第8話 第一印象ブレイカー



 ――少し落ち着こう。


 重たい本を腕の上に乗せパラパラと紙面を捲るのを止める。

 動揺をおさめるため深呼吸し、歴史書をパタンと閉じた。

 本と本の隙間に空いた場所に分厚い背表紙のその歴史書を押し込む。


 恐ろしい状況に混乱を来しそうだったけれど、ここで意味不明なことを叫んで気が触れたのかと騒ぎになる方がまずい。

 精神的療養を勧められ遠方領地の飛び地に幽閉でもされたら元も子もない。


 第一、この世界が世界として成り立ち、カサンドラが何かしらの不思議な力で転生した事実は変わっていない。

 実はこの世界は張りぼてで、本を手にとったら全部白紙、真っ白でした!

 ゲーム内のただの背景です、という事態判明の方がよっぽど背筋が凍るではないか。

 虚構の世界に意識だけ飛んで行った方が救いがない気がする。少なくとも、この世界は現実なのだ。まだマシだ、と心を慰める。


 ここでカサンドラとして生きるしかない。


 世界が歩んできた歴史を変えることは出来ないわけで。

 こんな都合のいい世界が存在しているわけがないと地団太を踏むのは、後だ。

 記されていることはこの世界が矛盾なく今の状況に収まっている、究極のご都合主義のフォローでしかない。



 ここまで来て動揺してどうする。


 ゲームの中の登場人物に転生した。

 ここにカサンドラがいる、この世界には魔法も奇跡も存在するのだ。


 その上で自分の今後の行動の指針を再度確認する。



 まずは『悪意の種』とは一体何なのかを調べること。



 悪魔や聖女についても、通り一遍のことではなくもっと詳しく調べるべきだ。


 カサンドラの知りたい情報も書物を掘ればいつかは突き当たるはず。

 十五年間カサンドラとして生活していても、悪魔だなんだという話は耳にしたことがない。

 どこそこの地方で内乱が生じた、とか。辺境で不作の年が重なった、東に国境線を接している国と緊張した関係だ、とか。そんなリアルばかりだ。

 そもそも舞踏会やお茶会で悪魔だ女神だとかそんな話題が出るわけがない。貴族社会は悪魔よりも人間関係、畢竟生きている人間の方がよっぽど怖いのだ。


 そんな物騒な情報を集めているなんて知られても面倒である。

 カサンドラこそ悪魔を召喚しようとでもしているのかと、あらぬ嫌疑をかけられかねない。

 こっそり手に入れた情報をもとにして王子の様子を窺いつつ、彼が凶行に走るのを止めなければいけないのだ。


 ただの悪役令嬢たるカサンドラでは手に負えず、聖女の力が必要なケースを考慮すれば――

 三つ子のことも無視できるわけがない。


 三人いるならだれか一人は聖女の力に目覚めてくれ。

 どうせなら三人同時に目覚めてはくれないだろうか。

 リセットできないカサンドラの人生、せめて悪魔を何とかする手段がないと国の未来が詰んでしまう。


 ゲーム世界なので案外何周もループしているという可能性を否定できないが、人間は記憶の連続性を持って初めて”生きている”状態だと思っている。

 全てを忘れてやり直しなら、死んだも同じこと。

 今のカサンドラが消えずに生き続けるには、結局今の自分が何とかするしかない。

 余計な可能性ばかり論って、勝手に絶望するのは駄目だ。


 転生前の世界に帰れる方法を探すのと同じくらい、検証不可能な事象を危惧してもしょうがない。


 ――ブレるな。


  探そう。

  王子をラスボスにしない方法を。



 だがこの膨大過ぎる資料の中から、目的の単語だけを探そうとすれば一朝一夕では終わりそうにないのも事実だ。


 背表紙を確認して、それらしいテーマの本を探すのも骨が折れそう。

 日本で使われている言語をそのまま使っているという設定のお陰で、本のタイトルが英語の本も多い。

 この英語もどこぞの島国で公用語として採用されている言語。

 その島国は文化がクローレスより発展しているので王国内の学者の多くが憧れ、高度な論文めいた文章は全文英語表記という恐ろしい現実が広がっている。


 カサンドラが言語体系について今まで何も引っ掛かるところがなかったのは、前世も今世も全く同じものに合わせて”造られて”いたからだ。

 だから当然カサンドラも英語、この世界で言うファブレ語も外国語の一つとしてある程度読み書きは出来るが……

 論文まがいな堅苦しい文章を翻訳するのは無理。

 捨て置こう。


 外国ファブレ語のタイトルは一旦見ないことにして、日本語で書かれたタイトルを順繰りに指差して確認していく。

 もしかしたら歴史の棚には置いていないのかもしれない、その場合は宗教関係の棚にも目を通さなければ。

 しかし、日本語は便利だ。漢字のおかげで大体言葉で何を示しているのかパッと視覚的に把握できる。素晴らしい言語だ。



 最下段の本を総浚いしてみたが、思った以上にそれらしいタイトルが見当たらない。

 やはり歴史の棚にはないのか………




 どしん、と何かが床に落ちるような音がした。

 今自分は動揺しているので、そのせいで幻聴が聞こえたのかとも自嘲した、が。

 



