第4話 三つ子の三女は天使かな?
医務室の担当医はカサンドラの姿を見て明らかに動揺した。
レンドール侯爵家の一人娘が怪我や病気なんて一大事、と顔が蒼白だ。
「気分が優れません、少し休ませてください」
どこかが痛いわけでもない。急に自分がこの世界に転生したと気づいた衝撃が未だ残っている。
眩暈、倦怠感、頭痛。それらは所謂風邪の諸症状。
だが自分が風邪ではないことはカサンドラが一番良く分かっている。
「こちらの寝台をお使いください。
失礼ですが、ご家族の方はご存じでいらっしゃいますか」
一番奥のカーテンで仕切られた寝台に案内される。
家族の――というより、迎えに来た馬車の御者の事を指しているのだろう。
「構いません、お気遣い感謝します」
カサンドラは王子の婚約者、将来の王妃候補だ。
先ほどもラルフが言っていた通りカサンドラは普通の生徒とは立場が違う。入学したばかりだが、生徒会に名を連ねると既に決められていた。
未だ召集がかかっていないが、その内活動に参加するよう声が掛かるはずだ。
朝の時間は決まっていても帰宅時間は確約できないと御者には伝えている。
言いつけ通り、無駄に騒がず待機しているはずだ。
「リナさん、ありがとうございます」
胸元に手を置き、カサンドラは微笑む。
釣り目がちで黙っていたら険しい印象を他社に与える悪役顔。だから小動物のように愛らしい彼女に威圧感を与えないよう、表情筋肉をフル活動させた。
「こちらこそ、カサンドラ様とお話が出来て嬉しかったです!
どうかお大事になさってください」
まさか新入生医務室利用者第一号が自分になるとは思わなかった。
冴えない一日だったけど、リナと距離が縮まり浮かれている自分がいる。
断罪イベントを思うと主人公に近づくのは危険だ。
危険を通り越してもはや愚行だ。
警報が鳴っているのはわかる、でも彼女とはこの先も同じクラス。
全く無関係でいるよりも動向を窺い知れるポジションを手に入れる方がカサンドラも動きやすい、と無理矢理自分を納得させる。
主人公のほんわかオーラに勝てなかった、それが本音だけど。
頭を下げて医務室を出ていくリナの姿を見送り、カサンドラは寝台の上に横になった。
熱もない、少し気分が悪いだけ。
要するに精神的なストレスが原因なのだと思う。
彼女の言葉に甘えて、少しだけ――休もう。
うつらうつらと夢と現の狭間を行き来する。
夢うつつとは今の状態を指すのだろう。
――……私、退行してる……
この体に『前世』が馴染んでる
昨日カサンドラは転生前三十年近くの記憶を思い出してしまった。
まるで落雷に撃たれたような衝撃はカサンドラの頭の中をめちゃくちゃにかき回し、混乱を来した。
次第に記憶は馴染んでいったのだけど……
元はアラサーのOLである。
ゲームプレイ中は敢えて気にしないようにしているが、十歳も年の離れたキャラクターと共に行動したりましてや恋愛なんて……
現代日本なら犯罪に等しいシチュエーションだ。
体は十五歳になっても、良い歳をした大人が子供相手に!
こんなにときめいてしなうものなの!?
そう思い至った時、愕然とした。
三十年近く生きてきた香織の精神年齢は今の体に引き摺られ、心身ともに『十五歳のカサンドラ』と一体化している。
いや違う、逆だ。
香織が、転生前の香織の精神年齢が……実は十五歳から、成長していなかったのではないか!?
ガーンとショックを受けるがそう考えると納得出来る。
十五歳のとき、香織は乙女ゲームに手をつけた。
時には妄想が爆発して、こっそり二次創作なんかにも興味を示して。
大学に入って一人暮らしをして、インターネットを自由に使えるようになって一層その趣味に拍車がかかる。
就職して稼ぐようになっても、上司に言われることをそつなくこなして定時で帰ってゲームをすることが生きがいで。
自分を高める努力、受験勉強と就職活動以外に何かした?
……私、変わってない! 成長してない!
十五歳の時、二十歳は大人の女性だと思ってた。
二十歳の時、三十歳はもっと大人の女性だと思ってた。
ゲームや漫画なんて時間が経てば自然に卒業するものだと何となく信じてた。
でも二十歳でもゲームが好きだし三十歳近くなっても結婚相手もいなくて、ゲームが好きだし。
現実はただ年を重ねただけで十五歳の頃の自分のままなのではないか。
むしろ自分が十五歳の時より、この世界の十五歳は精神的に大人だ。
前世の香織よりもよっぽど大人だ。
ゲームの中の世界に生きる彼らは、その中の現実で責任を果たして生きている。
ドレスを着てパーティばかりなんて、お姫様っていいなぁ――
そんな御伽噺に出てくる令嬢なんてどこにもいない、皆自分の家に責任を持って生活していた。
貧富の差もあって、時には飢饉によって戦争が起こる『世界観』のゲームの中では香織の温い三十年の軌跡など逆にお子様思考と言ってもいいのでは?
