第12話 驚きの爆弾、破裂三秒前

 私邸から馬車で通っているカサンドラ。

 馬車のために用意された大広場が校門前にあるのだが、いつも混雑していて順番待ちをする馬車も多かった。

 だがそれらの馬車を意にも介さず、最も校門に近い位置取りはレンドール家の馬車が使うと自然と決まっている。


 同じく馬車で通学する学生たちは大広場まで乗り入れる順番を待って延々と待機していたり、少し離れた道沿いに停めてそこから徒歩で向かう者もいた。

 カサンドラは時間ギリギリに滑り込んでも、前に停まる馬車を次々に差し置いてベストポジションから校舎に向かうことができるだろう。


 別にカサンドラが他の馬車に退けと命じた覚えはないし、勝手に周囲が気を遣ってくれるのだから致し方ない。

 上位貴族の恩恵を一身に浴びていると自覚できる時間である。





 先日の王子との会話を思い出しながら、校門をくぐる。


 来週また会ってくれるとアーサーは言ってくれたけれども、確約は出来ないという但し書きもあったことを改めて意識する。

 もしも会えなかったとしたら、その後はどうなってしまうのだろう、とか。

 王子に関わることはナチュラルにネガティブ思考になってしまうなと苦笑してしまう。

 彼の一言に振り回されている。

 三年あったら、もう少し距離を縮めることができるだろうか?

 ふんわりとしたイメージでも、彼と親しい関係になれるという想像も及ばない。

 三年だなんて悠長なことはいられないのに、来週会って話ができるかどうかも彼次第、とは。

 中々にモヤモヤする現状である。

 いっそのこと彼にズイッと詰め寄って、『悪意の種』のことを追求してみようか。

 ……それは最終手段だし、お試しでできる事でもない。


「カサンドラ様、おはようございます」


「ごきげんようデイジーさん。本日も気持ちの良い朝ですわね」


 良く透る可愛らしい声。

 鈴の音のように軽やかな女の子らしいソプラノ声の主を視界に入れ、カサンドラはにっこりと微笑み返す。

 ガルド子爵令嬢のデイジーだ。

 特待生との三つ子ともそれなりに仲良く話をする姿を見るし、話によると一緒にお菓子作りまで行ったそうだ。


 三つ子の対人能力が高すぎる。子爵令嬢を学園寮での菓子作りに招待するとは、なんと豪胆な精神の持ち主ではないか。


 お茶会のときはジェイクのやらかし案件に衝撃を受けるあまり聞き流していたが、カサンドラが料理長にレシピ起こしを頼んだ甲斐があったというものだ。

 レシピを書き起こすことを指示した時、料理長は大変不思議そうな顔をしていた。

 作れもしないのに何故作り方を書かなければならないのかと言いたげな、髭の立派な料理長の表情を思い出す。

 確かにカサンドラは自分で菓子作りなどしない。


 だがしょうがない、三人娘があんなに気に入ってくれたのだ。

 レシピがあったら譲って欲しいと丁寧にリナにお願いされてしまっては、安請け合いするしかないではないか。


 日頃、自分の欲求を出さないリナが恥ずかしそうにもじもじと言ってくるのだ、そんなもの二つ返事で頷くに決まってる。


 三つ子の中でも温和で優しいが代名詞のリナは気立ての良い性格をしている。まさに良妻賢母の鑑と言わんばかりの特徴だ。

 料理や裁縫などは『気立て』のパラメータに反映されているはずだが、勿論適性があるのはリナだ。

 ゆえにリナを選んだ時は相手がジェイクだろうがラルフだろうがシリウスだろうが料理に関わるイベントが起こった記憶がある。

 スチルで見た彼女の料理が脳裏に過ぎった。

 彼女なら女王になどなれなくてもお洒落な料理店を開けそうだ。


 恐らくリナがお菓子作りの発起人だろうが、それでもデイジー嬢を巻き込むとは。

 どんな現場だったのか今更気になって仕方ない。

 おっかなびっくり、小麦粉や卵やミルクが混じって不思議な触感になるのを見つめていたのだろうか?

