第13話 何故それを選ぶのか


 約束の放課後になり、カサンドラはこちらをチラチラと盗み見る三つ子の視線に『覚えている』という意味を込めて頷く。

 他ならぬ彼女たちの相談を忘れて帰るなどとても出来ない事である。


 講義の終わった教室内、一人また一人と生徒達が帰路に着くのを手を振って見送った。



「――わたくしに相談事とは、一体どのようなことなのでしょう。

 お力になれると宜しいのですが」


 静まり返った教室内。

 窓の外から寮に帰る生徒、校門に向かう生徒が見下ろせる。

 わざわざ教室内に残らなくても寮に行けば大きな談話室が用意されているし、街に行けばお洒落なカフェで時間を過ごすことも出来る。

 校舎の表側の庭園には四阿あずまやもあり、季節の花を楽しみながら会話も洒落込めるのだ。


 固い椅子の上で顔を突き合わせて雑談するような生徒は珍しい。

 尤もそんな事情はこの三つ子に限っては、全く気にならないだろうけれど。


「カサンドラ様、私は回りくどい話は苦手なんです」


 瞳を光らせ詰め寄らんばかりの勢いの、栗色の髪に赤いリボンを着けるリゼ。

 カサンドラの向かっている机正面に陣取ったリゼは、はっきりとした口調でそう宣言した。

 決然とした彼女の言いっぷりに、少し慄くカサンドラ。

 勉強で分からない箇所があるというわけでもないだろうに。


「単刀直入にお願いいたします。

 ジェイク様の事、ご存じの限りで構いません。

 是非教えていただけないでしょうか」


 ……?


 カサンドラは頭を真っ白にして、笑顔のまま静止する。

 自分の知人にそんな名前の人物がいたかしら、と一瞬現実逃避をしてしまうほどわけのわからない発言だった。


「え、ええと……リゼ、貴女の仰る意味が……分かりかねるのです……けれど……?」


 段々意識が現実に侵されていく。


 彼女たちはこの世界の『主人公』と言われる存在だ。この世界ゲームの根本は乙女成分で構成されている。

 世界観をこねくり回して舞台を整えたこの現実が帰結するのは主人公の恋愛……!


 不自然ではない、むしろ当然のことなのだ。

 何せ彼女たちは普通の女子以上に、恋をするために生まれた存在!


 主人公ゆえの鈍感さを発揮する状況ならば、己が好かれていることを理解していなくて延々とイベントが進まない可能性があるけれども。

 幸か不幸か、彼女たちはバッチリとそちらの方向に自覚があるタイプの主人公だったようだ。

 アグレッシブ過ぎないかとカサンドラが驚くくらい、前のめりじゃないか。


 実際好きでもなんでもない男性と休日遊びに行ったり、寮まで一緒に帰ろうと誘ったり誘われたり、数多のイベントに顔を赤らめて巻き込まれることはないのだから当然だ。

 それで主人公に好意の自覚がなかったら男の方が泣くわ。


 恋愛する事自体は良いことなのだ。

 素晴らしい、恋する乙女の物語なのだから存分に青春すると良い。幸せになってくれと心の底から思う。


 そもそも彼女たちが攻略対象と恋仲になることによって、聖女イベントが近づくと考えれば自覚がない方が困惑してしまう。いい傾向のはず…なのに。


 でも違う。そうじゃない。


 ……何故だ?


「リゼさん、貴女もしかしてジェイク様の事……」


 震える声で絞り出した言葉に現実味がない。

 喉の奥がカラカラだ。


 シリウスじゃない、ジェイクと言った。

 あの騎士の勲章を持つ男、ジェイク。

 礼儀正しい振る舞いも出来る癖に、素の態度は悪ガキそのもの。

 友人間の間ではかなり口が悪いので知られる、剣術馬鹿――いや、騎士のジェイクをリゼが気にするとは予想外にも程がある。


 動揺するカサンドラ以上にリゼも内心平静ではいられないようだ。

 完全に頬の端を朱色を掛けて、腰に手を当てたまま目を伏せる。

 彼女自身も、油断すればぎりぎりと歯ぎしりする程には葛藤しているようだった。


「……。」


 諦めたように小さく頷くリゼを見るカサンドラの目は間違いなく点になっていることだろう。


「ま、まぁ色々あったのです、色々!」


 カサンドラの全く関知しないところで、リゼとジェイクに何かしらの接触があったことだけは分かる。

 流石主人公と感動するところだが、あまりにも急展開過ぎて呆気にとられる他ない。


 元々誰とどの性格の主人公がくっつくのかは全てゲームを遊ぶ側の意思次第だった。

 攻略キャラにも好きな異性のタイプがあるのと同じように、リゼたちもそれぞれ趣味があるのだろう。たまたまこの世界のリゼの好みがジェイクのような少年だったということ、それだけだ。


 ジェイクか……。

 気が良くて頼りがいのある兄ちゃんタイプの彼をリゼが好むとは結構意外だ。


「大変失礼しましたわ、リゼさん。

 今までそのような相談を寄せられたことがなく戸惑ってしまいました」


 真摯な相談に対して、現実逃避をしている場合ではない。

 本来誰にも秘したいだろう問題、それをカサンドラを信用して打ち明けてくれたのだ。

 決して彼女の尊厳を貶めるような受け答えをするべきではない。あまりにも露骨に驚き過ぎれば彼女もがっかりしてショックを受ける。


 ジェイクは攻略対象なのだ。


 カサンドラに対する態度はアレだけれども、本質は好青年であることに変わりはない。

 ラルフやシリウスのように完全なる美形、美少年とは言い切れない精悍なジェイクはカッコいいという表現が良く似合う。

 実現し、近くを歩いている彼を見ると物語の主役級の存在感を放っていることは一目瞭然。

 魅力があるから物語の中の主人公も惹かれていく。


 多くの女生徒が憧れるのはおかしくないし、どんなアクロバティックな出会いのきっかけがあったのかはわからないが、きっとリゼの琴線に触れる一面を見せたのだろう。


 出来ることならば……

 未だ詳細は不明だが、その行いをリタ相手にして欲しかった!


 という本音は必死で包み隠さねばならない。


「まぁ、救いなのはリタとリナとはタイプが違ったってことですよ。

 いくらなんでもこの二人が敵に回るのは、絶対嫌ですし」


 ………ん?


 ぽそっと不吉な言葉を呟くリゼ。

 タイプが違う?


 その発言の意味するものを一瞬で感じ取り、カサンドラは知らず喉を鳴らす。


「その仰りようですと、同じようなご相談をリタさんとリナさんも望まれているということでよろしいのかしら?」


 感情が追い付かず、いっぱいいっぱいの現状。出来れば笑顔が完全に引きつる前に彼女たちに否定して欲しかった。

 リゼがジェイクを選んだことだけでこんなに動揺しているのだ。


 もしも、これで――


「流石カサンドラ様、察しが良くて助かります。

 私、ラルフ様のお話伺いたくって。……私達こういう話に無頓着だったので、悩むなら誰かに相談しようって決めたんです」


 リタの太陽のように燦然と輝く無垢な笑顔が眩しすぎる。

 目が眩みそうになるのを堪え、口元に手を添え感情の発露を隠そうと努力した。


「趣味が全員バラバラなんてラッキーですよね」


 ねー、とリタは手を叩いて嬉しそうに断言してしまった。

 そんなことだろうとは予測していたが、こうも的中してしまうと乾いた笑いが浮かぼうものだ。



 ………嫌な予感が的中し、再びカサンドラは沈黙することになる。


 趣味がバラバラなのはたった一週間でも彼女たちの会話を聞いていれば良くわかるものだ。

 根本は良い子達であるということを前提に、ゲームの通り性格は全く異なっていた。

 だから彼女たちが好むタイプが三者三様であることは、ごく自然の成り行きなのかもしれない。


 だが……

 リタがラルフということはリナがシリウスを気にかけているということにほかならず。

 危惧していた通り、三人ともよりによってそれぞれが最も攻略上相性の悪い相手を選んでしまったという現実。


 これは一体、どうするべきかしらね。


 一瞬の間に思考をフル回転させて考える。


 このままでは三人とも、聖女イベントが起こらないルートに入ってしまう。


 万が一王子をカサンドラが事前に救うことが出来なかった場合――彼が悪魔の支配下に置かれた瞬間、この国は終ってしまう。

 王子は立場を利用して悪魔を喚ぶに足る多くの人間の”不幸”を集めようと行動するのだろう。

 それが叶えば、悪魔はこの世に解き放たれる。

 百年以上前にこの世界を襲った災厄の再来……


 止めることが出来るのは選ばれた聖女、主人公だけ。

 聖女と覚醒するイベントは、相性の悪い相手では生じる前にゲームが”終わって”しまって起こせない!


 思い出そう。

 聖女の覚醒イベントは、どんなものだったか。


 ……愛する恋人が何者かに傷つけられたとき、彼を守るために目覚める”力”。

 元々あった魔力が解放され、聖女として目覚めるイベントのトリガーは――恋人の危機。


 エンディング後の二人に起こることは、カサンドラは知らない。

 全て想像の産物であり、ゲーム内で語られることはないからだ。

 だがここは現実、例え相性の悪い二人がくっついたとしても世界は続く――はず、だ。

 リゼとジェイクが恋人になったらその瞬間『ゲームED』到達、と世界が壊れ停止するのであれば、もうカサンドラにできることは無い。

 畢竟、エンディング後の世界が”存在しない”と仮定してしまえば、王子が倒された瞬間に何らかのエンディングが発生して世界は停止することになる。

 物語の三年の期間が終わったらカサンドラの行動など意味がなく、強制的に



  終わる。




 想像するととても正気を保っていられるものではない。

 必ず三年後に世界が壊れます、死にますと自分だけが知っている世界で平然と生きられるほどカサンドラは強くない。


 

