第5話 三者三様
今日から本格的な学園生活の始まりである。
ゲームでは一瞬で移り行く日付だが、今のカサンドラにとっては現実世界と同じだけの重みと長さのある一日。
この先を思うと無駄にはできる時間なんてない。
タイムリミットは卒業パーティ。
三年もある、と思うか三年しかない、と思うか……
念入りに髪を梳かす使用人の姿が、自分の姿とともに大きな鏡台に映っている。
腰まで真っ直ぐに伸びる金髪は自分でも驚くほど綺麗なものだ。
華やかさを増やすため、カサンドラは職人芸の編み込みを重ねたハーフアップにしてもらっている。
自分一人ではできない髪型だ。ゲームの中のカサンドラもこんな髪型だったけれど。
メイドが毎日セットしてくれる環境でないと不可能だなとしみじみ思う。
金髪はどんな髪型でもサマになるものだが、このゲームの悪役令嬢が縦巻きロールでなくて本当に良かった!
あれは絶対、セットする時間が半端なくかかる。
己のささやかな幸運に感謝しつつ、不必要にサイズの大きな鏡台に映る自分の姿を見た。
何とも言えない気持ちがこみ上げる。
鏡でまじまじと自分の姿を見るのはやめよう。
折角美少女に転生したのに勿体ないことだけど。
気を逸らすため、今日の予定について考えることにした。
この世界でまず一番気にかかることは、当然王子のことだ。
彼はこの世界のラスボス。
主人公が聖女、王子がラスボスという根幹が揺るいでいないという前提で考える。
もしもこの世界の王子がラスボスじゃなければ何の問題もない。
王子がラスボスにならない場合――
昨日のように王子がこちらをやんわりと拒絶するのも、直近まで女生徒に囲まれていたにも関わらず『用事がある』とそそくさと去っていったのも。
実は王子は極度の照れ屋さん。
若しくは単純にカサンドラが嫌いで近づきたくない! というだけのオチと化す。
それならそれで、悪魔も出現せずこの世界は恙なく回り続けるハッピーエンドだ。
カサンドラが王子の己への扱いにショックを受けて寝込む。それで済む話ともいえる。
主人公は聖女にならず王子も闇落ちしないなら、当面の平和は保たれるということだ。
その仮定は希望的観測過ぎる、やはり王子がラスボス化するのをなんとかする必要があるだろう。
そもそもラスボスでなくても、ラスボス足りうる原因を排除しなければ王子は操られて悪行を続けることになるわけだ。
いつか悪魔と化す爆弾を抱え続ける、そんな未来を避けたい。
「……『悪意の種』……。」
その単語に思い至り、声が漏れた。
王子だって自ら望んで悪行三昧だったわけではないと信じたい。
二周目以降の序盤で王子の姿が出てくると、爽やかな笑顔で裏で民を虐げるとかこの外道! 美形! サイコパス! と画面越しに思っていた。
でも昨日会った王子が賄賂だの殺人だの施設放火だの恐ろしいことを今現在進行形でしているのかなぁ? と甚だ疑問だ。
感情の起伏が少ないところは、確かに怪しい。
カサンドラを遠ざけるところも、見ようによっては王族としてグレーな行動だ。
態度だけでは判断が難しい。
そこで物語の諸悪の根源として思いつく単語が、ゲーム内で出てきた悪意の種とやらである。
王子が黒幕と判明、悪魔を喚びだすアニメーションとともにラスボス戦に突入する。
『悪意の種が王子を操っていたんだ!
悪魔に乗っ取られたあれはもう、アーサーなんかじゃない、この世界に再び喚び出された災厄だ!』
共に立ち向かう恋人が、黒い異形を指差して叫ぶ。
このままでは悪魔は王国ごと人間を喰らいつくし、世界を恐怖で染めるだろう。
止めなければ! たとえ彼が、この国の王子だったとしても……!
勇ましいナレーションと共に、聖なる輝きを放つ剣を掲げる主人公。
確かに判明していたことは、悪魔は魔王のような恐怖の対象で倒せるのは女神の力を具現化させた聖剣だけ。
聖剣を顕現させ、使うことができるのも聖女だけということ。
悪意の種は呪いの道具でそれを植え付けられた人間は操られ、悪魔を喚び出そうとしてしまうのだと。
悪魔を喚ぶのに必要な糧は人の不幸、負の感情。王子は今まで
追い詰められた王子は
ゲーム内で言及されたわけではないが、悪魔を喚ぶために必要な負の感情、その最後の一押しが王子自体の絶望、怒り、悲しみ、恐怖、後悔……それらだと仮定するなら、なんと救われない話なのだろうか。王子可哀想すぎない?
