第10話 お茶会の後
この学園は、週末の二日が休日である。
時間の流れは前世の世界とほぼ変わることがなく、一月は必ず三十日であるということを除いて暦も季節も似たようなものだ。
だが自転などを宇宙規模で考えれば、果たしてこの世界はどういう論理で……
――。細かいことを考えるのはやめよう。
この世界は完全に天動説で止まっている。
平地が延々と続いて地平線の向こうは行き止まりで海の水が滝のように落ちていく。
そんな説が常識だし、天が動いていようが大地が動いていようが、実は非常識なほどの巨大な棒に支えられた板が自分達の歩く地面だ、という世界であってもカサンドラの人生には何の影響もないはずだ。
週末の二日は生徒が自由に行動できる完全な休日。
自己研鑽に使うもよし、友人と過ごすもよし、体力を回復させるために家で休むのもよし、街に出て散策するもよし。
日曜日、カサンドラは旧知の令嬢を別邸に招いてささやかなお茶会を催した。
派閥のリーダーを気取るつもりは毛頭ないが、一応生徒会の一員として学園生活を円滑に運営する義務がある。
彼女達との意見交換は大切な情報収集の場だ。
至極当然なことだが、カサンドラは人間。目が一対しかない。
ゆえに自分がいる場所以外の出来事は把握できないのだ。
クラスメイト達が何かトラブルに巻き込まれていないか、また問題を起こしていないかを確認する意味でもこうした機会は重要と考える。
早速ガルド子爵家のご息女デイジーが、とんでもない話を聞かせてくれた。
平静を装ってにこやかな笑顔を浮かべていたものの、内心に思い浮かべたジェイクの胸倉を掴んで背負い投げを喰らわせる。
入学して最初の週、カサンドラはいくつか反省する点を見出していた。
それは主に、主人公達と攻略対象――御三家の御曹司ラルフ、ジェイク、シリウスの三人との最初のイベント。
通称『出会い』イベントのことだった。
不可抗力とは言え、カサンドラという厄介者が傍にいたせいでリナはラルフに対して第一印象が最悪だったわけだ。
ラルフとリナという組み合わせは一番進展が容易く、必要なパラメータも育成しやすい。それはジェイクとリタ、シリウスとリゼでも同じことだけど。
何より適切な手順を踏めば間違いなく聖女覚醒イベントに辿り着くルートなのである。
出来れば余計なことを考えずに済むこの組み合わせでくっついてほしかったが……
流石にあの第一印象から巻き返すのは相当難しいと思う。
さりげなくリナにラルフの話を振ってみても、露骨に違う話題に変えられてしまうのだ。
これはあまり良くない展開だ。
自分と主人公が一緒にいるというシチュエーションが悪い化学反応を起こすのか?
そう考えて、図書館にはリゼだけではなく三人と一緒に向かうことにした。
もしも悪役令嬢の自分が同席していても、三人いれば最悪の第一印象は避けられるのではと期待したわけだ。
だが結果は――
カサンドラが不在で三人同時の主人公と『出会い』イベントを起こしたシリウス!
彼は好印象を三人同時に与えるという千載一遇のチャンスを自ら棒に振ってしまったのだ。
第一印象は凄く大事なものなのにそこで失敗してどうする、とカサンドラは非常にやきもきするという事態に。
それでも駄目なのか。
一晩中作戦を練った結果、三人を単体で行動させるようにそれとなく誘導し、出来るだけ攻略対象と主人公が一対一で出会えるだろう機会をお膳立てすることにした。
カサンドラが関わるからシナリオに若干の狂いが生じるのだ、と。
リタとジェイクの組み合わせが最後の頼みの綱である。
『出会い』を何としてでも印象の良いものに……!
良くなくていい、普通でいいのだ。普通で。
後は残されたジェイクに任せるしかなかったカサンドラである。
出来るだけシナリオに影響しないよう振る舞っていたつもりだ。
リタに好青年であることをアピールし、そしてそのまま性格の合う者同士絆を深めていっていただきたい。
頑張れ、と心の中でエールを送っていた。
だというのに!
デイジーの話を聞いて魂が抜けだして世界一周旅行に出かけるくらい、放心状態だった。
一体あの男は何をしてくれているのか、どうして三人揃って第一印象ブレイカーなのか!
