第7話 世界はいかに創られたのか


 学園の講堂では主に偉い先生から全体への講演や講義が行われる。

 入学したてのカサンドラ達はまだこの全生徒向けの講義室だけの活動しか参加していないが、来週から各クラス単位の授業が始まるはずだ。

 その専門の講義室が並ぶメインの建物から渡り廊下を北に進むと図書館がある。


 独立した一つの建物として生徒たちに開かれている図書館は、王宮蔵書庫に次ぐ多さの本がそろっているのだとか。

 ここは自由に使って構わないと説明を受けたときから、絶対に通うのだと決めていたカサンドラ。


 この物語の主人公の三つ子と一緒に図書館に向かうカサンドラはとても気分が良かった。

 三人を伴って回廊を進むと、彼女らの和気藹々とした様に癒される。

 気軽に話しかけて良いと前もって言っても、中々会話の中に入ることは出来ないのだが――他愛ない話を聞いているだけで今の状況を忘れることができる。

 

 恰も自身が主人公を侍らせているような現状だが、こんな姿をラルフに見つかったら物凄い嫌味が飛んできそうだ。

 出来れば見つからないように、と歩みを早める。


「私、図書館って苦手だな」


 心浮き立つカサンドラとは対照的に、黄色いリボンの元気印リタは本音を吐露する。


「だったら講義室に残ってればよかったじゃない」


「それは駄目だよ! 折角カサンドラ様に誘っていただいたのに!」


 主人公を動かしてゲームに没入していた時は、性格の差があると言っても個性が尖り過ぎていないと感じたものだ。

 だがこうして傍で眺めていると、こんなに外見のパーツがそっくりなのに中身は随分違うのだなと浮かび上がる差に驚きを覚える。


「二人とも、騒々しくしてはカサンドラ様にご迷惑です。

 もう少し静かにしましょう?」


「何よリナ。実は一番勉強が苦手なの、あなたじゃない」


 強い口調とともに、諫めようとする三つ子の妹をからかうリゼ。


「……そ、それでもです!」


 顔を真っ赤にして、彼女は首を横に振るリナ。


「リナさんは読書があまりお好きではないのかしら?

 無理にお誘いしてしまったのかもしれませんね、申し訳ありません」

 

 何て、ついついカサンドラまで悪乗りに加担する。

 そんなこと当然知っているくせに。


「本は好きなのですが…その……」


 もじもじと恥ずかしそうに俯くリナ。


「読むのが遅いし、基本リナって鈍くさいから試験が苦手なんですよね。

 良く合格ラインに乗ったものだと吃驚しましたよ」


 ゲームの設定上の都合、要するにカサンドラが記憶を思い出すまで悪役令嬢として振る舞っていたように主人公達もそれから逃れられないのだろう。

 気品のパラメータが上昇しやすいのに、知力のパラメータは上がりづらいという謎設定のリナ。

 今現在、その煽りを被った形になっている。


 礼儀正しい人が皆知識を持つ賢人というわけではないし、全くの矛盾とまでは言い切れないか。


 こうしてリナを見ていると意外性を感じずにはいられない。

 優しくていい子で優等生タイプに見えるのに、だ。

 

「何事も丁寧過ぎるのがリナの悪いところよ。

 完璧を求めがちだから、同じところで延々と詰まって効率が悪いったら。

 ……努力家なのは認めるけど」


 リゼの淡々とした指摘にぐうの音も出ないようで、恥ずかしそうに俯いたままだ。

 彼女の話しぶりから察するに、リナは要領が悪いということなのだろうか。


 試験というものは満点を取るものではなくて、分かる問題を少しでも多く、間違いをいかに減らすかと言う効率が大事なのは大学受験で思い知った真理である。

 あまりにも自分に合わず解けない問題は思い切って捨てるという大胆な判断さえ時には必要とされる。


 ああ、序盤の大問の最後の項目で飛ばせずに、ずっとそこで格闘するタイプか……

 几帳面で丁寧な性格が勉強の面で仇になることもあるのか。

 その視点はなかったな、とカサンドラは納得した。


 要領が良くないと時間効率が下がるのは当然だ。

 初期パラメータが示す通り、彼女は所謂お勉強が苦手。


 だがそこで終わらず、元来真面目な性質と丁寧さのおかげで、この学園に来るなら社交界の『作法』を学ばなければと努力した結果が今の彼女だ。


 ……覚えることが苦手だとしても、必要だから繰り返し練習して身に着ける。

 勝手な人物評だが、リナの横顔を見ていると間違ってはいないと思う。

 こちらの慣習に合わせないと失礼だという思いやりがないと、中々思い立って実行できることではない。

 なんでわざわざ自分が相手に合わせないといけないのかという、このくらいの年頃なら抱きかねない傲慢さが欠片もないことは凄いと思う。


「苦手な分野など、どなたも必ず持ち合わせているものではないですか。

 気に病むことではありません。

 堅実な努力を続ける能力、それは素晴らしい才能の一つだとわたくしは常々思っております。

 それに良くお聞きになって?

