第24話 未だ、落第点。
まるでゾンビのようなスロウリィな動き。
彼女の後ろには噴水の飛沫が霧のように散り、彼女の表情を覆い隠す。
ゆぅらりとリゼは立ち上がりその場の全容を一瞥した後、大袈裟な所作で肩を落とした。
彼女の心の声をそのまま表したような仕草にカサンドラだけではなくミランダ一行も動揺する。
一体リゼが何を言い出すのかと予想もつかず、カサンドラも口を一文字に結んで様子を窺う。
まさか掴みかかって一発殴りはしないだろうな、とそればかりが冷や冷やものだ。
彼女が暴力に訴えてしまったら、リタを制した意味がなくなってしまう。
「カサンドラ様に散々庇っていただいてアレなんですけど。
お互いモヤモヤしたまま……って言うのが性に合わないし、ハッキリさせてもらっていいですか?」
さっきまで頭を水の中に沈められていたとは思えない、物凄く淡々とした様子。
いや、怒ってはいる。
彼女の表情、口調には苛立ちが隠しきれずにピリピリとした空気を噴出させているわけで。
「あのですね。
昨日はジェイク様と一緒に帰れて嬉しかったですよ、それは勿論」
「なっ……
あ、貴女……!」
魚のように口をぱくぱくと開閉し、ミランダは何と文句を言うべきか言葉を探している様子。
「でも勘違いしないでください。
私からもはっきり言いますよ、先ほどカサンドラ様が仰った通り――完璧に事故! 偶然! たまたま!
別に私が狙ったわけでも何でもない連鎖事故です!」
リゼはそう高らかに宣言し、自身を苦しめた女生徒達に吠えかかる。
元々当初の勢いを失っていた彼女らは、すっかりリゼの雰囲気に気圧されてしまった。
「むしろ狙ってあんな状態になれるならいくらでも狙いますよ、でもこんな偶然起こすなんて私には無理ですからご心配なく!
第一、私がジェイク様の好みだと思います?
ご想像通りアウトオブ眼中! 入学した日に初めて目にしたクラスメイト以上でも以下でもありません!」
それは自信満々に言うことなのだろうか。
いっそ潔い態度に、皆の目が点になる。
「あら、ご自身の身の程を弁えていらっしゃるのかしら」
「当たり前です、そこまで能天気じゃないので。
でも気になってるのは事実ですよ、同じ機会があったら私は喜んでご一緒します。
あー……折角楽しい時間だったのに!
なんかケチつけられて、凄く不愉快です」
憮然とした表情で、彼女はミランダを睨み据える。
彼女の赤いリボンは、先ほどの暴行のせいで噴水の中にほどけ落ちてしまったようだ。
赤いそれが、ゆらゆらと水面に浮かんでは消え、噴水の流れに弄ばれ続けている。
「そりゃあ、私も悪かったですよ。
貴女達の家なんか没落すればいいのに、足引っ掛けて転べばいいのにとか呪詛撒いてたわけですから。
でも、意味ないと思いません?
こんなことしたって、本当に何の意味もない。
逆ですよ、逆。あの方こういうこと絶対嫌いますよ」
彼女は靴の先で、軽く噴水の縁を蹴る。
「――選ぶのは、ジェイク様でしょう?
こんな外道なやり方で、貴女達は卒業パーティであの方にエスコートされると思ってるんですか?
いえ、私がどうこうじゃなくですね。
凄く非合理的! 人数集めてこんなド庶民弄ってる暇があったら他にすることあるんじゃないですか」
卒業式典の後の全校パーティでは、卒業する女性をエスコートするのは婚約者か恋人が最優先という暗黙の了解がある。
男子生徒の場合も当然婚約者をエスコートして入場するものだ。
既に学園を卒業した後でも、ジェイクが卒業パーティに”呼んだ”パートナーならエスコートされパーティに参加できる。
十五歳未満は残念ながら参加資格はないが、基本的に卒業生の婚約者お披露目会と化しているのだ。
だから注目度が抜群。
国中の有力者が集まるその場で起こったことは公然の事実として王国を駆け巡る。そんな一幕でカサンドラが断罪されてしまえば、王国に居場所などなくなるだろう。父親に最大限庇われて、シスターになって一生幽閉の未来だろうか。
ちなみに学年の違うカップルで後に違う相手をエスコートしたりされたりという現象も稀に発生し、「別れたの?」「浮気?」など後夜祭の話のタネになるので大体の人はそれを是が非でも避ける。
また、学生の内から結婚していて夫婦で出席する生徒もいたりする。そのあたりは学園も寛容だ。
二年後ミランダが卒業するとき、ジェイクが彼女を婚約者として選んでくれたなら当然エスコートしてくれるし、その一年後の卒業パーティでは堂々とパーティ会場に出席できるのだ。
――婚約者を狙う熾烈な争いは既に始まっている。三年生の御姉様方には今年一年が最初で最後のチャンスの年。
尚、最終日までお相手がいない卒業生はパーティが始まった直後、二階回廊で待機。
婚約者恋人組が先に入場して一曲踊った後、順々に舞踏会場に降りることが赦されるという。最後まで格差社会。
婚約者の都合をつけようと在校生が必死になる理由は、ここにもあると思う。
適当な相手を選ぶわけにはいかない、社交界で自分の生涯を共にする相手だと公然と認められることになるのだから。
相手のいないお嬢様が焦る気持ちなど、引く手数多のシリウスには絶対理解できないのだ。
ここにいる令嬢、そしてリゼの望みは一つ。
卒業パーティという一世一代の大舞台に、正式なパートナーとしてジェイクの横を歩きたい。
それがためにこんな恐ろしい事態が勃発しているのである。
「それによくよく考えてください!
勉強でもそうですけど、気に入らない人の足引っ張ったって、自分の点数は上がらないんですよ?
合格点採りたいなら自分が努力するべきです。非建設的!」
彼女の迫真の表情に、令嬢たちが「うーん」と考え込む。
実際、順位が繰り上がったところで自分が合格点に達しないと意味がない。
むしろ嫌がらせ、相手を陥れるということは採点基準では完全にマイナスだ。
自分から全力でゴールから遠ざかっていると言ってもいい。
しかし、このリゼの啖呵は的を射ていると感心した。
シリウスやラルフはともかく、ジェイクに関しては主人公とカップルになれなかったら一人で生きるのを選ぶだろうなという気もする。
結婚しないならしないでいいじゃん、とか言いそうだ。
ゲームとして接している時は普通にラブラブだったけど、それが叶わないなら単身卒業パーティでもあの人何とも思わないわ。
体面と家名を重んじる他二人とは少し違う。
これが何を示すかというと、消去法――つまり周囲を蹴落としライバルを消す方法では誰も嫁にはなれない、という事実である。
言われて気づく、そうか彼にとって満点じゃないと意味がないのか、と。目から鱗だ。
主人公とくっつかなかった場合、ラルフやシリウスはお家の意向に従って周囲からの相対評価で上位だった女性を選ぶだろう。というか、何なら通常グッドED後に実は愛妾扱いでしたと言われる可能性もゼロじゃないね! 後に庶民を選んで激怒した親に正妻をねじ込まれる未来があってもおかしくない。
死が二人を分かつまで……ってかっこいい事いっても、案外幸せな生活は長く続かないのかもしれない。
その点、ジェイクは気に入る人がいないなら嫁なんか要らん、と素で言いそう。
一応腹違いの
「相手の足引っ張ったり無理矢理顔を水に浸けるなんて、むしろ減点対象ですよ?
それでいいんですか?」
リゼの言いたいことは分かるのだけど、中々この社会では受け入れられるような価値観ではない。
相手の順位を落とすことで相対的に自分の位置を上げる――そういう処世術に、慣れ切っている者ばかりだから。
そっちの方が楽だから。
「…………はぁ……。
もういいです。
どうやらご自分の立場は理解されていらっしゃるようですし。
――私共の思い違いでしたわね。
申し訳ありません」
謝った……?
あのプライドの高いミランダ嬢が、不承不承にも顔を逸らしながらでも!
消え入りそうな声でも謝った……?
歴史的瞬間を目の当たりにしたような衝撃を受けるカサンドラだが、当然三つ子にはこれがレアな状況だとは分からない事だろう。
「……いえ、今更何を言っても起こったことは変わりませんし?
最初はすっごく腹立ちましたけど。
私みたいに見込みがない状態な上、こんなことしてこの人たちバカみたい…っていう憐みの感情が湧いただけですから」
言いたいことを言いたいだけ言うと、頭が冷えたり客観的に状況を判断できるものだ。
リゼは本人の言葉通り、怒りを通り越えてしまったのだろう。
あわや溺死、という恐ろしい経験も過ぎた事とここまで達観できるのは驚く。
当然ミランダは大層立腹している様子で拳を握りしめブンブン上下させて食って掛かった。
「凄く失礼ね、貴女!? 第一、貴女よりは私の方が全ッ然! 見込みがありましてよ!?」
「え? ああ、そうなんですか…」
何故かリゼは、カサンドラの方に視線を遣る。
いや、正確にはハラハラと事態を見守るリタの姿を見て、か。
ミランダの正面に立ち、両肩に己の手をそっと置くリゼ。
心の底からの憐憫を込めた双眸で、うっすら微笑む。
「見込みない者同士、正々堂々頑張りましょうね」
はぁ!? と開いた口を塞げない。
だがリゼに対して何を言っても無駄だ、ということだけは理解できたのだろう。
しかも今回、完全に勇み足での不始末を起こした身。思い通りにいかずイライラしている。
これ以上延々とお付き合いをする程、彼女の心は広くない。
心が狭いからこんな事態を起こしたのだからさもありなんという状態だけれど。
「皆様、斯様に失礼な方、関わるだけ時間の無駄だと思いませんこと?
