第20話 <リゼ 1/2>
日曜日。
今日はまさに行楽日和と表現できる良い天気であった。
学園は王都の西部に広大な敷地を持っている。
そして学園の傍にはクローレス王国で最も栄えた街並みが広がっていた。
王都は建物が立ち並ぶだけではなく、娯楽にも気を遣っているのか市民の憩いの場も多く発見できる。
今いる大広場もその一つ、晴れの日には気分転換や散策に訪れる人の多い場所だ。
外周をぐるっと並木道で囲われているが、その一辺は大きな湖に繋がっている。
小高い丘の上から眺める景色は心が安らぐ空間。
また、テイクアウトが可能な軽食や飲み物を売る露天商も揃っている。
デートスポットとして適した場所であることは確かなようだ。
丁寧に管理された花壇は色とりどりの花が咲き乱れ、それを求めて蝶々がヒラヒラ飛んで行く。
湖を一望した後、リタが宣言する。
「うわー、やっぱり綺麗!
夏になったら泳ぎに来ようね!」
王都から海は遠すぎるせいか、この湖が海だと思い込んでいる子供も多いのだとか。
それくらい広い湖だ、夏の水辺は人で賑わうだろう。
リタはさらっととんでもないことを言いこちらに同意を求めるが勘弁してもらえないだろうか。
超のつく金づちのリゼを泳がせようなど、もはや殺人を仄めかしているに等しい。
「行きたいなら二人で行ってね」
「リゼ! 今年は特訓しようよ」
「嫌よ。」
リゼは湖への行く手を阻む太い手摺に手を掛け、青く揺れる水面を眺める。
春の風は心地よく、何艘もの手漕ぎボートが湖の上を横切るのが見えた。
……まさに、春の陽気に浮かれるカップル達の巣窟である。
この街に越してきたばかりの時も、ここで同じような景色を眺めていたはずなのだが。
数週間前とは随分視覚から受ける感想が変わってしまったようだ。
街ですれ違うカップルらしき見知らぬ二人組を見ても、いつも全く他人事で無関心だった。
でも今は何となく目で追う。
そこに妬みはないはずなのに、勝手に視線がそちらをフォーカスしてしまうのだ。
今まで興味関心が皆無だったことだから、頭の中身の配置が歪んでしまったのだろうか?
自分の人生において僅かにも影響を及ぼさない現象だと信じて疑っていなかったのだが――
一体全体、自分はどこで道を間違えてしまったのだろう……
未だに諦めの悪い心の奥底でストライキを起こす自分。
彼女は警鐘を鳴らし続けている。
無駄だ、諦めろ、身の程を知れ、時間が勿体ない。
……どうせ、嫌な想いをするだけ。
選ばれるわけないでしょうが。
ぼんやりと水面に反射する陽光を眺め、地を這うような溜息を落とした。
隣で同じように景色を楽しむリタとリナは目を輝かせているというのに、心境は全く違うのだと思うと居心地も宜しくない。
相変わらずガーリーなファッションを好み、薄桃色のワンピースに白いカーディガンを羽織るリナ。
対して並ぶは、ボーイッシュな短パンと黒いタイツで活動的な装いのリタ。
それぞれ同じ容姿なのにここまで趣味が違うとわざとらしささえ感じる。
が、雰囲気でそれがぴったりハマるのだから不思議な現象だった。
リゼが彼女達の格好をしても何か違うというか、落ち着かない。
服の貸し借りがここまで難しい姉妹もそういないだろう。
リゼは視線を下におろし、自身の格好を確認する。
ファッションなどというものに一切関心のない自分が外出に着れる服など多くない。
適当な白シャツに膝上の蒼いスカート。風が強いから寒そうだと思って一応持ってきた上着を腰に巻く超適当スタイルである。
三人で買い物に出かけても行きたい先はバラバラ、更に洋服屋に顔を出しても趣味が合わない。互いのクローゼットは未知の世界。
顔や身体などの素材は悪くない――とリナやリタを見ていると思うのに。
どうもそれを、自分は生かせていない。
自分にもう少し胸囲があればこういう普通の格好でもそれなりに見えるのだろうが、絶壁とまでは言わないが主張できるほどでもなく。
例えばカサンドラのような豊かな胸があれば……と、考えてもしょうがないことを想像した。
彼女のスタイルの良さは何なのだ。
出るところはしっかり出る、女性の憧れ。理想のボディラインの持ち主を見た時は物凄い衝撃を受けた。
日頃贅沢に良いものを食べているはずなのに腰も細いし、本当に同じ人間なんだろうかあの人は。
「………。」
腕時計の針の位置を確認すると、二時を五分ほど過ぎたあたりだ。
本当に今日、ジェイクがここを通り過ぎるのかと未だ半信半疑のリゼである。
が、その心配はすぐに杞憂に変わった。
「――よう、偶然だな」
柵の前に並んでいた三人、その後ろから声を掛けられたから。
心構えを十分にしていたはずなのに、心臓が口から出るのではないかと言うほどドキッとした。
「ジェイク様、ごきげんよう」
普段と変わりなく慈愛の微笑みを浮かべるリナと。
「こんにちは~!」
若干気乗りしない様子で、自棄のように肩越しに振り返るリタと。
「――本当に偶然ですね、ジェイク様。
貴方も散策ですか?」
とりあえず、自分も彼女らに倣って振り返る。
当然のことだが、制服姿ではないジェイクを見るのは初めての事だ。
腰に長剣の鞘を帯びている以外は、そのあたりを歩く街の青年らと何ら変わらない格好である。
だがやっぱり格好は普通でも常人ではないのが雰囲気で分かるというか。
成程、これが特別な人間かと納得せざるを得ない。
元々派手な色合いの髪だからとか、そういう些末な問題ではなく彼らは存在そのものが目立つのである。
同じ人間のはずなのに不思議なものだ。
「良い天気だからな、こっちまで足を伸ばしてみたんだ。
お前たち、そろそろこのあたりにも慣れてきた頃か?」
わー、めちゃくちゃ白々しい。
顔色一つ変えない彼とのやりとりは茶番でしかないが、もしも傍で様子を見ている知人がいても――
これなら、待ち合わせのような状態だとは誰も思うまい。
裏を返せば、一般生徒と会うだけでここまで根回ししないと面倒な事態になるということでもある。
学園で話しかける機会が全くないわけではないが、どちらかが会うのを避ければ捕まえるのは難しいだろうな。
「少しくらい時間あるよな?
