第31話 ただの一般人


 金曜日の週末、要するに四月の四週目に当たる。

 来週からは五月に入るので、今週が四月の最終週だ。


 三つ子は約束通り、魔法の講義に顔を出した。


 選択講義で三人揃うことは初めての彼女達は、それぞれ楽しそうな様子を隠さない。

 毎日寮で顔を合わせる上登下校も一緒、午前中のクラスでの授業も一緒。


 三つ子で同じ容姿でも、個性のベクトルが違えば飽きもしないし同族嫌悪成分がなくなるのかも。

 尤も、各々の性格が良いという大前提の上に成り立つ話かもしれないけど。

 裏表のない素直さというのは一種の才能だ。


 彼女達を見ているだけで、ほのぼの成分が補給されていく。

 今後のことや現状の全てから目を逸らすのであれば、まさに平和で穏やかな時間の象徴にしか思えないものだ。


 さて、これから皆で受ける魔法の講義は前半が座学、後半が実技という変則的な講義。

 魔法学に心得があり基礎理論を習得した者は座学は受けずに丸屋根ドーム型魔法場で訓練を行っているそうだ。


 勿論カサンドラや三つ子は初心者も初心者。予め与えられた教書を眺めながら座学からスタートだ。

 魔法という言葉に存外ときめいてしまうのは何故だろう、普通に暮らしていく上では全く必要のないスキルなのだけど。


 また一口に魔法学と言っても神学の要素も多分に含まれており、カサンドラはそこにも注目している。


 魔法は神の齎す奇跡の一端であるが、創造の女神ヴァーディアへの信仰が礎になっているものだ。

 この女神は西方大陸が存在する最も古い歴史書にも名前があるという、まさに信仰の柱。


 信仰の歴史を辿るのであれば、聖女や悪魔もしくは『悪意の種』などというカサンドラの知りたい知識を学べるかもしれない。

 時間を見つけては図書館を総浚いする勢いで探しているのだけど、悪魔に纏わる伝承が見当たらなくて困っていたのだ。

 歴史ではなく神学に分類されているかもしれないが、肝心の魔法学や神学の小難しい本は魔法体系の話ばかりでカサンドラにはよくわからなかった。


 自分に魔法の才能がもしもあるとしたら、この講義を毎週受けて知識を蓄えるのもいいかもしれない。

 そしていつか魔法を使えるようになって、アレクを驚かせることも出来るかも!


「カサンドラ様、もしかして具合悪いんですか?」


 講義を受けるためにゆっくりと移動し、適当な席に座ろうとするカサンドラ。

 そんな自分を見つけて駆け寄ってきたリタは不思議そうにそう言った。


「リタさん、ご心配ありがとうございます。

 特に体調が悪いわけではないのですよ」


 実は全身筋肉痛で動きが鈍いだけです、なんて到底言えたものではない。

 口元を手で覆い、ホホホと愛想笑いをするカサンドラ。


 態勢が固定される授業中ならまだましだ、移動の際立ち上がる時に全身の筋肉が悲鳴を上げる。歩くときは修行僧の心境を体験できる。

 普段使っている部位と違う箇所を使うせいだろうか、急激な外部圧力のせいでカサンドラの中身はボロボロだ。

 昨日の選択講座でリタイヤせずに剣術講座をまともに受けたのが致命傷となった気がする。


 昨日よりも今日の方が辛い…!

 早く家に帰ってのんびり休みたい……!


