第29話 制服? ドレス?
週明けの月曜日、カサンドラは先週の『どんより』とした気持ちから解放され、清々しい気持ちで学園生活を過ごしていた。
相変わらず王子の傍にはラルフ達がいて近づくことさえ容易ではない。
彼に秋波を送る令嬢の数は減ることはなかったが、それは大した問題ではないとカサンドラは理解している。
ジェイクたちがカサンドラを差し置いて王妃に相応しい者を擁立しようとしたら顔は真っ青になるだろうが。
それは容易ではないし、カサンドラが失脚してから諸侯で話し合うことになるはず。忽ち身の危険はないはずと信じたい。
不正な手段をもってカサンドラを追い落とす必要まではない。
カサンドラと言う存在は、御三家の当主にとって何が何でも取り除きたい障害でも目を離して放っておいても構わない無害な存在でもないと。
どこまでも中途半端な立ち位置である。
隙を見せたら、掬われるだけ。それは自分に限らずとも、貴族社会の常ではあろう。
もし――本当の意味でカサンドラが王妃になったら困る状況なら、今頃こんなぬるい環境に身をおいてないことだけは分かる。
毒殺されてたかも?
銀のスプーンをスープにそっと入れる。
当然銀色が変じるわけもなく、ただのポタージュスープだ。
静かに嚥下し、その味を愉しむ。
そう、こうやって煌めく貴公子たちに囲まれて昼食を採ることができるのも。
全ては”全面敵対するには惜しい”と御三家当主に一目置かれるやり手の父親のおかげである。
いや、王妃に相応しい権勢を誇っている家の娘だからこそ正妃候補なんて舞台に引きずり出されたわけなので一長一短か?
もしも生半な候補だったら潰されてたと思う。
御三家がどうしてでも擁立したい正妃候補があれば、邪魔な自分はこの一口でゲームオーバーになる可能性だってある。シナリオの流れ上、毒殺なんてありえないから安心して口を付けることが出来るだけ。
カサンドラは相変わらず淡々とした昼食の時間を終えた。
極上の美形を鑑賞しながら食べる食事は絶品のはずだが、常に緊張感を纏ってあまり味を感じない。
テーブルマナーを家庭教師に指導をもらっていた頃でさえ、こんなに神経を尖らせはしなかったのに。
唯一のいい点は、王子の姿を斜向かいから眺めることが出来るというところだけだ。
今日も王子は美しい、ニヤニヤ表情を崩しながら生徒会室に忍ばせた手紙はもう見てくれただろうか?
実はカサンドラのスーパー勘違いで、今日会うなんて誰も言ってないんだけど…、と思われたら帰って屋敷で泣こう。うん。
昼食の時間は彼らに囲まれるということで精神衛生上宜しくない。
ゆえに、末席の方で既に食事を終え可愛らしい話に花を咲かせているはずの三つ子の元へと歩いて行った。
癒しを求めているわけだが、特に意識せずとも食堂の出入り口に向かって移動するのだから自然な形で彼女達と接触が図れる。
「あら、どうかなさったのかしら」
本日の緊張の一幕を乗り越えたのだ、癒しを求めて何が悪い。
そんな気持ちで軽やかな足取りでリゼ達の屯するテーブル傍に向かったのだが、何やら様子がおかしい。
先週の件もあり、彼女達が心配そうな表情で頭を寄せていると著しい不安に襲われる。
昨日は何もなかったはず。
三つ子たちにとっては平穏無事な一週間のはずだったではないか。
つい眉の角度を上げ、彼女達に声を掛けてしまった。
第三者から嫌がらせを受けているのであれば、早急に対処しなければ。
「カサンドラ様、生誕祭のことで聞きたいことがあります」
こちらの姿を見つけたリゼが、ハッと顔を上げてそう言った。
赤いリボンが彼女の動作に合わせてヒラヒラ揺れる。
「あら、何かしら?
聖アンナ生誕祭は六月、まだまだ先のお話ですけれど」
「先程昼食の際、生誕祭で着る服について話している生徒がいたんです。
商家の出でお金持ちな人みたいだったんですけど」
「着る服って、あの、まさかドレスとか着なきゃいけないんですか!?
