エピソード74 仲間たち

「あいつら本当にタチが悪いな」

 劉玲と孫景を遠巻きに眺め、腕組みをした榊が半ば呆れながらぼやいている。街路樹の茂みには黒いスーツが打ち捨てられていた。水かさの増した松花江で溺れかけている暗殺者2名の情けない悲鳴が聞こえる。曹瑛を襲った首謀者の男2人をひん剥いてパンツ一枚にし、彼らの洒落た柄のネクタイで腕を縛り上げた。孫景が調達したロープつきの防災用浮き輪を持たせて、松花江に蹴り入れたのだった。孫景が彼らの命綱を握っている。


「お前ら、よくもこんな・・・!ごほっ」

 川に落とされた男達は腕の自由を奪われ、泳ぐこともできず浮き輪にしがみつくしか無い。川の流れは穏やかなように見えるが、意外と早い。

「た、助けてくれ!」

 河岸に足をかけてその様子を見ながら、劉玲は楽しそうにニヤニヤしている。

「誰の指令やと聞いとるんや、教えんと手え放すで」

 暗殺者が捕縛されて使用者の名前を吐くのは恥ずべき不名誉であり、そのときは死を覚悟するものだ。もし仮に命が助かっても、それが知れたら今度は使用者に狙われる。劉玲もちょっとやそっと痛めつけても無駄と知っての荒療治だ。

「なんだか手がだるくなってきたな」

 わざとらしく言いながら孫景が手に持つロープを一瞬緩めると、男達は水面から姿を消した。

「ぶは、やめろ、教える、教えるから引き上げてくれ!」


「俺、ホントにダメだ」

 河岸の騒ぎをよそに、伊織がどん底まで落ち込んでいる。唇をへの字にしてどんより暗いオーラを放つ姿に、高谷も何と声をかけたらいいか分からず困惑していた。曹瑛を危険にさらしてしまった。自分がいなければ、曹瑛はどうとでも対応ができた。聖ソフィア大聖堂でチンピラに脅されたときといい、いずれ足手まといになるかもしれないという不安が現実のものとなり、今回の襲撃でそれは命に関わるのだと思い知らされた。

「伊織」

 曹瑛が声をかける。しかし、伊織は曹瑛の顔をまともに見ることができず、うなだれたままだ。

「お前がいなかったら、俺はもっと早くに死んでいた」

 曹瑛の意外な言葉に伊織は思わず顔を上げる。

「えっ」

「お前は俺の背中を守ってくれた」

 あのときはただ必死だった。曹瑛と背中合わせに敵の位置を伝えた。それで対処できたのは曹瑛の並外れた判断力と瞬発力のおかげだ。しかも、あのギリギリの状況で伊織をかばいながら応戦していた。伊織は曹瑛の助けになったとは到底考えられなかった。

「ありがとな」

 曹瑛は照れくさそうにぎこちない笑みを浮かべている。

「瑛さん」

 伊織はその言葉に救われた気がした。


「やっぱり首謀者は董正康やな」

 劉玲と孫景が戻ってきた。孫景は2人を岸まで引き上げてやり、榊がスーツを投げてやると、パンツ一枚のままそれを抱えてふらふらと立ち去っていった。

「お前が八虎連を裏切ったのを口実に、賞金を掛けた。本当の理由は龍神を狙っているからや」

 曹瑛はチッと舌打ちする。

「龍神プラントの警備も強化されるだろうな」

「ふふ、おもろいやないか」

 榊の言葉に、劉玲は楽しそうに笑う。建物を照らすネオンが消え、周囲は一気に暗くなった。中央大街もほとんど人通りが無い。ホテルへの帰り道、伊織は孫景と榊によく頑張ったと慰められながら歩いている。タバコを吸いながら1人遅れて歩く曹瑛に劉玲が歩調を合わせる。


「お前もよう頑張ったな」

 劉玲の言葉に、曹瑛はただ黙ってタバコの煙を吐き出す。仄かな街灯の光の下、タバコの煙が空に上がって行く。

「これまで一人でやってきた。失うものは何も無かった」

「今はお前にも大切なものができたということや」

「それを守るのは難しい」

 曹瑛は唇を噛み、目を細めた。スターリン公園で襲撃に遭ったとき、一瞬でも気を抜いていたら間違いなく伊織に怪我を負わせていた。それに、あの間抜けな暗殺者が余計なおしゃべりをせずに直ぐさま引き金を引いていたら、二人とも死んでいた。

「せやな、そやけど誰かを守ることで強くなれるんや。カッコ良かったで、伊織くんを守りながら戦う姿」

「チッ・・・見ていたのか」

「お前はもう一人やない」

 劉玲が曹瑛の背を軽く叩いた。曹瑛は前を歩く伊織に孫景、榊、高谷の姿を見つめる。横にいるのは30年以上前に死んだと思っていた兄。思えばおかしな縁が繋がったものだ。曹瑛はフッと小さく笑った。


 不意に、前を歩いていた伊織が振り向いた。

「瑛さん、俺にもナイフ教えて。足手まといになるのは嫌だ」

 伊織の顔は真剣そのものだ。

「その気持ちだけでいい」

「あ、面倒だと思ってる」

 伊織が唇を尖らせる。曹瑛はため息をついた。

「ああ、面倒だ」

 そう言いながら伊織にデコピンをした。

「瑛さん、ひどい」

「伊織の武器はフライパンだろ」

 横やりを入れる榊の言葉に孫景も同意する。伊織は榊にフライパン芸人と思われているのが不服のようだ。

「曹瑛、お前とはいつかきっちり勝負をつけてやるぞ」

 横浜でのサシの勝負に水を差されたのがよほど心残りだったのか、榊が曹瑛を名指しする。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。

「俺はお前には負けない」

 曹瑛は小さく笑った。


 ホテルの部屋に戻り、熱いシャワーを浴びれば頭がスッキリした。伊織はシャワーに濡れた髪をガシガシ拭きながら、窓際のソファでタバコを吹かす曹瑛の前に座る。ミネラルウォーターが緊張で乾いた喉に心地良い。曹瑛は足を組んでただ静かに窓の外を眺めている。ぽつぽつとまだ灯っているネオンが遠くに見えた。夜半の静まりかえった大通りに、時折派手にクラクションが響くのはお国柄だ。

「瑛さん、何を考えてるの」

「さあ、何だろうな」

 ぶっきらぼうなその答えに伊織は笑っている。

「何がおかしい」

「出会ったときの瑛さんなら何も答えてくれなかっただろうなって思って・・・あのときは俺一人でずっとしゃべってた」

「話は聞いていたぞ」

「うん、知ってる」


「俺、瑛さんの夢を叶えたい」

「夢、だと」

 曹瑛は首をかしげる。

「引退したら本屋さんしたいって言ってたよ」

「よく覚えていたな」

 東京観光のとき、他愛ない雑談で適当に答えたことを伊織が覚えていたことに曹瑛は驚いた。

「だから」

「心配するな、最後まで付き合ってもらう」

「本当に?置いていかない?」

 伊織が身を乗り出して尋ねる。

「俺はお前を守ると決めた」

 思わぬ返事に伊織は息を呑む。曹瑛の顔は真剣だった。

「もう寝ろ」

 曹瑛はそう言って、また窓の外に目を向けた。

 部屋の明かりを落とし、伊織がベッドで寝息を立て始めた頃、曹瑛はスーツケースから1冊の本を取り出した。ページをめくれば美しい日本の四季が巡る。日本を発つ前日に伊織にもらった写真集だった。窓から漏れる月明かりでひとり写真を眺める曹瑛の表情は穏やかだった。

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