第28話 揺れる心


 昨晩良く眠れなかったせいで、頭痛が酷い。

 目の下にうっすら隈が見えるのを、侍女の施した化粧が何とか誤魔化してくれている。

 体調が悪いなら休めばいいと義弟おとうとのアレクに心配されたが、別に熱があるわけでもないのに休めない。

 そういうところは生真面目な性分だと思う、ずる休みがどうにも馴染めないカサンドラである。

 朝食は昨晩食べていないからしっかり食べることが出来たし。


 ――一晩経てばお腹も空く。夜が深まれば眠くなる。人間の体は存外たくましい。


 己の迂闊さやら間の悪さやら、想像力の及ばなさやら悔恨の念に襲われていた。

 これが気心の知れた友人、家族なら「なんだ、そんなこと」と一笑に伏せても、現在のカサンドラと王子の関係でのあの空気は致命的なのでは。


 まさかあの会話で婚約解消の打診などが発生するとは思えないけれど、心理的距離が一層生じたような気がする。

 目的が達成できないどころか、印象をマイナスに傾けるなど……


 カサンドラの事情などにお構いなく時間は過ぎていく。

 登校すればクラスメイトにも会うし、王子たちの姿も見かけるし。

 来週あの場所で会えないとするなら、カサンドラはどうやってこれから王子と親しくなっていけばいいのだろう。


 誰もが自分達を”普通”の婚約者同士と認識しているが、その実態はこれだ。

 会話の選択を誤ったせいで嫌な想いをさせ、その蟠った空気を凡庸な他の会話で上書きすることさえ叶わない。

 ゲームで話題の選択肢をミスった場合、現実で体感すればあんな空気になるものなのだろうか。本当にこの世界はカサンドラに様々な体験をさせてくれる。


 こうなったら正攻法で王子に話しかけるしかないわけだ。

 が、勿論それには大いなる問題が顕在化していた。


 授業中、教室の前段にて教師の話を聞く王子の後姿を一瞥する。

 彼の隣は常にシリウスやラルフが陣取っているし、斜め後ろにはジェイクが目を光らせている状態。

 あの三人を突破、認められなければ王子に近づくなんてまず不可能!


 しかも王子は王子で本気か言い訳か定かではないが、幼馴染に婚約者や恋人がいないことを気を遣い過ぎているわけだ。

 こそこそと隠れて会うような真似をしなければならないのも、全部彼らの完璧ブロックがあってのことだ。


 カサンドラが政敵に値する実家を背後に持っている段階で、中央の大貴族御三家の彼らが自分に好印象などまず抱かないわけで。

 様々な大人の事情によって婚約者に祭り上げられているだけだが、宰相たちには快く承諾を得ているとはいいがたいのである。

 出来れば失脚しろという本音が駄々洩れてないだけ、彼らは理性がある。

 どちらかというと立場が優位な側の余裕というものか。


 彼らがカサンドラの非を見つけ、王妃には値しないだなどと公然と責め立てれば国王陛下も考えざるを得ない。

 難癖をつけられた時点で自分は王子の隣に立つ権利を永遠に失ってしまうのだ。



 ……彼らと親交を持ち、認められなければ……



 と思い、カサンドラは授業中にも関わらず”あっ”と叫びだしたくなった。

 ゲームの中のカサンドラがあれほど攻略対象に執着してたのって、もしかして……

 ひょっとしての可能性だが、そうやって王子との間の障害を取り除くためだったとも考えられるのでは?


 浮気でフラフラするのは倫理上宜しくない、でも彼女は攻略対象と親しくなる必要はあったのだと思う。

 そうしないと王子と普通の婚約者として堂々と立てないのだから。


 シリウスやラルス達に積極的にアプローチを続けるのは彼らの承認を得るため、何とか王子との仲を進展させたいと思うがゆえの行動だ。それは良い方向に解釈しすぎか?

 第一所詮は蛮勇、彼らがカサンドラに靡いたり彼女を受け入れることなどあり得ないのだから、手段としては愚かだ。


 ただそんな状況下でポッと現れた庶民の冴えない女の子が、あっという間に彼らと親密になっていく姿を穏やかに見ることなどできるだろうか……とは思う。

 あまつさえ、彼らと関係性が恋愛にまで発展し外野からすれば砂を吐くような甘い展開を広げていくとすれば?


 貴女の彼氏のせいで私は婚約者と仲良くなれないのよ!?


 邪魔の一つもしたくなるよね!?

 私はしないけど!