 放課後の役員会なんて無視して帰りたい。


 するとそんなカサンドラのきごちない動きにピンと来るものがあったのか、リゼはニヤッと悪い笑みを浮かべ。

 何とか態勢を保つカサンドラの肩をポンと大きく叩いたのである。


「もしかして筋肉痛ですか~?」


 なんでそんなに愉快そうな顔なのか、リゼはそうカサンドラを追い詰めてくる。


「私も先週末はヤバかったですからわかりますよー。

 腕が上がらなくて、宿題するのでいっぱいいっぱいでした」


 うんうんと彼女はしたり顔で頷く。

 すでに先週、急激な運動という試練を乗り越えた若い女性のリゼ。

 脹脛ふくらはぎの鈍痛が最後まで残ったと肩を竦めて同調してくれた。

 同じ辛さを味わったからこその同情、そして先に治ったという優越感を感じて話しかけてくれたのだろうか。ちょっと悔しい。


「わたくしも早く痛みがおさまるといいのですが」


 つい頬の端が引きつってしまう。

 カサンドラとて十五歳、すぐに過酷な運動にも慣れて痛みは馴染むはずであるが。

 ついぞ慣れない体の重みにうんざりだ。


「……? 筋肉痛って何? 聞いたことがあるけど、筋肉が痛いって病気?」


 リタは心底分からない、と惚けた表情のまま首を傾げる。

 冗談でもなく、無縁の状態過ぎて彼女にはピンと来ない様子だった。


「普段あまり運動をしない人が急に激しく身体を動かすと、翌日以降体中痛みに苛まれる――そう聞いたことがあるわ」


「へー、そうなんだ! 詳しいね。

 リナ、先週から体術の講座選択してるし、もしかしてリナも結構辛い?」


「私は大丈夫。

 元々運動が嫌いでも苦手でもないわ、家の手伝いに比べたらマシだと思うし」


「ああ、確かにそうかもね。

 小麦の刈り入れとか雑草引きとか、手伝いの方がキツそう!」


 嫌味でも何でもない彼女の姿に後光さえさして見える。

 二人が相互いに頷き、同時にリゼを若干冷たい視線で射貫く。


「あ、あんな重たいもの私が持てるわけないじゃない!

 鎌持とうとしたらすっぽ抜けて父さんの耳を削ぎ落すところだったの、貴女達も見たでしょう!?

 根本的に合わないの、私に畑仕事は無理よ!」


 家の手伝いをサボってたからこんなことに、という非難の感情を的確に拾い上げてリゼは声を張り上げる。


「それなら、こないだまでリゼも辛かったってこと?

 筋肉痛って奴だったんでしょ? 普段から動かないもんねー」


「なんで四六時中一緒にいる私の不調はスルーして、カサンドラ様の様子にはすぐに気づくのよ」


「なんでって……そりゃあ、元の素材が違うから?」


 リタは真顔で考え込み、そして真面目に話す。


「手作りクッキーの形が多少崩れてもいちいち気にならないでしょ?

 でもケーキ屋さんで売ってるケーキのデコレーションが崩れてたら気にならない?」


 彼女なりに誠実に答えたらしいその台詞は、到底リゼの納得できる回答ではなかったらしい。

 完全に目を据わらせ、リタの襟元を掴んで前後に大きく揺さぶった。重たいものを持てないとは一体。


「仮にも私はあんたの姉なんだけど!?」


「リゼの細かい変化なんか知らないよ。

 カサンドラ様の歩き方がぎこちないことは昨日には気づいてたけどさー」


 あははは、と全く堪えない様子で、ガックンガックンと頭を揺すられながらも火に油を注ぐ発言を追加する。


 そんな姉妹の様子を恥ずかしそうにリナが見守っているが、他人のふりをして席を離れないだけリナは優しい妹だと思う。

 自分と同じ顔が喧嘩する光景って、想像したらかなりシュールだな。

 と、カサンドラも荒れるリゼをスルーしながら思った。

 カサンドラと同じ容姿の女生徒が延々喧嘩する姿など、ぞっとする光景過ぎて怖すぎる。外見が可愛らしいリタ達だから、ただのじゃれ合いになっているだけだ。


 元気なのは良い事なのだけど、早く運動するという事象に身体を慣れさせなくては……

 リゼと同レベルくらい運動神経がなかった現実にカサンドラだって衝撃だったのだ。勉強は真面目にやっているし、一般常識で大きく欠けたところもない。

 あらゆる面において及第点のお嬢様かと思いきや、初期のリゼ並み……。


 姿勢良く背筋を伸ばしたりヒールで歩いたり重たいドレスを纏ったりということで、自分は体力があるのかと勘違いしていた。

 走るのも遅いし、結局剣術に関しては酷使する筋肉部分が全く違うのだと自分を慰める他無い。


 でもズボン姿は本当に歩きやすくて気楽だったな、とその点だけは開放感を感じて心が浮き立った。いくらなんでも貴族のお嬢様がジャージ姿で寝転がるわけにもいかないので、そこまでの開放感はカサンドラとして生きると決意した時に早々に諦めているのだけど。


「二人とも、そろそろ先生が来る時間よ。

 ――いい加減にして?」


 リナがぽそっと警告を発すると、途端に二人の動きが止まる。

 三つ子の潤滑油はリタの役目かもしれないが、統制をとっているのは案外振り回されていると思われがちなリナなのでは……?





