第3話 これはもはや呪いの域
長身の精悍な騎士ジェイクが今にも剣で斬りかからんばかりの険しい顔でこちらを指差す。
『レンドール侯爵家長女、カサンドラ・レンドール!』
眼鏡を掛けた生真面目な生徒会副会長シリウスもこちらを壇上から睨みつける。
『王子の婚約者と言う立場でありながら、不道徳で常識を疑う数々の振舞いを忘れたとは言わせない』
普段は物腰柔らかな紳士、公爵家の嫡男ラルフが凍えるような視線を向けてくる。
『貞操観念を疑うような言動は捨て置けても、僕の愛する女性をこれ以上虐げ貶めることは許さない』
――お前のような二心、いや四心ありの不誠実な女性は王子の婚約者として
由緒ある学園の学徒としても全く相応しくない。
何処へなりとも出てい行くがいい!
刹那、意識が暗転した。
目瞬きと同時に正気に還ったものの、かなりの精神的ダメージを受けたカサンドラである。
み、三つ子…!?
その発想はなかった、とカサンドラは歯噛みした。
今の今脳裏に浮かんだのは、それぞれの主人公を愛する三人の攻略対象が卒業パーティで同時にカサンドラを糾弾する光景であった。
膝が笑っているのは想像しただけで心が深く抉れたからか。
相手が一人でも嫌なのに、主人公三人、三倍の威力で糾弾されなければいけないなんて…
流石に衆人環視の中で味方もなく一方的に罵倒され『追放』されるのは流石に勘弁願いたい。
冷や水を全身に引っ掛けられた心境だ。カサンドラは静かにレースのハンカチを取り出して頬を伝う冷や汗を拭った。
「教えてくださってありがとうございます、デイジーさん」
耐えきれず、淀み濁った翡翠色の瞳でカサンドラは薄っすらと笑むしかできない。
三つ子…三つ子?
こんな非常識が罷り通るなら、条件を紙に書きだそうがイベントを把握していようが意味がないではないか。
既に”主人公は一人”という前提条件がパージされているのだ、今更聖女の覚醒イベントの時期だとか断罪イベントが起こるか起こらないかとか、神ならぬカサンドラにわかるわけがない!
もうイベントとかフラグとか、細かいことに悩むのはやめよう。
――無駄だ無駄。
前世の知識は使えるところは使えばいいけれど、全てにおいて頼りに動いていたら全く予想外の方向から殴り飛ばされそうだ。
カサンドラは主人公ではない、特別な力もない。そういう設定のキャラクター。
昨日の今日なのに。
この世界がカサンドラに向け、”非常識”とデカデカと書いた矢を矢筒ごと抱え投げて押しつぶそうとしてくる……。
どう対応しろと?
自分がじたばた足掻いたところで世界のために革新的な行動ができるわけでもない。
聖女が、悪魔が、王子が!
世界が亡んでしまったら――!
昨日殊勝な気持ちで決意を固めた自分が、これではピエロではないか。
「カサンドラ様、目から光が消えておりますよ!
カサンドラ様!? 大丈夫ですか?」
ディジーの声が遠くから聞こえる。
カサンドラはふらつく足を気合で動かし、玄関ホールへ向かうことにした。
それにしても主人公が三人もやってくるなど想像の埒外だった。
三人……
三人……?
ジェイクもシリウスもラルフも一人しかいないのに、主人公が三人……好みが別なら良いけど、被ったらどうするのだ?
かなり高確率で攻略対象が被るのでは。
まさか主人公同士で修羅場を展開?
同じ男を三つ子で取り合う地獄絵図など、見たくない。
ただ悪いことばかりではないと、カサンドラは思う。
三人もいれば、誰かが聖女ルートに入ってくれるはずだ。
失敗が許されないカサンドラのこの世界での人生の保険、それが三つ出来たと思うと案外この奇跡は悪いものではない…のかな。
※
入学式典の最中も、ヒソヒソ話題の中心にいるのは当然特待生の三つ子だ。
新入生にアーサー王子、宰相の息子シリウス、将軍の息子で既に騎士の勲章を戴いているジェイク、数多の大商会を束ねる公爵家嫡男ラルフ――そんな錚々たる面子がそろっているというのに。
今は三つ子の珍しさは彼らを上回るようで、若干珍獣を見るような好奇の視線が彼女たちに向けられていた。
「……ふぅ」
上級生に施設の説明を受け、実際に見学して回った。
三つ子の周囲には人が絶えないようだったが、それも時間が経つにつれて人垣が減っていく。
いくら三つ子が物珍しいと言っても、まだまだ最初期のパラメータの彼女たちは”魅力”の値が低いのだろう。
容姿は十人並みの主人公に次第に慣れていき、騒々しさは思ったほど続かなかった。
構内の施設案内だけで午前の時間いっぱい使ってしまい、今日はこのまま帰宅することとなる。
まだ筆記具以外何も入っていない鞄を手にとる。
すると人知れず自然と憂鬱な吐息が漏れた。
『ごきげんよう、王子』
ついさっき、やっと王子のアーサーに話しかけることが出来た。
制服のスカートだが淑女の礼をとり、煌めく容姿の王子。
彼は数人の女生徒に話しかけられているようだったが、彼女たちはカサンドラの姿を視界に納めるとスウっと音もなく退く。
これがモーセの十戒かと感心した、流石侯爵令嬢の格は違う。
なにしろ婚約者なのだ。
カサンドラが彼に話しかけるのは、当たり前のことなのだから。
『わたくしにお時間を頂けませんか、王子』と申し出る声は震えていたと思う。
頬が紅潮し、自分の胸を打ち付ける心臓が鬱陶しかった。
『やぁ、カサンドラ嬢』
彼は芸術品のように欠けたる箇所のない美貌で相好を崩す。
爽やかな風までも、どこからかそよいできそうだ。
『誘ってくれてありがとう。
本当に申し訳ない、私はこれから用事があってね。
また声をかけてもらえないだろうか』
そう礼儀正しく言われてしまっては、恭しくお辞儀をする他ない。
彼の容色はとても美しい、まさに王子様以外の職なんて彼には似合わないと断言できるほどだ。
だが、彼の感情をどこからも感じることができなかった。
なんだろう。
無機質なAIと会話をしたら、こんな気持ちになるのだろうか。
冷たく拒絶されたわけではないのに、心がキュッと苦しい。
微笑みかけられても、ドキドキするのに何故か寂しい。
ゲームをしている時も、この世界で十五年過ごした今も。
彼のことがさっぱり分からない。
もしかしたらこの先ずっとあんな当たり障りのない対応でのらりくらりと接してくるつもりではないか。
そんな疑念さえ湧き上がるが、人の心を読む術などない。
溜息の後、力なく首を振るカサンドラ。
すると突如、「失礼ですが」と横から声を掛けられた。
「目下の者から声を掛ける無礼をお許しください。
あの、お顔が真っ青です。
医務室の場所なら覚えています、そちらで少しお休みになってはいかがでしょう」
「貴女は……」
「リナと申します、どうかお見知りおきくださいね」
……温和でおっとりした性格のリナ。
穏やかな性格で優しい彼女は、気弱ということは一切ない。
優しい、普通の女の子。
カサンドラは彼女に向き直り、真正面から彼女を見つめる。
「ここは社交場ではありません。
同じクラスで学ぶ生徒同士、目下目上など関係ないでしょう。
ですが――リナさんは入学前にマナーを学んでいるのですね。
わたくし、とても感心致しました」
位の低い貴族は、高位の貴族に自分から話しかけてはいけない。
話しかけられて初めて発言が許される。
以前の世界ではどうだったか知らないが、少なくともこの世界での貴族達の社交場での一般的なマナー。
彼女たち平民には縁遠いことだろう。
馬鹿にしているわけではなく、自分たちのこんなマナーは貴族社会という狭い範囲の常識に過ぎない。講堂でまで自分たちの常識を彼女たちに押し付ける、そんな無粋な真似は最初からするつもりはなかった。
貴族の決めた勝手な慣習に向こうから合わせてくれるなんて。
その努力が嬉しい。
「そうおっしゃっていただけると、緊張が解けます」
ペコっと彼女は頭を下げる。
その仕草が小動物めいていてとても可愛らしい。ふわふわ栗毛のせいだ。
肩で切り揃えた柔らかそうな髪。
「折角のリナさんのご厚意ですもの、ありがたく頂戴しようかしら。
わたくしはカサンドラ。医務室までご一緒して下さらない?
