エピソード80 破壊工作
同じ頃、劉玲と孫景は龍神の栽培プラントへ潜入していた。
「これは大がかりやな」
「地下で植物の栽培をするとは、考えたな」
劉玲と孫景の目の前には何列もの立体型プランターがエリアの端から端まで並び、そこには禍々しい赤色の芥子が咲き乱れていた。プランターに沿ってパイプが走っており、土は適度な湿り気を帯びている。空調に光、水、肥料と科学的な管理が為されているようだ。天井には何本ものダクトが通っている。薄暗い光の下、プランターの間を通り抜けていく。
「ここで最適な環境を研究して、今後規模を拡大するために広大な農園を探していたようですね。それに品種改良も進んでいる」
高谷の声がマイクから入ってきた。サーバーにある資料を検索中のようだ。
「商売上手だな、頭が下がる」
孫景が吐き捨てるように言う。
プラントの先には精製と出荷作業をする工場があった。機械制御により少ない人員で管理できるようシステム化してあるようだ。ジャンパーを着た作業員の他、銃を手にした警備員がいる。侵入者対策もあるだろうが、作業員が龍神をくすねないか監視する役割も大きいのかもしれない。劉玲は気配を消して見張りの背後から近づき、鋼線を巻き付け首を締め上げた。払い下げの軍服を着た大柄な見張りは声も出せずにくぐもった呻き声を上げて落ちた。劉玲は男の銃を拾い上げ、肩からひょいとかける。
龍神の原料になる芥子を粉末にして袋に詰める、それを箱に乗せて検品、トラックの荷台に載せて出荷というラインだ。今はラインは停止しており、作業員は機械のメンテナンスを行っている。劉玲と孫景は機械の合間を縫い、C4プラスチック爆弾を仕掛けていく。
「地味な作業やな」
手持ちのC4をすべてセットし終えた劉玲がぼやく。
「爆破が決まれば気持ちがいいぞ」
孫景が楽しそうに言う。持ち込んだのは改良型で、小型ながら威力は大きいらしく孫景は早く爆破したくてウズウズしているようだった。
「工場の花火の準備は完了や」
劉玲がマイクに話し、情報共有する。
「さて、あとはお花畑やな」
「一本も残さず消し去るにはどうするか」
劉玲は工場内を見回す。大型機械の脇に置かれたポリタンクに目をつけた。
「おお、これやこれや」
「くそ、重労働だな」
劉玲と孫景はポリタンクを2つずつ抱え上げた。
研究所内。話を続けようとした小笠原が伊織の頭上を見上げてヒッと声を上げた。伊織が振り返ると、小笠原を睨み付け殺気を漲らせた曹瑛が立っていた。
「ああ瑛さん、戻ったんだ」
「誰だその男は」
曹瑛は小笠原を警戒している。その手には赤い柄巻のM9バヨネットが握られている。不穏な動きがあればすぐに飛びかかれるように。
「この人は日本人の研究者で小笠原さん、いろいろとあって、とにかく悪い人じゃないよ」
曹瑛は机上にあった小笠原の書いたメモを無言で奪い取った。それをしばらく眺めて小笠原を一瞥した。
「俺の確認したターゲットと一致している、信じよう」
伊織は思わず大きなため息をついた。小笠原も唇を引き結んで緊張はしているが、怯えた様子は消えていた。
「この他にも資料があるんだって教えてくれた」
「それはどこだ」
曹瑛は冷たい口調で小笠原に問う。
「地下2階にある執務室、戦中に書かれた龍神の研究文書がそこの金庫に保管されている。ここのボス、董正康はそれをまるで聖書のように大事に扱っている。文書自体には過去の研究成果しか情報はないが、それがあれば龍神の復活は可能だ」
「わかった、お前はここをできるだけ早く離れろ。騒がしくなる」
小笠原は立ち上がり、襟を正した。目の前に立つ曹瑛と伊織を見比べる。
「君たちにならやれるかもしれないな」
すまない、そう言って小笠原は静かに去って行った。その背中は自分で龍神を滅ぼすことができなかった苦悩と諦念が滲んでいるようにも見えた。
「本気で焦ったぞ」
曹瑛が額に手を当てて大きなため息をついている。伊織の元に戻ったところ白衣の中年男性が目が入った。伊織が詰問されていると思い、ナイフを手に男に飛びかかる寸前で踏みとどまったという。