「――――。」




 直後、物音がした辺りで人の話し声が聞こえる。

 今背表紙を確認している書棚のちょうど裏側、向こう側だ。

 カサンドラは身長を遥かに超えた聳え立つ本棚をじっと見つめた。



 好奇心に負け、恐る恐る隣の本棚の列を通りかかる――ふりをして一瞥する。 



「ここは図書館だ、場所を弁えるように」


 ぎょっとした。

 全くいつの間にやってきたのか知らないが、カサンドラの予想が的中して宰相の息子で王子の側近シリウスが腕組みをして注意をしている様が視界に入る。

 どうやら三つ子がひそひそ声で話していたのを見咎め、彼が注意喚起をする場面に出くわしてしまったようである。

 彼の姿を視界に入れた瞬間、条件反射で身を引っ込めた。

 危ない。


 まだカサンドラの存在は見つかっていない……はず。

 見つかったら凄く面倒な事態になりそう。


 シリウスが絶対来るだろうなと思っていたけど、本当に来るとやはり吃驚する。

 これがシナリオ、運命力とでも呼ぶべき引力だというのか。


 しかし……

 出来るだけ彼に気づかれないよう距離をとって、隠れて耳を欹てる。

 手元近くの本を手に持って読んでいるふりをしてみるが、完全に意識は彼らの方に向かっていた。


 一言注意だけで終わらせればいいものを、虫の居所でも悪いのか再度くどくど注意文句を並べようとするシリウス。

 正論の説教好きは、これだから鬱陶しがられるのだ。

 相手に非があればどこまでも何を言っても良いのだと思っている節がある。

 基本、勉強はできるが嫌味で皮肉屋なお坊ちゃんという第一印象だからしょうがないのだけど。


「貴方がシリウス様ですか?」


 三つ子は声がそっくりだ。

 だが語気やイントネーション、喋り方ですぐに見分けがつく。

 シリウスに対して真っ向から臆することなく声をかける、これは――リゼか。


「フン…。

 特待生だから大目に見てもらえるなど勘違いしないでもらおう。

 名乗りもせずに、お前は何様のつもりなのだ」



「失礼しました。私はリゼと申します。

 ……再度聞きますが、貴方がシリウス様でお間違いないですね」


「リゼ………?」


 彼の反応が、少し変化したように感じる。


「入学の合否確認の試験、覚えていますよね? 私、とても自信があったんです。

 特に算術は満点に近いんじゃないかって、自画自賛していたんですよ。

 まさか私よりも点数が上の方がいるなんて、世の中も広いと思いまして。

 次回の試験では、貴方に負けないよう一生懸命努力しますね。


 ――用がお済みでしたら失礼します。

 さぁ、リナ、リタ。こっち」


 もぅ一度こっそり彼女たちの様子を確認すると、リゼは二人を背後に庇うようにシリウスに対峙していたようだ。

 彼の叱責から逃れるように、妹たちの手を取ってシリウスの前から退場しようとする。


「ま、待ちたまえ! その不遜な態度は一体何なのだ!」


 若干テンパり気味のシリウスは、言葉足らずにもそそくさと横を通り過ぎようとするリゼの肩をぐっと掴んだ。


 もう少し詳しく話が聞きたい、という気持ちは伝わってくる。


 シリウスに対してこんな挑戦的な態度の人間なんて、この国に存在しなかったはず。注意をしていたはずなのに、いつの間にかするっと煙に巻いて逃げようとする彼女の行動に驚いていることだけは分かる。


