第17話 取引の末に得たものは



「……はぁ?」


 大層たっぷりと間をもたせ、ジェイクは唖然とした表情をカサンドラに向ける。

 彼の橙色の瞳がじっとこちらを凝視しているのが見て取れた。


「なんだよ、それ」


 彼は嗤うのを抑えきれないのか、口角を上げる。

 相手の粗を見つけた時特有の、人を小馬鹿にする顔つきだ。


「お前本当にアーサーの婚約者か?

 だとしたら、どう考えても失格――」


 すぐそうやって難癖を付けてくることくらい分かっている。


 彼らはカサンドラがアーサーと婚約をしている事に表立って賛成はしていないが、出来れば反故にして欲しいのだと思っている。

 少なくともレンドール侯爵家の者が大手を振って王宮入りすることを喜んではいないだろう。

 彼ら王を支える御三家にとって、多くの地方諸侯を束ねるレンドールの影響力は扱いが難しいはず。

 中央のために莫大な租税を納めているから、何も言わないだけで。


 田舎と言ってもレンドール侯爵家の歴史はこの国よりある意味長いものだ。御三家が総力を挙げて追い落とすよう画策するより、反抗的な地方豪族をとりまとめてくれるレンドールをこのまま利用した方が良い――ということで今に至る。

 このまま田舎にすっこんでろ、と言いたいのを抑えている状態なわけだ。


 彼らは警戒しているのだと、この二週間弱でようやくはっきり思えるようになった。


 レンドール家が王家の外戚となって中央進出を目論んでいると勝手に勘違いをしている。

 だが国王様が取り決めた婚約話を正当な理由もないのに邪魔出来ない。

 故にカサンドラがこの学園で失脚すればあちらさんは諸手を挙げて喜ぶわけだ。

 だから殊更、カサンドラの揚げ足を取り続ける。


 そういう事情が根底にあるが、疑問に思うのは当然ゲーム内の設定にそんな事情はなかったということ。

 そもそも攻略対象の実家がクローレス王国で御三家と呼ばれるなんて話も出てこなかった。主人公には直接関係のない話だからだろうか、庶民出身には貴族社会の細かい事情は知る必要はないだろうし。

 攻略対象達も出来ればそういう面倒でドロドロした諸事情は見せたくないと思うだろうし。


 ――シナリオに影響を及ぼさない範囲で、この世界はそういう設定を創り出している。それが何を意味するのかは、分からないけれど。


 ああ、でもそれなら多少納得は出来る。

 何故カサンドラは

 攻略対象がカサンドラの失態、不道徳を公の場で暴いて見せたのはそういう事情もあったからだと推測すると、確かに辻褄は合う。

  

 愛する主人公を守るため、何よりカサンドラを合法的に追放するため。

 カサンドラに言い逃れの余地を与えない状況で糾弾することにした。

 ゲームでは当然見えてこなかった側面であるが……


 攻略対象達、パーフェクトムーブじゃない!?

 政敵になりうる有力貴族を失脚させ得る面子潰しの一手を指しつつ、主人公と正式に恋仲になりゲットする……!

 二兎を追いつつちゃっかり二兎を得る。


 恐ろしいな。本当に恐ろしい男たちよ……!


 製作側がそこまで考えていた可能性も勿論高いが、前面に出さなくて正解だ。

 惚れた男の計算高さに乙女ドン引きだわ。


 そう仮定してもしなくても、ゲームの中のカサンドラがあまりにも哀れな道化師ピエロすぎる…!

 自分の失脚を虎視眈々と狙う攻略対象にあんなに後先考えず無遠慮に迫ってたのか。

 主人公の邪魔ばかりして……。

 もしかしなくても、すごくおバカな子?