 今は苦手と思われる分野でも、リナさん次第でいくらでも高めることが出来ますわ。わたくしが保証いたします」


 どの性格の主人公でも、女王になるための条件――高水準に均一に高めたパラメータに到達することが出来る。

 初期の状態など吹けば飛ぶような些細な差でしかないのだ。

 勿論それに至るまでが大変なことで、漫然と適当に日々を過ごしていたら達成できるものではない。




 だが潜在力は確かに備わっている。

 彼女たちはまさに何にでも”なれる”可能性の塊の少女なのだ。




 リナの気恥ずかしそうに頷く姿を見ると、やっぱり主人公というものは特別なのだなぁ、と思う。

 ほわほわと、彼女の周囲に小さな花が舞う幻覚が見えた。

 やはり人間は顔の造りだけではない、表情や仕草、雰囲気の方が大切だ。 




 



 浮き立つカサンドラの気分が、一気に”恐怖”に染まるのにさほど時間はかからなかった。

 この衝撃は、生涯忘れることはないだろう。




 図書館の扉を開け、中に入る。

 そしてその光景を目の当たりにした瞬間、得も言われぬ気味の悪さに襲われた。


 カサンドラは歴史の棚にふらふらと吸い寄せられる。

 三つ子は声を潜めながら、どんな本があるのかと再び探検じみたような行動に出たようだ。

 リナはこちらの様子を気にかけているようでチラチラと視線を向けてくる。

 が、カサンドラの邪魔にならないようにとの配慮か、会釈をして二人の後に一緒についていった。


「クローレス王国の、歴史……」


 引き寄せられるように本棚に置かれた適当な分厚い本を手に取った。

 この図書館には数千、いや数万の蔵書が所狭しと並んでいる。

 図書館だと当たり前のことだ、なんてそんな簡単な話では済まないことに、カサンドラは気づいてしまったのだ。


 皮装丁の書物をパラパラと捲った。

 次第に指の先が冷たくなり、動悸が激しくなるのを感じる。


 ――この王国の歴史を事細かに記した書物である。


「これ……エルシア語……ですけど……そういえば。

 全部、日本語?」


 日本語だけではない、アルファベットもある、アラビア表記の数字がある、棚を見れば英語のタイトルの書物もしばしば見つかった。

 今まで自分が何の気なしに使っていた文字は、エルシア語と呼ばれる言語だとカサンドラは知っている。


 でもこれは日本語だ。

 そして英語や、数字さえも前世の自分が知っている表記で書かれている――



 ファンタジーを舞台にしたゲームでも特に、乙女ゲームには暗黙の了解、いわゆるお約束がある。

 キャラクターは日本語で話し、価値観も現代日本人に近く、背景の文字はアルファベットや数字、漢字だって普通に使われてる場合もある。

 当たり前だ、だって日本で作られたゲームだから。


 異世界を舞台にする場合、最初から全ての設定を変えるややこしさは労力の割に難解さや製作者の自己満足以上の益を齎さない。

 本格ファンタジーの世界なら、全てを最初から構築して作り出すだろうが。


 違和感なく、日本の女の子が楽しめるように。

 お手軽に剣と魔法、王侯貴族だののファンタジー世界で恋愛が楽しめるように。


 なんでそんな言葉を使う? なんで曜日表記なの?

 いちいち突っ込んでは物語は成り立たない。気になるなら最初から現代日本を舞台にしたゲームを楽しめばいいのだ。

 そういう突っ込みは無粋。気にしたら負けである。


 丸々ひっくるめて「そういうもの」として、ゲームの世界に浸るのだ。


 この『黄昏の王国 純白の女王』というゲームは、普通の女性向けの乙女ゲームだ。

 話す言葉は日本語だし、背景にはアルファベットで表記された看板があったり、時間の概念や数字もアラビア数字準拠である。



 今カサンドラが立っているこの世界は、ゲームの世界を矛盾なく構成するために――

 ゲームでは明記されてない箇所、その間隙を利用して何者かが辻褄合わせの歴史を創り出しているとしか思えない。


 壮大な二次設定を見ている気持ち、この感覚は非常に例えづらいものだ。


 ゲームの中で語られることは『明確な事実であり情報』なのである。

 公式設定と呼ばれるものだ。

 このゲームで言えば、カサンドラという悪役令嬢がいる、主人公の少女が王立学園に入学する、そういう明らかな設定は覆すことが出来ない。

 それは事実であり、前提だ。


 でも実は語られない裏でこんな設定があるのでは…

 ゲーム内では見ていないけど、もしかしたらこんなことがあったかもしれない。

 実はあの後、二人は手を繋いじゃったり?

 シリウスが嫉妬しててもおかしくないよねこのシチュエーション!

 さっきラルフが言ってたことと違うけど…多分こういうことかな?