 邪魔なんかしたら卒業パーティでさようならエンドしか見えない。


 このまま何にも打つ手がなくて焦れ焦れ、全く進まない関係に放置され、でも元凶の彼らは呑気に主人公とラブラブしているとは。


 それとも羨ましかったのかな。

 ――自分には出来ないロマンスを、誰に憚ることなく自由に繰り広げる主人公。


 王子はカサンドラをその他大勢の女の子扱いしかしてくれない。

 適当な理由をつけて避けられるのだ、卒業間近には公然と不仲説が罷り通っていたのではあるまいか。


 ……プライドの強い彼女が、果たして甘んじてその境遇を受け入れるかと思うと少々疑問である。

 カサンドラがシリウス達に接触をはかろうとした動機や、主人公を邪魔する理由。


 全ては憶測にすぎないし、ゲームの中の王子がカサンドラにこんな態度だったかも断定されているわけではない。

 生き生きと邪魔してたように感じたし、あれが根っからのカサンドラでそれ以外の他意はないのかもしれない。


 でもちょっとだけ置かれている境遇に同情した。


 窓の外を眺める。

 今日も晴天、きっと星空も綺麗に映えることだろう。



 ――カサンドラの立場で、主人公を祝福するなんて無理だ。


 人は自分が幸せだから、他人の幸せにも寛容になれるし親切にできる。

 でも自分が毎日辛い、不幸だと思っていたら他人の幸せなんか見るのも嫌だろう、意地悪に走るかもしれない。

 自分が不幸のどん底でも他者への思いやりを忘れない人が本当に優しい人でまさに聖者。でも普通の人間は中々そんな出来た人格なんか持てない。

 そんな善人が大多数なら戦争も虐めもこの世から消え去るだろう。

 彼女は普通の人間で、嫉妬もするし孤独を感じるただの一人の少女だったのではないか。


 難しい問題として、カサンドラの現状についてラルフ達が悪いのかと言われれば違うと思ってしまうことも挙げられる。


 だって彼らはカサンドラに対して良い印象はなんかない上、王子の配偶者として認められないと冷静に判断しているわけだ。

 王子のために動いていると正当性を捨てることは無いだろうから。

 親の意向もあろうし。


 カサンドラが御三家御曹司を懐柔しようと行動すれば二心、浮気、か……


 ……なんだこの状況。

 カサンドラの進退が極まり過ぎている……!

 王子との仮面婚約者継続しか生きる道がない上、その婚約者はラスボスです! とか半端ないな。


 これ、詰んでいるというのでは?



 細く長い吐息を吐く。

 筆記具でノートに適当な走り書きをしているけれど、内容はちっとも頭に入って来ない。


 


 三つ子には今月いっぱいの選択講義のお勧め表を渡しているし、しばらくは彼女達の恋愛面でのフォローは要らないだろうか。

 彼女達は彼らのお眼鏡に適うように自身を磨けばいい。

 後はイベントの方から彼女達に駆け込んでくるはずなのだ。


 そもそもカサンドラが邪魔をしないのならパラメータとかさえ不必要なのではと思うが、最終的に彼らに”望ましい女の子”に成長する必要はある。

 それに悪役令嬢が障害にならなくても、他の要因でイベント失敗とか目も当てられないし。いや、本当に恋を叶えてもらわないと世界がヤバい可能性。

 なんで他人の恋愛事情にここまでハラハラしないといけないのか。


 ジェイクの前のめりな提案のせいで色々関係性が前に押し出されたような気もするが、まだまだ学園生活は始まったばかりの序盤。


 誤解を恐れずに身もふたもない事を言うのなら、最初は男なんか放っとけ! いくらでも挽回できる!


 いつの間にか、ドキドキときめいてくれるから!

 序盤はハッキリ言って下積みの時期、ここで個人的に会っても友好度はさして上昇しないのだ。


 多少状況は違うが、ジェイクの心がリタに矢印を向けている状態でリゼがどれだけ個別外出しても効果は薄いというのと同じこと。

 普通の恋する女の子が忍耐状態で無欲に過ごすのは難しいだろうが、そこをぐっと我慢して欲しい。

 カサンドラにできることは彼女たちのスケジュール方針をアドバイスすることくらい。あとは彼女達の努力にかかっている。


 ジェイクの件で、自分が動いて約束をとりつけることがアクシデントにしか繋がらないことが良く分かった。 

 カサンドラは、でしゃばらない!


 相談を受けたときだけ真摯に向き合えばいい。

 本音は――




    今は自分のことで、手一杯。




 三つ子で楽しく恋愛談義、好きな人のために前向きに努力する。

 彼女達の青春が眩しくて、目が潰れてしまいそうだ。



 ああ、いけない。

 己との落差を感じて目の端に涙の粒が。




 