 まぁ、三人とも顔は良いからね、面食いならふらふら引き寄せられてもしょうがないね、と少しだけ自分ではないカサンドラを擁護する。

 なんだか不思議な奇妙な感覚を覚えむずむずした。


 攻略対象達と違って、カサンドラはただのライバルで悪役令嬢キャラだ。

 だから彼らほど語られる設定も少なく、アレクのような原作で存在しなかった人物が生み出されることになった。

 語られない分だけ、この世界を造った神に等しい何かとやらも裏の設定を付け加えやすかったのかも。



 それにしても――

 王子のことを尋ねただけで、婚約者失格とは。

 敵とは言え、良くも言ってくれたものよ。


 カサンドラは肩にかかる金の髪を手の甲で払い、反対の手を腰に当てる。

 彼に負けないよう背筋を伸ばし、眦を尖らせる。


 遠慮は要らない、ここでジェイクに傅いて媚びをうることはカサンドラには許されないのだ。




「ジェイク・フォル・ロンバルド様。

 貴方の大切な愛馬ラウドルークはお元気かしら?」


「……は? お前なんで……」


「それに、存じておりましてよ?

 貴方が騎士を志した理由は、従姉様の事件が原因なのでしょう。

 背中の切創痕はその時のものだということも」


「…………なんで、お前が、そんなこと…!?」


「母親違いの義弟グリム様。

 彼は今頃僻地療養から御戻りではありませんの?

 ……きっとこれからお屋敷では、お方様もご苦労なさるでしょうね。さぞ心痛でございましょう、お察しいたしますわ」


「――待て!」



 ジェイクが額を抑え、殺気を隠さず声を荒げた。

 自分の家庭事情を言って回ることなどない彼は、容易く揺さぶりに引っ掛かる。


 ここにいるのが比較的単純なジェイクで本当に良かった。

 尤もジェイクでなかったら厚顔にもカサンドラに依頼をするなんて動きは思いつかなかっただろうから、ある意味では必然か。


「カサンドラ、お前、こそこそと俺を嗅ぎまわってやがったのか?

 なんのつもりだ…!」



「ホホホホホ!

 勘違いなさらないでくださいませ、ジェイク様!

 わたくしにとって、この程度の貴方に関わる見聞など”たまたま”知った些事でしかありませんの」


 齢十五歳にしてここまで高圧的な高笑いが似合う容姿の持ち主カサンドラ。

 適正とは恐ろしいものだ。自分でも自分が怖い。


「貴方の愛馬の名? 誰がジェイク様の馬の名に価値を見出して?

 従姉様の事の顛末など少し調べればわかること、そして貴方は結果的に騎士とお成りになったのです。今更その契機を語ることでわたくしに何の意味が?

 グリム様とてわたくしが吹聴せずともいずれ皆さまに紹介いただく事でございましょう?

 わたくしにとって今申し上げましたことは全て益にもならず、ジェイク様にとっても聊かの駆け引き材料にも足り得ぬもの。


 善くお聞きになってくださいませ。

 ――これらの全ては王子のことを知りたいと行動した結果に得た……

 まさしく副産物でしかありませんのよ」


 別にジェイクのことを探りたくて得たものではないということを衝撃の上に重ねてやる。前世で彼に主人公として付きまとっていて得た情報だから嘘をついているという罪悪感で胸が痛かったけど。

 はったりは大事だ。

 この世界でジェイクのことを知る手段などカサンドラは持ってない。限りなくズルをしているという自覚はあるが、仕方ない。


 彼の”事情”を前世のゲームで知っているのだ、ジェイクはさぞ不気味だろう。

 赤い髪の少年は、あたかも悪意あるストーカーに立ち向かうかのような顔になって睨む。


「………。

 どういうことだ。

 それだけの情報を得る手段があるのに……アーサーのことを何も知らないだと?

 そんなことがあり得るのか…?」


 ジェイクの私邸にカサンドラの間諜でもいないと知りえないこと。

 出来る限り表に出さないようにしていたことを正面から突かれて動揺する彼は、カサンドラの言いたいことに気づいてくれたようだ。


「わたくし、王子との婚約話の打診を受け、内々に裁可が降りるまで殆どお姿を拝見したことがございませんの。

 何分、田舎の地方貴族なものですから?

