エピソード83 劉玲の本気
「言うておくが、俺はずいぶん手加減してる。何故ならそれが慈悲深い俺の弟の願いやからな」
劉玲が姿勢を正し、入れ墨男に鋭い視線を送る。その射貫くような眼光に男は思わず息を呑んだ。龍神の作用によるアドレナリンの過剰分泌で恐怖や痛みを感じないはずだが、背筋が凍り付くような感覚を覚えた。力あるものに対峙したときの原始的な恐怖、その先に死より恐ろしいものを感じていた。男はその感覚に苛立った。恐怖を与えた劉玲に対して怒りを爆発させた。
「へらず口を叩けないようにしてやる」
男は素早いステップを踏み込み、劉玲の喉元を狙いサバイバルナイフを薙いだ。劉玲はその腕を払いのけ、男の顔面に張り手を食らわせた。
「貴様っ」
頬を腫らした入れ墨男は激昂し、さらに激しく突きにくる。心臓、肝臓、喉元、急所を狙い、ナイフ捌きはスピードを増す。劉玲はそれをレギオンで受けながら男の体幹に打撃を加えていく。肋骨にヒビが入るほどのダメージを受けても男は痛みを感じていない。
サバイバルナイフを突き出した男の腕を劉玲が捕らえた。右手でそれをつかみ、左手で肘を跳ね上げた。鈍い音がして男の利き腕が折れた。痛みは感じずとも、物理的に関節が破壊されたら腕は使い物にならない。入れ墨男は残った方の手にナイフを持ち替えた。
「まだやるんかい、俺は疲れた」
劉玲はあきれてボキボキと首を鳴らす。
「殺してやる」
入れ墨男は血走った目に殺気を剥き出しにして、劉玲に襲いかかる。利き手ではないナイフ捌きはスピードが鈍い。劉玲はレギオンでそれを易々と打ち返す。ナイフがぶつかり合うたび、鋭い金属音が響く。男が叫び声を上げて渾身の突きを放った。劉玲の目が光る。身を低くして床に手を突き、反動を利用した強烈な蹴りを放った。男は顎を砕かれ、後ろにのけぞって倒れた。口から血の混じった泡を吹いて失神している。劉玲は男の手元に落ちたサバイバルナイフを蹴り飛ばした。
「弟に感謝せえよ、ほんまならずっと前に死体になってたんやでお前は」
劉玲はすでに意識のない入れ墨男を見下ろしてひとりごちた。
角刈りの大男の鉄パイプの一撃が木箱を粉砕した。派手な音がして木片が飛び散る。かろうじてかわした孫景は床に転がって受け身をとる。孫景めがけて眉無し男のチェーンが打ち込まれた。孫景は攻撃をギリギリでかわす。チェーンの攻撃でコンクリートの床が抉られた。
「くそっ、こいつら馬鹿力にスピードもそこそこあるときてやがる」
孫景の額から脂汗が流れ落ちる。何とか立ち上がり、体勢を立て直した。何せ相手は龍神の力で疲労を感じない。興奮して息は荒いが、攻撃スピードは緩まることはない。しかも、力も増強されている。なんでこっちに脳筋の馬鹿力が2人も、と不満気味に劉玲の方を見れば、凶刃を振り回す男3人を相手にしているので孫景はどっちもどっちだと諦めた。
孫景が角刈りの間合いに入り込み、ナックルをつけた拳で鳩尾を突き上げた。重量のある拳が急所にきれいに入り、どんな大男でも立っていられないはずだった。しかし、角刈りはニヤニヤと笑っている。
「そんなへなちょこな拳、効かねえな」
これも龍神の力か、筋肉の手応えはまるで鋼のようだ。角刈りは片手で孫景の首を掴み、頭突きを食らわした。孫景は吹っ飛ばされ床に転がる。切れた額から血が流れ、それを手の甲で乱暴に拭った。死角から眉無しのチェーンが飛んできて、孫景の脇腹を撃つ。衝撃によろめいたところに鉄パイプが叩き込まれる。ナックルでかろうじて弾き飛ばし、角刈りの頬に拳を見舞う。角刈りの口が切れて血が迸った。しかし、目を細めるだけで動じていない角刈りは折れた歯をプッと床に吐き出した。
「くそ、化けモンか」
間髪入れず、眉無しがチェーンを振り回して襲いかかる。孫景は後ずさる。製造ラインを支える鉄柱が背中にぶつかり、身をかがめて攻撃を避けた。チェーンが激突した鉄柱がいびつに歪ぶ。
「お前もその鉄柱のようになる」
眉無しはチェーンを振り回し、凶暴な笑みを浮かべながら孫景を追いつめる。角刈りの鉄パイプが真横から振り下ろされ、孫景は不意を突かれそれを両手で受け止めた。両手が塞がったところにチェーンが飛び、首に巻き付く。
「ぐっ・・・!」
力押しで迫る鉄パイプを横にかわし、伸びるチェーンを掴んだ。眉無しとの力比べだ。
「フフ、苦しいだろう」
気道が締め付けられ、呼吸ができない。孫景の横で角刈りが鉄パイプを構え治す。孫景は足を踏ん張り、チェーンを思い切り引っ張った。眉無しは思わぬ力に引き摺られ、孫景の目の前に引き寄せられる。その勢いを利用し、孫景は眉無しの顎を右フックで撃ち抜いた。眉無しは白目を剥いてよろめく。緩んだチェーンを首から解き、眉無しから奪い取り角刈りに向かって飛ばした。チェーンは角刈りの首に巻き付いた瞬間、孫景は同時に背中に回りチェーンで首を締め付ける。
「ぐ・・・が・・・」
いくら疲れ知らずの力自慢でも呼吸ができなくてはどうにもならない。角刈りは白目を剥いて口から赤い涎を垂らしながら膝をつき、床の上に倒れた。顎に衝撃を受けた眉無しがふらふらと立ち上がる。孫景は眉無しの腕を掴み、背負い投げでぶっ飛ばした。眉無しは鉄柱にぶつかり、泡を吹いて動かなくなった。
「孫景はん、ごくろーさん」
3人を倒し終えた劉玲が拍手をしながら近づいてくる。孫景は息を整えて汗を拭った。
「助けたろと思ったけど、あまりにええ勝負で水を差すのはやめにした」
「フン、それでいい」
劉玲と孫景は顔を見合わせて笑い合った。
「さて、こいつらをどうする」
「榊はんが龍神の効果を中和薬を持ってくるはずや」
「なら、ちょっと休憩するか」
孫景は胸ポケットからラッキーストライクを取りだし、火を点けた。
「一本くれ」
「あんた、吸わないんじゃなかったのか」
孫景が目を丸める。
「身体に悪いからやめた、ずいぶん昔にな。でもええ運動した後に久々に欲しくなったんや」
赤い光が点滅する工場内に紫煙が2本立ち上った。
「のんびりタバコとは余裕だな」
榊と高谷が走ってきた。1本くれという榊に孫景が箱ごと渡す。
「試薬は手に入ったぞ」
高谷が試験管と袋入りの注射器を手にしている。
「そこに転がってる獣どもに打ってみて、どうなるかやな」
劉玲はタバコを床に落とし、つま先で揉み消した。
「曹瑛と伊織くんはどないしとる」
「この手前の研究所で誰かとやり合っていたな、おそらくすぐに合流できるだろう」
榊の言い方では相手は曹瑛の敵では無さそうだ。高谷が注射器で試薬を吸い込んで5本分の中和薬を作った。それを気絶した男たちの血管に注入していく。
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