 ※




 入学から今までの経緯を思えば、この週は何もおこらない穏やかなものだった。

 王子の態度は元々距離があったものだし、何一つ変わることは無い。


 何も変化がないのは危険だ。足踏みが続けば気ばかり焦る。

 かと言って、週の頭から王子にあんな想いをさせた自分がどんな顔で声をかければいいというのだ。

 自分の精神は鋼鉄製じゃない。

 嫌われるのが怖い、避けられるのが嫌だ。



 週の終わりの最後のお勤め、生徒会の役員会議が終わる。

 次回の集まりはもっと長くなりそうだなぁ、とカサンドラは今からうんざりだ。

 聖アンナの生誕祭、学園内の行事としては一学期で最も大きなイベント案件が待ち受けている。


 今までの様々なイベントではお客さんとして演出を楽しむ側だったのが、提供する側になるとここまで裏の作業が面倒なことなのだと思い知らされる。


 資料を確認し、他の役員が皆出て行った後も仕分け作業を続けていた。

 十分十五分帰宅が遅れたところでどうということはない。

 王子の姿が目に入ってしまうと、それだけで心がズキズキ痛むし。


 別に関係性が変化したわけでもないのに、まるで失恋した後のようなどんよりとした重たい感情に押しつぶされそう。


 そんなこちらの心情などまるで斟酌せず、扉が開き室内の空気の流れが変わった。


「――カサンドラ嬢」


 誰かが忘れ物でもしたのかと軽く視線を上げて声を漏らしそうになり、瞬間的に掌で押さえることに成功した。

 何故か入り口付近に立って、穏やかに微笑むのは王子だ。


 え、え?

 何で彼が?


 声をかけてもらう理由なんか……


「図書館で借りた本を忘れてしまってね」


 あ、ああ。

 そういうことか。

 忘れ物ね、そうよね。


 彼の言葉に我に返り、一番奥の彼の大きな机に向かう。

 確かに端っこに分厚い本がデンと置き去りにされているのが分かり、カサンドラは手に取った。


「こちらでしょうか、王子」


 それを受け取ってしまえば、彼の用事は終わる。

 自分に会いたかったわけではないと理解しているのに、まともに彼の顔が見れなかった。


「これは口実だ。

 ……君に謝りに来た」


 驚き戸惑い、彼に差し出した本を落としてしまうところだった。

 危ない、と指に力を込め本を支える。

 彼は片手でそれを手に取り、言葉を重ねる。


「あの時、水を差すようなことを言うべきではなかった。

 黙って頷いて君と話を続ければ良かったんだ、後悔したよ。

 折角楽しそうに話しかけてくれたのに――申し訳なかった」


「え? い、いえ! それは私が想像力が及ばず」


「曇った気持ちを抱えたまま貴女と話をしたくなかった。

 あれは私の我儘だ、君も嫌な想いになったのではないだろうか。

 私の方こそ、どうか許して欲しい」


 彼の碧眼がすまなさそうに伏せられる。

 特に変化のない一週間のはずが、その終わりに強烈などんでん返しが仕込まれていたような。

 そうやって謝られるなんて予想外過ぎる。当惑の一言だ。


「次の月曜日も私は貴女から――手紙がもらえるのかな?」


「は、はい! 勿論ですわ!」


 来週も自分と会ってくれる意思はある? その認識で良いのだろうか?

 そうでなければ手紙なんて単語も出さないだろうから、来週も待っていれば良い……勘違いでなければいいのだけど。


 しかし一体どんな文章を並べればいいのか分からない。


 鳩が豆鉄砲を食らうとはこのことか。


 本当に王子のことが分からない!

 彼は一体どういう基準で動き、果たしてカサンドラをどう評価しているというのだ。


 わからん!


 学園に入ってからも殆ど没交渉に近い自分。

 遠巻きに眺めるしかない、見せかけだけの婚約者。



 ふっと本の重量が消える。

 彼はそれを片手に受け取り、爽やかな笑みを浮かべるのだ。

 

「ありがとう」


 踵を返し、彼は静かに扉を開ける。

 そして今の王子の姿は幻だったのではと目を白黒させるカサンドラだけが生徒会室に取り残される。

 週末の金曜日の定例会は各クラス委員も併せて十二人の委員が揃う。

 今日も議事録作成に時間がかかりそうだが、そんな細々とした作業が家に帰ってできるだろうか。


 頬に当てた手が大層熱くて自分でも驚く。




 ※







 生徒会室の扉を後ろ手で閉め、クローレス王国の王子アーサーは複雑な感情を込めた表情で肩を落とす。



 一体自分は何をしているのだと自嘲する。

 先程のまま、話し辛くぎくしゃくした間柄が最良ではなかったのか。

 こんな危険な真似をする意味など皆無。


『申し訳ありません』


 そう言ったきり言葉を失った彼女の蒼い顔を思い出す度、悔恨の念に襲われてどうしようもなかった。


 このまま彼女と二人で会話をすることが出来ないのかと想像すると、それがとても嫌だった。

 向かい合って話をしたことなどたった二度ほどしかない。

 その二度でも危険だと思う。危ない橋を渡っている自覚はある。



 だけど――普段凛と立ち、澄まし顔の彼女が満面の笑顔で話しかけてくれるのはとても嬉しかった。

 そういう時間を楽しいと思ったせいだ。これが本当に良くない。


 この婚約は 解消するべきだ。

 分かっていても本人を前にしたらとても言えたものではない。





 ――参ったな、と。

 アーサーは蟠りを飲み込む。


 わざと自身の机に置き去りにした本を鞄の中にしまい、歩き出した。

 視線の先に、友人達が待っている。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る