もしも姉妹の方々にご迷惑になるようなら結構ですよ」
「問題ないです、リタとリゼは構内を探検するのだと飛び出て行ってしまいました」
「用事がないのなら教師の帰宅指示に従うべきですが、リナさんをお借りするわたくしが言えたことではありませんね」
くすくす、と笑ってしまった。リナも顔を綻ばせる。
医務室まで誘導してもらうことにしたが、勿論カサンドラだって医務室の場所くらい覚えている。
だが彼女の声を聴いていると心があたたかくなるし、何より心細さがじんわりと薄まっていくような気がするから。
少しでも一緒にいてほしかった。
「今日は多くの方とお話になったようですね?」
「はい、恐縮しております。
田舎では皆私たちに慣れてしまって、三つ子が珍しいものだという意識が欠けていたようです」
「皆さま、貴女方姉妹のことをすっかり気に入ってしまったご様子。
身内を謗る形にはなりますけれど、貴族の子女が特待生に最初から好意的に接するなんて珍しいことです。
だから最初は驚きました。
――こんなにも可愛らしい方なら、それも当然ですね」
どれだけ言葉を尽くしても、言葉の中に悪意を無理矢理感じ取り、全て嫌味や皮肉にとらえられてしまうことがある。
だが彼女は素直に受け取ってくれたようで、はにかんでお礼を言う。
可愛い。
……この小動物を家に持って帰っては犯罪だ、とぐっと堪えるカサンドラ。
「カサンドラ…?」
廊下を曲がってすぐ正面に知人がいた。
不審そうな表情でカサンドラを眺める男子生徒、ヴァイル公爵家嫡男のラルフではないか。
彼もまた、綺麗な金髪を持つ大貴族の御曹司である。差別化をはかるためか、彼は肩より伸ばす髪を首の高さで一つに括り、胸元まで房のように垂らしている。
ラルフの赤い目はとても綺麗だ。改めて見つめられると、そこに好意がなくてもドキッとしてしまう。
美形は本当に得である。
「気分が優れず、困っていたのです。
リナさんが私の様子に気づき、医務室まで同行を申し出て下さいました」
「君は……」
そしてラルフは隣で様子をこちらの窺う少女に目を留める。
小柄な少女で、容姿は決して優れているものではない。三つ子でなければ平凡な庶民出と目に留まらなかった可能性は高い。
ゲームでもある程度魅力のパラメータを上げなければ休憩時間に一人だったり、昼食でクラスメイトと会話が弾まなかったという描写が出てくる。
だが今のリナに対して、ラルフは興味を抱いている。
それもむべなかるかな。
温和でおっとりした優しい人柄、それが端々からにじみ出るリナはこの攻略対象のまさにど真ん中好みのストライク。
「…体調が悪い、ね。
それで特待生を引き連れているとは、少々驚いたよ」
ラルフの鋭い視線がカサンドラを襲う。
「入学式当日に体調を崩すなんて、体調管理がなってない」と責めの意志を感じるもので、思わず口元が引き攣ってしまう。
分かってる!
王子の婚約者ともあろう人間が、初っ端から医務室の世話なんて、自己管理できてないよね! ごめんね!
