エピローグ(裏)

―崩壊する龍神のプラント 工場内


「兄貴、ありがとう」

 制御盤にもたれ、曹瑛は劉玲にぎこちない微笑みを向ける。劉玲は奥歯をギリと噛んだ。

「あかん、こんなのは絶対あかん」

 突然、叫びながら劉玲が立ち上がった。曹瑛は劉玲を見上げて眉を顰める。

「どうした、気でも触れたのか」

「今度こそお前を守ったる」

 劉玲は工場内を見回した。爆音が鳴り響き、天井を支える鉄骨やコンクリート片が落下し、床も隆起し始めている。右の壁を見た。その一部分だけ大きく亀裂が入っていた。劉玲は高谷に見せてもらった見取り図を思い出す。確か、作業用の通路があの辺りになかったか。

「曹瑛見てみ、あの部分だけヒビ割れが大きい。おそらく壁が薄いんや」


 曹瑛も立ち上がる。劉玲は壁の亀裂を折れた鉄骨で叩き始めた。その鬼気迫る様子に、半ば諦めかけていた曹瑛も加わる。

「伊織くんや榊はんに約束したやろ、後から行くと。お前を死なすわけにはいかんのや」

 劉玲が鉄骨を大きく振りかぶり、壁に叩きつけた。鉄骨が跳ね返り、宙を舞って落ちた。見れば、劉玲の手は痛々しいほどに裂け、血まみれだ。

「兄貴・・・!」

「クソッ」

 劉玲は壁を蹴る。何度も何度も。爆音にプラントが大きく揺れた。劉玲は派手に尻もちをついた。曹瑛もバランスを保って立つのがやっとだ。揺れとともに轟音を立て、目の前の壁が崩れた。その先に暗い通路が延びている。

「行こう、兄貴」

 曹瑛は手を伸ばした。劉玲はその手を掴んだ。思わぬ力で身体を引っ張り上げられ、あの小さかった弟がこんなにも逞しくなったことに涙がにじんだ。通路も大きくひび割れていく。二人は暗闇の中を駆け抜けた。奥からうっすらと光が射している。その光はだんだんと強さを増す。行き止まりに梯子があった。


 地鳴りのような轟音が響き、いよいよプラント全体が崩壊していく。曹瑛は梯子に飛びつき、登り始めた。劉玲も続く。だんだんと光が強くなる。頭上の何かが蓋をしているようだ。大きなプロペラが出口を塞いでいた。曹瑛はコートの内ポケットから銃を取り出し、連結部を撃った。プロペラが傾く。それを力一杯押し上げた。プロペラはゴトンと音を立てて通気口の外に落ちた。身を乗り出し、地上へ出る。すぐに手を伸ばし、劉玲の身体を引き上げた。

 二人が地面に転がった瞬間、轟音とともに爆風が通気口から吹き出した。あたり一面がひどい煙と灰に覆われた。

「危な・・・!間一髪やったな」

「・・・生きてるのか、俺たち」

「ああ、生きてる・・・でもお前ひどい顔してるで」

 劉玲が曹瑛の顔を指さして笑う。端正な顔はすすと埃で汚れていた。黒いコートも埃にまみれて灰色になっている。

「フン、お前も鏡を見た方がい」

 それは劉玲も同じだった。


 劉玲と曹瑛は董正康が黒塗りのベンツに押し込められ、連れ去られるのを見た。

「あいつはもうお終いやな」

「ああ、これでケリはついた」

 広大な麦畑を朝の涼しい風が吹き抜ける。朝日を受けた麦畑は金色に光り始める。

「みんなのところに戻るか」

「・・・今はやめておく。この格好じゃサマにならない」

 曹瑛はコートの埃をパタパタと払った。

「あとからどやされても知らへんで」

 劉玲は肩をすくめた。


 空港で柱の陰から日本組の帰国を見送った。伊織がしょげているのが見えて、心が痛んだ。

「ほれ見ろ、伊織くん泣いてるぞ」

「そのうち忘れる」

「友達ってのはそんなものやないで」

 劉玲は子供を叱るような口調だ。曹瑛は黙り込み、サングラスをかけた。

「もしかして、お前泣いて・・・せやからあのとき戻らんかったんやな」

 劉玲の足を曹瑛が踏み抜いた。曹瑛は口を一文字に引き結んだまま、出国ゲートで手を振る伊織や榊、高谷を見守っていた。


 ほとぼりが覚めて、劉玲が孫景へ連絡を取った。開口一番、馬鹿野郎と大声で怒鳴られたらしい。孫景から榊には連絡を頼んだ。曹瑛は伊織にはまだ黙っていて欲しいと伝えた。ちょうどその頃、烏鵲堂の主人が曹瑛に店を畳むと連絡してきた。蔵書と看板を譲り受けることにした。

 榊に相談すると、出店の手伝いができるという。日本に飛んで何度か打ち合わせをした。意外にも榊は親身になってくれた。榊のつてで都内の空き店舗を見つけ、出店準備を進めて2ヶ月半、新生烏鵲堂を開店する準備が整った。店内の調度品は劉玲がやたら張り切って、品の良いアンティーク家具を揃えた。什器も本格的なものだ。開店祝いに取っておけということだった。


 曹瑛はテーブルの上にハルビンで買った絵はがきセットを並べた。太陽公園、江防洪記念塔、老街、中央大街、いろいろある中で聖ソフィア大聖堂を選んだ。日本で榊と会ったとき、高谷がスマホに写真を送ってくれた。伊織と一緒のただ一枚の写真、その背景だった。絵はがきに烏鵲堂開店の知らせを書き、ポストへ投函した。


 開店当日、孫景がやってきた。

「祝いの花は表に置いといたぞ」

「ああ、ありがとう」

 続いて榊と高谷が入ってくる。

「良い店だな」

 榊は黒のピンストライプのスーツにダークグレーのシャツ、ネクタイは青、縁なし眼鏡をかけている。相変わらず正装するとカタギには見えないが、何事もプロ志向の榊は開店に際して良い仕事をしてくれた。

「お前のおかげだ、世話になったな。高谷、今日はよろしく」

 臨時バイトの高谷にエプロンを手渡した。

「曹瑛、伊織が来てるぞ」

 榊が肩を叩く。曹瑛は口をへの字に曲げて天井を見上げた。今まで隠しておいて、いざどういう顔をしたらいいのか正直分からない。

「笑えよ、それでいい」

 曹瑛の困惑を見透かしたように榊はニヤリと笑った。


 ドアが開き、劉玲に押されてやってくる伊織の姿が見えた。

「久しぶりだな、伊織」

 懐かしい顔に、曹瑛はぎこちない笑みを浮かべた。お茶を淹れるための湯が沸いて、ポットから細い湯気が立ち上りはじめた。

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