 ※





 放課後、誰よりも早く生徒会室に辿り着いたカサンドラは自身の机に思いっきり突っ伏していた。

 大変はしたないことだと分かっているが、己の無力さ加減に大層打ちのめされていたのである。


 この国の魔道士は自然界に存在する精霊の力を借りて魔法を使う。

 火の魔法ならサラマンダー、水の魔法ならウンディーネ、風の魔法ならシルフ。

 前世でも馴染みのある名を冠する精霊に己の魔力を捧げることによって、現実に彼らの”力”を魔法という形で発現させるものである。

 魔力が高ければ高い程高度な魔法が使えるものだが……


 カサンドラは魔力が物凄く低かった。

 多分、サラマンダーの力を借りてもマッチに火を灯す程度の効果しか出せない。

 魔道士としては絶望レベルの魔力の低さに国から派遣された王宮魔導士も絶句した。

 人間には誰しも体内の構成要素に魔力が組み込まれているらしいのだが、カサンドラは魔法のプロもビックリの才能の無さを発現したのである。

 魔力は訓練で伸ばせるものと言っても、ゼロに等しい魔力が二倍になったところで所詮ゼロよりはマシ程度の成長しか見込めない。


 同じように初めて魔法に携わった三つ子は、後半の実技初回で難なく簡単な魔法を発現させることが出来た。

 才能があることは明白で、宮廷魔道士達は三つ子に興味津々のご様子。


 フッと自嘲する。




  ――才能がないって、本当につらいわね。




 運動系にせよ魔法関係にせよ、何故ここまで能力値が低いのか。


 そりゃあ、ただの悪役令嬢に皆が驚く魔力が潜んでいなくても問題などないけれど。

 貴族の中には有力な魔道士の血統を汲み才能を持って生まれた者も大勢存在するというのに、格差を感じずにはいられない。

 講座に参加していた多くの生徒は皆初歩的な魔法は使える者ばかり。数こそ少ないが、まさに魔道士エリート予備軍。


 そもそもカサンドラが魔法が使わなければいけない場面など存在しない。

 ちょっと興味があっただけ!


 マッチ一本火を灯す程度の効果のために魔力が空になって数日寝込む程消耗するだろう自分は、あ、もう魔法なんて結構です、という悟りを開いてしまった。

 魔法は生まれ持っての才能だから。

 いいのだ、別に魔法が使えなくても。


 リゼ達が最低限聖女として覚醒するだけの魔力を持った魔道士に育ってくれるならそれで……


 なお、魔道士は魔力顕現の媒介として精霊石という魔法道具を必要とする。


 ネックレスの先に加工してつけたり、腕輪にしたり、形にこだわる人は魔道士の杖の先に填めこんだり。

 実技のときに学園が管理しているものを遣わせてもらったが、カサンドラに貸し出された精霊石はうんともすんとも――

 いや、限りなく小さく  スン…… と反応した程度と言えば、宮廷魔道士の戸惑いも当然かもしれない。普通は魔力に反応してポウッと淡い輝きを発するものなのに。


 精霊石自体かなりのお値段。何せ精霊石は宝石を加工して作るものだから、庶民が簡単に用意できるものでもない貴重な魔法道具。

 彼女達に魔法の才能があるなんて本人でさえ知らないのは当然とも言えた。

 三つ子の埋もれた才能が学園にて発掘されたなら良かった良かった。



「はぁぁ……」



 魔法が存在するファンタジーの世界。

 どうせなら華麗に魔法を使って敵を薙ぎ倒す活躍をしてみたかった。

 カサンドラの魔力のことなんか全然ゲーム内で語られてなかったのだから、こういうところくらい盛ってもいいのよ? と。

 この世界を遍く統べる創造の女神、ヴァーディアを少し恨んだ。


 前世で無宗教だった自分も、魔法も奇跡もある世界にいれば実在する神様くらい信じるようになった。ただし神様って気まぐれだなという印象はこの世界でも拭うことが出来ないままだ。