 きっと科学の実験に目を輝かせる子供のような無邪気な顔で楽しんだに違いない。

 材料からお菓子が出来上がる過程は、まさに魔法のようなものだから。


 デイジーも相当三つ子と距離が縮まったようで、見ているこちらも微笑ましい。


 些細なことを気にしない能天気とも言えるリタは、やはり三人の中では人間関係潤滑油。

 そんな彼女を怒らせたジェイクは、割と酷いと思う。


「先日の朝はカサンドラ様のお姿が見えず、登校の時間を変更されたのかと思いました。

 お会いできて嬉しいですわ」


「ええ、先日は生徒会の用件がありましたの」


 ギクッと肩が上下するのを耐える。

 何気ない会話なのに、人に言えないことをしてしまったがために過剰反応しがちである。


 王子に書いた手紙を渡すため、カサンドラも早起きしたのだ。

 誰も登校していない早朝、忍び込むように生徒会室の鍵を開けそそくさと中に入った自分の姿を思い出してしまう。

 完全なる不審者、空き巣犯そのもののように物音立てずにミッションを完遂したわけだ。

 その努力が無駄にならず、王子と放課後会うことが出来たのは本当に報われる思いである。

 婚約者にこっそり手紙を忍ばせるために早起きしたんですよ、なんてデイジーに言えるわけがない。なんで婚約者にそんな迂遠なコンタクト方法を選択しなくてはならないのだ。

 デイジーが日頃の状況から全てを察し、物凄く憐みを籠めた同情、慰めの視線を向けてくるのを想像するだけで心が乾いて壊死してしまう。


「カサンドラ様は毎日お忙しくしていらっしゃるのですね」


 本来生徒会など最終学年の三年の負担する役回りである。

 だが王子が入学する代には、その役回りが全て王子周辺に割り振られることになっているらしい。

 近い将来国を背負って立つ王子は学園内の様々な運営を任されるのが習わしなんだとか。

 王子と言う立場上、彼より上に立って指導する生徒が存在してはいけないという遠慮の塊が今の慣例を作ったものと思われる。 


 それに将来の側近候補も倣うのだから、この三年間は教師陣も戦々恐々だろう。


 深く呼吸を落とすデイジー嬢。

 彼女は本人比で”さりげなく”話題を振ってくる。


「来週から選択講義が始まりますわね」


 彼女はそわそわ追いつかないようで、カサンドラの反応を窺っていた。


 クラス共通で行われる通常講義の他に、各生徒が自分の興味関心のある講義を選んで受けることができる。

 恰も大学のようなシステムが採用されていた。

 だが大きく異なるのは、申請が一週間ごと。

 それまで一度も選択していなかった分野の講義もいつでも受けることが可能だという凄まじい自由度設計。


 育成パートの一週間ごとにスケジュールを決定する様式に連動しているせいだろう。選んだ講義によってパラメータが変動する。

 恋愛ゲームなのだけど『内政ゲーかよ!』と前世の自分が叫びかけた理由が、この育成パートだ。

 このパラメータ管理が曲者で、ある講義を選択したら上がるパラメータだけではなく、別の要素で減少するパラメータもあるという摩訶不思議な現象が発生するのである。


 どうして剣術の指導を受けたら勉強系の数値が軒並み下がるのか。何故体力を上げるための基礎体術を選んだら気品の数値が下がるのか。

 このあちらを立てればこちらが立たずの数値管理が、国家運営系シミュレーションでよく見る内政をしているような状態に酷似していた。

 恋愛ゲームを楽しんでいるはずが、数値の行く末に振り回されてしまうという。


 そもそも恋愛乙女ゲームと言っても内実は千差万別であり、文章を主体にしたノベルゲームもあれば、それにもっと主人公の選択肢を増やしEDが多岐に分かれるアドベンチャーゲームもある。

 スケジュールや行動管理で主人公を育成しつつ、お目当ての攻略対象を落とそうというシミュレーションゲームも。

 それぞれ一長一短、色んな要素が組み合わさることもある。どれが優れているだなんて言えるわけもない。人それぞれの好み次第だ。


 どうせゲームをするならと、現実を忘れる異世界もののファンタジーが舞台の乙女ゲームを前世の自分は好んで遊んでいた。

 ノベル風のものでも、ゲーム性重視のものでも楽める。何でもいいい。

 基本は雑食なので、胸焼けするような甘い恋愛も悲恋な救いのない物語も完璧なコメディもサスペンスラブでも、乙女ゲームの名を冠せば須らく好物ではあった。

 節操がなくストライクゾーンが広すぎるのは自覚している。

 

 『黄昏の王国 純白の女王』は、癖のある育成パートは慣れたものならお茶の子さいさいでコツを掴めるものの、数値管理に慣れないプレイヤーをドツボにハマらせる恐ろしい仕様である。

 上がりやすいものから上げていくのか、それとも平坦にならしてから底上げするのか。

 攻略キャラの要求値や季節イベントのクリア条件などと相談しながらスケジュールアイコンと睨めっこだ。

 何周もすればアバウトなスタートでも攻略できるが、本腰入れて女王になろうと思ったらあからさまな無駄な行動など許されない。


 ――主人公ではないカサンドラには、はっきり言って何を選択しようが影響のないものだ。


 期待を込め、カサンドラの返事を待つデイジー。

 もしかしなくても、選択講義を一緒に受けようというお誘いだ。


「ふふ、デイジーさんと同じ講義を受けることが出来れば嬉しいのですけれど」


 これは本音だ。

 パァァ、と表情を明るくするデイジー。彼女とどんな講義があるのかと前向きに検討を進めておいた。

 カサンドラとしては歴史系の授業も興味があるし、実は魔法の講義も気になると言えば気になる。カサンドラに才能があるのかないのかさえ調べたこともなかった。

 魔法はこの学園でしか正式に学べないので、未知の領域に触れることができるのは純粋に楽しみだ。




「カサンドラ様ー! おはようございまーす!

