第16話 王子の友人


 それにしても、とんでもないことになってしまったものだ。


 三人娘が三人とも、本来の相性とは真逆の相手を選んでしまうとは…

 いきなり聞かされた時は、彼女たちの言うことを素直に受け入れることが難しかった。


 だが、それは事実だ。

 別邸に帰宅し自身の頬っぺたを抓ってみても、無駄に赤い跡が残るだけだ。


 ……勢いに任せて、彼女らの恋を成就させると請負人に名乗りをあげたはいいものの。

 実際にこれから訪れるだろう困難を思うと頭が痛い。


 ゲームで遊んでいた時、操作している主人公は一人だった。

 三人同時進行で進めるなんて初めてのことである。

 しかも自分はゲームの中の悪役令嬢カサンドラという役割を振り分けられた存在。


 冷静に振り返ると、前途多難が過ぎる。


「……一応、覚えている限りで書きだしましょう……」


 日が経つにつれ、記憶は薄らいでいくものである。

 当時熱中して遊んでいた世界でも、実体と活動の根本がカサンドラにあるものだから前世の記憶がところどころ明滅を始めていることに気が付いた。


 あまりのんびりしていては、唯一のアドバンテージすら失ってしまいそうだ。

 とりあえず重要なイベントは全て書き出して、それに関連するパラメータを書き加えて、育成方針を決定して。



   現実を生きているはずなのに

   これではまるでゲーム周回前の暫定覚え書き……!



 机に向かって羽ペンを持つ手をわなわなと震わせ、カサンドラはそのあまりのシュールさに絶句した。

 しかも自分の予定ではなく主人公三人分の予定というのが一層とんでもない話である。


 でもある程度は神の声――アドバイスで行動を修正するようにしないと残念EDを迎えてしまう可能性が高い。

 勿論ここは全てがパラメータ、いわゆる数字で決まるデジタルの世界ではない。

 現実として、人がそれぞれ心を持って己の考えを以て行動しているわけである。


 果たして、今持っている自分の知識がどこまで有効なのか。

 あんな大見得をきっておきながら役に立ちませんでした、ではお話にならない。


 選択講義の件だけではなく、カサンドラは生徒会の一員として陰ながら彼女たちの想いを応援することが出来るはず。

 陰に日向に、及ぶ範囲で協力していこう。


 カサンドラは攻略対象達に蛇蠍の如く嫌われているので、どういう方向から背中を押せるのかと言う判断は難しいけれど。


 でも案外――嫌われているくらいでちょうどいいのかもしれない。

 普段一緒にいる貴族のお嬢様が、自分の好きな男の前でウロチョロしていたらいい気持ちはしないものだろう。

 攻略中に究極にウザいキャラではあったので、主人公達もカサンドラのことを鬱陶しいと思い始めてしまうかも…。

 そんな事態に陥るくらいなら、相手の男の方が眼中にないですオーラを出してくれた方が気が楽だ。


 リゼたちとの仲をこじらせたくないし、王子に誤解される方が恐ろしい。



 そう、問題は王子なのだ。


 トントン、と利き手の小指の先で紙面を叩く。

 羽ペンを揺らすと黒いインクの雫が零れ落ち、書きかけの文章をにじませた。


 ジェイクやラルフ達の事情は、ゲームの内容が反映されるなら把握できることばかり。

 彼らの抱えている諸事情のあれやこれや、聞かずとも知っている。

 もしも彼らの好感度を上げるための選択肢がポンっと浮かべば正解を選ぶことなど容易いことだ。



  ……王子は何が好きで、何に興味があるのだろう?



 来週、裏庭で待つカサンドラに――会いに来てくれるとアーサー王子は確かに言った。

 その時間を全部、質問攻めにするわけにはいかない。


 彼は女生徒話すのが苦手と言う、超弩級の予防線をしっかり張って去って行った。

 アーサー王子がカサンドラに何も会話を振らなくても、話すのが苦手なんだからしょうがないよね、で終わってしまう可能性を孕んでいる。

 だから予め彼の興味を引くような話題を持っていきたいのだ。


 カサンドラ自身のことを話しても良いなら問題はないが、彼が自分に全く興味が無いなら逆効果甚だしい。

 互いの距離を詰める段階で大幅なミステイク、話題を失敗してしまうと完全に攻略不可能になってしまいそうである。

 ……凄く怖い。

 正解が分からない、やり直しがきかないって、こんなに怖い。



 嫌われたいわけじゃない。

 でも彼のことを知るためには、会話や出来事の積み重ねが必須。


 王子は一体、一体何が好きなの?