 でもリゼが肩を掴まれ、毛虫が肩に落ちて来てもこんな不快な顔をしないだろうというくらい凄い形相をしていたもので。


 これは一大事とばかりにカサンドラは偶然を装って、彼らの前に姿を現すことにした。


「ごきげんようシリウス様。

 一体何をなさっておいでなのかしら?」


 にっこり笑顔でそうただすと、彼は己の行動にようやく自覚を持ったようだ。

 運動が苦手な彼と同一人物とは思えない、物凄く俊敏な動作でリゼから手を離して数歩後ろに退いた。

 剣術や体術の授業でもそれくらい素早く動けたらいいですね、と心の中で呟いた。


「カサンドラ嬢、何故君がこんなところに」


 絶対見られたくない相手に最悪な場面を見られてしまった。そんな状況でもシリウスは何とか場を取り繕おうとする。

 眼鏡が勢いで少しズレているのに気づき、噴出さないように堪えるのが非常に困難な事態だ。

 もしも制服でなければ、扇を広げて口元を隠していただろうに。


 ホホホ、と掌の先で隠す。


「――ここは図書館ですが?」


 全生徒に開かれた図書館にいて何がおかしい。

 目をスッと細めるカサンドラ。

 明らかに狼狽するシリウスの姿にどうしようかと少し考える。


「む……。

 そ、それもそうか。

 私はただ、場所を弁えず騒いでいた生徒に注意を行っていただけだ」


 断じて疚しいことなど何もない、と。

 少しズレた眼鏡を掛け直し、シリウスはわざとらしい咳払い。


「あらあら、まぁまぁ、そうでしたの。

 流石シリウス様、全生徒の模範となるべき方でいらっしゃいますわね。

 図書館で私語は慎まなくてはいけない、特待生は二度と同じ過ちを繰り返さないよう戒めることでしょう。

 シリウス様自ら忠告いただけたのですもの」


 リゼの肩を掴んで何をしようとしていたのかと正面から問いただしてやりたいのはやまやまだが。

 三つ子とシリウスの邂逅を目の当たりにしたわけではなく、万が一にも当初のやりとりでリゼ側の方に重大な瑕疵がある可能性が捨てきれない。

 変にシリウスを刺激して今まで以上に敵対視されても面倒だ。

 ここは見なかったフリで、わずかでも恩を売っておこう。





「わたくし、彼女達の姿を見失って困っていたのです。

 ――さあ、皆様行きましょう」




 シリウスはこちらから目を逸らし、カサンドラのいる場所を避けるように奥の通路へ歩いて行った。



 「うるさい」と注意する人の方がうるさいとは、これに限らずよくあることだ。

 だが三つ子に厳重に注意されるに足る理由があるなら、シリウスに悪いことをしたなぁ、とも思う。

 さて、何があったのか。




 ****





「リタが棚から本を何冊も落としてしまって。

 それを三人で拾って整頓場所を確認していたら、「うるさい」ってあの眼鏡……じゃない、シリウス様が不機嫌そうに近寄ってきたんですよ。

 で、なんか難癖つけられて面倒だなって。

 適当にお茶濁して逃げようとしたら、まさか実力行使に出られるとは思いませんでしたよ……。

 助けてくれてありがとうございます」


 廊下に出た後、カサンドラが事実関係の確認をする前にリゼの方からため息交じりに話してくれた。

 シリウスの地顔が不機嫌顔のせいだろうが、リゼの彼に対する第一印象はどうやら最悪を記録したようだ。


 どういうことだシリウス。

 こっちは何もしていないのに第一印象の段階で勝手にすっ転ばないでくれ。


「ごめんなさい~!

 私が不注意だったのがいけなかったんです。

 リナも足元、大丈夫だった? さっき聞き損ねたけど、足赤くなってない?」


「大丈夫、本の角があたったわけではないもの」


 しゅんと項垂れるリタの頭を、よしよし、とリナは優しく撫でる。


 リゼの初期パラメータは知力が高い。

 それでもシリウスにあそこまで肉薄するものだとは思っていなかった。


 思い起こせば、知力の初期パラメータが高いから選択学習で勉強系を選択しなくても、彼女は学期末の試験で10位には入ることが出来たはず。

 入学の段階ならシリウスと同じくらいなのか。

 そりゃあシリウスも驚くわけだ。

 あの様子だと、出来る・・・女生徒が入学したということを気にしていたのかもしれない。


 勿論所詮初期パラメータ、ケアしなければ二学期以降あっという間に順位が真っ逆さまに落ちていく。

 数値は残酷である。

 リゼを選ぶと最初のスケジュールに学習系を入れなくても何とかなるというアドバンテージが大きい。魅力や体力を上げるような調整に予定を使えるのだ。


 その分運動系を上げづらくて剣術大会では苦戦するのだけど、まぁ脳筋ジェイク狙いでなければ当面問題はない。

 


 学期試験で好成績だとシリウスだけではなくジェイクやラルフからも好感度が上がるから、順位は高いに越したことは無いのだ。

 割と恵まれている。






「折角皆様に同行いただいたと言いますのに、本当に何と言うことでしょう。

 お怪我がなくて何よりでした。

 わたくし、生徒会の一員として彼の言動や振舞について謝罪いたします。

 どうかご容赦ください」



 深々と三人娘に頭を下げる。




 図書館に行くというミッションはとりあえずこなすことができた。

 時間があるときに通わないと――



 恐縮して畏まっているリナ。

 きょろきょろと様子を窺い、どうしてカサンドラが謝るのかと首を傾げるリタ。

 そして何事が無言で思案したのち、




「あの方にまた絡まれたらと思うと、嫌ですね。

 カサンドラ様、図書館に用が出来たら一緒に来てくれませんか?

 凄く心強いです」



 リゼは明るく、そう言った。


 誘ってもらえるのは嬉しい。

 とても嬉しいのだけど……




 リゼには出来る事ならシリウスとの仲を進展させて欲しいカサンドラにとっては、とても複雑な気持ちである。



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