第19話 彼に初めて感謝した日


 何に最も気を遣ったかと問われれば――


 ジェイクに対し生徒会室に来い、と伝えることだったと答えるだろう。

 常に誰かが傍にいる彼に内緒話など中々できるものではない。


 しかも自分はカサンドラ。

 あまり大っぴらにジェイクに接触を図っている姿を見られてしまえば、面倒なことになりかねない。

 何でこっちが彼に話を持っていくのにここまで気を遣わなけれないけないのか、とかなりイラっとした。


 食堂へ移動し席に着く直前。

 彼の傍をさりげなく通過し、『生徒会室』と静かに囁くので精一杯。

 自分は悪役令嬢ではなくて実は間諜スパイだったのではと錯覚を覚えた瞬間である。

 こんな胃と心臓に悪い”打ち合わせ”など二度とごめんだ。

 シリウスに聞き咎められなかったかと全神経を集中させたが、幸い彼は隣に座る王子と歓談中。

 それでも彼は耳聡い、細心の注意を払ったつもりである。


 余りにもささやか過ぎてジェイクが気づかなかったとしたら、また来週に持ち越せばいいのだ。

 面倒なことは早めに済ませておきたいというカサンドラの気持ちの持ちようであって、明確な期限など取り付けていない。


 だから昼休みにジェイクが生徒会室に来なくても、一切の問題はない。

 どのみち金曜の午後は必ず生徒会役員会が放課後に開かれるのだ、議事進行準備のために用がある。これはこれで面倒な仕事なのだけど。




「お前、昨日の今日で話早くね?」


 それは誉められていると捉えていいのだろうか。

 カサンドラより遅れて五分、ジェイクは生徒会室の扉を開けながらそうぼやく。


 そんな迂闊な発言を、室内を確認しないままウッカリ口にするな。

 幸い一人きりだったからいいようなものの、他の役員が出入りしていたら何事かと思われてしまう。


「ジェイク様たってのご要望ですもの」


 厄介ごとは先に終わらてスッキリしたい。

 そんな本音をひた隠し、カサンドラは社交用の微笑みを讃える。


 椅子から立ち上がり、忽ち資料をひとまとめにして置いておく。

 週明けに起こった事件のせいで、臨時役員会は開かれるわ綱紀粛正の周知徹底のため役員が奔走するハメになるわ…

 役員になった瞬間から大変な目に遭ってしまったカサンドラ。


 この学園で今、恋だの愛だの浮かれたお花畑を展開する生徒諸君には大変可哀そうなことだが、シリウスが役員幹部をしている以上諦めてくれと言わざるを得ない。

 王子が学園で過ごす、そして自分達も。

 ――あまりにも野放図だと示しがつかない、というシリウスの気持ちも分かるのだ。

 男女間の問題は、それだけに留まらないものだから。

 十五歳という多感な時期であることもまた、神経を尖らせる要因にもなっているのだろう。


 現在ジェイクがまさにお花畑な生徒なのであるが、流石に空気を読んで三つ子の”み”の字も普段会話に出してこない。


「で、何か進展があったのか?」


「はい。皆様にお話を伺ったところ、快諾をいただきまして」


 リタはかなり浮かない顔をしていたが、「これもリゼのため、リゼのため」と自身に言い聞かせているようだった。

 カサンドラが直接リタとリナに話をしたわけではなく、熱烈要望のリゼに説得をお願いしてもらったわけだが。


 果たしてリゼはどんな説得を試みたのか、カサンドラは想像するのを早々に諦めた。

 リナはジェイクのことに興味はないようだが、特に嫌な顔もせず承諾してくれたようだ。こんなジェイクの我儘にも文句ひとつ言わず優しい、まさに天使。


 すると彼はパァッと顔を明るくした。

 その裏側の感情を感じさせない笑顔は、確かに眩しい。

 カサンドラの姿でそんな顔にお目にかかれるとは思っていなかったので、多少狼狽してしまう。


「そうか、仕事が早いな!」


「恐縮ですわ」


 確かに一日前に頼んだことを、次の日に段取りをつける――というのは中々難しい事である。

 あまりにも近い日付で予定を組んで声をかけたら、相手を軽んじているのかとお叱りを受けるだろう。

 そういう意味で、デイジー嬢もよくも直前の誘いに乗ったなと感心したわけだ。


 貴族のお嬢様は休日も予定で忙しいのだ。


「急なお話でジェイク様には申し訳ございません。