 名ばかり御大層な爵位を戴いてはおりますが、ロンバルド侯と我が父が同列の位など分不相応にも程があると常日頃より恐縮の極みですのよ」


 ジェイクの外部に漏らされたくない情報を元に、彼を脅したいわけではないのだ。

 要するに、これだけ細かい情報を王子の側近であるジェイクから気づかれず得る手段があるにも関わらず――


 それでもなお、王子のことを杳として知らないままのカサンドラ。

 その異常事態に気づいて欲しかった。


「わたくしは皆様が仰る通り王子の将来に及ぶパートナーとして、あの方の最も近しい理解者でありたいのです。

 ですが気持ちだけでは如何ともしがたいもの。

 王子がどのような方でいらっしゃるのか、わたくしは世間様において語られる噂以上の何をも存じ上げないのですわ。

 ジェイク様の仰る通りいつまで経っても『失格』のまま、それがわたくしは大変嘆かわしく心苦しいのです」


 折角同じ学園に通って親交を深められると思っていたら、側近どもがカサンドラを排除するように動いてくる。

 王子もその側近どもの婚約者事情を慮ってこちらを避ける!


 この状況下でカサンドラが王子の情報を集め、彼に相応しく振る舞い『信頼される』などできるわけがない。

 シリウスあたりはそのあたりも計算して敢えてカサンドラの評判を下げる方向で動いているのだろうが。

 彼は父親の宰相に薫陶を受けている身、シリウスのイメージは外見の綺麗な痩せた黒タヌキで間違いない。

 ただし主人公相手は除く。一度懐に入れた後の猫かわいがりぶりはビフォーアフター担当の面目躍如である。


 ジェイクはそこまで考えが及んでいないはず。

 カサンドラにアタリが強いのは、カサンドラが彼が大嫌いな、偉そうで高慢な貴族のお嬢様、ついでに親が気に入らない家の娘! という属性のせいだと推測できる。

 悪役面構えの令嬢なんか意地悪だし王子の相手には役者不足も甚だしい――そんな気持ちもあるのだろう。


「わたくしは王子のことを知りたいのです。

 存ぜぬ御方の歓心をいただくことなどわたくしにはできませんもの」


 少なくとも、彼は正義感の強い少年だ。

 カサンドラの言葉をあからさまに歪んだ形で受けとりはしないはず。


 ……でも悪役だから、こういうのも彼にとってはマイナスポイントとして加算されてしまうのだろうか。


 少々勢いが出すぎたかもしれない。

 今までこんな本音を吐露できる機会などなかった。

 ジェイクがこちらに依頼をしてきたからこそ、こちらもと遠慮なく言い放つことができたわけだが……



「っ…! ハハハハ!」


 彼もカサンドラに負けない勢いで、それこそ近くの机を拳でドンドンと叩く。

 止めろ、馬鹿力で机の脚が折れる。


「こんな情報収集力があるコイツも完全ガードするとか、アーサー凄すぎだろ。

 ……まぁ……分からんでもないな。

 あいつに対する中身のある情報、ね。……中々難しいだろうさ」


 彼は完全に愉快愉快と楽しそう。

 こっちはこんなに冷や冷やものだというのに。

 掌に掻いた汗を悟られないよう、ぎゅっと握る。


「取引ね、いいぜ。

 こっちもお前の協力が欲しいんだ、それくらいなら構わない」


 あっさり拍子抜けするような展開だ。

 全身の力が脱力しかけたが、ジェイクはニヤニヤと、それはもう楽しそうだ。

 これを愉悦というのだろうか、カサンドラの嫌な予感が、予感どころか警報を発令している状態。

 でも逃げも隠れも出来はしない。




「教えてやろうか? アーサーのこと」





 そういって彼が語り始めた『友人』の姿に、カサンドラは言葉を完全に失ってしまった。






 ジェイクの話を総合すると、アーサーはそれはそれは、どの分野も押しなべて優秀な王子様。

 容姿端麗、眉目秀麗、品行方正。

 穏やかでアルカイックスマイルを絶やさない王族の鑑。


 ジェイクの趣味にも寛容で乗馬も得意、剣術も得意、身体能力も高い。誘えば一緒に遊んでくれる。

 シリウスの政治談議にも普通に応答でき、勉強の面でも秀でている。

 ラルフのように社交界で活躍するのに浮いた話の一つもなく、令嬢たち全てに分け隔てなく紳士に接する貴公子。

 絵画もそこそこ嗜み読書も嫌いではなく、誰かを悪く言うことは一度もない。

 

