第22話 修羅場…?


 新しい一週間が始まる。


 カサンドラは今朝も早起きをして登校することに決めた。

 三十分は早めに別邸を出、人影の疎らな街道を往く。


 馬車の中、膝の上に置いた鞄の表をそっと撫でるカサンドラ。


 その鞄の中に忍ばせているのは、アーサー王子への手紙だった。


 昨日一日、何枚も何枚も紙を無駄にしてしたためた手紙。

 人はそれを恋文と一般的に呼ぶのだろうが、そこまで重たい内容ではないと思う。


 出来る限り短く、相手の負担にならない程度の文章で。

 忙しい時間の隙間に手を取って、サッと目を通せるように。


 先週王子と会うことが出来たのは、手紙を彼の生徒会室の席に忍ばせることが出来たからだ。

 それはカサンドラにとって数少ない、自分で考えた末の成功体験である。


 手紙ばかりに縋るわけにはいかないけれど、校内でろくに会話も出来ず互いに他人状態の今。

 何とか自分をアピールする手段を検討した結果、手紙を渡すという行為に落ち着いたのだ。


 別に彼の返事が欲しいとか、特別な変化があるなんて期待していない。

 ただ少しでもカサンドラのことを意識して、存在を理解してもらいたいという一心。


 前世では読んだ本や遊んだゲームの感想や思ったことを、大多数に向け匿名で己の想いの丈いっぱいに語るのが好きだった。

 でも特定のたった一人に向けて、その人だけの事を考えてペンを握ることは何と緊張することなのか。それも気を許しているわけでもなく、良く知らない婚約者に向ける。

 気持ちや想いを伝えたいのは、たった一人。


 最初から何枚もずっしりと重たい自己アピール文章を押しつけてはいけない。

 とりあえず先週と同じように簡潔に、と心に留めたものだ。


 時候の挨拶と、今日会えることを楽しみにしていること。

 今日の午後から始まる選択講義が重なったら嬉しいということ。


 パッと目に入れてくれるだけでいい。


 肩にかかる長い金髪を手の甲で払いのけ、カサンドラは湧き出る暖かい感情を抑えきれず微笑みを漏らしていた。要するに、ニマニマしている。


 幸い、そんな姿を誰にも発見されることなく生徒会室の扉に辿り着いた。

 朝の登校時間に生徒会室の前を通る生徒など滅多にいない。


「……あら?」


 様子がおかしい。

 何故か朝一番の、生徒の影が殆ど見えない生徒会の部屋で人の気配が。

 いや、違う。

 よくよく耳を凝らせば話し声だと分かる。


 一体誰の声!? とカサンドラの好奇心が一気にボルテージを上げていく。

 はしたないにも程があるが、周囲を確認した後、身を屈めて耳を扉にくっつけだ。


 やっぱり自分は間諜スパイのため転生した存在なのでは? と自嘲したくなるありさまである。



『おいおい、こんな朝早くに呼び出しとか何なんだよ。

 さっきからおかしいぞ、睨まれる覚えないんだけど?』


 この声はジェイクか。

 どうにも痺れを切らした苛立ちの声、彼の表情が容易に想像できる。ズボンのポケットに手を突っ込んで仏頂面に違いあるまい。


 ジェイクを呼び出した相手……?


『気になる噂を耳にした。

 ジェイク、お前は昨日、あの三つ子と会っていたそうじゃないか』


 この声はラルフ……か?

 いつもの優男ボイスとは違う、低い声色につい動揺する。


 噂って、昨日の三つ子の件が既に広まっているのか…?

 まだ報告を受けていないのでカサンドラも何があったのか一切状況を把握していない。

 それまで好奇心からの行動だったが、一気に現実に引き戻され眉間に皺を寄せ会話を聞き逃すまいと神経を集中させた。


 誰かに見つかったら言い訳出来ない。

 お願い、誰もこの廊下を通るなかれ!


『それがどうした?