 全知全能の力があるなら祈りを捧げなくても全人類を平等に救ってくれればいいのに。自分を信じた者しか救わない神様って意外と狭量だ。




 そんなことを考えていた最中、扉のノブが回る金属音を耳聡く拾う。


 完全にグデーッと机の上に伏していた状態を素早く上げ、カサンドラは横髪を優雅に耳に掛ける仕草。

 反対の手で本日の配布資料を意味なく指先でなぞった。


「ごきげんよう、カサンドラ様」


 最上級生のクラス委員の一人が、こちらの存在に気づいて頭を下げる。


「早めに来たつもりでしたが、カサンドラ様に先を越されてしまいましたね」


 ふふ、と上品に微笑む淑女の鑑。

 深い藍色の長い真っ直ぐな髪、空色の瞳。淑やかな仕草に、おっとりした声。

 王子が入学していなければ、彼女が生徒会長に選ばれていたことだろう。

 本人曰く、重責を回避できて嬉しかったとのことだけれど。


「ごきげんよう、アイリス様」


 ケンヴィッジ侯爵令嬢アイリスは身分としてはカサンドラと同じものだが、抱える背景は全く違う。

 諸般の事情で彼女は女侯爵として父の跡を継ぎ、今後彼女に息子が生まれたら速攻その子を後継ぎに立てることが決まっている。

 父である侯爵と平民出身の愛妾の子。つまり三人の腹違いの姉妹がいるアイリス。

 万が一母たる夫人が何かの間違いで身罷られたら、彼女はバッドエンド確定のシンデレラになりかねない。

 妾腹三姉妹の評判は推して知るべし。

 父親が政略結婚の末にできた娘より妾の子を可愛がっているので、不運が重なれば義母・義妹に侯爵家を乗っ取られてしまうのでは…


 アイリス嬢はそんな背景を一切感じさせない、心の優しいお嬢様である。


「確認しておきたい事柄がありましたの。

 そろそろ皆さまがいらっしゃる頃ですし、お茶の準備などご一緒にいかがですか?」


「勿論お手伝いしますわ、カサンドラ様」


 自分で紅茶を入れる令嬢というもの珍しいかもしれないが、少なくとも前世で普通にこなしていたことだ。

 茶器の使い方くらい一通り知っているし、侍女の様子も目にしている。


 学園には生徒会付きのお茶くみ生徒も任命され、サロンを利用するときはお茶どころか美味しそうな茶請けまで準備してくれる。

 だが会議の時にお茶くみの生徒を室内に侍らせ、本来役員ではない生徒にあの気まずい空間を共有させるのが申し訳ないという気持ちになってしまった。


 臨時役員会招集以降、生徒会室での会議の際は自分とアイリスが一緒にお茶を入れて配膳しようと決めたのだ。


 本当にあの恋愛沙汰トラブルにおけるシリウスの不機嫌ブリザードの渦中に置くのは可哀そうすぎた。本当彼らは反省しろ。喧嘩したいなら家名を賭け紳士的に白手袋を投げつけてろ、という話だ。

 会議も長引くことがあるし、ずっと立ちっぱなしはこっちが気を遣う。彼らも普通の学園の生徒なのに!

 王族に仕える侍女や侍従モドキの扱き使われぶりは、卒業してからで十分だ。


 侯爵令嬢二人使ってお茶くみは外聞が悪いのかもしれないがしょうがない、自分とアイリス以外の役員は皆男子生徒なのだ。




 家事技能スキルがマイナスを記録するだろう奴らに紅茶なんか淹れさせようものなら――物体Xを飲まされかねない。




 なめらかな白い陶器を二人で並べ、今日のお茶の葉を何にしようかとアイリスと楽しく相談を続ける。


 女の子との会話は、カサンドラの癒し補給ポイントだった。


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