そりゃあ、最初は好感度が高いわけではないから、あまり印象が良くない出会いもある。
主人公と攻略対象によっては、こんな出会いはちょっとなぁ…と首を傾げるシーンが繰り広げられたのは確かだ。
元々相性の良くない組み合わせ同士だとそれが特に顕著だったのは覚えている。
だがよりにもよって、ミスの許されないこの現実で……
なんということをしてくれたのでしょう。
理不尽にも、カサンドラの憤りの炎はメラメラと三人に向けられる。
なんでもないふりをしてお茶会をやり過ごした自分は、よく頑張ったと思う。
カサンドラは完全に意気消沈して自室に引きこもり、頭を抱える状況に追い詰められた。
まだ学園生活は始まったばっかりなのに、いきなりぬかるみにはまって『一回休み』と書かれた札をおでこに貼られた気持ちである。
頭を冷やして考えるならば、この状況は致し方ないものかも知れない。
確かに攻略対象には好みのタイプというものがある、でもそれは主人公達にだって好みのタイプがあることでもあった。
カサンドラだって一応、好みのタイプはある。ストライクの幅は広い、そんな自分でも出来れば関わりたくないなという性格の持ち主もいるわけで。
リナ、リタ、リゼたちは確固たる人格を持った女の子。
好かれたから好きにならなければいけない、というわけでもない。
人の気持ちを変えよう、誘導しようなど烏滸がましい。
自分が他人をどうにかすることなど生半な覚悟でできるわけがない。
攻略対象たちがまさに好みの主人公を口説いて落としてその気にさせて――
という状況を期待する、そんな現実に吐き気を覚える始末だった。
彼女たちは救世のための道具でもない、今は普通の女の子たち。
好きでもなんでもない男とカップルになれだなんて、なんて非道なことを一瞬でも想像してしまったのか。
でも――三人いるのだからせめて一人くらい、良い感じに出会って良い感じに惹かれあってくれればよかったのに。
それは偽らざる本音だ。
未練がましい己に呆れ、カサンドラは落ち着かないまま広い室内をうろうろと往復する。
華麗な外見の美少女だからいいものの、行動だけを見ると完全にゴリラが檻の中をあてどもなくさ迷っている姿である。
中々善後策が思い浮かばなかったカサンドラだが、辛うじて自分にできることがあったのだと思い出す。
「そう、王子……! 王子が肝心!」
聖女方向の目論見が瓦解しかけている現状、早急に王子の様子を把握しなければいけない。
完璧な王子として、学園中の女生徒の視線を奪って止まないまさに言葉通りの難攻不落な王子様。
少なくとも彼の核心に近づける女生徒など自分しかいない。
だから彼の事を知りたいと思うのに、軽やかにかわされ続けて一週間。
最初の一週間で会話した場面など、両手の指で足りる程。
それも会話が続くわけではなく事務的な報告や挨拶程度、その他大勢の生徒と何一つ変わることはない。
そんなに嫌われているのだろうか、と落ち込む。
この世界で主人公を邪魔するために生まれた存在だから、たった数度の会話で嫌われてしまうの?
噂だけで、外見だけで疎まれ避けられてしまうの?
それならあんまりだ。
自分には何も成すすべがないではないか。
王子のことを知ろうと決意した時、彼がここまで取り付く島もない接し方をしてくるなんて想像していなかった。
ろくに会ったこともない、ともすれば姿を見かけた事がある程度の存在なのに、爽やかな笑顔で遠ざけられるとは…逆にそっちの方が凄い。
もはや呪いの領域である。
せめて、ちゃんと話をしたい。
悪役令嬢だといえども、攻略対象以外は歪んだ認識を持っていない――と、感じる。
少なくとも主人公には嫌われているように見えないし、クラスメイトも怖がったり露骨に嫌味を言ってくるわけでもないし。
ならば王子にはフィルター効果がかかっていない可能性に縋りたい。
「――姉上、ご在室ですか?」
コンコンと扉がノックされる。乾いた音が耳に触れ、カサンドラはようやく立ち止まった。
義弟のアレクが自分を訪ねて来たようだ。
とりあえず冷静になるための深呼吸、何度か吸って吐いて。
「どうぞ、お入りになって」
少し間を置いて扉が開く。
顔だけは物凄く抜群で、五年後が楽しみ過ぎる逸材。息子のいない父が己の後継ぎにするため遠縁の家から養子にもらった弟。
恐らくカサンドラよりも厳しい教育を受けているはずのアレクは、意外なことにまだ婚約者が決まっていなかった。
きっと熾烈な嫁争いが繰り広げられることだろう、血が流れないことを祈るのみだ。
……というか、アレクはまだ幼いからいいとして。