 ラルフと会話しろと言われたら、実家で飼ってた犬のことでも思い出し延々と互いの我が仔自慢で時間を潰せるだろうに。相手に即した話題選びはとても大切だ。

 現在のカサンドラの姿では想像もできないが。




 ……本人に直接聞けないのなら、仲がいい友人に聞くしか……




   ゆう、じん……?




 王子の友人って言ったら、それは――






 ※





 いくら悩んだところで、解決できない問題は多く存在する。

 今更ながらにその壁の高さに溜息を一つ。


 昼休み、生徒会室に紙の束を運び終えた彼女は直後に部屋に入室してきた存在に気づき、ぎょっと振り返る。


「……あら、ジェイク様。貴方もご用事が?」


 生徒会の決裁書類だけでこんなに重量があるのがまずおかしい。

 学園内で行われる行事の全てを生徒会が采配を振るわなくてはいけないという現実にうんざりしている今日この頃。

 何のための教師なのだ、なんのための顧問なのだ。


 王子が施政に携わる前に小さな社会を治める経験をやらせようという趣旨が絶対に暴走している。


 自分達だって一応生徒の一人で間違っても運営側の人間ではないはずなのに、何でイベントや行事の采配までやらされるの…?

 

 王子が在籍していない多くの時間は、生徒会と言っても雑用係に過ぎないだろうに。

 この期間は王国中の貴族の寄付も多い時期で資金は潤沢、余りあるそれらを一体どう使うべきなのか――


 役員幹部の一人、ジェイク。

 彼もこの部屋を自由に行き来できる人物であるが、彼が昼休みまで顔を出すとは珍しい。


 

「お前がここに入るのが見えたからな」


 しれっとした顔でとんでもないことを言う大柄の男子生徒、ジェイク。

 制服ゆえに剣を携えているわけではないが、その腕は国王陛下もお褒めになるくらいなので相当強いのだと思われる。

 剣だけではなく槍術馬術弓術などにも通じている彼は、基本脳筋という印象で間違ってない。

 でもバカではない、大人の目が届くところではちゃんと貴族のお坊ちゃんを演じられる。


「あら、わたくしに何か?

 先ほど同席していたのですから、昼食時にお伺いいたしましたのに」


 声が裏返ってはいないだろうか。

 彼に良い印象どころか真逆の印象しか抱かせていない自分が、ここで一体何を言われるのかと身構えるのも無理はない。


 デイジー嬢に濡れ衣を着せこちらの足元を掬おうとしてきたジェイク。

 あの話を思い出すと、とてもではないが気が抜けない。

 今ここでカサンドラが失脚し、学園を追われるわけにはいかないのだ。


「いや、流石にあいつらがいる前じゃ聞けねーよ」


 後頭部に手を置いて嘆息を落とす。

 若干決まり悪そうに、彼はこちらをジロジロ睨んでくる。


 難癖をつけられたり、喧嘩を売られたら買うべきか? それとも無抵抗で逃げるべきか……


 違和感があると思ったら、彼の言動が物凄く砕けているせいか。

 二人きりで話をする機会も今までなかったから、外向き仕様のジェイクしかカサンドラは知らない。

 普通の男子生徒のような、ぶっきらぼうとも言える口調。



  ――ゲーム内で良く見かけた、素のジェイクが何で今顔を出しているのだ…?


  

「カサンドラ、お前、三つ子と随分仲が良いんだって?」


 平民と良く話をしているからと言って、わざわざジェイクが揶揄しにくるのか?

 彼女らと仲良が良いことが、まさかこちらの弱みになるわけがない。

 だがカサンドラの心に暗雲が垂れ込めたのは、彼女たちに全く何の下心もないのかと問われれば心が痛むから。

 彼女らを利用しているつもりはなくても、最終的には自分の目的のため傍にいるというのは確かな事実。

 ジェイクがそんなことを知るわけもないが、こちらの腹を探られれば動揺してしまう。


 実際、悪役令嬢が何故平民と仲良くするのかと彼らが不審に思って警戒して、こうして軽いジャブを打ってくるのはおかしな話では……


「ええ、彼女たちとは懇意にさせていただいておりますが、それがジェイク様に何かご迷惑を…?」


 態度を決めかねる。

 だができるだけ平静を装い、何も知らぬ存ぜぬ態度で彼に向き直った。


「そうじゃねーよ。

 あいつらと仲が良いんだったら、ちょっと手を貸してくれって頼みに来たんだ」




「……。

 ――!?」




 ようやく、ジェイクの行動の理由にピンときた。

 ……三つ子と同じだ!