 デイジーさんも!」


 抜けるような青空の下、響き渡る明るい声。

 学園寮から校舎へ向かう道とカサンドラ達が歩く外門からの道が重なる付近で、丁度三つ子と遭遇した。


 一番積極的というか、あまり周囲の雰囲気などを考えないタイプのリタ。

 彼女は「おーい」と両腕をブンブン振ってこちらに駆け寄ってきた。まるで可愛らしい栗毛の子犬だ。

 その後ろから若干呆れ気味、半目でリタを見据えるリゼの姿も。そして完全に恐縮しきって白い肌を青白く染めているのがリナ。

 一つ一つの身体のパーツは全く同じなのに、この三人は全く違う雰囲気を与える少女達だった。

 この並びで目の前に現れるのはもはやお約束と化している。


「ごきげんよう、皆さま」


 今日も色違いのトレードマークのリボンで髪を飾る三つ子。

 彼女たちと言う彩を爽やかな朝に添え、一緒に校舎に向かうのは楽しい。

 カサンドラがしゃべり過ぎると周囲に気を遣わせるようで、大抵聞き役に徹しているよう努めている。


 でも全然楽しい。

 生徒会のあのギスギスした、一分の隙さえ見逃してはくれない緊張感に比べたら本当に今の時間は天国に等しいではないか。

 女子たちが笑顔で、他愛もない話題で笑い合う――まさに桃源郷だ。


 役員会の司会進行で少しでも言い間違いや訂正があれば鋭い指摘が飛んでくるあのイラっとした会議時間を思えば天使の園。


 あんな美形な攻略対象たちの中で生徒会役員なんて羨ましいだなどと世迷い事を言う女子生徒には、是非熨斗をつけて替わってあげたいと思う。残念ながら、この世界に熨斗は見当たらないけれども。




 今度の休みは街に出てパフェでも食べに行かないかと言うリゼの提案も魅力的だし、体力作りのために山に登りたいというリタの発言にも驚かされるし。

 休みの日は部屋でゆっくり刺繍でも刺したいと完全引きこもり宣言のマイペースなリナと。

 それぞれ見事なバラバラぶりはいっそ清々しいし、でも仲の良さも見ていれば伝わる。


 不思議な三つ子だ――本当は一人だけ選ばれる主人公なのに、何故かこんな形で集合するなんて。



「カサンドラ様、失礼してもよろしいですか?

 その……」


「どうかしましたか? リゼさん」


 普段はきはきと歯切れの良い口調のリゼが、俄かに口ごもる。

 薄弱な姿は珍しいな、とカサンドラも首を傾げて続きを促した。


「……お聞きしたいこと、と言いますか。

 ご相談したいことがあるので……

 今日、お時間いただけませんか?」 


「あ、リゼ、それはズルい!

 私とリナも一緒にって約束してたでしょ、抜け駆け!?」


「ぬっ……て、そんなわけないじゃない!

 こ、こういうのは個人的に……一緒じゃなくてもいいって、そう思っただけ、だし……」


 急にしどろもどろになり、リゼは言葉尻を窄めていく。

 一体何の相談だというのか?

 カサンドラが彼女たちに対してしてあげることなど、実はそんなに多いわけではない。別に虐められているわけでもないし、面倒な勢力に目をつけられてもいない。

 クラスメイト達ともすこぶる良好な関係で、今更自分の助力など彼女達には必要ないはずなのだ。


 なんといっても、彼女たちは主人公だから。

 自分の力で障壁を乗り越えるだけの力を既に持っているのである。


「お話が良く見えなくて大変申し訳ないのですけれど……

 放課後ならばわたくしも問題ありませんわ。

 リゼさんお一人でも結構ですし、勿論三人お揃いでも構いませんことよ?」


 入学したばかりとは言え、カサンドラはこの学園の生徒会の役員に指名されている。面倒な役回りだが、受けた以上全うする必要がある。

 これが正妃候補の宿命と言われれば甘んじて受諾する以外無い。


 ――何か悩んでいることがあるのなら、喜んで相談に乗りましょう。


 カサンドラのそんな心の余裕は、放課後に木っ端みじんに吹き飛ばされることになる。



 朝の段階のカサンドラは、まさに泰然自若の体現者そのものであった。



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