シリウスやジェイク、ラルフに婚約者がいない方がどうかしている。
色々と水面下で動いているのかもしれないが、浮いた話や接触をはかった相手がいるという情報も皆無だ。
まぁ、早々に相手が決まったカサンドラには興味のないことなのだけど。
巨大な権力を持つ家は色々とややこしい。
主人公が攻略対象と付き合い結婚する流れで、元の婚約者から”奪う”形になるシチュエーションを嫌った――という諸般の事情が彼らの現状のベースにあるのかもしれない。
だとしたら、その条件設定のために未だにノー婚約者の三人はちょっとかわいそうだ。婚約者の一人もなく学園生活に入るなんて、無謀の極み。
嫁入り先募集中の令嬢と言う名の狩人からは逃れられない、きっと苦労しているだろうな。
「失礼します」
アレクは何故か白紙の紙を片手に部屋に入ってくる。
「ああ、これですか?」
カサンドラの訝し気な視線に気づき、銀髪碧眼の少年は苦笑いだ。
まだカサンドラの肩くらいの身長しかないが、長じれば誰もがうっとりするような甘いマスクの美青年になるに違いない。
どんな仕草も様になる、自慢の義弟アレク。
「姉上のご様子を侯爵に報告しなければいけませんからね。
これはただのメモ用紙です」
まさか一週間のカサンドラの様子を記すためにわざわざメモ用の紙を持ってきたというのか。
なんて几帳面で真面目な少年なのだ。
カサンドラの目付け役を全うするためとは言え、面倒だろうによくもまぁ。
「学園生活で姉上がどのようにお過ごしか教えてください」
まさかの対面インタビューとは予想の斜め上を行く。
カサンドラが学園生活で余計なことをしていないか、学習状況は順調か、周囲との人間関係に変わりはないか。
親としての情よりも、きっと侯爵はカサンドラの現状を把握しておく必要があるから報告させるのだ。
まるで首輪を付けられた飼い犬みたいな扱いだなと思わなくもないが、カサンドラに自由などない。
自由があるように見えても、それは紐付きの自由。
……条件付きの、仮初の自由。
「それは構いませんけれど。
作成した報告書をお父様にお渡しするのですか?」
一体どこからどこまでを報告するべきか。
何せ直接侯爵に伝えるのではなく、間にアレクという書き手が入るのだ。
本当に下手なことは言えないな、とカサンドラは弟に気づかれないよう気を引き締める。
「勿論手紙ですよ。
レンドール領まで早馬でも二日はかかるのですから」
入学式典のこと、特待生のこと、講義のこと、御三家の御曹司たちの適当な評価、現状の学園の様子。
差し支えない範囲で、虚偽にならない程度に真面目に話をする。
テーブルの正面に座り、カサンドラの報告をスラスラと速記するアレク。
時折彼から詳しい内容を問われることもあり、迂闊なことは口走れないとヒヤッとする。
もしかしてこの尋問めいたやりとりは毎週行われるのか?
最初だけかもしれないが、週の最後に少し重たいイベントが付け加わったものだなと辟易した。
アレクだって望んでいるわけではないから、被害者なのに。
――手紙。
その単語はまさに天啓が如く、カサンドラの深奥を衝撃で震わせた。
――手紙なら王子とコンタクトが取れるのでは?
王子は常に大勢の人に囲まれている。
側近の三人の誰かが傍に控え、カサンドラも簡単に話しかけることが困難なのだ。
人目があるから、王子は自分に会ってくれないのではないか?
人目を排することが出来れば、王子は自分と話をしてくれるのでは!
偶然の思いつきにしては、中々良いアイデアだと自分でも興奮した。
手紙そのままを渡すわけにはいかないから、朝早く登校して生徒会室の王子の机にそっと忍ばせておけばどうだろう?
王子がそれを読んでも自分を無視し、いない者として振る舞うならば……
いや、それは失敗した時に考えよう。
カサンドラは指定した場所で彼を待つ。
「アレク、ありがとうございます。
わたくしは貴方のお陰で、抱えている悩みを一つ解消できるかもしれません」
「姉上???」
いきなり面と向かって礼を言われたアレクはきょとんとした表情。ペンを動かす手を留め、胡乱な視線でこちらを窺う。
呆気にとられる彼の綺麗な碧眼に、カサンドラの上機嫌な様子がしっかりと映っていた。
どこにいても目立つ王子。
彼と二人で話ができるとすれば……
医務室に通る際に見かけた、二段の噴水。
その奥には大きな樹が等間隔で並べられ、ベンチも設置されている。
放課後なら人気も少ないはず、そこにしよう。
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