「いい人で良かった」
「伊織は本当に平和だな。まあそれで情報を聞き出せたのか」
「これからどうするの」
「龍神の研究成果を破壊する。小笠原の示した図で裏付けができた。地下には榊がいるな」
曹瑛はマイクで榊と連絡を取っている。
「ああ、頼んだぞ」
話は付いたようだ。不意に警報装置が鳴り響いた。赤色の警告灯が回転し、大音量でサイレンが鳴り響く。英語のアナウンスで緊急事態を告げていた。伊織はその音に驚いて辺りを見回した。研究所のスタッフが慌てて廊下へ走って逃げていく。
「大変だ、瑛さん逃げよう」
走りだそうとした伊織の襟を曹瑛がひょいと掴んだ。伊織は無理矢理引き戻され、困惑した目で曹瑛の顔を見上げる。曹瑛は落ち着き払っている。
「何で逃げないの」
「落ち着け」
「警報が鳴ってるよ」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないよ、こんな地下で火災とか逃げ場がない、ヤバすぎる」
「心配するな、高谷に鳴らしてもらった」
それを聞いて、伊織は脱力した。伊織が力一杯テンパる様子を見て曹瑛は面白がっていたのだ。
「それ早く言ってよ、ひどい」
ふて腐れる伊織を見て曹瑛はニヤニヤ笑っている。
「研究所内の人間を追い出すためにな、これからは手荒な仕事になる」
人の気配が消え、警報のアラートとアナウンスが繰り返し流れている。赤いランプの点滅が無機質な研究機材を照らし出し、不気味な景観を演出している。曹瑛はずっと我慢していたのか、スーツのポケットからマルボロを取り出し火を点けた。くわえタバコのまま龍神のプランターの前にやってきた。品種改良のために育てられているものだ。曹瑛は側にあったボトルのキャップを取り、植物に振りかけた。鼻をつく刺激臭に伊織は眉を顰める。
「伊織、下がっていろ」
曹瑛も少し離れて火の付いたタバコを指で弾いた。瞬く間に空中で炎が燃え広がった。それはあっという間にプランターを焼き尽くしていく。曹瑛の手には業務用エタノールのボトルが握られていた。スプリンクラーが動作し始めたが、この勢いだとここにあるサンプルはすべて灰になってしまうだろう。
曹瑛について伊織は小走りに駆けていく。小笠原のメモを開くと、研究所内3カ所に丸印がついていた。次は培養ケースだ。金属製の扉を開くといくつものシャーレが並んでいる。曹瑛は横の温度制御装置を確認している。
「ここも火を点けるの」
伊織が怖々訊ねる。放火は見ていて気持ちの良いものではない。
「火は使わずに済みそうだ」
曹瑛は温度設定を最大値まで上げた。ガラス扉を通して見れば、中の明かりが燃えるようなオレンジ色に変化している。ピシピシとシャーレが割れる音が聞こる。これでサンプルはもう使い物にならない。
最後は試薬のブースに向かった。棚にはラベルの貼られたボトルがずらり並んでいる。まさかこれを全部壊していくわけにはいかないだろう。曹瑛は研究ブースを見渡した。
「お前は隠れていろ」
曹瑛は伊織に10メートルほど離れた頑強そうな机の下へ隠れて耳を塞いでいろという。嫌な予感しかしない。曹瑛は胸元から銃を取り出した。伊織は思わず息を呑む。銃をこんな間近で見るのは初めてだった。見た目はモデルガンのようだ。
曹瑛は立ち上がり、狙いを定め引き金を引いた。乾いた銃声と共に曹瑛は身をかがめる。少しの時間差で大きな爆発音がした。スチール製の厚みのある机にも爆風の衝撃が伝わってきた。伊織はその爆音に耳を塞いだまま身体を震わせた。爆発音が2、3度続き、焦げ臭い匂いが漂ってくる。化学薬品の燃える刺激臭に、伊織は思わず顔をしかめた。
「伊織、大丈夫か」
「俺、生きてる?」
「生きてるよ」
曹瑛に引っ張られて机の下から這い出す。目の前には検査機器の部品が散乱し、くすぶる炎があちこちに立ち上っている。最新鋭の機材を揃えた研究所も、見るも無惨な光景だ。爆音でまだ耳がおかしい。キーンと耳鳴りが続いている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます