第27話 一寸先は闇
講義が終わり、やっとお待ちかねの放課後がやってくる。
この日を一週間ずっと待ち望んでいたのだ。
彼の現在の状態を知りたい――と思うのと同じ、いやそれ以上に彼への興味が尽きない。
この世界はゲーム内の世界。
主人公が三つ子だったなどのアクシデントはありながら、凡そカサンドラの把握する世界の姿として理解できる現在である。
ジェイク達が三つ子に興味を抱くのも、また三つ子が彼らに好意を抱くのも。
見えない運命に導かれたとしか思えない、神はそれを望んでいるのだと素直に納得できる。
この世界は彼女たちの恋愛をいかに成就させ、どんな未来を描くのか?
女王か、貴族夫人? と、ある程度定められた運命には逆らえないのだ。
その中で幸せになって欲しい。
あの三人と結婚出来れば、リゼ達は幸せになれると信じている。
導かれた定めとはいえ、自分が好いた男性と一緒になって欲しいと心から思う。
彼ら六人が全然名前も知らない一般人と恋愛を始めたら絶対焦るけれど、今の状況は許容範囲内。
翻って王子のことについては全く未知。
不思議な存在過ぎる。
ラスボスだというのにその内情は一切明かされることのない、エンディングの都合上悪魔と化してしまう王子。
一切彼の事を知れず、感情移入することも背景も知らないまま。
王子ルートのDLCが出るかもという噂はあった、もしかしたらその時に明かされる悲しい秘話とかあるのかもしれないけど。
でも今の状態のゲームには、そんな事情なんて一言も記載されていないわけで。
一つのパッケージとして完成されたゲーム、それを再現するようにこの世界は作られている。
新しいルートが本編に追加されたら話は違うが、少なくともカサンドラが知る段階でこのゲームには非搭載。
果たして王子は『この世界』でラスボスになってしまうのか?
その原因を突き止め未然に防ぐことが出来れば最良の結果。
誰も傷つかずに済む、王子が悪に走ることがないのならそのせいで酷い目に遭う人も減る。
もし失敗したら王子が悪魔を喚び出して……
リゼ達が彼を天に還すのだ。聖女が聖剣を掲げ、悪しき呪いとともに打ち倒す。
最悪の場合彼女達は恋に破れ聖女になれず、剣を掲げる事さえできないただの女の子のまま。
この世は、百五十年前の悲惨な暗黒の時を迎えてしまう。
――そんな未来は嫌だ。
仮に自分の行動如何で、”世界”が変わるとすればなんと責任の重い事だろう。
カサンドラだって怖い。
正体不明の悪意に、こんな無力な体一つで立ち向かわなければいけないなど、恐ろしい。
関わらなくて済むなら、逃げ出してのんびり暮らしてしまいたい。
……でもここまで王子に踏み込める存在なんて、カサンドラくらいだという現状も理解できている。
彼がどうにか救われる方法があるとしても、それに関われるのは自分くらいだろう。
だから最悪の事態になっても「ごめん! やるだけやったけど、どうしようもなかった!」と自分で納得した結末を迎えたい。
結局はそれに尽きるのだろう。
返す返すも主人公に転生していたら! 王子を救う方法を自分の手で切り開ける可能性が、ぐっと高まったはずなのに!
考えても仕方のない事を考える。
正解も未来も分からない。
分からないからこそ知りたいと強く思うのは、人として当たり前のことではないだろうか。
「遅くなって申し訳ない、カサンドラ嬢」
本日二回目の、裏中庭。昼間のあの騒ぎが嘘のような静寂にカサンドラは身を任せる。
二段噴水の奥に等間隔で並ぶ樹の下のベンチ。
もうすぐ夕焼けが空を彩る間際の時分、王子の声が聞こえて視線を上げた。
「来てくださっただけで嬉しいです、王子」
途中まで読んでいた史書を膝の上で閉じ、カサンドラは破顔する。
控えめな笑顔を意識しないと、喜びのあまりガッツポーズをしたり、拳を天に掲げる唐突な不審者と化してしまう。
自分を律することはとても大事なことである。
「貴女が歴史に興味があるとは知らなかったので驚いたよ」
彼はカサンドラから少し距離をとり、ベンチの上に腰を下ろす。
白を基調とした上品なブレザーの制服。金糸で縁取られたそれは惚れ惚れするほど彼に良く似合っていた。
「わたくしも王子をお見かけしてびっくりしましたもの。
失礼を承知で申し上げれば、お互い様ですわ」
そう、どちらも相手の事を良く知らない。
何が好きで、嫌いで。
興味があることも、価値観も、人間関係も――
外見から類推できる以上の知見は持たず、他のクラスメイトの方が何倍もよく知っている状態である。
普通に近づいて親交を深めようにも、シリウスやラルスを押しのけて話しかける勇気などない。
彼らはカサンドラに王子と仲良くなって欲しくないのだから、自然な行動とも言えるが。
王子自身も彼らと仲良しの幼馴染なので一層付け入るスキなど見つけられない。
こうして話をしてくれる時間をとってくれただけで感謝だ。
「王子は先程の講義をお聞きになっていかがでしたか?」
話のとっかかりに、つい聞いてしまいたくなった。
彼の考え方を少しでも知りたかったから。
王子は瞳を細め真面目な表情になり、ゆっくりと口を開いた。
そうだね、と。彼は静かに呟く。
「クローレス王国は広大な領土を誇る。
地方諸侯の全てを掌握するにはまだまだ我が王家の力は至っていないと、講師に教えられたようなものかな。
王子だ国王だと言っても個人で出来ることなど限られている。
ジェイクやシリウス、ラルフの父君ら多くの臣の献身によって支えられていることを忘れてはならない。
勿論レンドール侯爵には南方の難しい諸般事情をうまく治めてもらい、私も頭が下がる想いだ。
元豪族の流れを汲む諸侯が反乱を起こさず、我が王家に忠誠を捧げてくれるのは全てレンドール侯の功績と言っても良い。
彼らの忠に背かぬよう、シリウス達に支えられるに足る者で在りたいと思うよ」
――キラキラキラ!
彼の穏やかな口調、そして一切の淀みないこの回答。
奢らず謙虚でありながらも自己研鑽に抜かりの無いこの王者の器よ……!
素で言っているのなら目から鱗がポロポロ落ちるし、仮に腹に一物あったとしても真顔でこんな発言が出来るならそれで資質として十分ではないか?
道理を知らず適当なことを嘯き、出来もしないことを大きく語り偉ぶる者と比べ、己の立場をこれだけ客観的に把握する王族。ロイヤル!
「王子殿下御自ら、斯様なお褒めの言を賜り恐悦至極に存じますわ。
王子を王と戴ける王国の民は皆幸せでありましょう」
弱冠十五歳にしてここまで完成された人間がこの世に存在して良いのかレベルである。
貴族社会において、彼のような発想に至る人格者がどれほどいるのか?
地方や僻地、また直轄地において耳障りにも腐敗にまみれた話も、彼の代になれば解決してくれるのではと思わせてくれる。
これが噂に聞くカリスマという属性か。
普段お目にかかったことのない単語をつい出してしまうくらい、カサンドラは驚いた。
瞬間的にここまでぽんぽん出てくる言葉じゃない、頭の片隅にないと言えない台詞だ。
もしもこの人が恙なく結婚出来たとして、自分は彼の妃としてやっていけるのかと、不安になる。
だがそれくらいの困難なら、自分でどうとでもできよう。
今は彼との貴重な時間で打ち解け合うことが大事だ。
幸い、徒手空拳で臨むことにはならなかった。
カサンドラには、先週の間に仕入れた情報がある。
どうやら王子は星空を眺めることが好きだというではないか。
彼の興味があることを話題にすることで、少しでも話を弾ませる。
勿論、多少の夜空に関する知識も図鑑で調べ済みだ。
専門家には及ばないが、ある程度どんな反応があっても対応できるくらいには仕上げたつもりである。
星座を覚えるのは苦手だが、ロマンチックな逸話を持つ夜空の話などもいくつか仕入れた。
話が途切れ、沈黙が場を支配する前にカサンドラは胸の前で手を合わせた。
ああ、今思いつきましたの、という偶然性を装いながら。
「ああ、そうですわ王子!
王子は昨夜、夜空をご覧になりましたでしょうか?
雲一つなく澄み渡り、星の瞬きがとても幻想的でしたわ」
晴れろ晴れろと念じ、まさしく美しい夜空が広がった時は自分の幸運に感謝した。
私室のベランダバルコニーから見上げる藍色の空は、確かに感嘆ものだ。
下ばかり見ていたのではとても気づかない、うっとりする光景は王子が好きなのも無理はないと納得した。
何より良く似合うではないか。
星々の光、月光の下。
それを見上げ佇むのは金髪碧眼、秀麗な王子様。
一枚の絵画のモチーフにも使えそうだと腕組みをして頷きたくなる。
カサンドラは期待を込め、彼の表情を窺う。
自分の好きなことが話題になるとつい口が過ぎてしまうものだ。
そこから気が緩んだり、親密さを増すことが出来ればパーフェクトである。
しかしながら彼の反応は予想とは全く正反対のものだった。
王子は困ったように微笑み、その目を伏せてしまったのだ。
「確かに、星空は美しい。
だが……」
彼は少し迷ったようなそぶりを見せた後、ゆっくりと口を開く。
「私の母上と弟が、過去に事故で亡くなってしまったことはカサンドラ嬢も知っていると思う」
「は、はい。
勿論存じております」
知っています、と言いながら心の中は竜巻荒れ狂う大海原だ。
完全に心が遭難している。喉がカラカラだ。
そう、そうだった……!
この世界の王子のご家族は……!
