第23話 伯爵令嬢の大暴走



 デイジー嬢がリゼたちを見かけた最後の場所から、一体どこに彼女が連れて行かれたのか判断がつかず途方に暮れた。


 女生徒たちがリゼを追求するために場所を選ぶなら、人気が少ないところのはずだということは分かる。


 人が集まる食堂から離れた場所。


「医務室近くの、中庭……」


 パッと脳裏に思い浮かんだのは、奇しくも今日王子と会う約束をしている大きな二段噴水の設置された中庭だった。


 ただ単に、大勢によってたかって責められる程度ならリゼの精神力ならさほど気にしないような気もする。

 普通ならそれで恐ろしくなって逃げだすものだが、リゼの性格上言い負かされたり押し負けることはないような……


 でも虫の知らせが鳴りやまず、不安げなリタとリナに昨日の経過をゆっくり聞いている暇はない。

 リゼの姿を探しながら、ジェイクとのやりとりを頭に入れて映像としてイメージする作業も集中力を欠いて難しい。



 ……一緒に寮に帰るところを、誰かに見られたの……?



 元々電飾灯が歩いているに等しい彼ら、それも派手な色合いのジェイクである。

 彼が学園寮に戻れば多くの生徒の目につくし、男子に比べれば比率が少ないとはいえ女生徒寮から通う女生徒も多い。


 見つかってしまえば、それこそ吊し上げを食らいかねない。

 ぞっとしない想像を頭から振るい落とし、カサンドラは人影疎らな中庭に向かう。






「カハッ……カッ……」


 息苦しさに耐え兼ね、噎せる声が噴水の傍から聞こえる。

 そこにいたのは十人は下らない女生徒で、カサンドラとは直接的な付き合いのない者ばかり。

 集った生徒の内三人が、彼女の頭、肩、背中を押さえ噴水に押し入れ、掴み上げを繰り返す。


 抵抗するその娘の周囲は水浸しだった。


 まさか……嘘でしょう?

 水責め? 良家のお嬢さんが一体何をしているのか。


 カサンドラが衝撃に固まってしまった傍、ヒッと悲鳴を上げて顔面蒼白のリナ。

 足ががくがくと震え、今にも倒れてしまいそうな彼女と。


 憤怒の顔でその場に割り入ろうと目を血走らせるリタを、カサンドラは自身の身体を盾にして押しとどめる。


「抑えてください、わたくしが参ります。

 リタさん、貴女達はどうか手をお出しにならないで!」


 昨日、リナに声を掛け腕を掴んだ男相手に渾身の飛び蹴りを食らわせたことは聞いた。

 もしも同じことをここでしてしまえば、細身の令嬢たちは肋骨を折るでは済まない。

 まさかこの学園で殺人者を出すわけにもいかず、狂犬の如き形相で今にも掴みかからんとする彼女を必死で制した。


 リゼの栗色の毛を掴み、短く、長く。女たちは恐ろしいことに無表情で彼女の頭を噴水にドボンとつけ続けるのだ。

 噴水の縁を掴むリゼの手から徐々に力がなくなっていくのを見、カサンドラは彼女達の前に出ていかざるを得なかった。




「おやめなさい、貴女達! これは一体、何事ですか!」


 カサンドラの声に、女生徒達はようやくリゼの身体を抑えつける力を緩める。

 苦しそうに咳を繰り返すリゼ。彼女は腕に力が入らないのかその場にごろんと横たわり、口から大量の水を吐く。

 ……そのあまりにもあまりな様子に絶句し、自分でも訳が分からないほどの憤りに支配されそうになる。


「あら、カサンドラ様ごきげんよう」


 鈴の音のような可愛らしい声で、にっこりと微笑む少女。

 怪訝そうな視線を向けると、その女生徒はスッと身を屈め頭を垂れる。


「今、身の程を弁えぬ不届きな犬に躾を行っていたところですの。

 宜しければカサンドラ様も一緒にいかがです?」


 ここにいる女生徒たちをまとめるのは彼女か。

 直接手を下すわけでもなく、取り巻きを使って気に入らない相手を水責め――か。

 とても正気の人間とも思えぬ所業に怖気おぞけが走る。


「何故、このような無体な真似をなさるのです!

 貴女を慕う多くの皆様に何と申し開きをされるおつもりですか、伯爵令嬢ミランダさん?」


「あら、未来の王妃様が私の名を覚えていてくださっているなんて光栄ですわ。

 ――田舎とはいえレンドール侯爵家ですものね、私を知っていて当然かしら」


 彼女の瞳が険しくなる。


「……はぁ、はぁ」


 胃の中の水を全部吐き出した後もなお呼吸が苦しいのか、噴水の縁に背中を持たせたまま座り込むリゼ。

 意識はある、怪我をしているわけでもない。


 だがどれほど恐ろしかっただろう。

 非力な女性を、同じ女性が寄ってたかって抑えつけ責め立てるなど……カサンドラだってそんな目に遭ったらなんて想像したくない。


 ただウェレス伯爵家の長女が首謀者か、これは相当厄介だ。

 彼女はロンバルド侯爵家に所縁の伯爵家のお嬢様。年齢は一つ上だったか、カサンドラとは陣容を分かつ間柄。


「リゼさんが……

 そちらの特待生が一体貴女に何をしたと仰るのですか。

 事と次第によっては内々でおさめられることではございませんよ。

 シリウス様の指導に従うべきです! 学園内でこのような恋愛沙汰の問題など…」


 こんな恐ろしい光景、どんな顔をして報告すればいいのだ。

 彼女らのすることに比べたら、男子生徒の殴り合い寸前の喧嘩なんか猫がじゃれついて遊んでいるのと大差ないわ!


「オホホホホ! 恋愛ですって!?

 何を馬鹿な事を仰っておいでかしら。

 これは、ただの身の程を弁える術を知らない、無知な者への正当な躾ですわ。

 ルールを知らない者を正しく導くことも私達のお役目ではないですか」


 本当に正真正銘のお嬢様。

 彼女は手の甲を口元にあて、見事な高笑いスタイルだ。

 赤銅色の長い髪、その天辺に赤い大きなリボンが飾られている。

 黙っていればお人形のように可愛らしいお嬢様なのにカサンドラ顔負けの高笑いで台無しだ。


「カサンドラ様、御存知かしら?

 彼女、昨日ジェイク様とそれはそれは楽しそうに、どこぞからご一緒に帰宅なさったとか。

 あり得ませんでしょう、皆様を差し置いて? 分を弁える気がない以上誰かが教えませんと。

 ……貴女様のお役目を替わって差し上げただけ、感謝されこそすれ非難されるなど心外ですわ」


 彼女たちは皆、大なり小なりロンバルトが影響力を持つ貴族の娘か。

 本当に望んでの行動かは知らないが、この伯爵令嬢の命令では逆らえないのは分かる。


 リゼに駆け寄ろうとするリタを片腕で必死に制し、カサンドラは毅然と彼女たちに相対した。

 哀れではあるのだ、理解できない感情ではない。


 ジェイクの嫁候補として彼女の親は必死で侯爵に推すけれどもなしのつぶて。

 ジェイク当人も相手を探す風でもなく、付きまとえば逆に鬱陶しがられる。

 皆が焦れ、苛々している時にフッと入ってきた見知らぬ庶民の小娘が肩を並べて歩く――それだけでも我慢の限界突破、彼女達に容認できるはずがない。


 アイドルに対する憧れとはまた違う、彼女たちにとっては現実に立ちふさがる大きな問題。


 前世の記憶がある自分にはできたことではないが、もしも……

 もしも、アーサー王子に、知らぬうちに慕わしげに話す女生徒が出現すれば冷静ではいられないだろう。

 でも自分は婚約者だ、公的に認められた存在だから正当な権利を主張できる。


 彼女達には、それがない。

 実力行使で黙らせ、遠ざける他ない。

 

 リゼのは庶民だが、そもそも庶民は失う立場がない。最初から失えるだけの地位がないのだ。

 いくら権謀数術で追い落とそうとしても、リゼは無関係のセスカ伯領に住む平民、影響力は及ばない。


 ある意味で厄介な存在だ。しかも特待生ゆえ、権利は国王陛下に保証してもらっているようなもの。


 ジェイクに近づくなと言って聞かないのなら、その身に恐怖を刻んで排除するしかなかったのか。

 ……リゼは詰め寄られても頷かなかったのだろうな。


「知っていましてよ?