 だから世界は続くと信じる。

 今までカサンドラが十五年生きてきた記憶が、拠り所。何千年もの歴史を紡いでたはずのこの世界が急に止まるはずはない。

 ゲーム後の世界も、ちゃんと時は動いているのだという常識を以て動く。


 嫌だ。

 この世界が、皆が何らかのEDを迎えるタイミングで目的を終え消失してしまうなど、そんなことは考えたくない。


 カサンドラは、リタは、リゼは、リナは――

 そしてラルフやシリウスジェイクや王子は、卒業した後だってこの世界で楽しく幸せに暮らすのだ!


 物語は続く。


 だからジェイクとリゼが恋人になったとして、リゼに聖女として覚醒するための条件さえ揃っていれば今は眠っている”力”に目覚めるのではないか。

 希望的観測過ぎるかとも思うのだが……


 こちらの様子を固唾を飲んで見守る三つ子の表情を、チラっと見る。


 ――貴女たちが聖女にならないと世界が滅びるから、別の攻略対象を好きになってくれなんて言える?


 もしも主人公達が自らの気持ちに鈍くて、恋愛に対し消極的な子だったら……

 前に僅かに想像したように、ジェイクたち攻略対象に主人公を攻略しろと焚きつける状況もあり得たかも知れない。

 彼女らに好きになってもらうように頑張れと、お膳立てをすることも吝かではなかった。

 大団円を迎えるために最良だと奮い立つことも出来た。


 でも駄目だ。


 こんな風に相談を受けるようになっているのに、リゼたちの気持ちを裏切り踏みにじるようなことは出来ない。

 今こうして気になっている相手がいるらしいのに、別の――それも自分の三つ子の姉妹が気にしている男に乗り換えてみない? なんて言えるか!


 いかなる友情も粉々に砕けるデリカシー皆無の鬼畜の所業。



 ここは危険でも賭けるしかない。

 腹をくくれ。


 この世界はエンディング後も続くのだ。

 聖女になるための条件さえ揃えば、彼女たちは”目醒める”のだと。


 勿論、王子の状況を把握しつつ悪魔などに良いようにやられないようにするのが最優先ミッションだ。

 それさえどうにかなるなら、悪魔を倒す聖女の力は必須ではない。


 聖女の力はカサンドラの手には負えなくなった時の最後の手段。

 その力を借りることがなければ、最良なのだ。


 組み合わせが若干ズレていたとしても、彼女たちの意思であるなら尊重すべきだ。



 ……しかし一週間、カサンドラの目の及ばないところで一体彼女たちの身に何があったというのだろう。

 流石恋するために創られた世界だ。

 名も知れぬ一般生徒に惹かれたわけではないのは、シナリオの強制力が働いているとも言える。

 


「発言をお許しください、カサンドラ様。

 シリウス様のような尊い身分の方に懸想するなど、あまりにも分不相応で不敬なことだと自覚はしております。

 私共のなせる最良の行動は最初から分かっております。ですが、どうしても――諦めがつかないのです。

 このようなことを申し上げるのは臆病なこと、カサンドラ様にも不愉快なことだとは存じております。

 ……お許し願えませんでしょうか」


 まるでカサンドラが「諦めろ」と言えば本当にその通りにしてしまうのではないかという覚悟の顔で、リナは顔を上げ冀う。

 意思を帯びた青い双眸が、じっとこちらを見つめていた。



 もしかして、カサンドラがしばらく逡巡していたのは反対の意思がある、と。

 リナはそんな風に受け取ったのではないだろうか。


 下手に仲良くしてしまったため、三つ子にハッキリ忠告できない優しいカサンドラとでも思われていたら誤解も甚だしい。


 反対をしたいわけじゃないのだ。

 身分不相応? そんなことを欠片も思うはずがないではないか。


 彼らに最もふさわしい女性は、その他大勢の貴族の令嬢の中にはいないのだ。

 運命を共にするパートナーはここに揃っている。


 その組み合わせがカサンドラにとって都合の良くないものだったから、言葉と反応にラグを生じてしまっただけ。


 見れば三人とも悄然として、先ほどのテンションはどこに行ったのかと言うほど気まずそうな顔。

 完全に誤解させてしまったことに気づく。



 ゲーム内で何十回と聞き、フラグをへし折られる合図として聞かされたカサンドラのあのセリフ。

 まさかそれを自分が――カサンドラになった自分が言うことになるとは思わなかった。





   「ちょっとお待ちになって!」





 賛成しないなんて……一言も言ってなくってよ!?

 


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