プレイ中は酷いことをする王子もあったもんだ、とか。まさか王子が犯人かよ! という諸々の衝撃の末なのでそこまで想像が及ばなかったけど。
王子に救いがないことで大幅減点しようと思った前世の自分は正しかったのでは。
結果的に悪魔たる異形に身を変えた王子に、聖剣で立ち向かう主人公。
倒すことが出来れば、主人公は聖女として国を救った英雄だ。
完璧なパラメータに仕上がっていれば、人々に讃えられて女王と立つ真EDへ。
王配となった恋人とともに国を治める、主人公のスーパー立身出世である。
惜しくもパラメータが足りない場合は女王ではなく、国を救った聖女として国の象徴となり想い人と末永く共に暮らすこととなる。
……。
二回目以降のイベントはつい飛ばしてしまいがちという悪癖のせいで、終盤の記憶も結構曖昧だ。
パラメータの数値管理、フラグ管理に精魂尽き果てている状態だから…。
諸々を乗り越えての王子戦、プレイヤーも疲れている。
苦労の末辿り着いたシリウス真EDで祝杯をあげたのも致し方ない事なのだ。
それにしたって、もっとしっかり読み込んでおけばよかった。
白状すると――深く考えていなかった。頭空っぽにして愛だけを詰め込んでいた。
乙女ゲームに冒険小説なみの重厚で壮大な設定を求めても……そこをめちゃくちゃ凝るなら恋愛イベントを増やして欲しい!
本格ファンタジーの世界に浸りたい時はそのジャンルの本を読むから。
正直、王子を亡き者にするためにラスボスにしたな? という疑惑が晴れない。
だからこそ、探せばどこかに粗があるのかもしれない。
そこに付け入るスキがあるのでは?
シナリオの穴、設定の粗をつく。
……そのために、調べないと。
悪意の種とは?
霧のようなつかみどころのないふわっとした単語では対策など練ることはできない。
『悪意の種』はどんな形をしていて、いつ王子に植えられるのだ?
誰 が 植 え 付 け る の だ ?
もう 既に 彼の中に………?
表情を固くしたカサンドラ。
髪の毛のセットを終えた年配のメイドは胸の内などわかるわけもなく、叱責を受けるのではないかと恐々様子を窺っている様子だ。
「
お気に召さないところがございましたら仰って下さい」
「問題ありません。ご苦労でした」
サッと仕上がりを確認し頷く。左右非対称だったり、癖がついている箇所があるわけでもない。
自分で修正することが出来ないから、少々のことで文句があるわけがないのだけど。
今のカサンドラは二日前までの自分の偉ぶった振舞を思い出し、顔を覆ってしまいたくなる。
あんなことを続けていては、”悪役令嬢たれ”というゲームの強制力に抗うことなどできない。
卒業パーティで彼らに追放されかねないような『悪役』にはならない、それがカサンドラの第一使命だ。
うっかり王子を救うどころの話ではなくなってしまったら――何のための前世の知識なのか。
「お嬢様、こちらが焼き菓子です。
どうかお持ちください」
綺麗な包みには、屋敷の料理人が焼いたお菓子が詰め込まれている。
「ありがとう」と頷き、テーブルの上に支度済の鞄にそれをしまう。
ほのかに甘い匂いが漂った。
勿論これは昨日のサンドイッチのお礼で、リナに贈る焼き菓子だ。
こういう時、女の子の心得がある娘だったら自分でお礼のクッキーでも焼いて驚かせることも出来ただろうに。
生憎、この世界で調理場に入ったことはない。
レシピがないのにお菓子なんか作れない……不器用な自分が情けなくもある。
プロの料理人に完成度の高いスイーツを作らせて持っていったところで受け取る方も困るのではと考え、簡単な焼き菓子にしてもらった。
数を多く小さめに焼くよう指示をしているので、リナに渡せば三つ子で分けて食べるのにもちょうどいいはずだ。
彼女の笑顔を思い出すと、カサンドラの心は自然と軽くなった。
※
下級生のために開かれた講堂に入ると、和気あいあいと輪になっていた三つ子の一人と視線が合った。
小さく手を振って、彼女たちの傍に歩み寄る。
「おはようございます、リナさん。そして――」
当然一緒に話をしていた、リナと同じ顔の二人も視界に入る。
二人はカサンドラを見て緊張に身を強張らせ、ぐっと口を引き結んだ。
数日前まで田舎暮らしをしていた彼女たちが急に自分に話しかけられたら、そりゃあ言葉も失うだろう。
リナが話しかけてくれたこと自体が奇跡である。
眺めていると昨日の三つ子との違いにいち早く気づいた。
三人とも、それぞれの髪に色違いのリボンをつけている。
色の違う髪飾りで判別しやすくしようと考えたのか、中々良いアイデアだ。
顔つき、表情や言葉遣い、仕草でちゃんと見分けることができるけれど。今の段階でそんな特徴を掴んでいるクラスメイトなどカサンドラだけだと思われる。
「紹介致します、こちらが三つ子の姉のリゼ、こちらがリタです」
リナが二人を順に掌で示し、二人は頭を下げる。
やはりふわふわの栗毛は魅力的だ、カサンドラとは正反対だから一層羨ましい。
「赤いリボンの貴女がリゼさん、そして黄色のリボンの貴女がリタさんですね。
わたくしはカサンドラ・レンドール、どうかお仲間に入れてくださいませ。
先日リナさんにお気遣い頂きましたこと、改めてお礼申し上げますわ」
二人とも自分の側頭部にひらめくリボンにサッと触れる。
リナは青いリボンで落ち着いた雰囲気だ。
「リナさんも良くお似合いですね」
少し照れてはにかむリナに癒されていると、赤いリボンのリゼが「はぁ~~」、と大きな息を吐いた。
「大貴族のお嬢様なんて、どうせ私たちを見下してるんだろうって思っていたけど――リナの言う通り悪い人じゃないみたいでほっとしたわ。
カサンドラ様、こちらこそ宜しくお願いします」
「やだ! リゼったら、噂なんかの方を信じてたの?