 たまたま大広場で見かけたから声をかけただけだ。

 何か? 俺に無視して帰れとでも?』


 ジェイクはやはり不機嫌な口調だ。

 何だかギスギスしているな、と思う。


 ジェイクやラルフ、シリウスは三人ともカバー範囲が違うというか個性の突き抜け方が別ベクトル。普段は衝突しないものだと思っていた。

 簡単に争い合うこともないし、今まで喧嘩をしたなんて聞いたこともない。

 反目することのない、幼馴染トリオだ。

 アーサー王子も入れたらカルテットかもしれない。


 何故こんな喧嘩腰…?

 そりゃあ、ジェイクが好感を持つリタの思う相手はラルフだけど。


 恋敵だから険悪なのか? うーん?

 でもこんなピリピリした空気を生む程、事態は進展していないだろうに。

 だってまだ四月。

 序盤も序盤じゃないか。

 互いの想う相手を巡って喧嘩する時期とは思えないのだけど。


『そんなことを言いたいのではない!

 お前、リナ嬢に怪我をさせたそうじゃないか!』


 なんという決然とした物言いなのか。

 事情の全く見えないカサンドラは、ゴクリと固唾を飲む。


 彼女達やジェイクの手前その場にいなかったけれど、やはりこっそり見張っているべきだった?

 でもこんな……

 こんな目立つ自分が公園でどうやって身を隠すっていうんだ。

 身分を隠すようなお忍びの恰好をしている姿を彼らに見つかった方が、一層深刻な事態である。


『………はぁ?』


『見損なったぞ、ジェイク。

 まさかお前が傍にいながら、女生徒に怪我を負わせるなんてな。

 それで騎士だなんだとはよく言ったものだ』


『言いたい放題言ってくれるじゃねーか、あんなの俺がどうにかできるわけがねーだろ!

 大体怪我って言ってもかすり傷だ、怪我の内に入るかよ』 


 再び言い合いが開始される。


 そっと耳を扉から外し、腕を組んで黙考した。

 


  これは……

  正真正銘の ド修羅場!




 額から流れる一筋の汗をぬぐい、うっかり彼らに見つからないうちに退散することに決めた。

 仲裁も出来ない、事情もさっぱり分からない。


 彼女達から昨日の報告を受けないと、あんな状況の生徒会室に乗り込んだら二人の八つ当たりでこっちが真っ黒こげになりかねない。

 王子への手紙を忍ばせるとか言ってる場合じゃないのは確かだ。



 そーっとそーっと気配を押し殺し、カサンドラは教室に向かうことにした。


 女生徒関係のことを寮で言い合うのも危険があるとはいえ、そんな話は自分の部屋でやってくれないかな。

 わざわざ週の始まりから火花散らして何してるの?




  彼らの理解不能な争いに、立ち眩みを起こしそうだった。




 嫉妬だの三角関係だのは自身には無関係だから客観的にドキドキできるのである。

 実際に巻き込まれる危機に瀕するとろくなものではない、という現実を知ってしまった。出来れば知りたくなかった。 






  ※




 折角王子のために、日曜日と言う貴重な時間の多くを費やして認めた手紙。

 渡すことが出来なかったという事実にショックが大きいカサンドラ。

 椅子に腰を下ろしたまま、ぱらりと額に落ちる金の髪を優雅な手つきでかきあげる。 


 さっきまで扉にぴったりくっついていたせいで、横髪が乱れてしまったのはどうしようもない。

 あんな情けない姿を見られたらカサンドラの学園生活に残る醜聞である、人影がなかったのは本当に僥倖だった。


 次第に教室に生徒が集まってくる。

 始業の鐘が鳴る十五分前、クラスメイトがそれぞれ雑談を楽しんでいる時間帯だった。


「カサンドラ様、おはようございます!」


 教室の後ろの扉から元気のいい声が響く。

 黄色いリボンの可愛い女の子、リタはカサンドラの姿を発見して手を大きく振った。


 彼女を先頭に、リナとリゼも教室に入ってくるのだけれど。



  ――ピリッ。



 気のせいだろうか。

 彼女たちが教室に入った瞬間、広い教室のそこかしこから鋭く刺すような視線を肌で感じ違和感を覚える。

 緊張の糸が部屋中にクモの巣のように張り巡らされたような。


 他愛無いお喋りを楽しむ令嬢の皆にそう大きな変化があるようには見えない。

 だが確実に、今日は何かが違う。

 嫌な予感が全身を駆け巡るが、正体は分からなかった。


「おはようございます、皆さま」


 チラっと一瞬だけ視線を走らせ、カサンドラはリナの制服姿を確認する。


「まぁ、リナさん。その包帯はどうされたのですか?」


 先ほどのラルフの言葉通り、リナの左足は白い包帯が巻かれていた。

 細い脚に包帯がとても痛々しい。


「実は昨日、大広場で転んでしまいました。

 お恥ずかしい限りです」


 完璧に恥じ入ってしまった彼女は項垂れる。

 歩き方もおかしいわけではないし、かすり傷という表現は間違っていないのだろう。

 あまりそれ以上突っ込んでくれるな、と言う無言の訴えを感じる。

 詳しい話をこんな教室内、しかも多くの人間が耳を欹てているだろう場所でできるわけがないので頷くに留める。


 教室内での可愛らしい恋のエトセトラ、なんて気楽な話ではない。

 彼女たちは恋と愛は直接結婚へと直結するものだ。


 婚活に身を投じている女子生徒も多い。

 カサンドラは既に王子という婚約者がいるからいいとして、この世界の常識で照らし合わせるならば女子が必死になる理由も分かる。

 もしもこの学園で程よいご縁が見つからなければ、親が組める縁談に身を任せるしかない。

 かなり年上の貴族に嫁がされたり、わけありの後妻におさまる確率が高くなる。


 もっと条件の良い殿方を捕まえたい! という上昇志向のお嬢様。

 親に決められた許嫁なんて嫌、好きな人と恋愛したいと願うお嬢様。

 優雅に振る舞う彼女達もまた、内情はそれぞれなのである。 


 勿論、幼いころからの許嫁や親同士の約束で公然の婚約者がいるならば心の持ちようは全く違う。

 半数以上の令嬢には、既に約束を交わした令息がいるものだ。


 そうでないお嬢様、とくに二女や三女、更には四女五女。もっと言えば妾腹の子は中々婚姻に至るまで面倒を見てもらえない事が多いのだとか。

 基本長女長男至上主義だ。


 過度な恋愛沙汰を嫌うシリウスには大変残念なお知らせだが、理想と現実は違う。


 学び舎での異性漁りは良くない、理念に反する。

 王子や自分達にむやみに接触しようとするな。


 でもよく考えてみれば、婚約者を見つけるのに最適な時期。ここでチャンスを逃せばあっという間に二十代。

 貴族の娘の二十代など、特別な事情がない限り嫁き遅れに他ならない。


 いくら生徒会に牽制されても、お嬢様方のサバイバル学園生活でもあるのだ。

 人生を賭けてお相手を探し自分を売り込む学園生活。

 ただ勉強をして良い成績を収めるだけでは終わらない、ここは真っ当な社交界の一部なのだから。

 まぁ、戦略を持って学園内で動くならいいが、頭お花畑で要らんトラブル起こすなよというシリウスの警告ととらえよう。流石にあの恋愛排他主義者も、未婚確定世代を量産するつもりはないだろうし。

 

 定まった婚約者のいないジェイクたちの方が悪い! ともいえる。

 シリウスらにしてみれば理不尽極まりない現状でも、彼らの正妻におさまった令嬢が勝ち組なのだ。


 栄光の道ビクトリーロードを歩くことが出来る。


 男性諸氏と違い女性の人生は男性で大きく左右されるものだ。

 それを否定し、自らの道を切り開ける強い女性は少ない。少ないからこそ、憧れる。


 平民である特待生に対して向ける生徒達の感情は複雑なのだ、と最近気づいた。


 最初はただの平民と見下したり、三つ子の場合はその珍しさから興味津々で好奇心を隠さない接し方だったり。

 だがそれも次第に目線が変わっていく。彼女達のように真実の意味で自由な学園生活を、羨む者とているだろう。


 羨ましいと思う心は、妬みや嫉みにも変わる。

 この上御三家の面々と親しいだとかが知れ渡れば――

 実力行使で、この子達を排除する動きがあっても決しておかしくない。


 リナの包帯が第三者によるものでなくてよかったと心から安堵する。


「それは災難でしたね、リナさん。早く治りますように。

 大広場にお出かけでいらしたのね、楽しかったかしら?」


「湖が綺麗でした!

 カサンドラ様、いつか一緒に行きましょうね」


 目を輝かせてリタは満面の笑みを浮かべる。

 実際ジェイクと何があったのだ、と聞きたい気持ちを必死で抑える。


 また昼休みにでもじっくり話を聞くことにしよう。

 そして昼休みが終われば選択講義、更に――


 放課後は王子と会える、かも! 



 それを思うと表情が緩みそうになる。

 リナの怪我のことは気になるが、リタとリゼとジェイクの関係性はどうなったのか、とか。

 分からないことはたくさんあるのに。完全に浮かれていた。


「リゼさん……も、楽しかったですか?」


 彼女の様子を窺う。

 赤いリボンの三つ子の長女。

 リゼは口数が少なく、ぼーっとしているように見える。


 落ち込んでいる様子には見えないのだけど、心ここにあらずだ。

 ボンヤリとしたリゼを不安に感じていると、漸く視線に気づいたリゼは顔を上げる。


「あ、はい。

 楽しかったです、とっても」


 コクン、と一度だけ頷く。


 何だか今までの彼女と比べ語気が弱いのが気にかかるけれど。

 楽しかったのか、良かった。

 ジェイクに邪険にされたわけではないのだな。


 胸を撫で下ろす、あのデリカシー皆無の男が彼女リゼを傷つけないかだけが心配だった。

 朝の生徒会室でのやりとりを受けて、こちらでも修羅場が起こりうるような事態が発生したのではないかと思ったが杞憂のようだ。


 ますます彼女達の報告を聞くのが楽しみだ、カサンドラは席に散る彼女たちにそれぞれ手を振って見送る。











「リゼさんが……いない?」



 内心の高揚を抑えきれず、昼休みの食堂の外で深刻そうに話をするリタとリナに話しかけたのだ。

 だが、彼女たちは不安そうに周囲の様子を窺う。


「ええ、さっきまでは確かに傍にいたんです。

 でも気づいたらどこにもいなくて」


 困惑し、顔を曇らせる二人。

 やたらとカサンドラの鼓動も早くなる。



 教室での攻撃的な視線。

 上の空だったリゼ。

 ジェイクとラルフの険悪な雰囲気。


 分からない、どれも無関係なのか関係があるのか?

 事情を知らないカサンドラは動けない。

 だってこんな事態などシナリオにないことだから。

 気ばかりが逸る。



「申し訳ありません、お二人方。

 昨日起こった事をわたくしにも分かるよう説明していただけないでしょうか」



 少しでも情報を集めなければと焦るカサンドラ。


 そんな自分に、ガルド子爵令嬢のデイジーが憂わしげな表情で申し出てきて――なお一層、血の気が引いた。



「カサンドラ様、お話の最中に無礼を申し上げます、ご容赦くださいませ。

 先ほどリゼさんが数人の女生徒と共にいらっしゃる姿をお見かけしましたの。

 ですが様子がおかしく、とても心配で……」





  まるで連行されているように、皆様に囲まれて。

 


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