貴重なお昼の時間ですもの、午後の講義に備えましょう」
「は、はい。お待ちくださいミランダ様」
綺麗に後ろへターンし長い赤胴色の真っ直ぐな髪を風に靡かせるミランダ嬢。
スタスタと中庭の外へ、取り巻きを従え去って行く。
そんな彼女は右手を腰に添えたまま立ち止まり、肩越しに振り返ったのだ。
唐突過ぎて誰もが驚く。
リゼでさえ、ビクッと肩を跳ねた。
「――ああ、貴女。
早く着替えないと、風邪を召しますわよ」
見下し目線でフン、と捨て台詞を吐いて講義室へ向かう令嬢方の後姿が消えたのを見計らって、リゼは額に青筋を浮かべる。
「あ・ん・た・が! やったんでしょうが……!」
一度は去ったはずの憤りが再燃したのか、水浸しの制服の裾をぎゅっと絞る。
着たままの状態でも、まるで絞っていない雑巾のように水がしたたり落ちていく。
「リゼ、ごめん!
私があの時余計なことしたせいで……!」
時間にしてみれば、あっという間に過ぎ去った出来事。
それでも黙って見ていろと制されたリタには無限にも思える時間だっただろう。
「あー、いいのいいの。
そんなことより、タオル持ってきてくれない? これ本気で風邪ひくわ」
「この先に医務室があります!
私、行ってきますね」
カサンドラにぺこりと頭を下げた後、リナはパタパタと足音を立てて中庭を出て行った。
軽やかに風に舞う、栗色の髪があっという間に去った行く。
「あ、リナ待って!
一緒に行く、替えの制服あったら貸してもらおうよ」
常日頃から替えの制服を持ち歩く生徒などいるわけがなく。予備の制服は部屋に戻らなければ手に入らない。
だが今から寮を往復するには距離が遠く、濡れ鼠の状態で移動するなど何かありましたと叫びながら歩いているようなものだ。先生には見せられない。
出来れば穏便に、ここは自分たちの胸の内だけで終わらせたいところである。
その想いはリゼもカサンドラも同じものだ。
医務室に先生がいて諸々の用品を貸してもらえるならいいが、もしも先生自ら様子を見に来たら少し誤魔化すのが大変かもしれない。
だが背に腹は代えられず、リゼが風邪をひかない内に戻ってきてくれと祈る他ない。
「はー、大変な目に遭いました」
着衣のままでは埒が明かないとばかりに、リゼは濡れたブレザーの上着を脱いだ。
脱ぐというより、剥がすという表現の方が正しいのかもしれない。
とりあえず目立たないように端のベンチに誘導しようと彼女に話しかける。
リタ達はすぐに帰ってくるだろうが、あんなひどい目に遭ったのだ。体力が残っていないかもしれないとカサンドラも気が気ではない。
「このままではいけません。
わたくしの上着をお貸ししま――」
「………カサンドラ嬢、君は一体何をしているんだ!?」
ええええ!?
ぞわっと背筋に悪寒が走り、総毛立つ。
手の指先から、足の指先から血がザーッと引き潮のように引いていく。
ここでシリウスが登場とかどうなっているのだ。
運命力強すぎじゃない!? それもリタとリナがいない絶妙な間を縫って顔を出すとか、攻略対象と言う補正が働いている説は間違っていないのでは!?
「シリウス様」
聞き間違いであってほしかったが、漆黒の髪と瞳――何よりも眼鏡姿の良く似合う人影はどう見てもシリウス副会長その人である。
「この近くでロンバルトに名を連ねる女生徒が列をなし集い、歩く光景を見かけた。
気になって足を向けてみればこの有様――あの者たちが君に何かしたのではないか?」
あの目立つご令嬢御一行様がぞろぞろと退散する姿を見たら、それは不審に思って様子を見に来てもおかしくない。
おかしくはないのだが、カサンドラとしては生きた心地がしないわけで。
「こんなに濡れてしまって、大丈夫か?
まさか君が」
彼の怜悧な視線がカサンドラの身体を烈しく貫く。
完全に疑いを含んでいるのが、眼鏡の奥から伝わってきて大変に困難な状況であった。
ミランダ達の事はシリウスには絶対知られたくないし、かといってこんな中庭でリゼの上半身がずぶ濡れなのもおかしな話だし――
「私が勝手に足を滑らせ、噴水の水に突っ込んだだけです。
運動神経が鈍いので、多々あること。御心配ありがとうございます」
リゼの言葉には直接的な棘は感じないものの、無表情であまり会話をしたくないという心境が透けて見える。
シリウスという大物が相手だから義務的に相手をしている、と言わんばかり。
「春とは言え風は冷たい。
これを使いなさい」
信じられないことに、彼は自身の制服のブレザーをふわっと彼女の肩に掛けてやる。
……確かにカサンドラは思っていた、攻略対象の方が主人公を攻略しに来るべきだ、と。
だが今は事情が違う、それはそれで困ってしまう。
何故なら、主人公が想う相手が彼らのそれと合致しないから……!
普段クールで口数も少なく、ともすれは冷淡とも思える態度をとる男性。
だが今は憂い顔でリゼを気遣っている…だと…?
『好みの主人公』に対する不可視の引力が怖いのですが。
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