 気になる相手の関係を進展させるための仲立ちを、カサンドラに求めているというのか? 正気か!?


 三つ子はカサンドラを攻略対象たちと生徒会繋がりで情報を知りたがった。

 ジェイクは三つ子と親しくしているカサンドラを通じて三つ子と接触をはかる方法を選んだ。


 何で自分なんだ、そんな迂遠なことをしなくてもジェイク本人が彼らと接触を果たせばいいではないか。

 主人公達とは違い、彼らは学園内で言動を制限されるわけじゃない。

 聞きたいことがあるなら、自ら対面で問いただせば良い。


 悪役令嬢カサンドラを介する必要などどこにもないはず。


「ちゃんと話をしたいんだがな、どうも避けられてるようだ。

 仲の良いお前なら、場の一つや二つ提供できるだろ?」


 どれだけ己に都合のいいことをのたまっているのか分かっているのだろうか。

 ジェイクの言い分に眩暈がしそうだ。


 今まで散々レンドールの娘ということで敵愾心を隠さず学園でさんざん相応の振舞をしてきたジェイクが。

 よりにもよって自分に主人公との橋渡し役をしろだと?


 寝言は休み休み言えと言ってやりたいところだが、社交辞令の薄い微笑みを浮かべながらカサンドラも考える。


 なんてことは無い飄逸とした態度で声をかけているジェイクも、それなりに屈辱を感じている事には違いあるまい。

 ついこの間、昼食の際『三つ子なんか』という態度でラルフを小馬鹿にする言動を皆の前でとったばかりのジェイク。


 当然ラルフやシリウスに協力を仰ぐこともできないし、女性なんかどうでもいいという日頃の態度の手前――相談できる身内がいないのだ。



 今週のはじめ、校内でトラブルが発生した報告のことを思い出す。

 生徒同士の恋愛関係、先に声をかけていた女性を先輩が横から奪おうとしただのなんだの。

 当人達にとっては男性のプライドが関わることかもしれないがくだらない喧嘩が起こったそうだ。

 あわや掴み合い殴り合いに発展しかねない大ゲンカとなる一幕、ジェイクがそれをおしとどめ事なきを得たという報告が上がっている。

 手が上がらなかったのは僥倖だ、どちらかに怪我でも発生したら生徒会内々での処分では済まなかった。


 当然生徒会でも話題として提出されたが、その時のシリウスから発されるブリザードの嵐に身も心も凍りそうだった。

 そんな下世話で品のない原因で喧嘩など、と。

 ジェイクがとめなければ学長に追放処分を依頼しかねない勢いだったのである。


 この学園生活で、恋だ男女だにうつつを抜かすのは彼の中では有罪なのだ。

 異性漁りをする場ではなく自己研鑽の場だ、というのが彼の主張。


 いや、実際彼の言い分は酷いのだ。

 貴族社会でこの学園生活はパートナーのいない生徒にとっての最後の砦だ。

 それなのに恋愛沙汰を禁止するとか、言い出したのがシリウスでなければ不平不満で収拾がつかなくなっただろう。

 勿論暴力事件は良くないが……全面禁止は可哀そうすぎる。


 基本理性と世間体の塊の男性なので彼の攻略時はかなり苦労したなぁ、と。

 カサンドラは死んだ魚のような濁りきった瞳で、冷静に憤るシリウスを眺めていた。

 会議よ早く終われ、とあんなに切望する時間にはもう遭遇したくない。


 喧嘩未遂の当事者や変な噂の広がりを戒めるため、生徒らに厳重な注意が役員から発されているのだ。


 三つ子が気になるから俺のために助力しろなんて、いくらジェイクの面の皮が厚くても今週の今日でクラスメイトに言えないか……


 主人公たちが現在のクラスでカサンドラと特に親しいことは、自分でも自覚している。

 でないとあんな相談自体してこないだろう。


「ジェイク様がまさか彼女たちをお気に召していらっしゃるとは。

 わたくし、全くに存じ上げませんでしたわ」


 にっくきレンドールの人間に協力を仰ごうと切羽詰まるほどには、動きかねているのだろう。

 あまりからかってはならない、というのはシリウスの時にも思ったことだ。

 彼らに限らず、恋愛沙汰に関わることで不義理な態度をとることは相手の信用を限りなく落としてしまうものである。リカバリー不可能なほどの、株の暴落。


 しかし――主人公と攻略対象の導かれようは、まさに運命としか言いようがないな。

