エピソード82 龍神の検体

「劉玲よ、これ持ってきたのはいいけど、どうする」

 劉玲と孫景はポリタンクを両手に持ち、龍神の原料となる芥子を栽培する巨大プラントに立っていた。ポリタンクの中にはなみなみと工業用潤滑油が入っている。

「これ撒いて花を全部燃やしたろ」

 劉玲は軽く言うがここは室内とはいえ、かなりの面積がある。劉玲は宙に浮いたプランターに沿って走るパイプに目をつけた。

「これは水やり用の配管や、水のかわりに油くれたろ」

「なるほど、それなら1列ずつこいつを流し込めばいいってことか」


 劉玲と孫景はプランターの端から配管にポリタンクの油を流し込む。配管の穴からじわじわと油がしみ出し、土を濡らしていく。

「まんべんなくとはいかんけど、まあええやろ。孫景はん、タバコくれ」

 孫景がタバコに火を点け、劉玲に渡す。

「身体に悪いけど、こういうときには役立つ」

 劉玲がプランターにタバコを投げ入れる。ボウと火が付き、炎が燃え広がり始めた。火は勢い良く隣のプランターに燃え移っていく。その様子を見届けた劉玲と孫景は重たい鉄の扉を閉め、栽培プラントを封鎖した。これで龍神の原料となる花はすべて灰になる。種の一つも残しておくことはできない。


 工場エリアに戻ると、高谷が作動させた警報により赤いランプが点滅していた。緊急事態につき早く避難をするよう機械音声が繰り返される。絞め落とした警備の男もいなくなっている。おそらく意識を取り戻して逃げ出したのだろう。

「この状態でここに残るほど仕事熱心な奴はおらへんやろ」

 工場内に人の気配が無いことを確認した。曹瑛や榊たちの仕事が終わったならここを爆破して脱出するだけだが、高谷の情報によれば、董正康が資料を持って逃げ出したという。エレベーターが封鎖されているなら出口は工場の先の搬入口しか無い。

「奴を捕まえて縛り上げて、資料を取り上げたる」

「ここで待ち伏せだな」


 不意に闇の中から気配を感じた。強烈な殺気だ。しかも複数いる。劉玲は孫景に目配せし、大型機械の裏に身を隠す。闇の中から男が現れた。その数5人。赤い警告灯に照らされた顔は狂気に歪んでいる。目はギラギラと輝き、呼吸が荒い。口の端から涎を流している。

「おいおい、なんやあれ、イッてもうとるがな」

「劉玲、あいつら龍神の検体じゃないのか」

「そらヤバいな。理性の吹き飛んだスタミナ抜群の殺人鬼ってやつか」

 黒い詰襟の服を着た男たちは鉄パイプや大型のサバイバルナイフを手にしている。劉玲はチェスターコートに忍ばせたナイフを取り出した。黒龍書店で仕入れたレギオンだ。シンプルな刀身は約20センチ、木製のグリップは握り心地が良く、思わず口角が緩んだ。孫景はナックルを取り出し、右手に嵌める。


「劉玲さん、孫景さん、気をつけて。逃げ出した董が強化版龍神の検体のロックを外した」

 高谷の声がイヤホンから響く。

「おおきに、今まさに目の前におるで」

 劉玲がマイクに向かって軽い調子で答える。しかし、額から脂汗が一筋流れ落ちている。

「人数は」

「全部で5人。プロフィールを確認したけど軍人崩れの屈強な男や八虎連の用心棒、もともと腕利きの危険な奴らだよ」

 目の前の5人で全部か、と安心するも全員精鋭揃いのようだ。


「高谷、小笠原の研究成果のデータはあるか」

 曹瑛が会話に割り込んで訊ねる。高谷はちょっと待って、とタブレットを操作する。事情を知らない劉玲は誰やねんと首をかしげている。

「そうですね、まだ人間への臨床実験は行われていないようですが、理論上は効果があると・・・ああ、日本語で良かったこれ・・・えっと、神経中枢に作用して龍神の毒性を中和する効果があって」

 高谷はサーバーから抜き出した小笠原の研究文書を目で追っている。見慣れない医学的な論文に、解読するにも苦労しているようだ。

「試薬を注射器で血管に流し込む」

 高谷のタブレット画面を覗き込んでいた榊が要約した。


「龍神の効果を中和する試薬があるんだと」

 孫景が劉玲と顔を見合わせる。

「それはどこにあるんや」

 男たちは殺気を放ちながら獲物を探している。劉玲と孫景の気配はすでに気取られているようだ。

「研究エリアだが、今は手が離せない」

 曹瑛も面倒事に巻き込まれているようだ。

「曹瑛、俺たちは今地下1階にいる。試薬の場所を教えろ、工場へ向かう」

 曹瑛は小笠原のいた研究ブースの位置を手短に榊に伝え、通信を切った。


「なんや曹瑛のやつ、こいつらを助けようという肚かいな」

 劉玲が呆れている。孫景も一度は手にした銃をベルトに差し、ナックルを握り絞めて指になじませている。

「手加減しながら持ちこたえられるか」

「やってみないとわからへんな、ほな行こか」

 劉玲と孫景は男たちの前に姿を見せた。5人の男たちは獣のような唸り声を上げ、敵意を剥き出しにして獲物に襲いかかる。孫景に角刈りの大男、筋骨隆々、拳にはナックルをつけている。もう一人、ツーブロックの眉無し男は太いチェーンを振り回している。