ゲーム本編では王子の家族のことは一切出てこなかった、国王陛下がエンディングで主人公に王冠を譲るシーンで見たかな程度。
イベントで何度か国王の名や存在は確認できたくらいの影の薄さ。
この世界、『カサンドラ』の十五年間の過去の中に記憶として確かに残っているのを引きずり出す。
今から六、七年前に第二王子と王妃が共に地方領訪問を行った山道中、馬車が落石によって潰された。それどころかそのまま深い霧の谷底へ……
その後遠い川下の滝壺に彼女たちの亡骸が発見されたという。
カサンドラだってこの世界で生きていたのだ、当然王子の家族事情くらいは分かっている。
だが、何故今急に、夭逝された家族の話を…?
なんというか、知識で知っている事と現実感の無さに乖離があるせいだろうか。
元々この世界に対しての事前知識を持ってはいるが、それ以前の『カサンドラ』が体験した記憶がまるで映像フィルムを通してみるような感覚だ。
当時のカサンドラの記憶が脳裏に蘇る。
王妃や王子と言われても実際に会ったことがあるわけでもなかったし、声をかけてもらったことがあるわけでもない。
話として知っている、遠い王都の王城の話。
可哀そうだなあ、痛かっただろうなぁ、と思い彼らの死を悼んだ。
国葬に参列したのは両親だけで、自分はお留守番だった。
深層の姫君とはそういうものなのだと、遠ざけられて。
――愕然とする。
カサンドラや前世の『香織』にとっては、この世界の王妃や第二王子が身罷られたことは実感のない、遠い世界の話……だから……
国葬に参列した両親の沈鬱な顔を覚えている。黒い布を纏った館の姿も覚えている。ああ、覚えている。
現実だ。
悪寒がぞわぞわっと全身を這いずっていく。
「夜空を見上げていると母上達の姿が浮かんでくる。
恥ずかしい話だが、その幻影に励まされることも多い。
……常闇の天を照らす星に、つい――知らずの内に目が行ってしまう」
一気に家族を二人も喪い、悲しみに暮れる王子。
彼が夜空に母親達の姿を見出し想いを忍ばせる……
その寂し気な背中を想像したら、切なさが心の最奥からこみあげてくる。
「そ、そうだったんですの……」
そして分かってしまった。
ジェイク! これ、完璧地雷じゃないか!!!
もしもここが日本だったら、五寸釘を持って丑の刻参りに出かけかねないくらいの恨み骨髄である。
彼が余計な情報をカサンドラにもたらしたせいで、王子がこんなにも憂い顔で寂しい表情を……
自分は取り返しのつかない失言をしてしまったのではないか?
掌に汗がまとわりつく。
「今の話をしたのは貴女が初めてだ。勿論、カサンドラ嬢のせいなどではない。
けれど母上たちのことを思い出してしまって……」
自嘲気味に、王子は視線を伏せる。
多分ジェイクも悪気があったわけではないのかもしれないが、とんでもない地雷原を歩かさせられたものである。
ロマンティックな動機とは懸け離れた彼の”癖”。
「大変申し訳ありません!
不快な想いを抱かせましたこと、どうかご容赦賜りますよう」
カサンドラの頭は真っ白になっていた。
ただ反射的に、彼に対して只管頭を下げる。
自分に都合のいいことばかり考えて浮かれていた自分が心底恥ずかしかった。
ジェイクを五寸釘で打ち付けてやりたいと物騒な怒りに支配されたものの、彼が悪いわけではないのだ。
彼が嫌がらせでこんな情報を提供するような人には見えない。
カサンドラ一人が馬鹿を見て空回るならまだしも、王子の心情を知って罠を設置するような男ではない。
思い至らなかった自分が悪い。
王子の事を知りたいと言いつつ、誰かや本人から齎されるものばかりに傾注しすぎて基本をおろそかにした罰。
でもこんなのあんまりじゃないか。
折角彼との心理的距離が近づくのではないかと期待していたのに、微塵に粉砕されてしまった。
王子に悲しい顔をしてほしかったわけじゃない。
「いいや、こちらの勝手な事情だからね。
星空はとても綺麗だと私も思うよ」
――それを話題にした会話をする事が、心に痛いだけで。
彼の声なき声の台詞が幻聴となりカサンドラの良心を深く抉る。
こんなつもりではなかった。
少しでも共通の話題や、彼に興味を持ってもらえるような話が出来ればと思っただけだ。
俯き、言葉が出ない。
不可抗力とは言え、彼に悲しい想いをさせてしまった……!
「風が出てきたね。
そろそろ帰ろうか」
次の約束なんて、どの口で取り付けられるというのか。
※
その晩、カサンドラは夕食も摂れずに部屋に引きこもった。
誰の声も聴きたくないと、耳を塞いで寝台の上に丸くなる。
今は笑えなくても、
明日はちゃんと笑ってあいさつしないと。
………始まる前から、終わるわけにはいかないのに。
これは自分の、明確な失態。
”頭になかった”なんて、言い訳だ。
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