「大変心苦しく、彼女の厚意に感謝しております」
「今日はまだしも、今後同じような事が起これば他の生徒会の役員にも迷惑がかかる。
気が緩んでいるのでは?」
カサンドラに対してはこんな態度だ。
ゲームをしている時はあまり見えてこなかった側面だが、実際に接していると彼らがカサンドラに慇懃無礼な応対をしていると嫌でも気づいてしまうものだ。
これが悪役補正、なんて恐ろしい。
本当のラルフはこんな嫌味ったらしい物言いをする男性じゃない。
知っている。
大貴族の嫡男として将来を嘱望され、その期待に背かないよう日夜励むラルフの姿。
風邪を引いても、怪我をしても決して自ら休むことのない自分に厳しい人。
世界から悪役を押し付けられたカサンドラ”以外”の女性には常に紳士で優しくって。動物が大好きで私邸に沢山の犬を飼って――
帰るたびにモフモフの犬たちに囲まれて疲れを癒している姿を!
前世の自分はおまけスチルで、その無防備な素顔を幾度堪能したことだろう。
「ちくしょう、こっちが癒されるわ!」と前世の自分がクッションを投げつける残像がフラッシュバックした。
『――女性に優しくあれ』が信条でも運命、すなわち「悪役令嬢カサンドラ」という嫌悪感には抗えないのか。
もしも私以外の女性だったら、ラルフは体調を気遣い医務室まで着いてきてくれるはず。
「わたくしのために、公子自らご忠告大変痛み入りますわ。
申し上げました通り――わたくしは気分が優れません。
何より、リナさんを早く姉妹の元にお返ししなくてはなりません。道を譲ってください」
するとラルフは、隣でじっと息を詰めているリナに身体の正面を向けた。
その表情は優しい笑顔で、いつもゲーム画面で見ているものだ。
「慣れない場所で手をわずらわせてしまって申し訳ない。
…彼女の事を宜しく頼むよ」
リナもまた、にこりと微笑んでラルフに頭を下げる。
「はい、もちろんです。
カサンドラ様、お加減大丈夫ですか?
先生がいらっしゃると良いですね」
チラ、とラルフを見ると平静を装っているが、完全に彼女を気に入ってしまったように思う。
好みど真ん中のリナが相手ではしょうがない、ラルフの気持ちは良くわかる。
「うんうん」と彼らの視界外で何度も頷いた。
ようやく行く手を阻むことをやめたラルフの隣をすました顔で通り過ぎる。
彼の無言の圧力など知ったことではない。
「あの方はラルフ・フォン・ヴァイル様と仰います。
ヴァイル公爵家のご長男で、紳士の手本と称されるお方。
折角この学園でお過ごしになるのですもの、リナもラルフ様とお近づきになれると良いですね」
打算が働いた――のかもしれない。
あんなにそわそわ狼狽えるラルフを間近にして、仏心が出てしまったし。
リナとラルフはまさに真ED、聖女ルートに入れる組み合わせだ。
是非是非、この二人には近づいていただきたい。
そのための踏み台になるなど容易いことだ。
「……教えてくださってありがとうございます。
ああ、カサンドラ様ご覧になってください!
あちらの庭園の噴水はとても大きいです、私、二段の噴水なんて初めて見ました」
子どものようにはしゃいで指をさすリナに癒される。
でもこれ、話を露骨に逸らされただけだ。
自分は
でもリナにとっては、さっきのラルフの態度は――体調を崩した相手へのものへ向けるには手厳しく、悪印象しかないではないか。
あれは
違うから!
ノーカンだから…!
いくら心で叫んでも、セーブロードのない現実ではなかったことにはできはしない。
ご、ごめんなさいラルフ……
私がいる場面でのファーストエンカウントだったばっかりに!
彼女のラルフに対する心象矢印が地を這うどころか、グーンと地下に突き抜けていく幻が見えた。
優しいリナはラルフの言動を悪しざまに評価し、カサンドラを慰めるようなことはしない。
「ラルフ様は酷いと思います」「体調を崩されている方への紳士的な対応とは思えません」そう、仮に思っていても口には出さない。
カサンドラのプライドを傷つけないために、何事もなかったように振る舞える。
気遣いの塊過ぎて 主人公が眩しい。
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