「くそっ、体育会系か、うっとおしいな」

「おお、ええ勝負やな、見学できへんのが残念や」

 軽口を叩く劉玲の前には3人。青竜刀を構えた丸坊主に、三つ編みは長剣、両腕に竜虎の入れ墨のある男はサバイバルナイフを持っている。劉玲の顔から笑みが消え、双眸が見開かれた。

 坊主頭の青竜刀が劉玲に振り下ろされた。それをかわしたところに三つ編みの長剣の鋭い突きが襲う。バックステップで回避すると間髪入れずに入れ墨男のサバイバルナイフが劉玲の首筋を狙う。それをレギオンで受け、入れ墨男の脇腹に蹴りを入れる。男はぐっと呻くが、まるで動じない。綺麗に入った劉玲の蹴りは相当の衝撃だったはずだ。しかし、龍神の効果で痛みを感じていないのだ。入れ墨は歯を見せて笑っている。


「なまくらな蹴りだ」

「龍神ジャンキーかと思たら、喋るほどの理性は残ってるんやな」

 市場に出回っている龍神は摂取過剰すれば、完全に理性を失い獣と化す。研究で改良された品種なら、ある程度の理性を保つことができるようだ。しかし、その瞳は残虐性と凶暴性を纏いギラギラと輝いている。


 坊主頭が青竜刀を振り回して襲いかかる。同時に斬り込んだ入れ墨男のサバイバルナイフが劉玲の頬を薄く切り裂き、血が流れ出す。劉玲は坊主の青竜刀をかわし、懐に入った。レギオンを横一文字に薙ぐと、坊主の両瞼に赤い筋が入り、流血で視界は赤く染まる。

「ぎゃあああ」

「アホ、瞼の皮一枚切っただけや、大げさやで」

 劉玲は両手で顔を覆う坊主頭の背中を蹴り飛ばした。坊主は床にうずくまる。低くなった頭頂部を狙い、身体を捻って勢いをつけた踵落としを食らわせた。その衝撃に坊主頭は受け身を取れず、勢いよく床に突っ伏して動かなくなった。

「ハゲ頭ですべるかと思たわ」


 三つ編みの男が怒りに震え、叫びながら長剣の突きを繰り出す。背後からはサバイバルナイフが襲う。劉玲は2人にレギオンで応戦する。龍神でブーストのかかった三つ編みと入れ墨男は疲れを知らず、息が上がる様子もない。ギリギリでかわしているが、切っ先が服を裂いていく。

「どうした、軽口も叩けなくなってきたか」

 三つ編みがヘラヘラ笑っている。劉玲のレギオンが三つ編みの上腕を切り裂き、流血するがまるで痛みを感じていない。攻撃の手はさらに激しくなる。劉玲はベルトコンベアに飛び乗った。そこからもう一段高台に登り、見上げる三つ編みめがけてジャンプした。三つ編みは飛びかかる劉玲を狙い、長剣を構える。しかし、劉玲の身体は思い描いた軌道を描かず、空中を滑るように移動している。


 劉玲は天井から吊されたクレーンを掴んで空中を飛んでいた。あっけに取られた三つ編みが振り返ったその顔面に、振り子の勢いをつけた膝蹴りを見舞った。三つ編みは吹っ飛ばされ、ベルトコンベアの支柱に頭をぶつけて動かなくなった。鼻骨が折れて鼻はあらぬ方向を向き、折れた歯が2本転がっていた。


「スタミナや体力がいくら無限でもこのザマじゃ話にならへんな」

 膝をはたく劉玲に入れ墨男がサバイバルナイフで襲いかかる。劉玲はレギオンで攻撃を受け、じりじりと力押しの勝負になる。男の方が力が強く、劉玲が押されている。レギオンが弾かれた。入れ墨男はそのままサバイバルナイフを振る。劉玲は上半身を反らして避け、入れ墨男の鳩尾に体重を乗せた拳をたたき込んだ。充分な手応えがあったはずだが、入れ墨男は平然としている。入れ墨男はサバイバルナイフで激しい突きを繰り出す。劉玲の腕に、太ももに裂創が刻まれていく。

「へへへ・・・息が上がっているぞ」

 入れ墨男が劉玲の血のついたナイフを舌で拭う。劉玲は小さく舌打ちをした。

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