 新たな解釈に思い至り、自分なりの設定を創ったり。

 このままだと納得できないから、自分を納得させるために勝手に裏設定作ったり。


 公式設定に矛盾しないなら、語られていないことを想像するのはそれが間違っているなんて誰も言い切れない。


 思うことは自由だし解釈の余地があるのだから各自補完して妄想するのも、ゲームの楽しみ方の一つである。

 それを文字通り『世界規模』でやってると気づいたこの恐怖。



 日本において、ひらがなの由来や文字の由来は調べれば歴史の中で様々な変遷、紆余曲折経て現代の日本語まで至ったと分かるものだ。

 生活習慣や歴史の集大成、それが言語。


 今、カサンドラ達が読み書きしているエルシア語を例にとろう。

 何千年も前から言葉が変容し、形態を変え、偶然にも・・・・日本語と全く同じ言語に至った、ということになっている。


 その数千年に至る歴史をこの世界が生み出している。

 ひらがなも、カタカナも、この世界ではこういう変遷を経て今の王国に定着しているので使ってもおかしな話ではない、当然の事なんだと。

 中世ヨーロッパ風のファンタジー世界、異世界で何で日本語が使われているのかと言う根本的な問題を、言葉の成り立ちの歴史をまるっと創造して解決している。

 この世界観を壊さない程度に、成り立ちも微妙に変えて。平安時代はなくて、別の国の別の時代に作られた言語を元に――など。

 あまりにも、力技過ぎる。



 日本語と全く同じ読み方同じ表記の言語だけど、”この世界”ではエルシア語と呼ばれる言語なのだ。

 英語と呼ばれる文字も、とある別の島国で発展した言語。それをカタカナ表記にしてエルシア語に混交して使うのが今の時代の流行。


 エルシア語を使っているからゲームの台詞が日本語や外来語を使っていても矛盾しない。むしろこの言葉遣いこそこの国では当たり前。

 歴史まで捏造、いや一から構築されて詰め寄られれば、それはそうですね、と納得する他ない。

 だってこの世界では史実であり、現実なのだ、異世界で現代日本語と全く同じ言語体系になる可能性は――ゼロではないわけだし。

 限りなくゼロに近いが、ゲームの世界で日本語を使う事情、歴史を世界が創る。何それ怖い。


 語られない設定を補完するために、数千年数百年前から辻褄が合うように世界を創って、今に至っているのではないか? という恐ろしい想像をしてしまった。


 この文字が作られた、この文化が発生した、など。全てがつじつまが合うようにこの世界自体がゲームの世界観を完全に補完している。


 この衝撃は大きかった。

 多分製作者でも考えていない世界の成り立ち。


 だって、一々創作するときに考えるだろうか。

 米と言う概念、料理と言う概念、何故物は上から落とすと下に落ちるのか――などなど、無数の相関性を考えて新しい世界のストーリーを作るなんて、そのまま人類の歴史や世界の成り立ちを考え把握することに等しい。

 人間には無理だ。


 『黄昏の王国 純白の女王』たるゲーム、その世界の中に香織は転生してしまった。

 こうして実体を伴って生きている。

 即ちこの世界は虚構ではなく、”実在可能な世界”だということ。

 世界観を歴史丸ごと補完してくれる何者かの手によって、カサンドラはここに立っている。生活できる。


 全てが全て、ゲーム内設定に矛盾しないように――歴史が補完されているのではないかと気づいてしまった。

 何者かの意図が介在しないと、ここまで都合よく地球や日本に似た微妙に異なる歴史を歩む世界なんて実在するわけがない。


 この数万の蔵書はこの世界の過去を記しているものであると同時に、ゲームの世界を現実に存在させるため創り出された歴史そのものを表しているのだ、と。 


 日本でないのに日本語使ってておかしい、という重箱の隅を突くようなゲーム内設定は枚挙にいとまがない。

 こんな世界はありえない、虚構うそだ、空想の産物に過ぎない。

 と、多くの人間に実在性を否定されるのがゲームの世界。

 いや、それでいいのだ、実在しない夢の世界を疑似体験できるから楽しいのだから。本来なら超絶美形の貴族の御曹司がただの少女に恋して結ばれるとかありえない、虚構だから許される。 


 でも――この世界は、否定されないために、補完してるんだ。


 この世界で日本語と全く同じ表現を使うのは当然で何にも矛盾しないと、この世界がこじつけているのだ。


 数字表記をゲームですれば、アラビアに似たどこかの国から作ってきた数の概念が王国に入って来て使われるようになった――

 ありとあらゆる事象が、この数万もの蔵書の中にびっしりと『歴史』『知識』で記されれているのである。



  嘘でしょう?



 ドラマを撮影するために、大道具が舞台セットを組み上げ

 小道具が外見をそれっぽく整えるのは分かる





 でもゲームの世界を現実に”存在”させるために、一から新しい人類の歴史を創り出すなんて……

 正気の沙汰ではない。



 ゲーム内で語られていない裏側で、ゲームの世界観を成立させるために『世界』が勝手に歴史を補完する。



 ぞっとした。

 こんなことが出来るなんて、それはまさに神の所業ではないか。


 昼に目にした、創造神ヴァーディアの像が脳裏にサアッと過ぎって消える。






 『黄昏の王国 純白の女王』、あのゲームは一体何なんだ?

 一体どうして、こんなゲームの世界が生み出されてしまったの?

 何故、「私」はその中のキャラクターに転生したの? 



 それともこれは、夢なの…?

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