リナの人物評が間違ってるわけないでしょ」
そんな風に揶揄しつつ、姉を指差す明るい女の子。
黄色いリボンが彼女のイメージカラーとしてぴったり。流石姉妹だ、よくわかっている。
そしてカサンドラに向き直り、深々とお辞儀をした。
「カサンドラ様、私はリタと言います。
リナみたいに、ちゃんとした挨拶ができなくてごめんなさい!
でもカサンドラ様とお話出来て凄く嬉しいです」
語尾に「!」が付いて回る――まさに女子高生然たる普通の女の子らしい反応に、ホッとする。
この”普通”というのが良いのだ。
ミニ社交界とも言える学園生活。
「ごきげんよう」なんてお上品な言葉ばかりが常に飛び交う空間で、リタのような裏表のない気を遣わなくても良い相手は珍しい。
国王から剣を下賜され騎士の地位を得ているジェイクはその立場に誇りを持っているが、ロンバルド侯爵家の嫡男という身分ゆえの窮屈な生活にも嫌気がさしている。
女性関係への敬遠ぶりは特に顕著だ。
顔が良い、身分が良いというだけで迫ってくる打算だらけの女の子。逆に誘われるのを待つだけの大人しい女の子ばかりでうんざりしている。
騎士と言う立場上、ここぞの場面では紳士的だし無下にしないだけ。
主人公はそんなジェイクの一面、『普通の少年っぽさ』に殊更懐く。
ジェイクはその他大勢の同級生と同じ態度で接し、己と同じ目線で話をしてくれる彼女をすっかり気に入ってしまうのだ。
リタとジェイクの組み合わせは、まさに王道青春モノだ。
背筋がゾクゾクする、学生ものの醍醐味を余すことなく詰め込んだ青春テンプレフルコース!
遅くまで剣術や馬術の特訓、雨宿り、備品倉庫の中にいたら外から鍵をかけられ二人っきりで夜を過ごす。などなど、彼のイベント回想一覧はほぼ埋まっているはずだ。
甘酸っぱくて少女漫画を読んでいるような気にさえなる、そんな二人の物語。
思い出して、ニヤけそうになるのを必死で堪える。
ここでニヤニヤしたら不審極まりない。主人公たちのオーラに中てられて気が緩み過ぎだ。
「リゼさん、リタさん。
どうか畏まらず、普通に接してください。
これから共に過ごすクラスメイトですもの、わたくしなぞに気を張っていては休まりません」
リナのように順応できる方が珍しいのだ。
彼女の性格は初期パラメータで気品が最も高く、上昇しやすいというゲーム内設定がある。
恐らくその影響だろう。
数値が目視できるわけがなく、内部設定に関しては記憶を頼りにするしかない。
そういう記憶が役に立つことがあるのかどうか、今はまだわからないのだけど。
「リナさん、先日は美味しいサンドイッチをありがとうございます。
鞄も持ってきてくださって、わたくし貴女のお心遣いに感動しましたのよ」
「差し出がましいとは思ったのですが……勇気を出して本当に良かったです」
あのサンドイッチは寮の食堂に用意されているもので間違いない。
寮まで帰ったのにわざわざ引き返して昼食の心配をしてくれた彼女は、やっぱり優しい。
「形ばかりですが、昨日のお礼にこちらをお持ちしました。
どうか皆さまで召し上がってください」
鞄から取り出した焼き菓子入りの袋を、リナの前に差し出した。
彼女は目を白黒――いや、白青させながら包みを寮の掌で受け取る。
『ありがとうございます!』
香りで甘いものだとすぐにわかる。
わぁ、と歓声を上げる三人娘。
目を輝かせて、幸せそうな顔をする。
ヒロインの眩しさが三倍、これは中々強烈だ。
あくまでも和やかに眺めるカサンドラ。
この三人が、それぞれ想う人を見つけて――そしてそれは十中八九攻略対象の三人で。
彼らを攻略しようと奮闘するのかと思うと結構複雑な気分である。
むしろ攻略対象が、主人公を攻略しに来るべきでは?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます