三姉妹の誰かに変えて進めるような常識知らずではないので仕事はそれなりに出来る人なのだろう。
彼にできる最大限の縁談をまとめようとしているはず。
娘にとって障りがある変な噂は命取りだ。
いくら侯爵の血が混じっていても、姉の婚約者に秋波を送るような倫理観のない女性と思われては致命的。
中央の社交界と遠いカサンドラは、まさかそんな噂に発展していたなどと露知らず呑気にしていたものだ。
入学してからもアイリスがやたらと自分に親切なのは、まさかその罪滅ぼし……?
もはや自分には関係のないことだが、三姉妹の事は今思い出しても嫌悪感しか湧いてこない。
「はぁ……成程。
じゃあ念のため聞くが、お前、どこぞのガーデンパーティで他所の令嬢の顔を叩いたことは?」
もはや彼に進んで確認したい様子は微塵も感じられない。
ただ義務的にそう言葉を発している。
「ええ? 何故わたくしがそのようなことを?」
いくらなんでもそんな暴力的な真似をするメリットなどカサンドラには存在しない。
うーん、と顔を伏せて考え込んでも思い出せないのだ。
叩いていいならさっき話題に上がったケンヴィッジの三姉妹をどついていただろうし。
「――だよなぁ」
彼も肩を竦める。
橙色の瞳を覗き見ても、彼の本心が掴めなかった。
「ガーデンパーティということでしたら、顔見知りのお嬢さんの肩に毛虫が落ちたのを払ってさしあげたことならありますけど」
「見間違いの噂話だと? うーん、ありえなくもない……のか?」
「そちらのお嬢さん、虫が大の苦手のようで。
毛虫を払った後、顔を覆って震えていらっしゃいましたので見ようによっては……」
カサンドラだって虫の類は好きではない、だから庭の景色を楽しむガーデンパーティは開放感よりもそちらの方に意識が向いてしまう。
遠くから見て勘違いする状況とすれば、まぁ納得できなくはないのだろうか。
元々レンドール侯爵という家は歴史を辿れば南方一帯の豪族を束ねるリーダー的な家だったそうだ。
これは図書館で歴史に触れた時、この国が思ったより若い国だと感じたことから調べ直して分かったことなので事実だと思われる。
だが中央からは遠く、豊かな土地を支配しているけれども彼らから見れば”地方で田舎”。
南方に与える影響力の多さ、現在も多くの爵位を持つ地方貴族を治めるレンドール。
生半な爵位では納得しないだろうと高位貴族の名を授けてもらい、財力や権力も並みの公爵家より大きいものだと自負している。
誰もが大貴族として認める立派な由緒正しい家。
だが歴史を鑑みると、レンドールは百年以上仕えていても”外様”ということなのだろう。
地方の要衝を悉くおさえ反乱や内乱などが起こらないように治めているレンドールは軽視できない、でも中央でデカい顔をするのは許せない――
なんというか中央政界の貴族というか血統への執着がとても怖い。
案外カサンドラを王家の嫁として認めたのは、それでレンドールの正統な後継が途絶えるからという嫌がらせめいた思惑もあったのではないか。
父はそこまでこだわりがなく「カサンドラが嫁に出るなら後継ぎが居る」と遠縁のアレクをひょいっと家に連れてきた。
アイリスを侯爵にという正統性への拘りを見せつけるケンヴィッジ侯爵家と真逆。
まぁあそこの場合は妾腹の姉妹に血統を万が一にも乗っ取られたくないという危機感がそうさせているのだが。
ものの考え方、価値観が中央と地方では違うのだ。
どちらが正しいかなんて話ではなく考え方が相容れない。
王都に近い土地を治める中央貴族はカサンドラを大貴族の令嬢と遇し未来の正妃候補と奉りながらも――実際は田舎貴族の癖にと内心思っている。
特に御三家に連なる貴族程その傾向は強いようだ。表立って反発する浅はかな子女がいない統率が取れた集団だから平和なだけ。
身分至上主義だから納得できなくても敬うふりくらい出来る。
それを無視したら自分の立場の正統性をも危うくするから、彼女達はカサンドラに道を譲るのだ。下げたくもない頭を下げて。
東方や北方の貴族達とはつかず離れずそれなりに良い関係を築けており、父の親友に辺境伯もいる。味方も多く孤立はしていない。
……このように自身の置かれた立ち位置を把握するにつれ思うのだ。
確かにゲーム内のカサンドラは、悪役令嬢で! 侯爵家のお嬢様で! 王子の婚約者!
でもその僅かな立場確定事項はそのままに、ここまで背景を盛る必要がどこに!?
こんなややこしい立場のお嬢様だったなんてシナリオになかったのに、と頭が痛くなってくる。
間違ってない、間違ってはないのだけど……釈然としない。
「なぁ、カサンドラ」
「何ですか、まだ私に確認したいことがございますの?」
段々カサンドラも表情が険しくなってくるのを抑えるのが困難になってくる。
会議から解放された後、ジェイクにわけのわからない質問攻めを食らうなど想定外すぎる。
どこか感心した様子で、ジェイクがトボけたことを言い出した。
「お前さ――周りから
怒りを抑える理性の糸がもう一本足りなかったら、往復ビンタをかましていたに違いない。
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