 この特待生がいつもいつも、遠くから私達を眺め睨んでいたことは。

 ジェイク様の傍にいる資格もない癖に、お笑いですわよね。まるで私達を小馬鹿にするような態度なんですもの」


 はぁ、と吐息を草の上に落とす。


「貴女の仰りたいことはわかります、ミランダさん。

 ですが此度の件において、貴女方に理はありません。

 リゼさんに謝罪された方が宜しいかと」


 当然そんな言い方を受け入れるようなら最初からこんな行動に出てはいない。

 彼女を黙らせなければ本当に面倒なことになるのだ。

 こんなシチュエーション、下手をしたらカサンドラにもシリウスやラルフから嫌疑をかけられそう。

 見逃すという選択肢はない。


「先日の件はわたくしも聞き及んでおります。

 貴方たちがそれを根拠にリゼさんの行動を責めるというのであれば、わたくしはジェイク様に一部始終報告せざるを得ません」


「こんな些細な事を一々報告されるのですか?

 王子殿下の婚約者とは仰っても、たかが田舎の侯爵家が大きく出たものですわね。


 ですがジェイク様が私達の行動に興味を持ってくださるとも思いません。

 無駄ですわ、どうせ両成敗扱いでしてよ。

 ああ、何でしたら貴女の名を出しても宜しいのよ?

 一緒にこの娘を”言い聞かせ”ました、とね」


 止めろ! リゼにこんな仕打ちをしたなどと嘘でも疑われたら…

 ジェイクよりもシリウスに誤解された次の日には追放されかねんわ!


 あらぬ未来を想像して眩暈がしたが、ぐっと堪える。



 ――ジェイクを巡るお嬢さんたちの戦い。

 それは水面下でどれほど熾烈なものだっただろう。

 ともすればジェイク本人でさえ止められない、手出し無用のデスマッチのようなものだ。

 これがゲームの世界でなければそこで勝ち上がった伯爵家の令嬢が勝鬨をあげ、正当な婚約者として名乗りを上げることが出来ただろうに。


 おぞましい話だが、これはこれで彼女たちなりのジェイクへの愛情表現のようなものだ。

 そんな怖い愛に付きまとわれるジェイクたちに少し同情してしまう。


 それにしてもカサンドラまで巻き込んで脅すか。

 相当性根の据わったお嬢さんで、本当に怖い。


 これはしっかりこの場を収めねば。


 衝撃で言葉を失い立ち尽くすリナの肩にそっと触れる。


「先日、こちらの特待生三人が大広場で暴漢に襲われたことはご存じかしら」


「それがどうかしたのです?」


 カサンドラはリナの足を一瞥する。

 それを鼻で笑って一蹴しようとする伯爵令嬢。


「ええ、そちらの暴漢から彼女達を守ってさしあげたのが、その場に居合わせたジェイク様ですの。

 不幸なことにリナさんが怪我をしてしまい、彼女の怪我に動転なさったリタさんは慌てて付き添い寮に戻られたとか。

 ジェイク様はその場に一人取り残されたリゼさんを心配なさり、同行の申し出をされたそうです。

 ――何故リゼさんをお咎めになるのですか?」


 リナ、リタ、リゼ、と。

 順繰りに掌の先で指し示す。


「………それはこの子が分を弁えない者だからで」


「では貴女はジェイク様にこう仰りたいのですか?

 平民など捨ておけばよろしい。

 悪漢に襲われた特待生などその場に放り、ジェイク様一人でお帰りくださいと」


「そんな事は申し上げておりません!」


 彼女はカッと顔を朱に染め憤る。

 ミランダもよく知っている、彼が騎士であることに拘っていることを。


 ……カサンドラを貶めるためにその正道さえ見失う言動をしたから、ジェイクはその後リタに対して謝罪した。頭を下げた。

 ”弱い者いじめ””騎士じゃない”なんて真正面から急所を突かれ動揺したものの、目の覚めるような事実を指摘されたからリタに感謝さえしているのだ。

 庶民に頭を下げることも厭わないほどには拘っている。


 彼の正しい行いを間接的にでも否定することになるわけで。

 そうなると一転して話が違ってくる。


「暴漢がいたなど、私は……」


 彼が騎士としてした行為を責めることにも繋がりかねない。

 彼女はその可能性に気づいて明らかに狼狽した。


「………ミランダ様」


 取り巻きの令嬢が、こそっと彼女に耳打ちする。

 すると彼女は唇を噛んでこちらを睨み据えてきた。

 不埒を働こうとした男はかなりの重症だったそうなので、近くの病院に担ぎ込まれているはずだ。学園周囲の治安に関わることは情報としても出回るもの。

 