誰かの人生を背負ったり、他人の責任を伴って何かに臨んだことが香織にあっただろうか。
ラルフも、ジェイクも、シリウスも、王子も。
ゲームの中のシナリオではただただ主人公とイチャイチャラブラブしていた三年間だけど、彼らはその立場に相応しい人生を歩んでいるわけで。
悪役であるカサンドラさえ、その立場を全うするために今までいくつもの習い事や家庭教師について勉強し。社交界で相応の振る舞いを強いられ、それをこなした。
案外、前世の自分よりもしっかりしてるのでは?
だから違和感なくカサンドラとこんなにも同化して馴染んでしまった
むしろ礼儀作法などカサンドラが興味なく学んでいなかったら大変なことである。
本来なら十歳下、十五歳の王子にこんなにドキッとしてしまう。
顔が好みだからという理由もあるけれど、年下だから……なんて全く思えない。
香織が秀でていることなんて、ただこの世界の攻略情報や乙女ゲームのセオリーが頭に入っていることだけだ。
退行していることも合わせ、精神的お子様だった部分が嫌に馴染んでいる。
だから完全にこの世界のカサンドラとして行動できる。
でも香織の前世の記憶は情報として、この世界で役に立つはず。
それくらい役立たせてください神様!
今までのカサンドラと前世の記憶の中の香織。
二人の記憶を持つカサンドラ・香織・レンドール。
でもこうして眠くなったりするのは『自分』。
お腹がすいたなぁ、と空腹を感じるのも『自分』なのだから
ぐぅ。
腹の虫の鳴き声に、パチッと目を醒ます。
サイドテーブルの上に、講堂に置いたままだった自分の鞄が置いてあるのに気づく。
どうせ帰宅する時は講堂前を通るのだし、とそのままにしていた学生鞄。
その手前に、何かある。覆う布を手で抓むとサンドイッチが鎮座しているではないか。
『御迷惑でなければ、召し上がってください』と書かれた紙にはリナの名前が添えられている。
流石近い未来の聖女様、いや選択肢によっては女王陛下にもなりうる逸材だ。
悪役令嬢の心までも、がっちり掴んで離さない。
※
少し眠ったおかげですっきりした。
帰りの馬車から降り、カサンドラは王都の別邸に帰宅する。
学園の生徒なら寮が用意されているのだが、位の高い貴族の家はそれぞれ王都に滞在用の別邸を所有しているのが当たり前。
地方貴族ならいざ知らず、レンドール侯爵家だ。小城のような別邸を王都の一等地に持っている。
もっとも、男子学生は身分の高低に関わらず寮で暮らす者も多かった。
攻略キャラは皆男子寮に住んでいる――はず。
多分、その方が楽だ。寮は学園に隣接しているのでまず遅刻もないだろうし。
貴族の令嬢は割と親が心配するので……
いくら王家の手が入っているとは言え、深窓のご令嬢を強制的に寮に入れるように指導などできない。
”家”の監視下から離れるなど論外、と言う親御さんの気持ちも分かる。
万が一、お嬢さんに不名誉な噂が流れてしまったらお家の一大事だ。
男子生徒なら最悪の場合愛妾として囲います宣言が出来ても、女子生徒はそういうわけにもいかない。
カサンドラの親も例に漏れず、別邸から通うように手配済みである。
「……寮に入れてもらうよう、お父様にお願いしようかしら」
寮生活は窮屈だろうが多くの生徒と知り合えるし話す機会も多くなる。
社交界にも影響するし、顔を繋げたい生徒は寮生活の方が都合が良い。
カサンドラが寮に入るとなったら、かなり面倒な手続きを要する大移動になりそうだから今の今とは言わないけど。
有無を言わさず寮暮らしの主人公とはこんなに待遇が違うのだと思い知らされた。
「お帰りなさい、姉上」
扉を開けると義弟のアレクが片手を挙げて待っていた。
本当に十歳かと疑いたくなる整った顔立ち、カサンドラより長い睫毛は反則だと思う。
入った瞬間、ピッカーと光り輝くに少年に出迎えられるのは、まんざらでもない。
「まぁアレク、出迎えてくれてありがとう」
ただ挨拶を返しただけだ。
それだけなのに、彼は露骨に眉を寄せ訝しむ。
「昨日から思ってたんですけど……
姉上、少し変じゃないですか?」
碧眼を細めて不審そうな表情。
恰も罪人の罪を暴くような視線を向けられるカサンドラはたまったものではない。
「え? そ、そうかしら」
頬に手を当て、小首を傾げる。
「姉上はもっとこう、偉そう……と言いますか、わざわざ僕にお礼を言ったりしないと言いますか。
朝も使用人に文句の一つもつけなかったそうですね、彼女たち逆に怯えていましたよ」
ジーっとこちらを凝視する美少年。
そういえばそうだった、カサンドラが悪役令嬢として世界に選ばれたのにはそれなりの理由がある。
転生の記憶を思い出せなかった期間のカサンドラは、鼻持ちならない高慢な令嬢……とまではいかないが、それなりに高飛車だったり高圧的な人間だった。
貴族の令嬢、上に立つものとして下の者に容易く頭を下げないというプライドを確かに持っていたのだ。
でも悪人ではなかった。それは断じて違うと主張したい。
侯爵令嬢として周囲に幼いころから傅かれてきたら、そりゃあ偉そうなお嬢さんになるよな、と。
ある意味真っ当な成長を遂げたのがカサンドラだ。
暴力に訴えたり直接的な悪口を言ったりはしてない。もう一度心の中で頷く、断じてそんなことはしていないと。
――嫌味や皮肉、使用人の細かい失態を目ざとく見つけて叱責するのは日常茶飯事だったかもしれないけど。
この国で”誰も逆らえない高慢ちきな令嬢”として、振る舞うように定められた存在。
カサンドラ・レンドール。
「そ、それは……
学園に入学するにあたって皆様と早く馴染めるよう、少しばかり言動や振舞を見直しただけです」
すると今度は目を大きく見開くアレク。
「そんな! 姉上がそんな殊勝さをお持ちだったなんて……!」
失礼な。
一体姉をなんだと思って接してたんだこの弟。
喉から声が出そうになるのを、ホホホ、と笑う事で誤魔化してみる。
「昨日姉上の部屋を退出する時にも思ったのですが……
まるで
ドキッとした。
五つも年下のアレクが、こちらを見透かすような言動をするものだから。
実際に転生の記憶が蘇ってしまったカサンドラとしては答えようがない。正直に言ったところで頭の病気を疑われるだけだ。
悪いものでも食べたのか、頭を打ったのかと侯爵家を上を下への大騒ぎに陥れるに違いない。
「そ、そんなことよりもアレク。
貴方、そろそろ領地に戻りませんの?」
アレクがこの学園に入学するのは五年先の話だ。今こうしてカサンドラと別邸に滞在する必要はない。
「お忘れかもしれませんが、僕は義父上から姉上の目付け役を任されています。
帰りたくても、帰れませんよ……」
弟のアレクに行動を監視される自分が少々悲しくなってきた。
まぁ、彼は大人びているし。日本の小学生と比べるのは彼には失礼だろう。
遠縁でも幼い時分に見知らぬ屋敷に連れられ、次期侯爵としての教育を受けている。
お互い普通の子どもという立場ではないのだとこういう時にヒシヒシと感じてしまう瞬間だ。
「そう…。
貴方がレンドールへ戻りたいのは当然です。
わたくしがしっかりしているとお父様が認めて下さったら、目付けの必要もなくなるはず。
早く領地に戻れるよう、わたくしも努めましょう」
「姉上、本当に頭のお加減は大丈夫ですか?
熱があるのではないですか?
やっぱり頭をどこかで打ちました?」
アレクは混乱し、錯乱したように詰め寄る。
これでも彼を心配し気遣っているのだ。
姉に対する言葉とは思えない、と額に青筋が浮かび上がりそうだ。
それほどカサンドラは豹変したのだろう。若干、不安になってくる。
でも元々、この娘は意地悪な性根を持っていたわけじゃない。
十五年の全てを実経験したのだ、間違いない。
言葉や態度が圧倒的に足りないところはあったけれど、攻撃的な性格ではなかったはずなのだ。
――これが悪役補正、か。恐ろしい運命力。
「ところで、王子にはお会い出来ましたか?」
息を呑む。
思い浮かぶのは、彼の爽やかな笑顔だ。金髪碧眼、眉目秀麗。
「ええ。素敵な方です。
それにとても、……多忙でいらっしゃるようでした」
今、自分は上手に微笑めているのだろうか。
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