私達、そんなの持ってなくてどうしようって」
リタもちょっぴり顔を青くさせている。
彼女達にとってはある意味死活問題だ。
学園生活において十全な支援があると言っても、国が服飾費まで面倒をみてくれるはずがない。
制服代ならまだしも、祝いの席に着ていく服まで手配してくれるわけではない。
聖アンナ生誕祭は全校生徒が出席する催しだが、正装で出席する生徒ばかりだ。
一般的にアフタヌーンドレスと呼ばれる昼間に纏う礼服を着て出席する。夜会の時に用いる露出多めのイブニングドレスや舞踏会で纏うパーティドレスとはまた違うものだ。
だがドレスという名称が使われるように、ワンピース型で裾の長いもの、そしてお洒落な帽子も着用したりするので雰囲気はガラッと変わる。
男子生徒は大体モーニングコートで参列するはず。
昼用の正装でもこの学園で着ても恥ずかしくないレベルのものはお値段が張るどころではない。
彼女達が困っているのも無理のないことだと思えた。
「まだ告知しておりませんが、生誕祭は制服で参列しても構いません。
あくまでも式典、その場に合った装いであればよいのですわ。
制服はれっきとした礼服です、恥じる必要など全くございませんのよ?」
にっこりを微笑むと、彼女達は安堵の息を床に同時に落とした。
「そうなのですね、安心いたしました。
カサンドラ様、教えてくださってありがとうございます」
リナも両手を胸の前で組んだまま、表情を弛緩させる。
貴族の子女や金持ちばかりが通う学校なのでやることは大体派手だ。
彼女達の感覚では理解できない慣習も多いだろう。
「でも制服で参加するなんて、私達くらいでしょうね」
苦笑するリゼ。
制服でも間違いではないが九割以上――特待生以外は皆正装で参加するだろう。
カサンドラもそれなりのドレスを選ばざるを得ないわけで。
「そうですわね」
頬に手を添え、カサンドラは思案した。
別に制服であってもおかしくない。
だが来年以降は主人公達も式典用ドレスを着ることが出来る。
そう、休日のアルバイト選択によって、だ。
いくつかのアルバイト先で働くことで関連するパラメータを上げつつお金を稼ぐというもの。
貯めたお小遣いを使い市場で能力アップのアイテムを買ったり、イベントで使う服などを購入することが可能だ。
アルバイトは日払いで実入りが良いのだが、その分疲労が溜まりやすい。
しかも休日が一日それで潰れることが確定。
ちなみにアルバイト解禁は一学期が終わってからなので、どうあがいても六月の生誕祭で着るドレス用のお金は工面できない。効率のいいバイトに関しては「このパラメータ目当てならこのお店一択」と把握済みだ。
相談を受けたら、いくらでもお勧めするつもりである。
攻略キャラの好みのドレスを着ることで対象の好感度が上がりやすいことは確かだ。
一年目からでも彼女達がそれなりの装いで参列すれば、好感度底上げが可能だろうか?
……うーん……
それに、だ。
一年目、主人公が制服で参列するときに独白で(なんだか恥ずかしい)という感想を漏らしていた事を思い出す。
別に違反などおかしていないけれど、周囲の殆どがシルクだったりサテンのドレスだったりする中で制服は目立つ。
現実に自分がその立場だったら気になるだろうなとも確かに思うのだ。
反則技だが、このくらいなら手伝っても良いのではないだろうか。
「もしもご希望があれば、着用しないドレスを皆様にお貸し致します。
何着手元にあったとしても、着ることのできる洋服は一枚だけですもの」
別邸にいくつかクローゼットがあるが、まだ袖を通していないものも多くあるはず。
何なら今からカサンドラのためにと何着か仕立ててもらい、それを三人に貸し出すことも特に問題はない。
この提案を喜んでくれるものだとばかり思っていたが、彼女達は真顔で首を横に振る。
三つ子ゆえか、彼女達の声はぴったり重なった。
『お気持ちだけで結構です』
カサンドラは彼女達の強めの拒絶に少し驚いたのである。
「え、遠慮なさらなくても……」
まさか攻略対象にドレスをねだるつもり?
そりゃあ彼氏(予定)の仕立ててくれるだろうドレスには及ばないだろうが。
彼らに任せたらとんでもない常識知らずな額で拵えた逸品が送られることは明白である。ちょっと怖い。
だが三つ子の感覚から、そんな強行に出るとは思えない。常識的な感覚を持つことはカサンドラも知っている。
今のジェイク達の様子を見ていると、好みのタイプならばそれくらい二つ返事で請け負ってくれそうだけど。
果たしてそれでいいのかという問題も……
「胸が余ります」
胸元を手で覆いつつ、リゼが一言。
「ウエスト入りません」
腰のあたりを指差すリタも一言。
「足の長さが……多分、合わないかと……」
もじもじと恥じ入るように足元を見て俯くリナ。
「え? え? あの、大丈夫ですわ」
『無理です』
フルフルフル、と。彼女達は揃って頑なに首を横に振り続けた。
まさか高度なセクハラ……?