 何らかの形で、女生徒がその男に襲われかけたのだという情報が知れてもおかしくはない。


 実際に暴漢がいて、それを助けたのがジェイクで。

 その後同行し寮に戻ったことを責めるというのなら。

 

「ジェイク様の騎士として当然の申し出を断るようにとリゼさんを叱りますの?

 あの方に恥をかかせなさいと仰っているようなものではなくて?

 大した教育ですわね。

 慕わしいお方の価値を下げる振る舞いを促すなど、わたくしにはとてもできませんわ」


 まぁ実際、男を病院送りにしたのはジェイクでもなければ、事態も寮に送る必要があるほど深刻なものではなかったようだけど。

 でも衆目がある中、騎士として名も顔も知られているジェイクが一人で女性を放って帰るなどかなりのマイナスイメージ。

 紳士の風上にも置けないと、もしも敵対する相手がいたら後ろ指をさされかねない状況ではないか。

 自らの嫉妬ゆえそれも善しとするなど、ジェイクに知られたくはないだろう。


「大広場でただのクラスメイトとして顔を合わせその後仲睦まじくお戻りになられたのならリゼさんには身に余る待遇でしょう、リゼさんは同行を固辞するべきでした。

 万が一にもリゼさんの方からお誘いしたのであれば――ミランダ様が言語道断とお怒りになるお気持ちも分かります。

 ですがこの件は違いますでしょう?

 あの方は騎士としての責務を果たしたまで、それを貴女は非難するのですか?」


 リゼは、今回の件で彼女たちに折檻される筋合いなど欠片もない。

 相手の仕事、役目からの提案に素直に従っただけ。

 断って相手の立場に泥を塗る方がよっぽど不敬な状況である。


 実際にリゼがどこまで状況を把握していたのかは分からないが。

 少なくとも今回の条件は特殊だ。


「………そ、それは…

 だから、この子が! ちゃんと同行の申し出を断ればよかったのです!

 ジェイク様の優しさにつけこんで、ずうずうしいのよ!」


 肩を竦めて大仰に首を横に振る。

 もうおやめなさい、と。彼女の感情を宥めるよう、両手を掲げる。


 あまりそうやってこの件を掘り下げても彼女にとって良いことはないのだ。

 仮に断ったら断ったで、ジェイクの顔を潰すことにもなりかねないのだから。


「申し上げました通り、先日の件はたまたまジェイク様が特待生たちをお守りしたことが原因だったのです。

 騎士でいらっしゃる彼は責任感ゆえリゼさんを寮までお送りされました。それをどなたかが抜け駆けだと勘違いされたのでしょう?

 全くの誤解ですわ、リゼさんは貴女達を蔑ろにする意図など無かったのですから。

 ジェイク様の行いを称賛する、それで終わる話ではなくて?」


「それは……その……」


 勢いを削がれ、彼女達は顔を見合わせる。

 彼女達の慕うジェイクがその立場に相応しい振る舞いをしたこと、それを殊更ギャーギャーと喚きたてることは分が悪いという結論になるのだろう。


 早くこの場からミランダ一行を撤収させ、リゼを介抱しなければ。

 ……興奮状態の彼女達に捕らわれた状態では、本当に間違いがあるかもしれないと慎重になり過ぎた。

 リゼには申し訳ない、後で謝らなければ。


 そう思った直後だった。

 












「………ちょっと、待ってください……カサンドラ様……」

 


 大きく息を吸って、吐いて。

 それまで焦点の定まっていなかったリゼが、まるで幽鬼のようにその場に立ち上がったのである。


 疲れ切った表情。

 彼女の青い目が、ギラギラと鈍い光を宿していた。



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