エピソード73 命がけの友情

 さすがに食べ過ぎた、と満場一致で腹ごなしに散策することにした。榊は日本にいれば毎日8キロはランニングをしているらしく、日課が果たせないことをぼやいていた。

「どこに行っても中国は飯が美味いな、このままだとスーツが入らなくなりそうだ」

 榊がそんな心配をしていることにまだ20代前半の高谷は笑っていたが、30代に入っての贅肉のつき方は油断ならないのを伊織はよくわかっていた。そう思いつつも、別腹だからと劉玲に勧められたアイスを右手に持っている。


「これ濃厚で美味しい」

 バニラのほかにイチゴやチョコレートなど多彩な味があった。劉玲が皆も食べるやろ、と全員分を買ってくれた。1本5元、日本円で100円もしないがこれはなかなか値打ちものだ。伊織は基本のバニラ味を選び、これは正解だった。他の味も美味しそうなので、試してみたいと思った。男ばかり6人もそろってアイスを手にして歩く姿はある意味、平和の象徴かもしれない。

「せやろ、寒い日にも結構売れるんやて」

 マイナス30度でもアイスを食べるのだろうか、伊織は想像しただけでも体がブルっと震えた。


 中央大街は全長約1.5キロ、市街地から松花江という川まで続いている。突き当りにある松花江防洪記念塔を目指して歩いている。もう夜の9時で、周辺の店は閉店準備を始めていた。観光客の姿もずいぶん減ってきた。大通りに出て、地下道をくぐる。地上に出れば、高い塔の立つ広場に出た。


「わ、すごいライトアップ!」

 広場には高い塔が立ち、その上には英雄たちのモニュメントが建てられている。塔と、その前方に半円に並べられたロマネスク様式の列柱がライトアップで7色に光っていた。日本勢はその派手な演出に圧倒されている。

「この先の川は松花江という。この塔は防洪紀念塔といって市民が一丸となって洪水を防いだことを記念したものだ」

 横に立つ曹瑛がこの場所のいわれを説明してくれる。

「この大きな川が洪水で溢れたんだ」

「そうだ、それで堤防を築いた。この塔は22.5メートル、そこの下段まで水が来たそうだ」

 塔の下段にラインが入っていた。下段でも見上げるほどの高さで、ここまで水が来たというのは驚きだ。この塔の写真は街中の土産物屋の絵葉書にもあったので、街のシンボルのひとつなのだろう。


 塔の左右にはスターリン公園が続いている。街中でもロシアにちなんだ名称がついた通りがあり、関わりの深さが感じられた。夜も遅いので人はまばらだが、カップルが河畔に座って語り合い、老夫婦がゆっくりと散歩している。

 少し歩くか、と曹瑛に言われ伊織が周囲を見回せば、高谷は塔を見上げて写真を撮っており、榊はそれに付き添っていた。孫景は劉玲と川を眺めながらタバコをふかして、思い思いにのんびりしている。控えめなライトアップの中、街路樹が続く通りを歩く。


「松花江は冬場には全面凍結する日もある」

「え、川が凍るの?」

「そうだ」

 こんな大きな川が凍るなんて信じられないが、冬場の気温を考えると本当の話なのだろう。向こうには川を跨ぐ橋が明るくライトアップされている。

「川を渡れば太陽島、氷祭が開催される場所だ。今日通っただろう」

 プラントのある村に行く途中で劉玲が教えてくれた場所だ。


「伊織、靴紐がほどけている」

「え、本当?」

 おもむろに曹瑛に言われ、伊織がスニーカーの靴紐を結びなおそうとしゃがんだ。少しだけゆるんではいたが、ほどけてはいない。一応締め直し、立ち上がれば背後でドサッと何かが落ちる音がした。振り向けば、黒服の男が倒れている。

「えっ…瑛さん、あれ誰?」

 曹瑛が手にスローイングナイフを持っている。見れば正面から詰襟の黒服の男が二人、走ってくる。手には鈍く光りを放つ小銃が見えた。


「ひぇ、ウソだろ…!」

 曹瑛は腕を薙ぎ払う。10センチほどのスローイングナイフが放たれ、男の肩口に刺さった。ナイフを投げると同時に走り出した曹瑛は、それに怯んだ男の側頭部に蹴りを食らわせる。男はふっとんで縁石に頭をぶつけて気絶、もう一人の男のみぞおちに鋭い拳を入れると巨体が崩れ落ちた。間髪入れず、ナイフを街路樹に向かって投げる。木の幹に身を隠した男がうぐっと呻いた。手にはスローイングナイフが深々と刺さり、その痛みで持っていた銃を落とした。