 次の日曜日の約束でも宜しかったでしょうか」


「……本当に早いな、明後日じゃねーか」


「ええ、善は急げと申しますもの」


 ジェイクから情報をもらい、取引をしたのは事実だ。

 その情報がどれだけカサンドラにとって役に立たないものだとしても、約束した以上は遂行しなければいけない。

 物凄い不公平感を感じずにはいられないが、致し方あるまい。


 それに、なんだかんだリゼにとっての好機であることに変わらないのだ。

 今はリタと一緒くたに会う話になっているが、上手く事が運ぶなら次回はジェイクと直接会えるようになるかも。


 いや、正直こんな序盤で本人に会うのはスケジュール的にちょっとまずいところもあるのだが…

 休日デートとか言ってる場合じゃない。


 だが全く他人として自分磨きだけを強要されるより、ジェイクと個人的に話ができる状態の方がリゼのモチベーションは上がるだろう。

 そう自分に言い聞かせている。既に賽は投げられているのだ。


「王都の大広場に湖が一望できるエリアがあることをご存知でしょうか?

 明後日、三人はそちらへ出向かれる予定になっております。

 そちらに偶然ジェイク様が通りかかる――という段取りでいかがでしょうか」


「ふぅん、成程?」


 彼も頷く。

 赤く燃えるような真っ赤な髪が上方で揺れる。

 本当に鮮やかな色だ。


「大広場だな、了解」


 カサンドラの私邸に招待するのもおかしな話だし、ジェイクの私邸などもってのほかだ。

 休みの日に生徒会室を開けて、というのもかなりリスキー。

 寮の談話室を使うというのも考えはしたが、どう考えても他の生徒の好奇から逃れることは出来ないだろう。


 かと言ってお洒落なカフェで待ち合わせというのも、知り合いに見咎められたら面倒この上ない。

 第一、なんで三つ子侍らせてハーレムデートみたいな状況を作ってやらねばならないのか。

 そこまでの義理はないわ。


 だから三つ子のいる公共の空間に偶然、たまたまジェイクが通りかかったという演出にしようと考えた。

 これなら特に用意する必要がないし、予約もいらない。

 気まずくなったり、三つ子の誰かが帰りたいと思えばすぐに立ち去れる環境だ。


 万が一学園の生徒に見咎められても、クラスメイト同士が広場で会話をする姿だけなら不自然には思うまい。

 外的要因に左右されやすい点は問題だが、ただの話のきっかけを作るだけなのだ。

 最中の事までカサンドラが頭を使う必要を感じなかった。


 自分は見合いをセッティングしてる近所のおばさんじゃない。


「勿論、そこにお前はいないんだよな?

 まさかついては来ないよな」


「………。

 その心積もりでおりますわ」


 前述したとおり、カサンドラは三人の保護者でもなんでもない。

 ただの仲の良いクラスメイト。

 そしてジェイク本人とも、本来敵陣営であり通じることがあってはいけないもの。


 場所を設定さえしてしまえば、カサンドラが同席する必要がない。

 むしろジェイク的には邪魔なだけ。


 積極的に邪魔をするつもりも応援するつもりもなかったが。

 面と向かって邪魔者扱いされると鳩尾に拳を埋めたくなるな、本当調子の良い男だ。

 

「時間は午後二時前後となっております。

 長時間三人でひとところに留まるのもおかしな話ですので、よくよく時機を見計らってお声がけくださいませ」


 そのあたりのタイミングなどはジェイクも常識のある少年だ。

 程よい頃合いを見計らって、三人で睦まじく会話する彼女たちに声を掛けることくらい造作はなかろう。

 ちゃんと事前に彼女たちに了承を得ているのだ、これで納得のいかない結果になってもカサンドラは責任を負いかねる。 



「ああ、助かったぜ。

 ……それじゃ、駄賃代わりに俺からも一つ。


 アーサー、星空見るのが好きなんだとさ。

 俺も寮住まいになってから、初めて知ったんだけど」



「あ、あら。ありがとうございます。

 貴重な情報ですわね、ジェイク様のお気遣いに感謝いたします」


 頬に手を当てて軽く微笑むが、カサンドラの脳内はクラッカーを鳴らし大太鼓を叩く大騒ぎだ。


 一体どうして星空が好きなのかは聞いていないようだが十分だ!


 星空、素晴らしい! ロマンチック!

 誰にでも嗜めるという点でも十分すぎる。

 ここで急に登山が趣味とか言われても困っただろう。


 王子の情報が一つ増えた…!


 今はジェイクの存在が普段の三割増しで輝いて見える。

 この世界に転生してジェイクに本心から感謝した、貴重な瞬間であった。


 当然彼も昨日の段階で思い出し、気づいていたはず。

 成程、ちゃんとジェイク本人が納得できる話をカサンドラが持って行って初めてということか。


 単純な脳筋青年だと思っていた事を、心の中で伏して謝罪することにした。




 

 ※




 早速午後の授業も終わり、後は生徒会の役員会議が残るのみとなった。

 ハッキリ言って王子の婚約者という立場でなければ、誰がこんな面倒な役回りを受けるのかと思うような余計な仕事である。

 この学園は貴族の子女のため、王国にとって多大な貢献をすることになる者のための集い。だがそれはあくまでも副次的な目的である。

 大本は、王族が入学し彼らが恙なく諸侯の子女をまとめ治める――王様教育の集大成にと設立された教育機関だ。

 そのためだけに学園があると言っても良い。

 王族の在籍しない学園は学園に在らずと、教師は思っているのだろう。

 でもその平穏な時代を是非とも体験してみたかったとカサンドラは切望してやまない。


 講義終了の鐘とともに、それまで大人しく席に着いていた生徒たちが一斉に立ち上がる。

 そして最前列で講義を傾聴していたアーサー王子の周囲に女生徒達がわっと集まった。


 まるで砂糖菓子に群がる蟻、花の蜜に吸い寄せられる蜂のよう……


 王子が生徒会の仕事があることは皆承知している。

 彼が静かに移動を始めると、その群れはぞろぞろと大名行列のように後をついて広い室内から姿を消す。

 そして廊下にも別クラスや他学年の生徒が殺到し、偉い騒ぎだ。


 何人なんぴとたりとも王子の移動を妨げることは許されないという不文律のおかげで許されているようなもので、王子が立ち止まって会話に応じる間は光のシャワーが降り注ぐかの光景と化す。

 統率が取れているのは凄いことだが、その様子を毎日のように目の当たりにするカサンドラとしては複雑な気持ちである。


 自分は、むしろ彼女達以下の存在なのではないか。

 彼に正面から話をしてもらえる機会なんて、一体どれだけあったか。いや、これからどれほどあるというのか。


「全く、あの方たちには困ったものですわね。

 カサンドラ様、皆様に一度ご忠告されても宜しいのでは……?