 まだ二週間と共に過ごしていないのに、ジェイクをここまで動かすか。


「お前といるときは、あいつらも楽しそうだからな」


 それは素直に嬉しい言葉だ。

 ありがとうございますとお礼を言うと、彼は大げさに肩を竦めた。



 やれやれ、はこっちのセリフだ。


 まさかこちらに飛び火するとは。

 それでも彼はこの世界のヒーローなのだ。

 主人公と同じく、互いに惹かれ合い素晴らしい恋をするために生まれた、もはや愛の戦士の権化。


 カサンドラに頼みたくもない頼み事をし、弱みを晒してまでも意中の娘との仲を進展させたいと思いきり行動に移すその気持ち――!

 ジェイクのことなど知ったことかと切って捨てるなど、あまりにも人の心がないというもの。


 だが今までろくに会ったこともないのに、こちらのことを悪の令嬢で王子を誑かす雌狐扱いをし、常にアタリが強かったジェイクにこのままホイホイ協力するのも癪である。

 それにジェイクが誰狙いかというのも問題だ。今の段階では十中八九リタだと思われるけれど。


 ジェイクの望み通り、彼とリタとの間が進展するならある意味でカサンドラの気も楽になる。

 彼女は始まった段階で既にジェイクに関心を寄せられているのだから、こちらが何も手を打たなくても勝手に成就してくれそう。


 ――って、いやいやいや。


 リゼはジェイクの事が気になっていて、カサンドラに最初に相談を持ち掛けてきたのだ。彼女達にも彼女達自身の想いがある。

 ここでジェイクの頼みを受けるということは、リゼの気持ちを裏切ることにも繋がろう。

 そもそも、リタが現状気になっているのはラルフなのだ、断じてジェイクではない。恨むなら己の出会いイベント失敗を恨むがいい。

 

 ……うーん……ややこしいことになってきた。


 果たしてどう立ち回るべきか。

 カサンドラは、恋する主人公の味方でいたい。


「そうですわね…

 ジェイク様、三つ子三つ子と仰いますが、どなたとお話をされたいとお考えでいらっしゃいますか?」


 すると彼は明らかに動揺した。

 今まで『三つ子』という言い方で焦点をボカしていたものが、ここにきて急に一人の影として浮かび上がる。

 彼の頬に僅かばかりの朱が差す。

 照れ顔は反則級の破壊力だからやめてくれ。

 顔が良いのだ、君たちは。


「確か、黄色い髪飾りをしていた」


 やはりリタのことか。

 分かってはいたが、中々難しいシチュエーションだ。


「ジェイク様が先に仰った通り、黄色いリボンのお嬢さん――リタさんはジェイク様に非礼を働いたことを未だに悔い、沙汰を恐れているようですわ」


「なっ……だから、それは俺が悪い話で、済んだことだ!」


「ですが急に一対一でジェイク様に呼び出しを受ける事態に見舞われてしまえば、リタさんも大変お困りだと思います。

 リタさんの友人としてお願い申し上げますわ。

 リタさんだけではなく他の二人も場に同席しても構わないということでは、いかがでしょう」


「む……」


 彼も彼で腕組みをして考えているようである。

 流石にリタと一対一の場をセッティングするような真似は出来ないし、リタがジェイクを怖がっているというのも事実である。

 

「俺も、自分に都合の良い話をしているとは思ってる。

 それで構わない」


 結構、結構。

 リタには人身御供扱いで申し訳ないが、後でちゃんとフォローするから是非とも許していただきたい。

 ……どうしても、この機会を逃したくないのだ。 




「ではジェイク様、わたくしと取引を致しましょう」


「ん? なんだ、藪から棒に」


「ジェイク様があの子達とお話をされる機会を設けるとお約束を致します。

 その代わり――」


 王子の友人。

 彼の事を良く知っている知人など、カサンドラはほとんど知らない。

 この学園に王子の側近として通う彼なら、知っているのではないか。


 ジェイクがリタに近づきたいと思っているのと同じ、いや、それ以上に。




   「わたくしに、王子のことを教えてくださいませ」




 こちらはこちらで、なりふり構っていられない。

 

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