カサンドラが二の句を継げずに固まっていると、助け船のように一人の令嬢が割り入ってきた。
「ご歓談の最中失礼いたしますわ、カサンドラ様。
皆さま、ドレスのことでお悩みでいらっしゃるとか!
ガルド子爵家長女デイジー、お役に立ちましてよ」
彼女は高らかに宣言し、食堂を一層ざわめかせる。
一気に注目の対象になるのでやめていただきたい。
「私の手持ちでよければ何着かお貸しします。
もしも好みに合わなければ、別の方にもお声がけしましょう。
喜んで協力して下さる方も大勢いらっしゃいます!」
三つ子はデイジーの提案に、喜色を浮かべる。
カサンドラの提案の時とは大変な違いように、何とも言えない気持ちになった。
身長や体形など、なるほどデイジーと三つ子は似通っていると言えば似通っているような……
「デイジーさん、良いんですか?」
「勿論です、貴女達のお役に立てるなら喜んで承りますわ」
なんだか釈然としない気持ちを抱えつつ、カサンドラは彼女達のやりとりを見守っていた。
※
「聖アンナ生誕祭において特待生だけ制服参列を余儀なくされる状態は如何なのでしょう」
選択講義を終えた放課後、アーサー王子が姿を見せてくれた。
軽い挨拶を終え二人でベンチの端と端に近い場所に座った後、カサンドラはそう疑問を呈した。
体のサイズなどということを
「皆で集まって話していたのはドレスの件だったのかな?」
あんなに衆目を集めていれば、そりゃあ王子も何事かと気づいて当然だ。
会話に参加していないが耳で拾っていた多くの生徒とは違い、会話の内容を聞かれていないだけマシかもしれない。盗み聞きなどしない、流石
服のサイズどころか体形が云々だなどと聞かれてなくて本当に良かった。
「ええ、そうです。
今回は皆様親しいクラスメイトにお借りできることになりましたが、他のクラスの特待生はそうはいかないと思います。
式典に正装を推奨するのであれば、学園側から衣装を貸し出すという方法もあるのではないでしょうか」
「どちらでも構わないとは言え、当人は気にするかもしれない。
その点は考慮する必要があるだろうね」
アーサーは静かに頷いた。
慣習を変えるというのは難しい事だが、特待生は毎年入学してくるのだ。
全く無駄な提案でもないと思う。
「生誕祭で例年通り独奏会を企図するのであれば、雰囲気を重んじると言う意味を含めて衣装の貸し出しも検討の余地があるのかもしれません」
「独奏会、か」
この件についてはまだ決定事項ではない。
催し内容は生徒会の役員会議で承認を得なければならないが、ゲーム内イベントを参照するならまず独奏会になるはず。
話し合いがすんなり決まればいいのだが、来賓をどうするかとか曲の選定だとか演出だとかで次の定例会は長くなりそう。
「ふふ、ラルフ様は何を演奏されるのでしょうね?」
生誕祭と言う一大イベントで注目を浴びるのは、生徒会の役員でもあり音楽関係に造詣の深いヴァイル公爵家令息のラルフであろう。
麗しい容姿が鍵盤を叩くスチルはとても美麗だったと記憶している。
共通の強制イベントで、恐らくこの現実でも同じシーンを見ることが出来るに違いない。
「独奏会に決まるのであれば自然の成り行きでラルフが手を挙げるだろう。
私も彼以外は考えられないと思う。
ラルフはピアノも得意だが弦楽器もお手の物だ、どんな曲でも華麗に弾きこなしてくれるだろう」
「ええ、楽しみですわ!」
実際に生で彼の演奏を聴くことができるのだ。
偽りなく楽しみだ。
今までこの現実で得難い経験を幾度もしてきたが、良い事ばかりでは勿論なかった。
せめてラルフの芸術的と謳われる演奏を、一人の観客として楽しみたい。
舞台の裏で良いから、綺麗な音楽に心を癒されたいものである。
「…………。」
王子はそんなカサンドラを見て、にこやかに微笑んだまま。
時計を確認し、スッと立ち上がる。どうやら、もう戻らなければいけないようだとカサンドラは一気にテンションが下がった。
アーサーと過ごす時間などあっという間だ。
本当に時間の都合がつかないのか、それとも絶妙にカサンドラを避けている結果なのかは伺い知ることが出来ない。
アーサー王子は常に紳士である。些細なことでも婚約者へのフォローは欠かさない。
ゆえに、その麗しい微笑の下の本心を知ることが限りなく困難なのだ。
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