 三者三様の個性ある幼馴染を持つ彼は、そのどの側面も幼馴染には及ばないものの――彼らを十分満足させるだけの技量を備え、謙虚でどこか鈍感で。





 ――どんな完璧超人!?

   実在することに絶句するレベルだ。



 こんな情報を、情報と呼んでいいのか。噂をそのまま集めて凝縮しただけじゃないか。



 もっとこう!

 もっと、意外性のある趣味を持っていたりだとか、欠点というか!

 熱心に興味を持って携わっている分野があったりだとか!


 彼個人、特有の失敗話とか思わず語りたくなるような過去話とかないの!?


 カサンドラの固まった表情を覗き込み、ジェイクは小憎らしい笑みを浮かべるのだ。

 

「アーサーはな、なんでもできる、期待をされればすんなり応える。

 欠点って言われてもすぐに思いつけないんだが…


 敢えていうなら、覇気の無さってとこか?

 欲だとか意思だとか、そういうものがないんだよなぁ。

 ああ、良い奴なんだぜ?」



 ……なんだその人物像。

 王子のことを知りたいと願ったのは自分だ。

 でも普通、どこかに人間らしさってものがあるのでは?


 一体どこから切り崩せばいいっていうの?


 思っていたのと、随分違う……

 何か話のとっかかりになるような微笑ましいエピソードが聞けたり、今執心の事物があればそれを学んでカサンドラから話題を振れるように準備する、とか。

 情報収集ってそういうことを指すのだと思う。


 相手のことを掴むため暗い穴の中に手を伸ばし、指で掴もうとした。

 でも掴もうとしたソレがツルッツルの球体で、更に奥の方へコロコロ転がってしまった……ような……残念感…。


 表面に掴みやすい突起はないのですか!

 せめて転がらないように角があるとか!


 完全無欠過ぎて、より一層王子の事が茫洋とした霞と変化していく絶望感。

 




「ま、あいつの正妃候補は大変だろうなぁ。

 そんな完璧人間の王子様に並んで恥ずかしくない女じゃなきゃならない。

 お前に厳しい?

 お前じゃなくても、アーサーの相手なんざ極限まで厳しく見られるってもんだぜ」


 ハンッ、とジェイクは鼻で笑う。

 それと同時に、ジェイクが成程と納得して話してくれた理由もわかる。

 ガードが堅いということもあるのだろうが。それほどまでに彼が特筆する”個性”を持たない存在だとジェイクもよく分かっているから。

 言葉で説明するのは簡単でも、完璧超人って言葉が全てで情報など集めようがない。



 そんな人が自分の婚約者というのはあまりにも荷が勝ちすぎる。



 なんでもできる、才能の塊……無気力系王子…?

 これはもしや。


 人生が退屈だと厭世観に支配され世界を倦み、自ら『悪意の種』に手を出しちゃったパターンもありうるのでは……!?


 


 顔を覆ってその場に崩れ落ちたい衝動を、ジェイクの手前何とか抑えてみせる。



「ありがとうございますわ…」



 ああ、でも考えようによってはどんな話題も王子は対応してくれるということなのだろうか。

 ……対応してくれる、かもしれないけど。


 対応可能なだけで、王子は何かに興味があって好きな事物があるわけではないのだ。



 覇気がない。

 欲が、意思が薄い。


 そんな人に会話を楽しんでもらう方法って、一体……? 

 カサンドラと親しくしたいという意思さえ、彼には存在しないのでは…?



 ああ、王子が遠い!


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