こっちに座ったらどうだ」
そういって彼は近くの木造りのベンチを指差した。
お洒落スポットに相応しく背もたれに装飾を施されたベンチ。それらは二人掛けで等間隔に設置されている。
――ジェイクは、自分に会いに来たわけではない。
無理なく自然にアピールする術など知らないリゼは、どうしようか少し悩んだ。
「折角ジェイク様が声をかけてくださったんだから。
リタも座ったら? ほら、こっちこっち」
一瞬の逡巡の後、リゼは端から二番目のベンチにリタを座らせた。
端っこの方に逃げようとする彼女の背中を押して。
ジェイクはリタの隣にサッと腰を下ろし、足を組んだ。
想像通りで予想通り。
二人掛けのベンチにリタとジェイクを座らせたあと、リタ側の隣のベンチにリナと一緒に座ることにした。
「リゼ、この位置関係ではお話が……」
座る直前、リナが眉をハの字に下げて耳打ちする。
リナ、リゼ、リタ、ジェイクの並びではとてもジェイクに話しかけることなど不可能である。
やろうと思えばできなくもないが、多分、果てしなく迷惑そうな顔をされそうだ。
「いいの、これで」
どうせ彼の隣に座ったところで、彼の今の興味はカサンドラの言が正しければリタに偏っているのだ。
むしろ妹に会いたくてこんな迂遠な方法で接触を図ってきた。
それを遮って邪魔者扱いされる方が耐えられない。
実際に視界に映るジェイクは、こちらには僅かたりとも目もくれずに隣のリタに話しかけている。
初っ端は上擦る声で挨拶をしたリナも、次第に彼の存在に慣れてきたようだ。
身長が高く騎士と言う身分なので、他人を圧倒する存在感を持っている。
が、蓋を開けてみれば普通の少年に過ぎず砕けた口調なので考え込みながら話をする必要もないジェイク。
それは確かにリタにとっても与しやすく接しやすい相手なわけだ。
打ち解けるのにそう時間はかからないだろう。
……自分でもなんでこんな状況を作っているのかと自問したくなるけれど、どうしようもない。
まぁ、ジェイクが楽しそうに話しているし。
今はこれでいいか。
リタに会うためにという目的を聞いた時、その場に自分もいれば少しは彼の目に留まるかな? とか。
楽観的に捉えている部分もあった。
何より、学園の外で彼に会える機会なんて今後いつ訪れるか分からない。
おまけ状態でも同席できる方の利を取ったのだけど。
彼の隣がリタじゃなかったらイライラしたかもしれないが、この状況ならしょうがないか。
今の位置からジェイクを凝視するのも不自然なので、リナと適当に会話を続ける。
リナも気を遣って全然違う話題を広げてくれるものの、申し訳ないが上の空。
自分の耳はリタとジェイクの会話だけをしっかり拾っている。
人の声なんて今まで気にしたことは無かった。
でも彼の声はとても聴きとりやすく、低音気味だが耳触りが良い。
何より、口調は貴族のお坊ちゃんのものとは思えない砕けたものなのだけど……
口は、悪くない。
さっぱりした物言いなだけ。
きっとリタとも仲良くなれるはずだ。
最初は何かの行き違いか何かで幻滅してしまった相手でも、過ちを自覚して頭を下げることも厭わない姿は最初の印象を打ち消すのに十分だろう。
……――ズキッと心が痛い。
『 人の気持ちは 移ろいやすいもの 』
カサンドラの言葉が脳裏を過ぎる。
膝の上に置いた手を、固くぎゅっと握りしめて俯く。
今、リタはラルフの事が気になって仕方ないと毎日言っている。
取り巻きの一員になりたいとは思っていないようだが、講義の最中ずっと彼の方を見ていることは知っていた。
もっと真面目に勉強しなさいよと呆れるけれども、彼女は毎日楽しそうだ。
ガサツでドジっ子な割に、童話のお姫様に憧れる普通の女の子だ。
万が一、今こうして普通に会話が出来るジェイクと言う存在を彼女が気に入ってしまったらどうなるのだろう。
もしそうなら?
リタの気持ちが、移ったら?
自分は絶対勝てな……
「ああ、そうだ。
来週からの選択、当然武術関係の受けるんだろ?」
「いえ、私はしばらくそっち系を採る予定ないんですよー」
当然来週から始まる午後からの選択講義は、剣術や体術などの身体能力を使うものを選ぶのだろう。
ジェイクでなくてもそう思っただろうし、現にカサンドラからアドバイスをもらう前までは案の定彼女の予定は剣術だの馬術だの体術だの、そういう運動系極振りであった。
テーブルマナー? 礼法作法? 何それ美味しいの? 状態だったと記憶している。
絶対にそんなものに望んで手を出すと思わなかったリタ。
ラルフのためだけに決意し、震える指で選択講義を書き換えたときは感動した。リゼも人の事は言えた義理ではないが。
全く悪びれた風もなく、ハハッと笑い交わした内容にジェイクは呆気にとられたようだ。
「いや、俺は剣術は絶対採るが…
それに今年の講師、師団長に声かけて特別に呼んだって話でな。
ライナスのことは俺も知ってるが、腕は確かだ。興味があるなら絶対お勧めだぞ?」
「そうなんですかー、でも私は他に受けたい講義がありますから。
残念ですね!」
あちゃー、と額を手の先で叩くリタ。
ノリの軽い彼女の反応を見るに、絶対気づいていない。
自分がジェイクに気に入られて個人的に会いたいと思われていた事なんて全く気づいてはいないのだ。
一緒に講義受けようって誘われてるのにガン無視か、我が妹ながら……!
「あ、それよりですね!
折角ですからジェイク様にお聞きしたいことがあるんです!」
それよりって。
折角彼が一緒に受けようって言ってくれてるのにこの子は!
「何だ、改まって」
急に思い立ったように座ったままファイティングポーズをとるリタ。
自分だけではなく、自分達三人姉妹には恋愛経験が一切ない。
だからこそ三人とも「うーん」と腕を組んで悩む毎日なわけだ。藁をもつかむ思いでカサンドラに相談をしたのも、全てはそのせい。
自分が誰かを好きになるなんてありえないね、困ったね! という意識までは持てても。
誰かから自分が好かれている、好意を持たれているという自覚も経験もないのだ。
恐ろしいことに、直接ジェイクとここまで話をしていても彼女には毛の先程も気づいていない。
何ならただの運動仲間、話が通じる奴くらいの意識しか持ってない。
長年一緒に過ごしてきたリゼだから分かる、彼女の空気の読めなさ。
相当な鈍感さ――……!
こいつ、何を言い出すつもりだ!?
リゼとリナは互いに固唾を飲んでリナの次の台詞を待った。
「ジェイク様はラルフ様のご友人ですよね?
もしも宜しければ、ラルフ様の色々教えて欲しいんですけど!」
………。
…………。
「………は?」
………。
その無言の闇に、風の音だけが木霊する。
春なのに急に寒気が!
なんなんだこの居たたまれない空間は……!
ここは針の筵の上か…?
鈍感とかそういうレベル振り切ってるだろう、そこでよりにもよって違う男の名前を出すか!
全く悪意も皮肉もない、これが素だから恐れ入る。
「ふーん、そうか」
だが意外にもジェイクは一切表情を変えることも、態度を崩すこともなかった。
変わらず、呑気な口調でリタに話しかける。
「ラルフのことが知りたいのか?
じゃあ教えといてやる。
あいつはさ、そっちの子が好みなんだって――前に言ってたぞ」
”そっち”。
ジェイクの指の先はリタを越え、リゼを越え。
完全におろおろと成り行きを見守っていたリナの方を向いて制止したのである。
「え、ええ?
えええ? わ、わた…私が、何か……!?」
完全に場外、蚊帳の外状態で放っておかれたはずの自分達。
だが急にリングの上に引きずり出されたリナは、泡を吹いて倒れんばかりに驚き戸惑う。
完全に目が回っている…!
一層蒼白になるリナの肩をがしっと掴み、リゼは猛然と立ち上がった。
このままでは皆が大変な精神状態に陥ってしまう。
これ以上の混乱は収拾がつかない。
自分が…自分が忽ち何とかしなければ!
「ジェイク様! あちらに飲み物が売ってます!
私、喉が渇いたので人数分買ってきますね。
リナ、貴女も一緒に来て。一人じゃ持ちきれないから」
放心状態のリナを引きずるように、リゼは忽ちその場から離れることにした。
妹の腕を引っ張り気合で前進し、ドリンクを扱う露店を殺気立った顔で探す。
漸くリゼは気づいてしまったのだ。
――もしかして、これ。
三角関係どころの騒ぎじゃなくない? と。
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