 歯止めというものも必要ではないでしょうか」


 まるで我が事のように憤慨する様子を見せるのはデイジー嬢だ。

 カサンドラと言う正式な婚約者がいるのに、何も注意されないことを良いことにべったりひっつくような振る舞いを行う。

 別のクラスの特待生が一度王子に寄り掛かったという話も聞いたことがある。


「デイジーさん、そのような言動は慎むべきですわ。

 王子がお赦しになっておられるのです、わたくしが如きが指図することではありません」


 実際王子が困っているのかどうかと考えると、本当に表情が読めない。

 チラっとでもこちらを見て困り顔でも見せてくれればカサンドラが動くことも吝かではないのだ。

 だが彼は常に変わらない態度、アルカイックスマイルで周囲に平等に接する王族としての素質が標準装備。

 彼は彼なりに令嬢たちとのやりとりで得るものがあるから付き合っているのかもしれない。

 本人に頼まれもしないのに、カサンドラが意気込んで令嬢を追い払って果たして王子は善としてくれるのか。


 それに令嬢たちもカサンドラが傍にいればサーっと引いて自分を尊重してくれる。

 自分の前でもべたべたされたら一言注意して然るべきかもしれないが、皆道理を弁えている。

 中々難しい立ち位置であるとも思う。


 それではごきげんよう、とデイジーに手を振って講義室を出る。

 生徒会室に向かう廊下は王子やラルフ達の周囲に人が集まっていて、とてもではないがその横を通り抜けていく蛮勇がわいてこない。

 変に周囲に気を遣わせ、王子と二人きりでどうぞどうぞ、と言われてもカサンドラは困る。


 多分近くにいるラルフやシリウスは『他家の令嬢に冷徹で狭量な王妃候補』と非難の視線を浴びせてくるだろう。

 恰も嫉妬にかられたカサンドラが追い払ったように悪くとるだろうな。


 その光景が容易に想像できる。

 別にカサンドラが頼んだわけでもない自発的な他人の行動さえ、彼らにはマイナスの印象を与えてしまうのだ。

 なんと恐ろしいフィルターなのだろう。


 鞄を持つ手を握り直し、回れ右をして反対側から一階の生徒会室に向かおうとするカサンドラ。

 危険予測回避は大事である。


「流石カサンドラ様、寛容なんですね」


 そんなカサンドラに声を掛けてきたのはリゼだ。

 隣にはリナ、リタも一緒。


 挨拶と共に日曜日のことは既に告知済みだと添えると、彼女らは三様の反応を示す。

 本当に全く違う彼女達の所作を見て『同じ』だなんて言える人の目は絶対節穴だと思う。


 煌びやかな貴公子たちの存在が廊下の端に移動していく様を眺めるリゼは、もう一度「寛容ですねぇ」と感嘆する。

 デイジー嬢のように、彼女たちに王子に近づくなと一喝しろとでも言いたいのだろうか。


「リゼさんも同じではなくて?

 あの方の傍にいらっしゃるのは男子生徒ばかりではございませんでしょう?」


「え? 私が彼女だったら問答無用で群がる女子どもに足払いかけてますよ?」


 しれっと物凄い発言をするリゼに二の句が継げず、無意識に口角が上がった。


「今だって、ジェイク様の傍にいる生徒の家なんか没落すればいいのにって思ってますが」


「リゼ。あまりにも言葉が過ぎます!」


 はぁ、と嘆息交じりにリナが窘めた。悪びれた風が一切ないリゼの物言いはいっそ清々しい。

 リナも三つ子と言うだけでひとくくりに扱われているが、かなり不本意な状況だと思われる。


「でも王子様、寂しいんじゃないですか?」


 リタは首を傾げ、カサンドラの理解を超える爆弾を投げつけてきた。


「だって他の女性と話しても自分の婚約者が全然気にせず嫉妬もされなかったら寂しくないですかね?

 私だったら、ちょ~っとくらいは焼きもちやかれたいかもです!

 私に興味ないの!? ってショックかも」


 ちょっとくらい、と言いながら自分の親指と人差し指で隙間を作る。


「あ、分かるわ、それよそれ!

 一生に一度くらいは『俺の女に手を出すな』とか言われてみたい感じ」


「ははは、リゼもいきなり乙女だねー、以前だったらそんな台詞も出てこないよ」


「うるさいわね!」


 リゼは持っている鞄で妹を小突こうとしたが、リタは持ち前の反射神経で軽やかにそれを回避する。


「二人とも、カサンドラ様と王子はただの恋人という関係ではないのよ?

 国から承認を受けた皆様公認の婚約者なのです!

 私達のような一般人の感覚と比較するなんて、とっても失礼よ。

 未来の正妃様が、このような学園での囀りなど一々気にされるわけないでしょう!」



 ……リナが二人を諫めようと真面目に諭しているのを眺め、カサンドラの心は大嵐が押し寄せていた。


 いや……

 そりゃあカサンドラだって嬉しいわけじゃない。

 不快な気持ちもあるのだけど。

 でもここで自分がしゃしゃり出て場を乱そうとすれば、



  単なる親同士の約束なのに嫁面されて ウザい



 とか王子に思われる可能性もあるわけで!


  


 王子は寂しいとかそんなこと絶対思ってないですよね!?

 それとも、よもや。

 こんな状態を放置する婚約者に静かにお怒りでいらっしゃる可能性も…?


 聞けるわけがない、どんな顔をして聞けばいいの。

 自意識過剰にも程があると嫌われてしまったら……


  


 リナの言葉が刃と化し、眼前に突きつけられる。

 逃れようのない、現実。





  人の恋路に首突っ込んでる場合じゃない。


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