 曹瑛が伊織の側に立ち、周囲を警戒する。

「こんな街中で銃を使ってくるとは、見境のない奴らだ」

「瑛さん、ヤバすぎるよこれ」

 伊織は怯えながらも周囲を見渡す。

「怖いか?」

「もう、めっちゃ怖い!」

 伊織は叫んだ。

「それだけ元気があれば大丈夫だ、伊織」

 曹瑛が口角を上げて笑う。


「俺の目になってくれ」

 曹瑛が背中合わせに言う。伊織は覚悟を決めた。

「わ、わかった」

 曹瑛が正面から来る敵をスローイングナイフでけん制する。

「瑛さん、あの木のところ!」

 伊織の声に曹瑛が振り向き、銃を持つ男目掛けてナイフを投げる。ナイフは男の鎖骨に刺さり、血しぶきが飛ぶ。男は茂みの中に倒れた。曹瑛が殺さないまでも、敵にダメージを与える戦法に切り替えたのが分かった。そうしなければ、こちらがやられる。

「川の方から2人!」

 曹瑛は正面から来る敵を片付けながら、伊織が見つけた敵にも対応していく。曹瑛は体の向きを変えながら敵の攻撃から伊織をかばっている。


「そこまでだ」

 左右から銃口が向けられていた。曹瑛はチッと舌打ちをする。撃鉄を下ろす音が無情に響く。

「悪いな、お前を殺せば遊んで暮らせる金が手に入る。」

 男の一人がニヤリと笑う。

「“東方の紅い虎”を殺せば、名が上がる」

 もう一人は下らない名誉のため。同業者か、と曹瑛は眉をひそめた。同じ八虎連でも昨日のチンピラとは全然違う。こいつらはプロの暗殺者だ。


「こいつは関係ない、逃がしてやれ」

 曹瑛の言葉に男たちは下卑た笑い声をあげる。

「そんなことできるわけないだろう、俺たちの顔を見た奴は殺す。…お前より先に撃ってやろうか」

 男の一人が伊織を狙う。曹瑛が伊織の頭を抱くようにかばった。

「瑛さん!」

「伊織、隙をつくるから逃げろ」

 曹瑛が耳元で囁く。背中にあるナイフを取ろうと身構えている。しかし、曹瑛が自分だけ戦うならまだしも、伊織を逃がすために敵を引き付けるならこの至近距離ではどうあっても撃たれるだろう。

「ダメだ、瑛さん」

 伊織は悲痛な叫びをあげた。


 男たちが引き金に指をかけた。その瞬間、男たちはドサリと地面に倒れた。見れば、男たちの背後に孫景と榊が立っていた。

「悪いな、遅くなった」

 榊が銃のグリップを握りしめている。男の後頭部を殴って気絶させたとみえる。

「伊織の声が聞こえてな」

 孫景も銃を鈍器として使ったようだ。

「榊さん、孫景さん、ありがとう」

 伊織はその場にへなへなと座り込んだ。高谷が駆け寄って背中をさすっている。

「プロまで投入か、本気出してるな」

 孫景が地面に倒れた男の起き上がりざまに蹴りを食らわした。

「こっちも片付いたで」

 劉玲が歩いてくる。周囲にいた残りの敵をいわしてきたらしい。


「お前らがこの集団のリーダーやろ、さて、誰の命令や?」

 劉玲がヤンキー座りで男二人の顔を見比べながら尋ねる。男たちは不貞腐れて何も言おうとしない。

「あんまり口固いと、俺も辛抱できへんよ」

 背中からナイフを取り出して男の頬をペチペチと叩く。それでも怯えない様子はさすがプロといったところか。孫景が川岸から防災用の浮き輪を持ってきた。

「お、ええな!水泳といこか」

 劉玲と孫景が顔を見合わせてニヤニヤしている。

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